悪魔くんとひみつのキス
榊あおい
天使のおまじない、悪魔のリル
「えっ!
「声おっきいよ、ここな。誰かに聞かれちゃうじゃん」
下校途中に、友達の由夢ちゃんがそんな告白をしてくるから、おどろいて声を上げてしまい、わたしは慌てて口に手を当てた。
「ごっ、ごめん。でも、なんで? 別に好きじゃないけど、告られたからつきあうだけとか言ってたのに」
「んー、こないだはそうだったんだけど、南くんならいいかなって思ったんだよね」
もうひとりの友達のあっちゃんは、「由夢、やったね」と、嬉しそうに拍手をしている。
あっちゃんがわたしみたいにおどろかないのは、すでにラブラブな彼氏がいるから。
「えっ、好きなわけじゃないのに? 恋人って、好き同士なんじゃないの?」
わたしのそんな疑問に、由夢ちゃんが面白そうに笑った。
「ここなはまだまだ子どもだねぇ。最初は好きじゃなくても、好きになれればそれでいいし、ならなかったら別れるだけなんだし。みんな、そうだよ?」
「ええ~?」
「『いちばん好きな男の人はパパ』なんて、中学生にもなって言ってるの、ここなだけだって」
「もう!」と、腰に手を当てて呆れる由夢ちゃんに、ポカンとしたまま、口が閉じれなかった。
*
「ただいまー! ごめんね、ここな、ママまた遅くなっちゃった」
「ママ、おかえりなさいっ。お仕事お疲れさま」
玄関から聞こえてきた声を聞いて、ソファーからぴょんと飛び降りる。時刻は、夜8時を少し過ぎたところ。
「今、ごはん温めるからね。今日こそは自信作なんだよ。ママ、一緒に食べよう」
そう言いながら、わたしはレンジに冷めた料理を入れた。
「また食べないで待っててくれたの?」
「だって、ママと一緒にご飯食べたいもん」
ママは目にじわっと涙を浮かべて、正面からわたしをぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね、毎日ここなに全部まかせちゃって」
「ううん、ママだって、毎日お仕事がんばってるでしょ」
「も~! めっちゃいい子~!」
「くるしいよ、ママ」
テーブルに小分け用のお皿を出して、レンジから取り出した料理を真ん中に置く。
「ねぇ、ママ。中学生にもなって、パパがいちばん好きな男の人っていうの、おかしいの?」
「どうして? ママだって、今でもずっとパパが大好きだもん。ここなは、昔からママ似だもんね」
ママは「ふふっ」と笑いながら、リビングに飾られてあるパパの写真に目をやった。
2年前に病気で亡くなったパパは、毎日そこからわたしたちを見守ってくれている。
今日の夕飯のメニューは、野菜いためとコンソメスープ。
「おいしそう。いただきまーす」
ニコニコと嬉しそうに箸をつけたママの口元から、「ガリッ」という、野菜炒めから聞いたことのない音が鳴った。
「マ、ママ!? 今の!」
「お、おいしいよ? ……でも、ちょっと、にんじんがかたかったかもね?」
「やっぱり、今日もおいしくなかったね……。また失敗しちゃった」
いつも、レシピ通りに作ってるんだけどなぁ。
わたしも、自分でひと口。うん、今日もマズい。作り終えた時には、今日こそはって自信があるのに。
「わたし、パパの子どもなのになぁ」
「パパはパティシエだったからお菓子作りはもちろん、料理も全部おいしかったからね。ここなは、そういうところもママに似ちゃったよね」
「ママも料理苦手だもんね」
ふたりで、「はぁー」と同時にため息をついて、笑った。
夕飯を食べて、お風呂に入り終わる頃にはすっかり夜の10時をまわっていた。
「ふわぁ……、ねむい」
寝ぼけまなこで、部屋の勉強机の上にある、小さなラッピング袋に目を落とした。
「はぁ……」
ため息をついて、ラッピング袋を手にする。中身は、わたしの手作りクッキー。わたしは料理がへたくそ。つまり、お菓子作りもへたくそ。今日は、クッキーを作ってみたんだけど……。
