第36話 ロマンチストな神獣
聖女クレアが息絶える瞬間を見せられた直後、景色が真っ暗になった。
『こうして
「これは千年前のヴァルハラントで、実際に起こった出来事なのですね?」
『いかにも。当時はまだ、王国は存在していなかったがな』
暗闇の中、神獣フェンリルの声が響く。
「ヴァルハラントで薬草や農作物の育ちが速いのは、
『その点は、現代でも正確に伝わっているようだな。しかし、ねじ曲がって伝わってしまった情報もある』
「【緑の魔女】と、【
『うむ。我は眠りにつく際、ちょっとした仕掛けをしたのだ。……クレアの死から、百年後の時代を見よ』
また場面が変わる。
神殿のような場所に、女性が立っていた。
神々しい聖衣に身を包んだ女性が、民衆から
彼女の髪と瞳の色は緑。
オリビア姫や聖女クレアと、同じ色だ。
『2代目の聖女、ソフィアだ。クレアと違い、植物や農作物の成長を大幅に促進させる力を持っている』
「オリビア姫と、同じ力……」
『緑の髪と瞳を持つ女は、魔力の色が緑色。クレアと同じなのだ』
「聖女クレアと同種の魔力を持った女性に、特別な力を与える。それが貴方が
『察しがいいな、ほぼ正解だ。少し違うのは彼女達に力を与えるというより、我の加護の方をいじった点だ。緑色の魔力に反応して、効果が何倍にも高まるように』
「なぜ、そのようなことを?」
『その方が、周囲の人間から大切にされると思ったのだ。彼女達には、幸せになって欲しかった……』
「聖女クレアの分まで……ですか?」
『我はクレアを愛していた。しかし神獣ゆえ、人間であるクレアとは決して結ばれることはなかった。だが我の加護とクレアに似た魔力が結びついて生まれる【豊穣の聖女】は、まるで我とクレアの娘達のようではないか』
だが神獣の娘達に、これから待ち受ける運命は――
『眠りに着く直前、ちゃんと伝えたのだ。神獣を
神獣の声には、無念さが
『そして「彼女達を害した場合には、加護を取り上げる」とも』
「……! では、【緑の魔女】の呪いとは!」
『呪いなどではない。我が娘達を不幸にした報いとして、その地から加護が消え去ってしまっただけだ』
それから俺は、ひどい映像の数々を見せられた。
「もっと力を振り絞り、農作物の生産量を増やせ!」と、領主が聖女に苛烈な拷問をする光景。
【植物成長促進魔法】による利権を独占したい魔導士ギルドが、根も葉もないデマを広げて聖女を排斥した光景。
【豊穣の聖女】を奪い合って、人々が凄惨な殺し合いをする光景。
『【緑の魔女】が災厄と争いを呼び寄せるというのは、ある意味間違いではない。欲望に狂った人間どもが群がり、聖女の周りでは争いが絶えなかった。多くの血が流れた』
「それでいつしか伝承が歪み、【豊穣の聖女】は【緑の魔女】として忌み嫌われるようになったと?」
『ヨルムンガルド帝国では、いまだ歪まずに聖女の話が伝わっているみたいだがな』
「太古の学者達が、正確で客観的な記録を残してくれたおかげですよ」
『ヴァルハラント王国でもそのような記録が残っていれば、我が娘達は迫害されずに済んだ。……いや、全て我の失敗だ。取り返しがつかないことを、してしまった』
いつの間にか暗闇の中で、神獣フェンリルが
山のように巨大な姿のはずなのに、やけに小さく感じる。
俺には、かける言葉が見つからない。
自分のせいで子孫が不幸になっていたら、絶望するだろう。
しかも、良かれと思ってやったことが裏目に出るとは。
『せめて当代の聖女オリビアには、不幸な人生を歩んで欲しくない』
「不幸になんて、させませんよ。私が彼女を守ります」
『……貴様に我が娘は任せられん。今のままでは……な……』
凄まじい威圧感。
神獣フェンリルの迫力に気圧されて、俺は後方へと吹き飛ばされそうになっていた。
だが、必死で
何としてもこの神獣に、認められなくては。
娘を任せるに、相応しい男だと。
『ふん。やはり貴様には、少しばかり見込みがある。……【
「いいえ」
『無理もないか。最後に【
「見込みとは、私がその【
『「誰かを守りたい」という、強い意志はあるようだな。それで第1条件はクリアだ。もうひとつの条件は迷いを捨て、覚悟を決めることだ』
「覚悟……。私に、どんな覚悟をしろと?」
『それは貴様自身が、1番良く分かっているはずだ。……自信なき皇子よ。貴様が覚悟を決めた時、力を貸そう。我が娘を助けるために、必要な力を』
神獣フェンリルの巨体が、闇の中へと遠のいていく。
「待ってください! 神獣フェンリル! まだ、聞きたいことが……! 貴方はひょっとして、オリビア姫の近くに……」
手を伸ばしたが、届かない。
不思議な夢から醒めていくのを、俺は感じていた。
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「……殿下。……フェン殿下!」
無礼などと、
彼の口調で分かる。
これは火急の用件だ。
「何があった? 申せ」
「早朝からの御無礼を、お許しください」
酷く、嫌な予感がする。
「オリビア様が、姿を消しました。フェン殿下への、書き置きを残して」
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