第5話 文化祭前夜

 白神家に行ってから数週間が経った。結局雪美の手掛かりは得られず、悶々とした日々を過ごしていたわけだが――今日は珍しく活動的に過ごしていた。


「真司くん、その机は向こうだ。志保は椅子をこっちに」

「はいはい」

「もー、人遣いが荒いんだから」


 俺と志保はぶつぶつと文句を垂れながら、教室で机や椅子を運んでいた。そう、今日は文化祭前日の金曜日。明日に向け、俺たちは文芸部の準備を手伝っていたのだ。


「なに、どうせ帰宅部と運動部は暇だろうと思ってね。助かったよ」

「ありがとうございますっ、岡本さん……!」

「いやあ、あはは……」


 美保ねえはともかく、江坂さん――以前、俺に告白してきた少女である――に頼まれると断りにくい。志保だって、江坂さんに対してはちょっと後ろめたいことがあるわけだからな。


「さて、机を並べ終わったところで――いよいよ部誌のお披露目だ」

「「おお~」」


 段ボールから美保ねえが部誌を取り出すと、他の部員たちが歓声を上げていた。どうやら机の上に並べて、明日はそれらを販売するようだ。部員たちは試しに冊子を取ってみて、ぱらぱらとめくっている。


「美保ねえ、俺も読んでいいかな――」

「だめだ」


 俺も手を伸ばして取ろうとしたのだが、美保ねえに手を掴まれて止められた。なんだよ、雪美が何を書いたのか読みたかったのに。


「君は部外者だろう? だったら明日まで待ちたまえ」

「えー、せっかく手伝ったのに」

「……それに、心の準備は必要だと思うぞ」

「はっ?」


 美保ねえは意味深な言葉を残し、俺の手を離した。この後、俺たちは部誌を綺麗に並べて、見栄えを良くした。それにしても、雪美はいったい何を書いたというのだろう……?


「では部員諸君、そして手伝いの二名。これで準備は終了だ」

「おつかれさまでしたー!」

「おつかれっすー!」

「おつかれさまです!」


 俺が考え込んでいるうちに、いつの間にか準備が終わってしまったようだ。美保ねえの言葉で、部員たちは帰り支度を始める。もう遅くなってきたし、俺も帰るとするかね。


「あの、岡本さん……」

「どうしたの?」


 荷物を持って教室を出ようとしたところ、江坂さんに呼び止められた。なんだかもじもじとして、何か言いたげにしている。


「その……明日の文化祭、なんですけど……」

「うんうん」

「い、一緒に回ってくれませんかっ!?」

「ええええーっ!!?」


 驚いて周りをきょろきょろと見回すと、美保ねえがくすくすと笑っていた。……告白されたとき、俺が下手に「友達になってくれないかな」なんて言ったもんだから、江坂さんが諦めてないのも仕方ないか。


「だ、駄目ですか……?」

「駄目じゃ、ないけど……」


 これは困ったな。ここで首を縦に振ってしまえばズルズルといってしまいそうな気がする。しかしせっかくの申し出を無碍にするわけにもいかない。


「その、もう一緒に回る人がいるとか……?」

「いや、そうじゃないけど」

「じゃ、じゃあ是非一緒に……!」

「だめえっ!!」


 江坂さんの表情が明るくなったかと思いきや――横やりを入れてくる者がいた。声のした方向を向くと、そこにいたのは顔を真っ赤にした志保。


「し、志保?」

「真司は私と回るの!」

「えっ、そうなんですか……?」


 志保の言葉に、江坂さんはただただ困惑するばかりだった。というか、俺だって戸惑っている。別に一緒に回るなんて約束はしていないのだが。


「きゅ、急にどうしたんだよ」

「別にいいでしょ! ほら、どっちと回るのよ!」

「お、岡本さん……」


 志保は俺の腕を引っ張り、回答を求めてくる。江坂さんはアワアワと動揺していて、ますますカオスな状況になってしまった。仲直りした友人だと考えれば、一緒に回るべきなのは志保だろう。でも、先に申し出てくれたのは江坂さんの方だ。いったいどうすれば――


「三人とも、落ち着きたまえよ」

「み、美保ねえ」


 困り果てていると、横から美保ねえが助け舟を出してくれた。いつものような微笑を浮かべて、俺たちのもとへ寄ってくる。


「江坂くん、そもそも君は店番があるだろう? 一緒に回っている時間なんてないじゃないか」

「は、はい……」

「志保も志保だ、急に言われて真司くんが困ってるじゃないか」

「うん……」


 二人は美保ねえに諭されてシュンとしていた。こういうときは美保ねえがいるとありがたいな。……まあ、裏にどんな狙いがあるのかは分かったもんじゃないけど。


「でもまあ……せっかくなら志保と回ってあげたらどうだ?」

「え?」


 あれ? 美保ねえがそんなことを言い出すなんて意外だな。江坂さんも驚いて、目をパチクリとしている。


「み、美保さん……?」

「江坂くん、残念だが志保と君では真司くんと過ごした年数が違うよ。またの機会にな」

「み、美保ねえ?」


 いつもへらへらしている美保ねえにしては、やけに厳しい表情をしているな。なんだか余裕がない感じがするし、少し様子がおかしい。江坂さんはすっかりしょぼんとしてしまっている。


「その……岡本さん、また今度お願いしますね」

「う、うん」

「では、失礼しますっ……!」


 江坂さんは荷物を持ち、逃げ帰るように教室から去っていった。他の部員たちもいつの間にかいなくなっており、部室には俺と松崎姉妹の三人だけが残されている。


「美保ねえ、いくらなんでもあんな言い方はないだろ」

「真司くんこそ、彼女に優しくし過ぎだ。その気がないならしっかり断りたまえ」

「う、うん……」


 それを言われると何も言えないが……。やっぱり変だ。志保も不思議そうな顔で美保ねえを見つめている。


「お姉ちゃん、どうかしたの……?」

「いいから、志保も帰りたまえ。明日は真司くんと楽しみたまえよ」

「……言われなくても、そうするし」


 志保はそんな台詞を残し、帰っていった。残されたのは俺と美保ねえの二人だけ。この人と二人きりになると、あの忌々しい記憶を思い出しそうになる。


「俺も帰るよ、美保ねえ」

「待ちたまえ。明日のことなんだがね」

「なんだよ、何を言うつもりなんだよ」

「……我が部の展示を見に来るなら、必ず志保と共に来たまえ」

「なんでだよ」


 さっきから意味深な台詞を言ったり、志保たちに厳しく当たったり。いったい何がしたいのかと若干イライラしていると、美保ねえは口を開き――


「それが――志保のためになるからさ」


 と、言ったのだった。

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