「また失敗しちゃったな」
ポツリとつぶやいて、机の上に戻す。ため息をつきながら、スマホをポチポチ。
「はぁ……、なんでみんな、すぐ彼氏ができるんだろう」
検索するのは、『彼氏ができる方法』。
由夢ちゃんも、前からラブラブな彼がいるあっちゃんも、楽しそうでキラキラしていた。うらやましい。……さみしい。
彼氏が出来たら、今よりも幸せになれるのかな。
「ん? おまじない?」
スマホをさわる指が止まる。そのページには、『手作りお菓子で恋の天使を呼び出せるおまじない』とある。
「えーと、『心をこめて作ったお菓子に、ブランデーを一滴』、『満月の夜に窓ぎわに置いて』……」
そこまで読み上げて、カーテンをあける。夜空に浮かぶのは……。
「まん丸だ」
勉強机の上には、今日作ったばかりのクッキー。
*
ママが寝静まったのを確認して、音を立てないようにこっそりとキッチンに向かう。
ママが、眠れない夜にホットミルクに混ぜて飲んでいたのを一度だけ見たことがある、それは。
「あった。ブランデー」
お酒なんて、手にするだけでわるいことをしているみたいで、ドキドキしてしまう。
部屋に戻って、ブランデーのせんを開ける。ふわりと香る大人のにおいに、くらりとする。
スマホを開いて、もう一度おまじないの手順を確認。クッキーに一滴落として、お皿にのせて窓ぎわへ。
「……うん、これで完了」
無事に終了したことに、自然に笑みがもれる。
だけど、やり方に気を取られていたわたしは、気づいていなかった。おまじないページの、最後の一文に。
『注意! お菓子はちゃんとおいしく作ってね☆ 失敗すると、天使のかわりに悪魔がきちゃうかも?』
満月の光で、いつもより夜が明るい。星も、いつもより輝いているみたい。
時刻は、もう少しで真夜中の12時。
ドキドキしながら月を見ていたけれど、何かがおこるわけもなく。
「だよねぇ。ふわぁ……」
あくびでこぼれた涙を手でこすって、窓を閉めようとした、その時。
──バサッ。
一瞬で月明かりがさえぎられ、大きな鳥が羽ばたくような音が耳を通り抜けた。
「お前か? 俺を呼んだのは」
そう問いかけられても、目の前の光景を理解することが出来ない。男の子が、窓の外から部屋に入ってきて、……そこにいる。
「えっ……」
わたしと同じくらいの年の見た目で、黒髪に、金色の瞳。全身真っ黒の服と、真っ黒な羽根。右手の中指には、白い石がついた指輪をしている。
コ、コスプレ?
でも、かっこいい。テレビで見るアイドルみたい。
こんな非現実的な状況で、のんきなわたしが思ったことが、まずこれだった。
というか、ここはアパートの5階。
「ど、どうやってここに……」
人間が、窓の外からこの部屋に入ってくる? ううん、そんなこと、できっこない。
「どうやってって、飛んできたに決まってんだろ」
バサッと、真っ黒な羽根が扇のように動く。
作り物じゃ、ないの?
腰が抜けてしまったわたしは、ぺたんと床に座り込んだ。
え? なんでわたしの部屋に知らない人が? 誰?
ぐるぐると、がんばって頭を働かせてみる。
彼のそばには、お皿の上に乗ったクッキー。
『手作りお菓子で恋の天使を呼び出せるおまじない』
「て……天使?」
そんなわけないって思いながらも、思い当たることはこれひとつだけ。
「天使? あんなやつらと一緒にすんな」
だよね。そんなファンタジーなことがあるわけ……。
「俺は、悪魔のリル。お前に呼ばれて、願いを3つ叶えてやる代わりに、魂を奪いにきた」
さらに返ってきたななめ上の言葉に、あいた口がふさがらない。
男の子が、ベッドから降りる。後ろでピョコピョコ揺れるのは、黒いしっぽ。先っぽに、ハートみたいな形の尾がついている。
天使を呼ぶおまじないで、悪魔が現れた? しかも、魂をうばうって? なにそれ? どういうこと?
