第12話 お友達

 はー、やっと授業が終わった。さっさと部活に行かないとなあ。私は机上の荷物をまとめながら、今日の出来事を振り返っていた。それにしても、昼休みの真司は何だったのかな。「俺のことを好きそうな女子とか知らない?」なんて聞いて、いったい何がしたかったんだろう。


「あれ、中等部の子?」

「はい。松崎さんという方を探しているのですが」

「あそこにいるのがそうだよ」

「承知しました。ありがとうございます」


 その時、教室の前の扉から聞き覚えのある声がした。そちらに目をやると、そこにいたのは雪美。……何しに来たのかしら? 雪美はつかつかと私の方に歩み寄ってくる。


「松崎さん、ちょっとよろしいでしょうか?」

「なに、どうしたのよ」

「……私のフィアンセに恋文を出したのはあなたでしょう?」

「はあっ!!!!??!!?」


 この子はいきなり何を言ってるの!? 恋文!? 私が真司に!?


「ななな、なんの話よ!」

「とぼけないでください! 真司さんにそんなことをするのはあなたくらいでしょう!?」

「だから、いったい何なのよ!」

「真司さんがきのう差出人不明のラブレターを受け取ったって仰ったんですよ!!」

「ええええっ!!!??」


 何よそれ!? 真司にラブレターを送る人間なんて、思い当たる節が――いや、ちょっと待った。昼休みに真司が言ってたのって、もしかして「俺にラブレターを送りそうな女子とか知らない?」って意味だったの?


「どうなんですか、松崎さん!?」

「……ちょっと落ち着いて。冷静に聞いて欲しいんだけど」

「は、はあ」


 でも、まずはこの子を宥めないと。私が真司にラブレターなんて送るわけがない。だって、だって――


「私と真司は三年前から絶交中なの。……言いたいこと、分かるでしょ?」

「えっ? では、あなたと真司さんは――」

「幼馴染としての関係ですらない。……今はね」

「そうだったのですか……」


 絶交のことを知らなかったみたいで、雪美はなんだか申し訳なさそうな顔をしていた。……この子は真司のことが好きなんだろうし、そうなれば幼馴染の私のことをライバルだって思うのは当然よね。


「申し訳ございません、私ったら勝手に……」

「知らなかったんでしょ? 別にいいわよ。……真司は何も言わなかったの?」

「いえ、そのようなことは一度も」

「そう……」


 てっきり雪美には伝えているのかと思っていたけど、まあいいか。結局誰がラブレターを出したのかは気になるけど、もうそろそろ練習が始まっちゃう。


「じゃあ私、部活に行くから」

「お待ちください。……ラブレターの差出人がどなたなのか、気になりませんか?」

「えっ?」

「真司さんは校舎裏に呼び出されたそうです。その日時は――まさに今」

「じゃあ、今から行けば……?」

「そういうことです。いかがですか?」

「……行くしかないわね」


 雪美と共に、校舎の廊下を歩いて行く。その時、私は初めてこの子との仲間意識を覚えたのだった――


***


「美保ねえ……!」

「やあ、待っていたよ」


 校舎裏に着くと、そこにいたのは夕陽を背に受けて立つ美保ねえだった。相変わらずのスタイルと、小さくて綺麗な顔。美保ねえに初めて好きだと言われてから数年は経ったはず。……今さら何を言おうとしているのだろうか。


「何の用だよ、こんなところに呼び出して」

「分かるだろう? よくドラマやアニメに登場するじゃないか」

「……愛の告白でもする気か?」

「ご名答! その通り、流石は優秀な真司くんだ」


 まずい、意図がますます分からない。そもそもこんな告白なんて美保ねえらしくない。美保ねえは、もっと――いや、思い出すのはやめておくか。


「それじゃあ真司くん、心の準備はいいかい?」

「ああ、勝手にしてくれよ」

「そうか。では――出てきてくれたまえ」

「へっ?」


 で、? 頭に疑問符が浮かんできたまさにその時、美保ねえの背後から一人の女子生徒が現れた。……えっ?


