第20話 我が帝国ではこれを、「飯テロ」と呼びます

 リル……フェン様に連れられて、わたしが通された場所は客人用の部屋。


 地方の貴族などが皇帝陛下に呼び出された際、宿泊するための一室らしい。




 部屋に入ると、ようやくお姫様抱っこから解放された。




「私は今から皇帝陛下にお会いして、状況報告をしなければなりません。異国の地で、我が姫を1人にしてしまうことは申し訳ないと思うのですが……」


 皇帝陛下に、直接お目通りを?

 やはりフェン様は、高位の帝国貴族令嬢なのだろうか?




「あ……いえ、大丈夫です。侍女さんやメイドさん達が、素敵なおもてなしをしてくださっていますし」


 よく訓練されたメイド達は、鮮やかな手際で薬草茶ハーブティーやお菓子を準備してくれていた。


 彼女達に指示を出している侍女が、わたしの話し相手にもなってくれるらしい。


 正直に言うとフェン様と離れる不安より、未知なるお菓子への興味で頭がいっぱいだ。


 一応、逃避行の途中で携帯食料を食べてはいた。

 それでも、空腹ではある。


 異国で「くぅー」とお腹を鳴らす失態を演じる前に、お菓子でなんとかしのぎたい。




「それにポチも、ついていてくれますから」


「ははっ。確かに彼は、頼もしい護衛だ。ポチ先輩、オリビア姫のことをお願いします」


「わふっ♪」




 名残り惜しそうに、フェン様は部屋から出ていく。




 ハーブティーをカップに注いでくれた侍女に、わたしは尋ねてみた。




「あ……あの~。フェン様はひょっとして、帝国ではものすごく地位の高いお方なのですか?」


 侍女の瞳が、大きく見開かれる。


 彼女はひときゅうおいて目を細め、いたずらっぽい笑みを返してきた。


「フェン様がまだ秘密にしておられるのなら、わたくしの口からは申し上げられません。オリビア様を、ビックリさせるおつもりのようですね」


 侍女に悪意は感じられない。

 ただひたすら、楽しそうにしている。




「さあさあ。今はフェン様の正体より、ハーブティーとお菓子をお召し上がりください。疲れた体と心を、癒す効果もございます。ひと晩中飛び続けて、お疲れでしょう?」


 勧められて、わたしは視線を手元の皿へと移す。


「このお菓子は何でしょう? ヴァルハラント王国では、目にしたことがありません」


 編み込まれたパイ生地には、蜜でもかかっているのだろうか?

 光を反射して、金細工のように輝いて見える。


 絶妙な焼き色は、なんとも食欲をそそった。


「アップルパイという、ヨルムンガルド帝国では昔からあるお菓子でございます」


 侍女から勧められるがままにナイフを入れると、サクリとした生地の手応え。


 そしてしっとりとした、リンゴの手応えが伝わってくる。


 シナモンの甘い香りが鼻孔をくすぐり、匂いだけで味わい深い。




 ひと切れ口に入れ、わたしは言葉を失った。


 甘味と酸味が舌を包み込み、私の胸を幸せいっぱいな気分にしてくれる。




「お口に合ったようで、何よりです」




 侍女の言葉で、わたしは我に返る。


 気が付けばアップルパイは、皿上から消滅していた。




 どうしよう?


 淑女として、恥ずかしいがっつき方ではなかったか?




「なんとお美しい所作でしょう。思わず、見とれてしまいました」


 侍女の賛辞に、心の中で「よし!」とつぶやく。


 ヴァルハラント王族として身に付けた作法は、ここでも通用するようだ。


 離宮での幽閉生活中に、興味本位で帝国式のマナーもかじっておいて良かった。




 ティーカップに注がれた、ハーブティーにも口を付ける。


 ああ。

 なんて落ち着く香り。




 多少お腹が膨れ安心すると、今度は眠気が襲ってくる。




「オリビア様、まずはお休みになられてください。皇帝陛下へのえっけんは、充分な休息を取ってからです」


「どうしましょう? わたし、陛下にお目通りできるような服装ではないわ」


 わたしの服装は、霊園へお墓参りにおもむいた時のまま。


 簡易な作業着だったりする。




「必要な服や宝飾品は、全てこちらで用意させていただきます。オーダーメイドではなく既製品となりますが、ご容赦ください」


「何から何まで、助かります。着のみ着のままで、王国を飛び出してきてしまったもので……」


「魔法通信により、オリビア様の事情は聞かされております。どうか我が帝国で、ごゆっくりお過ごしください。さあ、まずはこちらの寝間着に」




 侍女が目線で合図をすると、他の侍女が2人も飛んできた。


 最初の侍女に、よく似ている。

 3姉妹だろうか?


 彼女達は風のような速さで、わたしの作業着を寝間着へと着替えさせてしまう。


 他人に服を着替えさせてもらうなど、何年ぶりだろうか?

 

 離宮での幽閉生活中は、全て自分で行っていた。

 久しぶり過ぎて、少々落ち着かない。




 貸し出された寝間着は、可愛らしいデザインのパジャマ。


「びっくりするほど、良い肌触り……。これはひょっとして……」


「はい。アラクネシルク製でございます」


 の魔物が出す糸を原料とした、とてつもなく高価な素材だ。


 こんなものを着ていたら、落ち着いて眠れるわけがない。


 すっかり目が覚めて……。


 目が覚めて……?




「あら? まぶたが……重い……」


「これはいけません。さあ、こちらへ」




 侍女達に両側から支えられて、わたしはベッドへと滑り込む。


 なんという大きさだろう。


 ヴァルハラント王国では、父オーディン国王陛下のベッドがこれぐらいのサイズだった。


 布団は信じられないほどふかふかで、気持ちいい。




「明日からは、忙しくなりますよ。ふふふ……。侍女として、腕が鳴りますね」


 彼女の言葉を、理解する間もない。




 わたしの意識は、急激に闇の中へと飲み込まれていった。





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