第7話 数年ぶりの雨宿り

 ある日、俺は学校を終えて帰宅の途に就いていた。今日は酷い雨で、傘をさしているのに肩が濡れてしまう。やれやれ、早く帰りたいところだな。


 やっと自宅の近くまで来たとき、俺は隣家の軒下に人影があることに気づいた。そっと覗いてみると、そこに立っていたのは志保。……鍵でも忘れたのか?


 俺は一旦は家に入ろうとしたのだが、土砂降りということもあり、志保のことが心配になってしまった。俺は松崎家の敷地に足を踏み入れ、志保の方へと歩いて行く。


「なにしてんだ、風邪ひくぞ」

「あっ、真司! ……なによ」

「家に誰もいないのか?」

「……そうよ、急に部活がなくなって早く帰ってきたんだけど誰もいなかったの」

「なるほどね」


 志保は相変わらずつっけんどんな対応だ。フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いているが、その割に制服が濡れているし、寒そうに体を小刻みに震わせている。仕方ないな、全く。


「雨が止むまで、俺の家で待ってなよ」

「はあっ? 誰があんたの家なんか――」


 次の瞬間、稲妻が走って目の前が眩しくなった。間もなくガラガラと大きな音が聞こえ、志保は耳をふさいでしゃがみ込んでしまう。


「ひゃあっ!?」

「志保っ!?」

「……雷、こわい」

「ははは、子どもかよ」

「う、うるさいっ」

「ほら、さっさと家入るぞ」

「……うん」


 さっきまでツンツンしていたくせに、あっさり雷で翻意したようだ。それにしても、志保を自分の家に入れるのは久しぶりだ。絶交する前はしばしばあったけどな。俺は家の扉を開け、志保を招き入れる。


「さ、入れよ」

「お邪魔しまーす……」


 どうやら、俺の両親も不在のようだ。志保を居間に通すと、俺は脱衣所に行ってバスタオルを探す。適当なのを何枚か取ると、俺は再び居間に向かい、志保に向かって投げてやった。


「ほら、使えよ」

「わっ、ちょっと!」

「お前の制服、濡れてるぞ」

「……ありがと」


 志保は軽く俯き、タオルで体を拭いていた。……家に招き入れたはいいけど、特に話すことがないな。俺はなんとなく気まずくなり、台所へと向かう。


「寒いだろ、お茶でも淹れるよ」

「別に、いいのに」

「今さら遠慮すんなって、昔は俺の菓子とか勝手に食ってたろ」

「……えへへ、そうかもね」


 俺の言葉に対し、志保は優しくはにかんだ。今日はなんだか昔の志保に戻ったみたいだな。かつては、一緒にいることに特別感なんてなかったのになあ。俺は台所に置いてある湯沸かしポットのスイッチを入れ、志保のところに戻った。


「それにしてもすごい雨だな」

「梅雨はまだなのにね」

「そうだなあ」


 俺たちはソファに座り、ザーザーと雨が降る外の景色を眺めていた。ただ何も言わず、二人で過ごす。……こんな時間はいったいいつ以来だろうか。ふと志保の方を見ると、綺麗な横顔が目に入った。雨に濡れたポニーテールはどこか色っぽく、思わずドキリとしてしまう。


「……ねえ、真司」

「うおっ!?」

「ど、どうしたの?」

「あ、ごめん。つい気が抜けててな」

「もー、びっくりさせないでよ」

「すまんすまん」


 俺が謝ると、志保はクスリと笑みをこぼした。いかんいかん、つい見とれてしまったな。


「で、何の用だ?」

「ありがとね、家上げてもらっちゃって」

「なんだよ改まって」

「だって、絶交してるのにさ……本当にごめんね」

「……別に、いいよ」


 「絶交」という言葉を聞き、なんだか現実に引き戻された気がした。そう、俺たちは絶交しているのだ。中学二年のあの時から、俺たちの関係はずっと凍ったまま。仲直りのきっかけはいくらでもあったはず。でも――俺たちには叶わなかった。


「なんでこうなったんだろうな」

「え?」

「……いや、なんでもない」


 誰に言うでもなく、俺はぼそっと呟いた。どのみち、志保との失われた三年間を取り戻せるわけではない。……時間は前にしか進まないのだから。


 ここでふと、聞きたいことがあったのを思い出した。変わらず外を眺め続ける志保に対し、俺は疑問を投げかける。


「なあ、ひとつ聞いていいか?」

「なあに?」

「……お前、あんな茂みで何してたの?」

「は、はああっ!!!?」


 次の瞬間、志保が突然立ち上がった。さっきまでの美人顔があっという間に真っ赤になり、俺は呆気に取られてしまう。


「あ、あれはっ……!」

「まさか小便でも――」

「そんなわけないでしょーっ!!!??!?」

「じょ、冗談だよ」

「真司のバカ」

「でも、雪美の手のことに気づいたってことは――俺たちのことを見てたんだよな?」

「そっ! それは……」

「俺たちの昼飯なんか見て何が楽しいんだ?」

「だからっ、それは真司が――」

「うおっ!?」

「キャーッ!?」


 その時、凄まじい轟音とともに窓の外が光った。ドンという破壊音とともに、強風が窓の外を吹き抜けていく。そのままフッと居間の電気が消え、俺たちは暗闇に閉ざされてしまった。


