第3話 あの頃の君と私
私と真司は幼稚園からずっと一緒だった。家も隣だし、よく遊びにも出かけた。そのたびにアイツは優しく出迎えてくれて、すごく嬉しかったのを今でも覚えている。
あまり一緒にいるものだから、学校でからかわれることもよくあった。けど私は気にしなかったし、真司も当時は気にしていなかった。むしろアイツは、周りから何か言われるたびに守ってくれていたと思う。
向こうはもう忘れているかもしれないけど、私にとっては忘れられない出来事がある。小学校低学年のある日、真司が私の部屋に遊びに来ていた。いつものように二人で過ごしていると、気づけば晩御飯の時間。
「真司くーん、そろそろ夜ご飯だから帰りなさーい」
「はーい!」
私のお母さんにそう言われて、真司は帰り支度を始めた。私はこの時間がいつも嫌いだった。ずっと一緒にいたいのに、夜になると真司とは離れ離れになる。
「じゃあまた明日ね、志保」
「ま、待ってよ真司……!」
「うわっ!」
思わず、私は真司のシャツの裾を掴んだ。……掴んだはいいけど、何を言うべきか分からない。戸惑う真司を前にして、私は逡巡してしまう。
「ど、どうしたの……?」
「いや、その……」
私はいつものくせで、右の耳たぶを触っていた。どうすれば真司とずっと一緒にいられるんだろう。そんなことを考えていたとき、私は前に観たテレビドラマの台詞を思い出した。
「……毎日」
「え?」
「毎日、真司にお味噌汁作るからっ……!」
「えっ、ええっ?」
勇気を出して言ったのに――アイツは意味が分かっていなかった。今思えば、この頃から真司は鈍かったみたい。
「味噌汁って、何……?」
「……バカ」
「はっ?」
「け、け、結婚したいってこと!!」
半分ヤケになって叫ぶと、真司は一瞬戸惑っていた。けど――みるみる顔が真っ赤になり、今にも破裂しそうになっていた。
「ぼ、ぼく帰るから!」
「あっ、ちょっと返事はー!?」
「じゃあね!」
真司は逃げるようにして、私の部屋から出て行ったのだった。その後は真司に会っても返事をはぐらかされるばかりで、結局有耶無耶になってしまった。当時はすごく恥ずかしかったけど、あそこではっきりしたことがあった。
私は、真司のことが好きだったのだ。
それ以来、私はずっとアイツのことを目で追っていた。きっといつかは、私はアイツと一緒になるんだろう。そう確信していた。……確信していたのに、自分で「好き」と言うことは出来なかった。
中学校に入ると、私たちの関係に少しずつ変化が訪れた。真司は野球部に入り、中心選手として活躍するようになった。もちろんアイツは変わらず私と仲良くしてくれていたけど、周りはますます私たちを冷やかすようになった。学校帰り、一緒に帰ったりなんかしていると――
「おい、岡本が彼女と一緒に帰ってるぞー!」
「チューしたのか、チュー!」
……なんて、くだらないからかいを受けることもしばしばだった。私は恥ずかしかったけど、真司はいつも言い返してくれていた。その度にアイツが頼もしく見えて、私はますます好きになった。……今思えば、なんて呑気だったんだろうと思う。
中学二年の夏休みのある日、バレー部の練習が終わった私は校庭に向かった。もちろん、部活を終えた真司と一緒に帰るためだ。グラウンドに出てみると、全体の練習は既に終わっていて、真司は何人かと居残って打撃練習をしていた。
「岡本、まだやる気かー?」
「すまん、もう少し頼む」
真司は汗だくでバットを握り、真剣な表情でスイングし続けていた。ボールを打ち返すたび、バットを軽く振っては打撃フォームを修正している。……けど、流石にそろそろ帰る時間だよね。
「真司ー、かえろーっ!」
私が大きな声で叫ぶと、真司とその周りの部員たちがこちらに振り向いた。いつものアイツなら笑顔で私のところに駆け付けてくれるけど、その日はなんだか違った。
「おい、羨ましいなあ岡本!」
「さっさと行ってやれよ、なあ!」
周りの部員たちは例のごとく冷やかしてくる。けど、真司なら関係ない。きっと言い返してくれ――
「先帰ってろ、志保!」
