第4話 朝から挟み撃ち

 雪美が転校してきた翌日、俺はいつも通り家で朝食をとっていた。食後にお茶を飲みながら、そろそろ学校に行こうかと思っていると――玄関のチャイムが鳴った。


「あら、こんな朝から誰かしら」

「どうせ出かけるところだし、俺が見てくるよ」


 母親にそう告げると、俺は鞄を持ってリビングを出た。さすがに宅配便が来たってわけじゃないだろうしな。まさかこの時代に電報なんてな、ははは。俺は心の中で冗談を言いながら玄関のドアを開ける。すると、そこにいたのは――


「おはようございます、真司さん」

「ゆ、雪美……!?」


 綺麗な長髪をたなびかせた雪美だった。ほこり一つついていないブレザー服を身にまとい、俺に対してペコリと頭を下げる。


「どうしたんだよ、こんな朝から!?」

「一緒に登校しようかと思いまして。お迎えに上がりました」

「迎えって、なんだよそれ――」


 その時、俺は我が家の門柱の前に高級車が停まっていることに気がついた。……アレに乗れってか?


「どうぞ、ご乗車ください。遠慮なさらず」

「いや、それはちょっと……」

「? どうして嫌なのですか?」

「嫌っていうか、その……」


 このまま車に乗ってしまえば、ますます婚約が既成事実化されてしまう。それではいくらなんでも雪美が可哀想だ。俺はあくまで雪美と結婚するつもりはない。だったら、この車には乗らないのが正解だろう。


「いいよ、俺は歩いて行く。先に行っててくれ」

「いえ、それじゃ」

「別にいいだろ、雪美だって嫌だろう?」

「そんな、ことは……」


 雪美は困ったような表情でもじもじとしていた。まさか乗車を拒否されるとは思っていなかったらしい。親に言われてこうしているんだろうが、なかなか気の毒である。


「真司さんに乗っていただかないと困ります」

「乗るかどうかは俺の勝手じゃないか」

「それは、そうでございますが……」

「じゃあ、俺は行くぞ」

「お、お待ちください!」

「ちょ、掴むなって」

「真司さん、お願いします……!」


 雪美は慌てて俺を制止してきた。きっと一緒に登校しないと親に何か言われるんだろう。可哀想ではあるが……。いや、ここで思い通りになっちゃいかん。心を鬼にして、なんとか歩いて――


「行ってきまーす!」


 その時、隣の家から志保の声が聞こえてきた。いつもはもっと早く登校しているはずだが、今日はこの時間か。きっと部活の朝練が無い日なんだろうな。


「……あんたたち、朝から何してんの?」


 志保は俺たちが押し問答していることに気がついたようで、怪訝な顔でこちらを覗き込んできていた。雪美は志保の方を向き、冷たい声で返事をする。


「……別に、あなたには関係のないことです」

「な、何よあんた!」

「私はただ、婚約者として真司さんと登校するだけですから」

「ここここ、婚約者……!」

「ちょ、なに喧嘩してんだお前ら!」


 昨日会ったときもだけど、なんだかコイツらは相性が悪いみたいだな。雪美も志保には当たりが強いし、志保は志保でずっと怒ってるからなあ。……怒ってるのは俺に対してかもしれんが。


「とにかく乗りましょう、真司さん」

「だから乗らねえって!」

「ま、待ちなさいよ!」

「あ~~~もう!! お前らいい加減にしろ!!」


 俺が大声で叫ぶと、二人ともピタッと黙ってしまった。朝からこんな大騒ぎされたんじゃかなわん!


「もーいいよ、志保も一緒に乗れ!」

「は、はあっ!?」

「し、真司さん……?」

「ほら、乗った乗った!!」


 半分ヤケになりながら、雪美と志保を連れて後部座席に乗りこんだ。志保も一緒に乗れば、雪美と二人きりにはならない。俺と雪美を一緒に過ごさせてくっつけようって親の魂胆だったんだろうが、そうは問屋が卸すかってんだ。


「よ、よろしいですかお嬢様?」

「え、ええ……出してちょうだい」


 雪美が指示を出し、車はゆっくりと走り出した。まさか三人乗ってくるとは思っていなかったのか、運転手は困惑した表情を見せている。それにしても、こんな豪勢な車で登校とはすごいねえ。


「……」

「……」

「……」


 俺は雪美と志保に挟まれている。さっきまであんなに騒いでいたのに、いざ狭い車内に押し込められると二人とも黙ってしまった。


(き、気まずい……)


 何とも言えない空気が漂う中、車は学校に向かって走っていた。雪美は何を言うでもなく、凛とした顔で背筋を伸ばして座っている。志保はというと、頬杖をして不機嫌そうに車窓を眺めていた。


「ねえ、雪美……だったっけ?」

「はい。なんでしょうか?」

「……あんた、本当に真司と結婚するつもりなの?」

「そうでございますが、何か……?」

「……あっそ」


 志保はぶっきらぼうに返事をして、再び車外の方を向いた。雪美は不思議そうな顔をして、前に向き直る。……本当になんなんだ、コイツらの仲の悪さは?


