第2話【急募】穏便に王太子殿下との婚約を破棄する方法
そして月日は流れ……
***
十八歳の初夏。
所用があって王宮を訪問していた際、私は見てしまったのだ。
王宮の片隅で侍女見習いをしているアマリエと、アルバート殿下が抱き合っているところを。
頭が真っ白になった。
え、物語はとっくにスタートしていたの?
まだ何も対策を立てていない。
だって亡くなる直前に読んでいた作品とはいっても、今から十八年も前のことだから、細かいところはすでに曖昧になっている。
ただ、ずっと「本当に物語の中なのかしら?」という疑念があったのは確か。でも、二人の抱擁によって消し飛んだ。
と、その時。
驚いて固まる私の口元を背後から押さえ、ぐいと引っ張る手があった。
ぐいぐいとその腕は私を引っ張り、廊下の角を曲がったところで解放される。
振り向くと、そこにいたのはクラヴィスだった。
濃紺色の髪の毛に瞳、理知的な顔立ちはそのままに、今は眼鏡をかけているので理知的な雰囲気が増し増しの彼こそ、アルバート殿下の親友で、二人の恋路を応援する人物。
私の悪事を暴いて追い詰めていく役どころでもある。
つまり私にとっては非常に都合の悪い人物でもあった。
「シッ。大きな声は出さないで」
そのクラヴィスが唇に人差し指を当てて「静かにしろ」のジェスチャーをする。
「な……何事ですか、いきなり。公爵令嬢に対して失礼でしょう」
十八年間、公爵令嬢として培ってきた高貴な令嬢っぽい態度で言い返せば、クラヴィスが少し距離をとって「申し訳ない」と答えた。俯いた拍子に眼鏡のフレームがキラリと光る。
わかってやっている?
わかってやっているわよね!?
私、優しい雰囲気よりもこういう理性的で物静かなタイプが好みなのだ。
前世の私も、この作品で一番気に入っていたのはクラヴィスだった。
前世でクラヴィスに萌えていた記憶が蘇りかけたものの、エルシーアの立場でキャーキャー騒ぐわけにはいかない。
気持ちを抑え、キリッとした顔で私はクラヴィスを見上げた(身長差)。
「ここで騒ぎ立てたら、あなたにとってもよくないと思って」
「どうして」
「まるであなたが、嫉妬のあまり短絡的な振る舞いをしてしまう女性に見えたら大変だろう」
「別に、騒ぎ立てるつもりなんてなかったわ。あの二人については勘付いていたもの」
少し前から、アルバート殿下は心ここにあらずという様子になることが増えていた。
アルバート殿下は、穏やかな性格をしており、人格者としても知られる。その彼が目の前に婚約者がいるにもかかわらず、考え事をしているというのはとても珍しい。そして多少は「この先の展開」を知っている私にはピンときていた。
最近、王宮で見かけるピンクブロンドの侍女見習いが原因だろう、ということに。
「勘付いていた? すごいな、エルシーア嬢はアルバート殿下をよく見ているんだな」
クラヴィスが驚く。
「まあ……婚約者だし……」
ただ、あの物語と違って私はアルバート殿下に恋心は抱いていない。前世の記憶がなければ恋をしていたかもしれないけれど。
アルバート殿下は眉目秀麗、文武両道、真面目で穏やかな性格と、実にできた人物だ。そんな人に婚約者として特別扱いされたら私でなくても落ちると思う。でも彼の気持ちがアマリエに向くことを知っていれば、そんな気持ちにはならない。
「そうだな。エルシーア嬢は、アルバート殿下によく尽くしてきたものな」
クラヴィスがしみじみと呟く。
婚約者として私は常にアルバート殿下のパートナーをつとめてきた。
彼にふさわしくあるために、妃教育も頑張ってきた。
それは私に与えられた課題だからであって(できないとお父様に叱られるのだ)、アルバート殿下を思ってのことではないけれど。
「あなたはいつ頃気が付いたの、クラヴィス様」
「ひと月くらい前だな。……アルバート殿下から相談されたんだ、いろいろと」
「いろいろと?」
「すまない。これ以上は言えない」
クラヴィスが眼鏡のブリッジを右手中指でクイッと押し上げ、黙る。
仕草が絵になりますね……さすが脇役にもかかわらず挿絵に登場していたキャラクターだけある。
この物語におけるクラヴィスは、アルバート殿下の協力者だ。
アルバート殿下の望みは、アマリエを正式に妃として迎えること。
そのためにしなければならないことは、
・正式な婚約者(つまり私)の排除
・アマリエを妃にふさわしい存在として、国王および議会に認めさせること
議会には私の父がいる。
私をごり押しして王太子の婚約者にした父が、私の代わりにアマリエを妃に、などという案を承認するわけがない。
と、いうことは、アマリエを妃にするためには私と父をまとめて社会的に抹殺するしかない。
……これを立案し実行するのが、目の前にいるクラヴィスなのだ。ストーリーと照らし合わせるなら、相談事とはこのあたりだろう。そして切れ者のクラヴィスはすでに計画を練り始めている可能性がある。
冗談ではない。
私はアルバート殿下に対してなんの感慨も抱いていない。
アルバート殿下に嫁がなければ家が没落してしまうという瀬戸際にあるわけでもない。
この婚約、放棄できるものなら放棄したい。
けれどそのためのハードルはとてつもなく高い。
少々の理由では宰相たる父が揉み消してしまうからだ。
かといってそのために、実家を没落に追い込むのはダメ。私まで巻き添えを食ってしまう。
私が悪役になるのもナシ。私は幸せになりたい。
【急募】穏便に王太子殿下との婚約を破棄する方法【誰か助けて】
つまり、私以上に「アルバート殿下の伴侶にふさわしい」女性が現れればいいのでは?
誰もが納得できる、反論しようがない、完璧な条件を持った女性となると……?
「聖女ちゃんだわ」
突然閃いたため、私は思わずそう口走ってしまった。
現在、この物語は不遇ヒロインが悪役令嬢がいびられ、ヒーローに救われるパターンになっている。
これを聖女がなんやかんやあってヒーローとくっつく話に変えてしまえばいいんだわ。
悪役令嬢が出てこないパターンに変えてしまうのだ。
私が悪役令嬢ポジションだから断罪されるのであって、悪役令嬢でなくなれば問題は解決。
相手が聖女なら婚約破棄されてもしかたがない。お父様も文句は言えないはずだ。
よしこれでいこう。これなら今からでも破滅を回避できる。
「聖女?」
クラヴィスが反応する。
「いえ……なんでもないわ。忘れてくださいな。では失礼し……」
踵を返しかけて立ち止まる。
待てよ。
クラヴィスの目的は私をアルバート殿下の婚約者から外すこと。
私の目的は、アルバート殿下の婚約者から外れること。
私たちの利害は一致する。
クラヴィスを仲間に引き入れることができるのでは?
それに私の悪事を暴いて追い詰めていく役どころのキャラクターを味方につけておけば、断罪エンドを遠ざけられるかも。
「ねえクラヴィス様、私の話を聞いてくださる?」
突然振り向いて笑顔で話しかけてきた私に、クラヴィスが怪訝そうな顔をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます