第8話 体験入部
休み時間に廊下を歩いていると、移動教室に向かう中等部の生徒たちとすれ違った。皆楽しそうにお喋りをしながら歩いていたが、その輪に加わっていない生徒が一人いた。……雪美だ。
(やっぱり馴染めていないんだろうか)
俺は心配になりながら、集団の後ろをひっそりとついていく雪美のことを眺めていた。もう転校してきて二週間くらい経ったはず。……それであの調子では、この先が思いやられるというものだ。
「……あんた、そんなに中等部の子たちじっと見て何やってんの?」
「ちちち、違うって!!」
たまたま通りかかった志保に怪しまれたので、慌てて否定した俺であった。
***
「部活……ですか?」
「ああ、俺以外の人間と関わる機会があった方がいいと思ってな」
その日の昼休み、俺は雪美にあることを提案していた。そう、部活だ。クラスで馴染むのにはまだまだ時間がかかりそうだし、それなら他のコミュニティに属してみるってのも悪くないだろう。
「その……放課後は毎日お稽古の予定が多くて、あまり時間がないのですが」
「まあまあ、体験だけでも行ってみないか? 俺が付き添うからさ」
「……せっかく真司さんが仰るなら、お断りする理由はございません」
「そうか、よかった」
「今日の放課後なら空いております。昇降口で待ち合わせということでよろしいでしょうか?」
「ああ、そうしよう」
こうして、俺と雪美は放課後に待ち合わせることにした。もう五月だし、本来ならば体験入部の期間はとっくに過ぎている。けど、新入部員がいらない部活はないだろうしな。さてさて、何部に行こうかなあ。
そして午後の授業が終わり、放課後になった。約束通りに昇降口で待っていると、中等部の方から長髪をたなびかせた雪美がやってくる。
「お待たせしました」
「そんなに待ってないよ。まず運動部から行くか」
「はい、承知しました」
「とりあえず校庭だな」
俺たちは二人揃ってグラウンドへと歩き出した。放課後に足を踏み入れるのは久しぶりだな。中等部の頃は熱心な野球部員だったけど、今はただの帰宅部員だからなあ。
「ファイトーッ!」
「オーッ!」
校庭が近づいてくると、運動部員たちの元気な掛け声が聞こえてきた。この感じ、懐かしい気持ちになるな。
「放課後の学校って、こんなに活発だったのですね」
「ああ、いつもすぐ帰ってるもんな」
「はい。……興味深いです」
少しは関心を持ってくれたようで何よりだ。えーと、今日グラウンドを使っているのは何部かな。お、向こうは陸上部か。そんであっちがラグビー部と。うーむ、雪美が入るなら――
「おーい、岡本くーん!」
その時、どこからか俺を呼ぶ声がした。そちらに振り向いてみると、そこにいたのは加藤先生。若い男の教師で、中等部時代に担任してもらったことがあるのだ。
「加藤先生、お久しぶりですー!」
俺は雪美を連れ、加藤先生のところへと向かった。この人は中等部のソフトボール部の顧問で、今日も部員たちにノックを打っているようだ。加藤先生は一度バットを置き、俺たちに歩み寄ってくる。
「おや、白神さんも一緒かい?」
「知り合いなんですか?」
「ああ、僕が白神さんの担任をしているんだ」
「はい。いつもお世話になっております」
雪美はペコリと頭を下げた。そういや、そんなことを言われていた気がするな。雪美があまりクラスのことを話してくれないものだから、すっかり忘れていた。
「それで、二人で何してるの?」
「いやあ、雪美に部活に入るよう勧めているところでして。いろいろ回ろうかと」
「それなら、うちの部でちょっと体験していきなよ」
「いいんですか?」
「断る理由はないさ。白神さんはどう?」
「では、是非お願いします」
「よし分かった。おーい、道具持って来てくれー!」
加藤先生は近くにいた部員に声を掛け、道具を用意するよう伝えていた。どうやらバッティングの体験をさせてくれるらしい。雪美は制服のままヘルメットを被り、他の部員からバットを借り受けている。俺がその様子を遠くから眺めていると、加藤先生がやってきた。
「で、岡本くんが彼女のフィアンセなのかい?」
「先生まで、よしてくださいよ」
「冗談だよ。そんなの有り得ないって分かってるさ」
「ならいいですけど。それより、先生に聞きたいことがあって」
「なんだい?」
「……雪美は、クラスで馴染めていますか?」
「……」
俺の言葉を聞いて、加藤先生は黙ってしまう。そして雪美の方をじっと見て、厳しい表情で言葉を紡ぎ始めた。
「君の思っている通りだよ。クラスの様子を見ていると、白神さんは一人でいることが多い」
「ですよね。あの性格ですし、最初の挨拶でいろいろと言ったみたいですから」
「あはは、そうだねえ」
「それもあって、部活に入れば友人の一人や二人出来るかなと思いまして」
「なるほどね。君は相変わらず優しいんだな」
「いやあ、そんなことは――」
ないですよ、と言いかけた瞬間だった。打席の方から凄まじい金属音が聞こえ、俺は驚いてそちらの方を向く。守備に就いている部員たちは呆然と空を見上げており、彼女たちの視線の先には――高々と放物線を描く白球があった。
「うそーっ!?」
「どこまでいったの!?」
皆からは次々に驚きの声が上がっていた。一方で、雪美はバットを振り切った姿勢のまま、いつものクールな表情で打球の行方を見守っている。その姿はまるでメジャーリーグの長距離打者のようであった。
「す、すごいね白神さん……」
「風格ありますね……」
俺と加藤先生も呆気に取られ、ただ目を見開くばかりだった。雪美は颯爽とヘルメットを脱ぎ、バットを置いて俺たちの方へ向かってくる。
「加藤先生、ありがとうございました」
「も、もういいのか?」
「ええ。よく考えましたら、私は毎日練習に参加出来る身ではありませんから。運動部に入りましても、他の方々の足を引っ張るだけではないかと」
「ざ、残念だなあ……」
加藤先生は顔を引きつらせていた。そりゃ、あれだけのホームランをかっ飛ばしておいて「足を引っ張る」も何もないだろう。先生がこんな顔をするのも理解できる。俺たちは部員たちにも礼を言って、グラウンドを後にした。
「真司さん、申し訳ありません。せっかく連れて行ってくださったのに」
「いや、いいんだ。運動部は無理だって最初に気づいておけばよかったな」
俺たちは校舎に戻り、廊下を二人で歩いていた。その目的地は文化部の部室棟だ。文化部なら毎日参加出来なくても大丈夫っていうところが多いからな。いくら毎日忙しい雪美でも、週に一日くらいなら空いている日もあるだろう。
渡り廊下を通り、部室棟に到着した。ここはうちの学校が設立されてからずっと同じ建物らしく、風情がある(要するに古い)。建物の中を歩いていると、雪美がある部室の前で立ち止まった。
「お、どうした?」
「ここ、ちょっと覗いてみてもよろしいですか?」
雪美が指さす先を見ると、そこにあったのは「囲碁将棋部」との看板。へえ、面白そうだな。扉をノックすると、部員が中に通してくれた。どうやら中高生が合同で活動しているようで、部員は十名程度のようだ。高三の男子生徒が部長らしく、いろいろと説明してくれた。
「――というのがうちの活動内容だね。基本的には、皆で対局していると思ってくれればいいよ」
「なるほど、ありがとうございます」
「白神さん……だったっけ? 折角なら、ちょっと指していかない?」
「よろしいのですか?」
「今日は奇数人しか集まらなくてね。暇してたんだ」
そう言って、部長は将棋盤を用意し始める。その様子をぼんやり眺めていたのだが、後ろにいた部員が俺を手招きで呼び出してきた。不思議に思って近寄ると、その部員は俺に耳打ちをしてくる。
「ああ見えて部長は性格が悪くてね。気をつけた方がいい」
「へっ?」
「地区大会じゃ負けなしの実力者なのに、新入部員が来るとそれを隠すんだよ。あまりにボロボロに負かすもんだから、中等部の子だと泣いちゃう子もいてね」
「え、ええ……」
高三だってのに大人げない人間もいたもんだな……。とはいえ、こんなところで雪美に泣かれても困る。俺はこっそり雪美に近寄り、声を掛けた。
「なあ、将棋したことあるのか?」
「ありません。たまにお父様とチェスをするくらいです」
「え、ええっ!?」
「心配なさらないでください。ルールくらいは知っています」
「そ、そうじゃなくて。あの部長は――」
「じゃあ白神さん、始めようか!」
「はい。お願いします」
俺は部長のことを伝えようとしたのだが、その前に対局が始まってしまった。俺は心配になりながら二人の対戦を見守る。と言っても、俺もルールくらいしか知らんのだけどな。
二人は何も言わず、ただパチパチと駒の音だけが響いていた。うーん、詳しいことは分からないけど、たしかに部長の方は手慣れている感じがあるな。それに対して、雪美の指し方はなんだか覚束ない。大丈夫かなあ。
おお、雪美が攻めていってるな。えーと、「飛車」と「角行」ってのが強いんだっけ。……あれ? 雪美の奴、部長の「飛車」を取っちまったぞ? あれ、あれれ? なんだかどんどん雪美の持ち駒が増えてないか……?
