最終話 陽炎に消えた少女
俺はただ、花火を見上げる観客たちの間を駆けていた。俺と志保のために尽くしてくれた雪美が、一人で花火を観るなんてあってはならない。
「すいません、通りますっ……!」
人の波をかき分け、ただただ前に進み続けた。既に上空の花火はクライマックスに近づいており、周囲の観客は大きな歓声を上げている。思わずめげそうになってしまうが、それでも俺は走り続けた。
ふと思えば、雪美とは不思議な縁から始まった。唐突にお見合いを組まれ、一緒に喫茶店に行き、そして昼休みを共に過ごす生活が始まった。そこに志保や美保ねえも加わり、ハチャメチャな毎日を送ってきたのだ。
それでも――俺は雪美のために走っているのだ。何故かはわからないが、アイツを一人にしてはいけないと強く思っている自分がいた。
「うおっ!?」
今日は雨が降っていたということもあり、濡れた地面に足を取られて転んでしまった。膝からもろに着地してしまい、擦りむいて血が滲んでいる。……いてえ。
「くっそ!」
俺は自分を鼓舞するかのように声を出し、再び前に進み始めた。もう少しで関係者席のある広場に到着する。たしか、最後は特大の花火で終わるはずだ。それまでに到着できればそれでいい!
「はあっ、はあっ……」
息を切らしながら、俺は広場を歩いていた。遠くから関係者席を見てみると、既にがらんとして人の気配がない。恐らく、白神重工業の役員たちも多く花火を観に来ていたのだろう。……もしかして、雪美も既に帰ってしまったのかもしれないな。
諦めて帰ろうとしたのだが、よく目を凝らすと何人かのスーツ姿の人間が立っていることに気がついた。多分、白神家の付き人だろうな。……いや、待てよ。付き人がいるってことは、白神家の人間がまだ残っているということだ。俺は引き返そうとした足を止め、再び関係者席の方へと歩き出す。
「あの、すいません」
「どうかされましたか?」
「白神雪美さんはいらっしゃいますか?」
「……失礼ですが、どのようなご関係で?」
「おみあ……友人です。その、雪美はいるんですか……?」
「少々お待ちください。確認して参ります」
い、いるのか? 確認って何だ? もう花火が終わっちまうし、早くしてほしいのだが……。 もやもやしていると、付き人が帰ってきた。
「お待たせしました。どうぞ、こちらへ――」
「ありがとうございますっ!」
俺は付き人が案内してくれるのを待たずして、その指し示す方向へと駆け出していた。雪美、いるんだな? 今行くから、待っててくれよ――
「雪美っ!!」
「真司さん!?」
「「あっ」」
……俺たちが互いの顔を見合っている間に、一番最後の花火が上がってしまった。大歓声が上がったので慌てて空を見上げたが、既に残っているのは煙だけ。……やっちまったな。
「あの、雪美……」
「真司さん、どうしてここへ……?」
黒を基調とした浴衣を身に纏った雪美は、隅っこの席で一人残されており、目の前のテーブルには缶のお茶だけが置かれていた。……哀愁が漂うとはまさにこのことか。
「その、お前が一人でいるかと思って……」
「真司さん、息が切れて……」
「すまんすまん、そのだな……」
いざ雪美の前に来ると、なんだか照れ臭いな。「お前が寂しくしてると思って来た」なんて、とてもじゃないが言えた台詞じゃない。しかし雪美は困惑しているし、説明しないわけにはいかないな。
「その、白神重工業のニュースを見たんだ。雪美の親御さん、もしかして会社に戻ったんじゃないかって思ってさ。……お前が一人でいるかなって思ったんだ」
「えっ……」
「おせっかいだったら帰るから言ってくれ。けど――もう花火も終わっちまったな」
だんだん途中から何を言いたいのか分からなくなり、俺は苦笑いで誤魔化してしまった。雪美はきょとんとして俺の方を見てきている。
「その、志保さんはどうなったんですか……?」
「ちゃんと三年分の話をしたよ。ありがとう、お前のおかげだ」
「そうでしたか。……それは良かったです」
雪美は静かにほほ笑んだ。……あくまで俺と志保のことを心配してくれていたんだな。どこまで良い子なんだ。俺は隣の席に腰掛け、雪美に話しかける。
「……最後の花火、俺のせいで観られなかったよな」
「い、いえ! お気になさらず」
「いや、すまん。最後の一発だけでも一緒に――と思ったんだけどな」
「そう、でしたか……」
俺がそう言うと、雪美は静かに俯いた。なんだか、こういうときの雪美は本音を隠している気がする。……聞いてみるか。
「……雪美は、一人で寂しくなかったか?」
「……」
雪美は何も言わず、ただただ下を向いていた。親の会社で大事件があり、それでこんな花火大会の会場に一人で残されたのだ。……まだ中学二年生の雪美が、何も思わないわけがない。
「その、雪美……?」
「真司さんっ……!」
次の瞬間、雪美は唐突に抱き着いてきた。俺は慌てて受け止めてやり、優しく抱き返す。……すると、雪美はむせび泣くように声を振り絞った。
「私、怖かったんです……! みんないなくなって、こんな暗いところに残されてっ……!」
「ゆ、雪美……?」
雪美がこんなに感情を出しているのは初めて見たので、俺は戸惑ってしまう。……けど、本当に怖かったみたいだな。俺は背中を撫で、雪美の気持ちを落ち着かせようと努める。