悪魔なんているわけない。……でも、飛んできたし。その羽根は、作り物じゃないみたいだし。
頭を整理するのに必死なわたしを横目に、リルはおまじないに使った、クッキーをぱくっと食べた。
「あ!」
止めるひまもなかった。失敗クッキーなのに!
「……うまい」
「え」
「うまい。なんだこれ」
「わ、わたしが作ったクッキー……」
「お前が?」
リルはニッと唇のはしを上げて笑う。
「気に入った。お前、名前は?」
「こ、ここな……。雨月ここな」
おいしい? わたしの手作りが? そんなこと、今まで誰も本気で言ってくれた人なんていない。
リルは、ぼう然とするわたしに、自分の指にある指輪を向ける。
「雨月ここな。お前と悪魔リルの、契約の儀をはじめる」
「えっ、契約? の、ぎ? って?」
儀って、もしかして儀式ってこと?
指輪を向けられた左胸に、チリッと焼けるような痛みが走った。
「いたっ……! なに、今の……」
痛みのあった場所を見ると、そこには羽根の形のあざがあった。まるで、リルの背中にある悪魔みたいな……。
「それは契約の印だ。お前の願いを叶えるたびに、そこからこの指輪に命が吸い取られて、色が変わる。最後に黒くなったら、お前の魂は完全に俺のものになる」
ふふん。と、鼻で笑うリルを、わたしは変わらずポカーンと見ることしか出来ない。
えーと。……と、いうことは?
「わ、わたし、死んじゃうじゃん!」
とんでもないことに気づいて、わたしはまた叫んでしまった。
「人間なんかの言いなりになるなんてめんどくせーけど、しょうがない。ありがたく思え。とっとと叶えて帰るか。おい、さっさと願え。お前、何が欲しい。わかった、金な。ほら」
「い、言ってな、わあ!?」
リルが指をパチンと鳴らすと、ポンッという音と共に、一万円札の束が目の前にたくさんあらわれた。
100万、200万、ううん、もっと。その100倍くらい。
これ、魔法? すごい……。
ん? 願いごと、3つ?
「うそ、これで、1個叶えたことになっちゃうの?」
と、わたしがサーっと顔を青くすると、リルがチッと舌打ちをした。
「やっぱりダメか」
ため息をつきながら、リルは自分の指輪の石を見る。
札束は、スッと溶けるように消えてしまった。
「勝手な願いごとじゃ、カウントされないってこと? よかった……」
「欲望まみれの願いじゃないと、最後にうばった魂がまずくなるからな」
ホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間。こわいことを言われたような気が。
「それじゃ」
と、リルはわたしに顔を近づける。
「なっ、なに? ちょ、近いよ……!」
「お前のせいでさっき魔法使ったから、力が減った。唇から、人間の生気をもらう必要がある」
自分が勝手に魔法を使ったのに!?
唇から……って、キ、キス!?
「わわ、待っ……!」
近づく距離に、由夢ちゃんの言葉ががかさなる。
大好きな彼とはじめての……。
「だっ、だめー! はじめてなのにっ」
わたしは必死で、リルの顔の前に手を押し付けた。
瞬間、ポッとあわい光がリルを包んだ。
「な、なに? 今の」
「人間の生気を吸って、力が回復したあかしだ」
それって、わたしの手のひらにリルの唇が触れたから――つまり、キスしたからってこと?
「なんだ、唇どうしのキスじゃなくてもいいんだ……」
ホッとしてみたけど、だからといって、何も問題は解決してない。
「で、出ていって! 悪魔は呼んでないんだってば!」
「無理。もう契約したから。俺は、命をうばうまで、元の魔界に帰れないんだからな」
迷惑!
口じゃなくても、キスはキス。好きな人同士がすることでしょ?
そんなわたしのとまどいを無視して、リルは眠そうにあくびをして、わたしのベッドにごろんと寝転んだ。
「待って、それわたしのベッド……!」
「さっきから、うるさい」
パチンと、リルの指が鳴る。これは、魔法を使う合図。
一気に眠気がおそってきて、まぶたが重くなる。
目を閉じる前の最後の記憶は、真っ黒な羽根。
はじめて、わたしのお菓子をおいしいと言ってくれた、自分勝手な悪魔の男の子。
わたしたちの、不本意な同居生活がはじまった。
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