「江坂さん……?」


 そこにあったのは、雪美の同級生である江坂さんの姿だった。身長150センチメートルにも満たない江坂さんは、顔を真っ赤にしてもじもじとしている。じょ、状況が呑み込めない。なんで江坂さんが、こんな――


「あああ、あのっ!! 岡本さん、私とつきあってくだひゃいっ!!」

「ええええっ!!!???!?」


 嘘だろ!? 挨拶くらいしか会話したこともないのに!! 俺は訳が分からず、美保ねえに助けを求める。


「美保ねえ、どういうこと!?」

「どうもこうも、彼女は君に惚れ込んでしまったそうだ。白神くんと一緒にいるのを何度か見かけて、好意を抱いてしまったらしい」

「あのっ、雪美ちゃんのフィアンセだって分かってたんですっ! でも、その……」

「な、なに?」

「……好きになっちゃったんです」


 江坂さんは上目遣いでそう告げた。なるほど、江坂さんは同じ部活の美保ねえに告白の相談をしたというわけか。それにしても、年下の子から健気に迫られるとなんだか受けてあげたくなってしまう。けど流石に無理だ。いくらなんでも急すぎる。


「江坂さん、返事をしてもいいかな?」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 顔を上げた江坂さんは、既に泣き出しそうになっていた。なんだかすごい罪悪感だが、致し方ない。


「悪いけど付き合えない。……ごめん」

「そう……ですよね」


 江坂さんは静かに俯いた。その目には涙が滲んでおり、美保ねえが無言でハンカチを差し出している。ど、どうすりゃいいんだ……。


「江坂くん、スッキリしたかい?」

「は、はい。岡本さん、急に呼びつけてすいませんでした」

「いや、いいんだ。本当にごめんな」

「はい……」


 江坂さんの目からはどんどん涙があふれ出て、ハンカチだけでは抑えられそうにない。せめて何かフォローしてあげた方がよさそうだな。


「あの、江坂さん?」

「は、はいっ?」

「付き合うのは無理だけどさ、代わりに友達になってくれないかな?」

「えっ?」

「雪美とも仲良くしてもらってるし、江坂さんは良い子だと思ってるからさ。……駄目かな?」

「……はいっ! よろしくお願いします!」


 パーッと目を輝かせ、江坂さんは顔を上げた。お近づきのしるしに握手でもするかねえ。俺が右手を差し出すと、江坂さんも右手でそれを握ってくれた。


「これからよろしくな」

「はい、岡本さん!」


 いつの間にか江坂さんの涙は止まり、笑顔に変わっていた。やれやれ、これで一件落着だな。


「あのっ、私はこれで!」

「ああ、気をつけてな」


 江坂さんは向こうに走り去っていき、俺はその後ろ姿をじっと見送っていた。すると、横からニヤニヤ笑った美保ねえが話しかけてくる。


「真司くんは罪な男だねえ。あれでは彼女は諦めないよ」

「美保ねえこそ、俺が受けないって分かっていたくせに」

「うじうじ悩むよりも、当たって砕けた方が良いと思ったんだがねえ」

「相変わらずいい性格してるなあ」

「そうかい。 それより――後ろのギャラリーを連れてきたのは君かい?」

「へっ?」


 美保ねえに言われて振り向いてみると――そこにいたのは、校舎の陰に隠れてこちらを窺う雪美と志保だった。二人は段になるように顔を重ねている。


「お、お前ら何やってんだ!?」

「ヤバッ、逃げるわよ!」

「ちょ、志保さんっ!?」

「待てーっ!!」


 二人は大慌てで逃げようとしていたが――俺は猛ダッシュで追いついてしまった。仮にも元運動部だ、舐めてもらっちゃ困る。それにしても、人の告白現場を覗こうとするとは許せんな。


 俺は二人を並ばせ、尋問することにした。ちなみに、美保ねえはいつの間にかいなくなっている。くそう、面倒くさいことになると思って逃げやがったな。


「……で、志保と雪美はどうして覗いてたんだ?」

「も、申し訳ございません……」

「……悪かったわよ」


 雪美は深々と頭を下げ、志保もばつが悪そうに視線をそらしている。やれやれ、困った二人だな。


「謝罪はいいよ。まず雪美、ついてくるなって言っただろうが」

「その……どうしても気になってしまいまして」

「心配すんなって言ったじゃないか。それに、江坂さんがこのことを知ったら可哀想だろ? あんなとこ見られたなんて知った日には」

「仰る通りです。……反省しています」


 曲がったことが嫌いな雪美がこんな真似をするなんて思わなかった。俺に彼女が出来ないかそんなに心配だったんだろうか? けど、駄目なもんは駄目だからな。


「次に志保。そもそもお前には話してなかっただろ、どうやってラブレターのことを知ったんだ」

「雪美に誘われたから、つい来ちゃったのよ」

「年上なら止めろよ……」

「わ、分かってるわよ……」


 志保はしょんぼりと俯いて閉口してしまった。しかしコイツ、なんで俺への告白なんか覗きに来たんだ。ならともかく、今の俺と志保はただの同級生に過ぎないというのに。


「とにかく、こういうのはやめておけよ。江坂さんにも悪いじゃないか」

「はい」

「……うん」


 説教なんかしたくなかったけど、ここは江坂さんのためだからなあ。ひとしきり話が終わると、志保は足早に部活へと向かい、俺は雪美と二人きりになってしまった。ちょっと気まずいなと思っていると、雪美が先に口を開いた。


「……真司さん、本当に申し訳ありませんでした」

「もういいって。それより、江坂さんが俺を好きだって気づかなかったの?」

「いえ、全く気づきませんでした」

「そうか。今日のことは見なかったことにしてあげるんだぞ」

「もちろんです」


 覗いていた雪美はもちろん悪いが、フィアンセがいると分かっているのに告白してきた江坂さんも大概だしな。ここらへんが落としどころだろう。


 そういえば、雪美は志保と仲が悪かったはずだ。それなのに、どうして一緒に行動していたんだ?


