第17話 煤闇(すすやみ)のシムナ③
「いいか。あの魔法のすごいところは、外から見ると混乱して仲間同士で攻撃しあっているのに、かかった奴ら自身は楽しくなっていることだ。もはや絶望的状況に陥った自覚すらなく力尽きる。こんなに素晴らしい魔法もそうそうないだろう」
煤闇(すすやみ)のシムナは一度気持ちよく話し始めるとなかなか止まらなかった。
僕はその上機嫌さを損なうことのないよう、こまめに相槌を打ったり、なるほどーと唸ったりする。
「普通の最期というのは辛く苦しいものだ。それを回避してあの世に送るなんて、私の発想がいかに素晴らしく有情かという話だ」
「僕も逝きかけました……」
僕は、ぽそっとつぶやく。
「そうだろう、そうだろう。とても心地よく、そのままあの世に行ってしまいたくなっただろう」
僕は抗議の意思を示したつもりだったが、どうも彼女に伝わることはなかったようだ。
シムナはだいたいこういった調子で、確かに煤闇に潜んでいそうな魔女と呼びたくなる人物である。いや、実際にそいう魔女なのかもしれない。
「それにしてもだよ。よくあれを生き延びたもんだね」
「ええ、まあ……」
「お前のその息遣い、まったく戦場を知らない人間のものだ。つまり、そういうことなんだろう?」
戦場を経験したことのない人間の息遣いとか、世の中にはそういうものがあるのだろうか。
それはまだいいとして、彼女の言う「そういうこと」も何を意味するのだろうか。
いろいろと気になったが、気持ちよく話しているようなので、聞くことに専念しておくことにする。
「事情を察知していた私は遠慮なくお前を潰すと決めた。理由はジャマだったから、それだけだよ。しかし、魔法にもしっかりかかりながら、お前はギリギリのところで持ち堪えた。これは一体どういうことか……!」
大げさな動きとポーズを決め、問いかけてくるシムナ。そんなにワクワクすることでもあるのだろうか。
「明らかな戦いの素人、ド素人が耐えてみせた。可能性はただひとつ。……魔法だろう」
「はい、そうです」
即答する僕。魔法自体は隠す意味もない。
そういったやり取りがあって、その魔法の正体を見せろと要求された僕はホームの自室にシムナを招き入れた。
僕はいつもの壺を部屋にあった小汚い箱の上に置く。
「しゃれた鍋だね」
「……壺です」
一言つぶやいた僕は例のごとく壺の真上に両手を持っていくと、慣れた手の動きを展開した。
シュッ、シュッ。シュッ、シュッ。
手を動かせば動かすほど僕の体がみなぎっていく。これのすごいところは、死亡して初めからやり直しになっても、練度はそのまま上積みされるということだ。そのあたりをいちいち説明するとややこしくなるのでシムナには秘密のままにしておくが。
「どうです? この魔法であっという間に強くなれちゃうんですよ」
少し得意顔になってみる僕。
「……」
しかし、シムナは変顔でこちらを見つめていた。そんなに何かおかしかったのだろうか。
「誰だか知らないけど、こんなものを使わせるとか、悪魔だな……! お前、死ぬぞ?」
大いに呆れ返った顔でシムナは指摘した。既に何度か死んでいるので別に問題はないが。いや、あるのか。
「いやー、さすがの私でもここまでひどいことはさせないさ……。こんなに出来の悪い魔法を実行させるとはなあ……」
「まあ、何とかなってますよ」
「そりゃあ、今だけさ。こんなもの真面目にやってたら、そのうちわけのわからない死に方するよ」
「か、覚悟はあります……」
正直を言うと、自分でも覚悟ができてるのかどうかよくわかっていない。でも、これだけは否定しちゃいけない気がした。
それにしても、この光景を少し見ただけで大まかな仕掛けがすべてわかってしまうのは、シムナがやはり相当な魔法使いだからなのだろうか。それとも、基礎的な能力ですぐにわかる程度の代物だからなのだろうか。
「よおし。それなら冥土の土産にすごい能力をお前に授けよう。利き手を出してみろ」
シムナの言葉が意外で少し驚いたが、僕はそれを態度に出すことはなく、恐る恐る利き手を差し出した。
「お前の魔法の才能を強制開放する。いいか、大人しくしてろよ……」
語りかけるのとほぼ同時にシムナの体から青白い光が解き放たれ、部屋の中が不思議な明るさで包まれた。
「……!」
僕の体の中で何かがほとばしる感覚。シムナが両手を僕の利き手にかざしているだけなのに、僕の体は確実に激変している……!
そして、目にはシムナが映っているままで、同時に広大な草原が目の前に広がった。
動物だ。動物の群れが僕の目の前を走り回っている。
あれは、ゾウなのか……? 鼻が長くて耳が大きい、とにかく巨大な動物が何頭も鳴き声をあげながら草原を駆けている。
ゾウだけじゃない。白と黒とのシマ模様のウマに、首が一際長い黄色いウマの群れなど、とにかくすごい数が……。
この光景は何なんだ……。僕の体はどこへ来てしまったんだ……。
「……はっ! 今、何かが!」
明らかに一瞬の出来事なのに、ものすごく長い時間が経過する感覚から脱した僕は、思わず声を上げた。
草原も動物もすっかりどこかへ行ってしまった。まるで鮮明な夢を見ているかのようだった。
「これで完了だ。お返しはたっぷりとしてもらうからな……」
目の前のシムナはとても嬉しそうにそう言った。
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