「やべえ、停電しちまった――うわっ!?」

「し、真司っ……」


 きょろきょろと周囲を見回していると、志保が俺の腰にしがみついてきた。やっぱり雷は苦手らしい。


「だ、大丈夫か?」

「……こわいの」

「……そうかよ」


 とりあえず、俺は志保の背中をさすってやった。そういえば、小さい頃にもこんなことがあったような気がする。あの時の志保は雷が怖いと泣いていたっけ。でも真っ暗だし、懐中電灯でも探しに行かないと。


「すまん志保、ちょっと離してくれ――」

「やだ」

「へっ?」

「いっちゃやだ」

「おま、何言って――わっ!」


 俺はなんとか離れようとしたのだが、志保がしがみついたままだったので、二人してバランスを崩してしまった。そのままソファから転がり落ち、志保に押し倒されたような格好になってしまった。


「いててて……」

「ご、ごめん真司……」

「大丈夫だよ。お前も怪我してないか?」

「うん、大丈夫……」


 俺たちは互いの顔に向き合う姿勢になっていた。そのまま動かず、相手の瞳を見つめ合っている。……綺麗な目をしてるな。


「……」

「……」


 暗い部屋に、外からの雨音だけが響き渡っている。誰も見ていない二人だけの空間。互いに無言だが、考えていることは同じ。……そんな気がした。


「ねえ、真司……」

「……なんだ?」

「あのね……」


 志保は右の耳たぶを触り、何かを言い淀んでいた。急かすなんて野暮なことはせず、俺はただ志保が言葉を発するのを待ち続ける。


「……私、まだね」

「ああ」

「まだ、真司のことが――」


 ゆっくりと、志保の顔が近づいてくる。俺はそれを受け入れようとして――ふと、ある少女の顔が思い浮かんだ。別に好きなわけでもないし、ましてや恋人なんかでもないのだが――気づいたときには、志保の顔を手で制していた。


「……真司?」

「悪い、志保。それ以上は」

「えっ、どうして……?」

「それは……」


 言葉を紡ぎ出そうとした瞬間、部屋が一気に明るくなった。どうやら電気が復旧したらしい。志保がそれに気を取られた隙に、俺はそっと身を起こした。


「ごめんな、志保」

「……私のこと、嫌いなの?」

「そうじゃない。けど――ん?」

「?」


 その時、なんだか何かが焼けるような臭いを感じた。おかしいな、火なんて使ってなかったのに――って、煙が上がってる!?


「ヤバい、火事だ志保!!」

「へ、へっ?」

「台所で何か燃えてる!!」

「わっ、本当だ!!」


 俺と志保が慌てて台所に向かうと、湯沸かしポットのコードから煙が上がっていた。どうやら、停電から復旧して通電した際に過熱してしまったらしい。大急ぎでブレーカーを落とし、なんとか火を消し止めることが出来た。


「はあ、危なかった……」

「ね、何もなくて良かった……」


 俺たちはほっと胸を撫で下ろした。志保の方を見ると、向こうも俺の方を見てきて、つい目が合ってしまう。


「……」

「……」


 ドタバタ騒ぎが起こったあとに振り返ると、さっきのことが小恥ずかしく思えてくる。志保もそれは同じようで、俺から視線をそらしてすまし顔をしていた。


「……あ、雨は上がったみたいだぞ」

「う、うん。そろそろ誰か帰って来ただろうし、帰るから……」


 志保はぎくしゃくとした動きで荷物をまとめている。どうしたもんかと思い、俺は頭をぽりぽりとかいた。志保がそのまま玄関へと向かったので、俺も見送りのためについていった。


「じゃ、今日はありがとね」

「ああ、気をつけてな。……あっ、聞き忘れてた」

「ん、なあに?」

「結局――茂みで何やってたんだ?」

「はああっ!!??」


 半ば呆れたような表情をしている志保を見て、俺は戸惑った。そりゃ、あんなとこからいきなり飛び出してきたら誰でも気になるよなあ。その理由を聞くことの何がいったいまずいってんだ?


「……その鈍さ、雷に打たれても治らなさそうね」

「えっ?」

「このバカ真司!!!」


 志保はバーンと扉を閉め、いつもの調子で家を飛び出して行った。やれやれ、結局こうなるのかよ。あーあ、これじゃいつまでも仲直りは無理かもな――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る