「なあ雪美、いつの間に志保と仲良くなったんだ?」

「えっ、志保さんですか?」

「そうそう。そもそも『志保さん』じゃなくて『松崎さん』って呼んでたじゃないか」

「その……呉越同舟、ということでしょうか」

「?」

「いえ、なんでもございません」

「そ、そうか」

「では、今日はもうお迎えの車が来るので失礼いたします」

「俺も帰るとこだし、一緒に行くか」

「はい」


 俺たちは誰もいない校舎裏を通り、校門まで歩いて行く。グラウンドの方からは部活動を頑張る生徒たちの声が聞こえ、校舎からは吹奏楽部の演奏が鳴り響いている。いつも通りの放課後だな。


「あの、真司さん」

「どうした?」

「お見合いの件はどうなったのでしょうか?」

「あっ!!」


 しまった、忘れてた!! 返事を考えようとしていたのに、ラブレター騒ぎでそれどころじゃなかった!!


「ごめん、まだ決めてないんだ」

「お受けしてくださらないのですか?」

「そうだなあ……」


 隣の雪美は相変わらずのポーカーフェイスだ。しかしいくらか不安そうな表情にも見える。また転校するのが嫌なんだろうな。俺だって、雪美とはこれからも一緒に昼ご飯を食べたい。……だからって、お見合いを受けるわけにもいかない。


「あの、真司さん?」

「えっ?」

「また上の空ですよ」

「悪い悪い、考えてたんだ。どうすりゃいいのかなって」

「そうですか……」


 雪美は静かに答えた。俺はいったい何を迷っているんだろうな。江坂さんの告白はすぐに断れたのになあ。……ちょっと待て、俺は江坂さんに何と言った? そうだ、「友達になろう」と言ったんだ。だったら――


「雪美、友達にならないか?」

「えっ?」

「俺と雪美の関係ってさ、今まであいまいだったと思うんだ。周りはフィアンセとかなんとか言ってたけどな」

「確かにそうですが……」

「そこでだ。俺たち、一から始めないか?」

「一から……ですか?」

「そうだ。人間関係の始まりはいつだって友人関係からだろう?」

「……なるほど」


 拳を口に当て、雪美は考えを巡らせているようだった。たしかにお見合いは受けられない。けど、友達になることは出来る。


「とりあえず俺と友達になっておけば、雪美の親御さんだって転校させたりはしないだろ?」

「まあ、それは……そうだと思います」

「だからさ、悪くないと思うんだよ」

「……」


 雪美は変わらず考え込んでいる。頼む、受け入れてくれ。これ以外に方法は――


「分かりました。真司さん、お友達になりましょう」

「ほ、本当か?」

「ただし――条件があります」

「な、なんだ?」

「私は自分の意志でお友達になります。……ですから、もう『私が親に無理強いさせられている』とは仰らないでほしいのです」


 真っすぐな瞳で俺を見据え、雪美ははっきりとそう言った。そうだよな、ここから改めて俺たちの関係が始まるんだ。……もう親なんか関係ない、そう言いたいわけだな。


「……分かった。これからよろしくな、雪美!」

「はいっ、よろしくお願いします……!」


 俺が右手を差し出すと、雪美も右手を出した。俺たちは握手を交わし、自分たちの友情を確かめ合う。雪美は微かな笑みを浮かべ、どこか嬉しそうにしていた。そうこうしているうちに、校門に到着してしまった。


「では、私は車に乗りますので」

「ああ、気をつけてな」

「はい」


 雪美はいつも通り、高級車に乗り込もうとしている。そうだ、友達なんだからちゃんと別れの挨拶をしないとな。


「雪美ー!」

「はいー?」

「また明日、中庭でなっ!」

「は、はい……っ!」


 その時、雪美は破顔するかのような笑顔を見せた。そんなに友達になるのが嬉しいのか――


「わっ、わっ!」


 ……雪美は慌てて顔を隠し、車内に乗り込んでいった。俺は思わずその場に立ち尽くしてしまう。今の笑顔、遠い記憶に残っているものとよく似ている。


「あの時の……」


 俺は一人、静かに呟いたのだった。

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