 なんだか胃が痛くなってきたので、俺も車窓を眺めて気を紛らわせることにした。学校が近くなってきたし、うちの制服を着た奴が多く歩いているな。お、あの後ろ姿はうちのクラスの女子じゃないか。えーと、名前が思い出せん。よく目を凝らせば、頭に思い浮かぶはず――


「真司さん、そんなにあの女性が気になるのですか……?」

「あんた、なにじろじろ見てんのよ!?」

「へっ?」


 気づけば俺は、両側から冷たい視線を浴びていた。……ちょっと待て、別にイヤらしい気持ちで見ていたわけじゃ――


「真司さん、私と結婚するんじゃなかったんですか……?」

「今度は別の女に手出す気!?」

「違う違う違う違う!!」


 俺はブンブンと両手を振ったが、時すでに遅しだった。二人は身を乗り出すようにして、容赦なく俺のことを問い詰めてくる。


「せっかくお車まで用意したのに、あんまりです……」

「こんな中学生泣かせて恥ずかしくないの!?」

「いつからお前は雪美の味方になったんだよ!」

「真司さん、私はあなたの何なんですか……?」

「まだ何にもなってねえ!」


 あーでもないこーでもないと騒ぎながらも、車はさらに進んでいく。ようやく二人とも落ち着いてきたが、俺は半端でない疲労感を覚えていた。とほほ、朝からこんなことになるとは……。


「全く、真司さんったら……」

「ふん、真司のバーカ」


 雪美は元通りの良い姿勢に戻っていたが、頬を少しだけ膨らませていた。こういうところは子どもらしいって感じだな。志保はさらに不機嫌そうにして、足をプラプラと揺らしている。コイツの心情はよく分からん。


「お嬢様、到着しました」

「降りましょう、真司さん」

「あ、ああ」

「私まで乗せてもらって悪かったわね」

「……いえ、別に」


 車は校門の前に到着し、俺たちは三人で降りた。朝っぱらから高級車で乗り付けたもんだから、周りの生徒たちに好奇の目で見られている。ただでさえ雪美のせいで噂になってるっていうのに、これじゃあますます変人だ。


「じゃあ私はお先に!」


 志保は一足先に校舎へと向かって走っていった。周りの野次馬に噂されながら、俺は雪美と二人で歩き出す。そうだ、今のうちに言っておかないと。


「もうこんなのは懲り懲りだよ。明日から迎えに来るのはやめてくれ」

「真司さんがそう言うなら、仕方ありませんね」

「なんだ、あっさり納得するんだな」

「……将来の旦那様のお言葉ですから」

「だ、旦那……」


 いざ「旦那様」と言われるとビビってしまう。ふと雪美の顔を見ると、なんだか表情が暗い。やっぱり親に怒られるんだろうか?


「……もしかして、一緒に登校しないと家がまずいのか?」

「いえ? そういうわけでは」

「えっ、違うの?」

「はい。私はただあなたを――」


 そう言いかけて、雪美は言葉に詰まっていた。その場に立ち止まり、頬をほんのり赤くしている。急にどうしたんだろう?


「どうした、雪美?」

「……なんでもございません」


 不思議に思っていると、雪美はたおやかに歩き出した。俺もそれに従い、再び歩を進めていく。間もなく校舎に着いたので、俺は雪美に別れを告げようとしていた。


「高等部はあっちだから。じゃあ」

「あ、あのっ」

「ん、どうした?」

「真司さん……」


 さっきと同じようにして、雪美は何か言おうと口をもごもごとさせていた。なんか様子が変だな。


「何か言いたいことがあるなら、言ってごらん」

「あの、その……。中等部にいると、真司さんの教室が遠くて……」

「ん? まあな」

「……お迎えは無理でも、私とお会いしてくださる時間が欲しいのです」

「雪美……?」


 雪美は制服の裾をぎゅっと掴み、下を向いて声を漏らすようにしてそう言った。……これは親に言わされてるんじゃない。雪美の本心だろう。


 なぜ雪美がこんなことを言い出したのかは分からない。もしかしたら、雪美は転校してきたばかりでまだ不慣れなのかもしれない。……そして、数少ない知り合いが俺ということなのかもしれない。転校してきた昨日、雪美は一人で心細い一日を過ごしていたのかもな。


「……分かった。昼休みなら、いいぞ」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。中庭のベンチで待ってるから」

「あ、ありがとうございますっ……!」


 雪美の表情が一気に明るくなった。俺はあくまで雪美と結婚するつもりはない。けど、事情を知る人間としては――家のしがらみにとらわれず、楽しく学園生活を楽しんでほしいとも思っている。そのためなら、協力を惜しむ理由はない。


「じゃあな、またお昼に」

「はいっ、失礼します……!」


 そうして、雪美は中等部の方に向かって歩いていった。そのステップは、心なしか弾んでいるような気がした。やっぱり、こういうところは子どもらしいな。


 この日から、俺と雪美は昼休みに逢瀬を重ねていくことになる――

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