「この子、何者……?」
「こんな手順、初めて見たぞ」
いつの間にか他の部員たちも対局に見入っており、異様な雰囲気が作り出されていた。さっきまで余裕綽々だった部長ももはや焦りを隠せていない。雪美、いったいどうする気なんだ……?
「……ありません」
それから間もなくして――部長が投了した。盤面を見ると、素人の俺でも分かるくらいに雪美の圧勝だった。……こんなに駒が取られることってあるの?
「対局ありがとうございました。真司さん、行きましょう」
「え、入らないのか?」
「ええ。騙し討ちするような方の下では活動出来ませんから」
その言葉に、部長が明らかに動揺していた。なんか「ドキッ」って擬音が見えそうだったな。どちらにせよ、流石にこんな状況じゃ入部できないよなあ。
「分かった。雪美、他に行こうか」
「はい。それでは失礼いたします」
「あ、ああ……」
部長は憔悴しきった表情で俺たちを見送っていた。あーあ、これじゃあどの部にも入れないじゃないか。俺は部室を出て、はあとため息をついた。
「真司さん、どうされたのですか?」
「……ごめんな、雪美に合う部活を見つけられなくて」
「いえ、真司さんは悪くないです。……私の方こそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
雪美はペコリと頭を下げた。とはいえ、結局どの部活にも入れないんじゃ意味がない。なんとか探さないと――
「あの、真司さん」
「へっ?」
「お気持ちは十分に受け取りました。でも……いいんです」
「いいって、何が」
「真司さんだけいれば――他に、何も要りませんから」
「ゆ、雪美……?」
次の瞬間、雪美は俺の右手を愛おしそうに両手で掴んだ。優しく、それでいて力強く。柔らかですべすべの感触に、思わずドキッとしてしまった。
「どうしたんだよ、急に」
「真司さんには感謝しているんです。……私のために、いろいろと尽くしてくださったんじゃありませんか」
「……そうか」
その言葉を聞いて、なんだか気持ちが晴れたような気がした。思えば、雪美が可哀想という一心で俺は行動してきた。なんとか楽しい学園生活を送らせてあげたい。ただそのためだけに動いてきたのが、少し報われたような気がしたのだ。
「こっちこそ悪かったな。あれこれおせっかい焼いて」
「そ、そんなことは……!」
「俺とお見合いしただけだってのに、転校までさせられてな。本当に大変だっただろう」
「いえ、だから……! その、私は真司さんが……!」
「?」
「し、真司さんが……」
急に雪美は言葉に詰まり、もごもごと小さな声で話していた。その顔は真っ赤に染まっており、なんだか年相応で可愛らしい。っていうか、こんなところを誰かに見られたら――
「おや、真司くんじゃないかい?」
「「えっ!?」」
急に誰かの声がして、俺たちは慌てふためいてしまった。周りを見回してみると、廊下の先に一人の女子生徒。171センチメートルの高身長に、セミロングの大人っぽい髪形。……遠くからでも、はっきりと誰だか分かった。
「み、美保ねえ……!?」
「真司くんったら、校内でまた大胆だねえ」
そこにいたのは、志保の姉である松崎美保。……かつて、俺が振った女性だった。
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