「真司さんが来てくれて、本当にっ……!」
「大丈夫だ、俺はちゃんといるぞ」
「真司さんっ……!」
俺のシャツは涙に濡れ、雪美の髪型も半分崩れかけていた。けど、もはやそんなことは気にならない。今はただ、雪美のあふれ出る感情を受け止めてやることしか出来ないのだ。
ひとしきり泣いた後、雪美は少し落ち着きを取り戻した。俺はハンカチを取り出し、そっと目元の涙を拭ってやる。雪美の目は真っ赤に腫れており、まるで親に叱られた後の子どものようだった。……やっぱり、雪美には笑っていてほしいな。
「なあ雪美、『あの時』と同じことをしないか?」
「えっ?」
「あのお見合いの時だよ。二人で抜け出して、喫茶店に行ったじゃないか」
「まさか、今から……?」
「ははは、まあ楽しみにしてろって。ほら、行くぞっ!」
「ちょっと、真司さん……!?」
いたずらにでも誘うかのように、俺は雪美に手を差し出した。一瞬戸惑った雪美だったが、すぐに俺の手を掴み、立ち上がった。俺たちは付き人の目を逃れるようにして、そっと関係者席を抜け出したのだった――
***
「いやあよかったなあ、コンビニに売ってて」
「私、手持ちの花火って初めてです……!」
俺と雪美は近くのコンビニに行き、線香花火をゲットしたのだった。たしか近くに河原があるし、そこなら花火をしてよかったはずだ。俺たちは会場を後にする人の波に逆らうようにして、目的地へと歩いて行った。
「でも真司さん、どうしてこんなことを……?」
「いやあ、雪美が最後の花火を観られなかったのが申し訳なくてな。……せめて、二人で花火を観られたらいいなって」
「真司さん……」
雪美は頬をほんのり赤く染め、上目遣いでこちらを見ていた。下駄のカランコロンという音を響かせ、雪美は嬉しそうに歩いている。……やっぱり、可愛いな。
間もなく河原に到着したので、俺は買ってきたローソクに火をつけた。俺と雪美は一本ずつ花火を持ち、ほとんど同時に点火する。
「よし、どっちが長くもつか勝負だな」
「はいっ……!」
暗闇の中、ローソクの火と線香花火だけが俺たちのことを照らしていた。ちらちらと雪美の顔を見てみると、興味深そうに線香花火を眺めている。まさか高校二年生でお見合いした相手とこんなことになるとは、夢にも思わなかった。
最初はちょっと面倒くさいと思っていたし、どうせ断るだろうと思っていた。でもまさか中学二年生が来るとは思っていなかったし、自分がこんなにも雪美のために行動するとも思っていなかった。……無口で、何を考えているのか分からなくて、ちょっと怖い。そんな雪美に、不思議と心を寄せている自分がいたのだ。
「……なあ、雪美」
「はいっ、なんでしょう?」
「俺さ、お見合いしたときは『なんで高二で』なんて思ったんだよ。……でも、今はお見合いして良かったなって思えるんだ」
「それって……?」
「雪美と会えて良かった。……それだけだよ」
「真司さん……」
俺は前を向いたまま、静かに告げた。雪美の顔を見れば、なんだか照れ臭くて何も言えなくなってしまうと思ったからだ。ああ、なんだか本当に恥ずかしくなってきたな。頬が火照ってきたような――
「えっ……?」
その瞬間、頬に柔らかい感触を覚えた。雪美の持っていた花火の火の玉が傾き、俺の分の火の玉とくっついてしまう。……雪美?
「……これはお礼です。真司さん、ありがとうございました」
横を見ると、満面の笑みを浮かべる雪美の姿があった。この瞬間、俺の脳裏にあの少女の笑顔が浮かび上がった。……陽炎に消えた少女は、雪美だったんだ。
「雪美。俺とお前は、三年前に――」
「お嬢様、ここにいらしたんですか!?」
後ろから大声がしたかと思えば、そこいたのは白神家の付き人たち。しまった、バレてしまった!!
「あの、真司さ――」
「お嬢様、今すぐ帰っていただきます!」
「ちょっと、急にどうしたんですか」
「あなたも、勝手に連れ出したりなさらないでください!」
「ゆ、雪美!!」
半ば強引な形で、雪美は付き人たちによって連れられていった。ああ、やっぱりこんな夜遅くに連れ出すのはまずかったか。でもまあ、「三年前」のことを話すチャンスはいくらでもある。夏休み明けに話せばそれでいいか――
***
……そう思っていたのだが、その考えは楽観的なものだったと後に気づかされることになる。夏休み明けの初日、俺はいつも通りに中庭へと向かった。きっと雪美が待っている。そのはずが――
「雪美……?」
俺が見たのは、誰も座っていないベンチだった。
◇◇◇
これにて第一部は完結となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
予想以上に多くの方に読んでいただき、作者としてとても嬉しく思います。
他の作品との兼ね合いもあり、第二部の投稿はしばらく先になる見込みです。
勝手なお願いですが、☆や応援コメントをいただけると大変励みになりますので、良ければお寄せください!
よろしくお願いいたします!
新作を公開しました! よければお読みください!
「古傷で引退した元英雄の俺、拾った少女に癒やされて再び空を舞う」
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