私はそのとき、人生で初めて真司から突き放された。後で聞いた話だと、その時のアイツは打撃の調子を崩していたらしい。それで熱心に練習しているときにからかわれたものだから、つい私のことが鬱陶しくなってしまったのだろう。
「な、なによ真司!」
だけど当時の私は馬鹿だったから、そんなことには全く気がついていなかった。好きだった相手に邪険に扱われたものだから、むしろ動揺してしまったのだと思う。
「いいから帰ってろって!」
「そんなに言うことないじゃん!」
「おっ、夫婦喧嘩だ!」
「ひゅーひゅー!」
私と真司は、初めて喧嘩をした。真司だって私のことが好きなはずなのに、どうして酷いことを言うんだろう。どうして私と一緒に帰ってくれないんだろう。どうして――私の気持ちに応えてくれないんだろう。今思えば、私はかなり自分勝手で、わがままで、そのうえ真司の優しさに甘えていたのだ。
「お前と一緒にいると皆うるせーんだよ!」
「む、昔からじゃん! なんで今さら嫌がるの!」
「とにかく嫌なんだよ! もういいから帰ってろって!」
「~~~!!」
私はもう泣きだしそうになっていた。大好きな真司とこんなに酷いことを言い合うなんて、夢にも思っていなかった。好きなのに、好きなのに――
「私は、真司のことが好きなだけなのに!!!」
気づいたときには、私はとんでもないことを口に出していた。さっきは冷やかしていた部員たちも、さすがに私たちが本気の喧嘩をしていることに気がついたようで、もはや何も言えずにいた。
「お、おい志保――」
「もういい」
「へっ?」
「……絶交。私、もう真司とは絶交するから!!」
「し、志保?」
「真司のバカ!!」
私はそんな捨て台詞を残し、グラウンドを後にした。当時の私は、優しくしてくれない真司に腹を立てていたのだろう。それで嫌になって、つい「絶交」と口にしてしまったのだ。
「……ッ、真司のばかぁっ……!」
あふれ出る涙を手で抑えながら、一人とぼとぼと通学路を帰っていく。帰り道にコンビニに寄ってアイスでも食べたいな、アイツに「あーん」なんてしてあげたいな。……さっきまでそんなことを考えていた自分が馬鹿みたいだ。
真司はどう思っているのかな。私のこと、もう嫌いになっちゃったのかな。そうだよね、ずっと守ってあげていた女が急に「絶交」とか言い出して、アイツからしたら意味分かんないよね。
むしろ真司は絶交してせいせいしてるかもしれない。きっと私より可愛くて、私より素直で――そんな女の子と付き合うんだろうな。……ごめんね、今まで私なんか邪魔だったよね。
その日以来、私はずっと後悔し続けた。すぐにでも真司と仲直りしたい。……そう思っていたけど、自分から絶交した手前、何も出来ないまま時が過ぎていった。せっかくアイツと話す機会があっても、どうしても素直になれずに冷たくあしらってしまうのだ。
そして私たちは中等部を卒業し、そのまま高等部に入学した。真司はあれだけ期待されていたのに、結局野球部には入らなかった。仲間たちとそりが合わなかったのか、それとも怪我でもしたのか、理由は分からない。あれだけカッコよく野球をしていた真司が見られなくなったのは、少し寂しかった。
私は中等部時代と同じく、バレーボール部に入った。幸いにして気の合う部員が多く、私は充実した毎日を送っていた。皆といれば、真司と一緒じゃなくたって平気。そう思っていたある日の昼休み――私はあの噂を耳にすることになる。
「中等部の転校生の話、聞いた?」
「聞いた! 一組の岡本くんのフィアンセって話、本当なのかな?」
岡本くん、って……真司のこと? そのフィアンセってことは――
「それ、どういうこと!?」
「ちょ、どうしたの志保!?」
気づいたときには、私は立ち上がって叫んでいた。噂話をしていたクラスメイトに聞いてみると、中等部に転校してきた女の子が「真司と結婚する」なんて言い出したらしい。ちょっと待って、いくらなんでもそれは話が違う!!
「どういうことよ真司ー!!!」
呆然とするクラスメイトたちを尻目に、私は一組の教室目指して走り出したのだった――
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