第16話 煤闇(すすやみ)のシムナ②

 煤闇(すすやみ)のシムナが特技の魔法によって敵の弱体化を行っているのは、最初のオーク軍団との戦いで見た通りである。


 そんな彼女と、仲良くなるとまではいかないまでも、話が通じるまでになったところで、僕の成長につながる余地は本当にあるのだろか。


 例のろくろ回しで単純な肉体強化こそ順調に進んだが、魔法の上達にまで対応しているわけではないらしいのだ。


 何せ、入隊試験の時に「魔法の見込みなし」のお墨付きを既にもらっている僕である。これではどうしようもない。


 そう考えると、ますますレニの提案の意図がよくわからなくなってくる。


 いや、あえてここは前向きに考えてみよう。


 この世には実を言うと猿でも使える魔法もあるのかもしれない。


 そして、火の魔法を使えるようになった僕。通常のパンチが火のパンチに……!


 ……前向きと妄想はまったく別のものだった。余計なことを考えるのはやめよう。


 考えることをやめた僕は、シムナがいつも陣取る場所にやって来た。


 もちろんその場所で待ち構えたら別の場所に行ってしまうだろうから、適度に距離を置いて待機する。


 と、そこに、いつもの物々しい雰囲気が漂う。


 オーク軍団がレニの封魔の術式に反応してやって来たようだ。


 毎度毎度、返り討ちに遭うのにご苦労なことである。いや、繰り返し返り討ちに遭うのはあくまで僕視点での話だが。


 そしてこれまでの経験上、いつもの3人も、どこからともなくすぐに現れ迎撃態勢をとる。


 彼女たちが毎度こうやって敵の来襲に対応できるのは、どうも戦場で培ってきた勘によるものらしく、やはり僕のような単純強化にばかり依存する新兵とは次元が違うのだろう。


「お……? おお……?」


 僕は少し変な声が出た。どこからともなく煤が集まってくると、辺りは徐々に闇へと包まれていったのだ。


 何が起きているのかと目を凝らす。すると、それまで誰もいなかったはずの場所に、煤のような闇に包まれてひとりの女性の後ろ姿が現れていた。


 言わずもがな、煤闇のシムナその人である。


 その不思議な登場の仕方はまさに魔女と呼びたくなるものだった。


「……なんだあ?」


 心底不愉快そうな顔つきでこちらに視線を向けた彼女の表情からはそう言ってきたように見えた。


「何か……! 僕に……! できることは……! やります……!」


 彼女の態度からして近づくことすら拒まれそうに感じたので、僕はその場で叫んでみた。言葉の前後につながりがないが、そのあたりはあきらめた。


 僕に気がついたシムナはというと……心底面倒くさそうな顔をしている。


 そして彼女は右手の人差し指を伸ばして、右腕を前方に数回振った。


 指の先は……うごめくゴブリンの軍団である。


「そうか……! あっちへ突っ込めということか……!」


 了解した僕は駆け出し、シムナの先でうごめくゴブリンの群れに突っ込んだ。


 昔の僕ならこれは蛮行でしかなかったが、それなりに戦えるようになった今ではこれでも正攻法に近い行動だ。


 目の前のゴブリンを次々とぶん殴っていく僕。思わず圧倒されていくゴブリン。


 ……痛っ。いたたっ。ゴブリンから結構反撃されているが、それはどうと言うことではない。


「……!」


 と、そこで急に目の前が闇に支配された。


 いや、その闇も一瞬で消えてしまったので、何か見間違いをしたのかもしれない。


 ゴブリンたちも無反応だ。やはり僕がおかしいようだ。


 こんな時に変な錯覚にとらわれたのは困りものだが、悩んでいる暇もなく、僕は戦い続けた。


 すると、どうしたことだろう。どこからともなく音楽が流れてきた。


 とにかく楽しげなリズムでつい踊ってしまいそうになる。


 いや、踊ってしまいそうどころか、気づくと僕は既に踊っていた。


 何か決まった踊りを踊っているわけではない。こうすると楽しいという雰囲気だけで手足を動かした。


「あはは……ははっ……ははは……!」


 戦っている真っ最中にそんなことをしている場合ではない。しかし、この楽しさには抗えなかった。


 それに、踊っているのは僕だけではなかった。今までずっと戦っていたゴブリンの群れも同じく楽しそうに踊っている……!


 ゴブリンの踊りもかなりデタラメだったが、音楽に合わせ、この楽しさを満喫しているのがはっきりとわかる。


 楽しい……! 楽しい……!!


 さあ、みんなで輪になって踊ろう!


 僕は、いや僕たちは、ありったけの「今」を満喫する。


 こんな特別な感情は初めてであった。


 あまりの楽しさに思わず目の前のゴブリンを殴ってしまう。


「オゴォ……! フガァ……!」


 僕が殴ったゴブリンがこれまた楽しそうに僕を殴った。


 痛い。でも、楽しい。とても不思議な感情。


 気がつけば、辺り一面のゴブリンも同様に音楽に合わせて楽しく殴り合っていた。


「アガァ……!」


「オポゴォ……!」


「ゴペェッ……!」


 あちらこちらから悲鳴が上がる。しかし、その声はいずれも悲劇的なものは感じさせず、楽しそうなものばかり。


「あがっ……!」


 そうこうしてると、僕にも一発、二発と飛んでくる。


 しかし、どうしたことだろう。ただただ、楽しさしか感じない。


 ほら、殴って、殴られ、殴って、殴られ……。


 さあ。楽しく殴り合いおう。今だけはみんな友達さ。






「ハッ……! ゴ、ゴブリンは……?」


 僕が意識を取り戻した時、辺りは自然の静けさを取り戻していた。


 視線の先は広々とした空が広がっていた。どうやら僕は仰向けになって寝ていたようだった。


「うわぁ~。こいつ、本当に生きてたぁ~」


 しゃがんだ姿勢で面白そうに僕を観察していた女性がいた。シムナである。


 僕は起き上がって何かを言おうとしたが、思ったように体が動かなかったので、あきらめた。


 体の痛みは感じないが、かといって力を入れることもできなかった。


「ケガはすべて治したわ。少し待てば自由に動けるようになるでしょう」


 僕にそう言葉をかけてきた女性は千年大罪のミカである。彼女はそれだけ言い残すと、すぐにどこかへと立ち去ってしまった。


 首から上は動くので辺りを見回してみた。いつもいてくれるレニの姿は見当たらないようだった。


 イナズマのアッキーの姿も見えないが、彼女が僕に興味ないのはいつも通りなので、こちらは気に留める意味はないだろう。


「お前、面白いなぁ~」


 動けないまま仰向けになっている僕に対してシムナはニヤニヤと笑いながらそう声をかけてきた。


 どうやら彼女の無関心の域を超えることができたらしい。


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