八 ドラ猫になつかれる

「ふーん。動物園という場所にどうも、意味があるようですね」


 中也が、マリオネットを元の場所に戻しながらつぶやいた。その冷静な声に小林は我に返る。動揺する心をさとられないよう、つとめて落ち着いた声を発した。


「みつは事務所に相談にくるのではなく、わざわざ手紙で動物園を指定してきたんだ」


 中也が小林の青ざめた顔に、視線を走らせた。


「なんで動物園なんでしょうね」


 中也にそう問われても、小林は明確な解答を導き出せない。はぐらかすように違うことを口にした。


「あいつ、というのが犯人なんだろうな。どうせなら、名前を言ってくれたら、一気に解決するのに……」


 小林の台詞を、中也は皮肉ととらえたようだ。ぽってりとした唇を、への字に結んだ。


「自分が知っている名前を、心の中で唱えないでしょう。普通は」


 中也に的を射たことを言われて、小林は言葉につまる。小林の沈黙に中也は攻撃的な言葉を投げてきた。


「どうせ、インチキだと思ったんでしょ。本当にみつさんなら、スラスラと犯人のことをしゃべるだろうと」


「まあ最初は、ペテンに引っかかるもんかと思ったさ。でも、俺の目にははっきりと、小さなみつが見えた」


 小林がそう言い切ると、中也は意外そうな声をあげた。


「あなた、僕のことを信じてくれるんですね」


「俺は、見たものは信じる。たしかに君のマリオネットは、みつの本音を語っていた」


 中也の不貞腐れていた顔が、一気にうれしそうに破顔した。


「母や弟たちに見せても、誰も気味悪がって信じなかった。特に医者である父など非科学的なことが大嫌いで。あなたみたいな人は初めてですよ」


 小林の信じたことがよほどうれしかったのか、中也の顔は高揚して赤らんでいる。鮮やかな変わり身に小林はあっけにとられた。


 ツンとしていた毛並みのいい猫に、頭をひと撫でしただけで途端になつかれた。そんな感じを受け、いたたまれない気持ちがする。


「犯人はみつの知人であることは、これで証明された。やはりカフェーの客と揉めていたのか……」


「そうかもしれませんね」


 中也に全面同意され、調子が狂う。小林はぽりぽりとガーゼの上から鼻をかくと、忘れていた痛みがぶり返した。そろそろ潮時だ、事務所に帰らないと。


「犯人が知人なら、みつの身辺をもう一度洗ってみよう。カフェー以外にも、女優を目指してたんなら、所属していたの劇団の劇団員とか」


 そう言って小林が立ち上がると、中也に制止される。


「待ってください。もう一度、動物園に行きませんか? 待ち合わせ場所に、何か意味があるはずです」


「それもそうだな。現場にもう一度行ってみるよ。今日はありがとう」


 そのまま部屋を出て行こうとしたら、中也も立ち上がり小林の前方に立ちふさがる。


「何時行きますか? 僕はいつでもいいですよ。学校なんて休んでもかまいませんから」


「いやいや、せっかく進学したんだから学校にはいかないと。俺は行きたくてもいけなかったんだから……」


 学校を休むことのためらいのなさに小林はあきれ、一瞬中也が何をしたいか見失った。問題はそこじゃない。


「中原くん、ついてくるつもり?」


 小林の声は裏返っていた。


「当然です。ここまで協力したんですから、手伝います。学校の勉強よりよっぽどおもしろそうだ。僕、退屈してたんですよ」


 学生の分際で何を言うかと、小林が目くじらをたてたところで、中也の視線とぶつかる。


「小林さん、どっか抜けてますよね」


 中也の視線は、小林の整った顔の中央に向けられた。


「これは、昨日犯人に襲われて……」


 小林が恥を忍んで言うと、中也はわざとらしく両手を広げた。


「それは大変だ。また一人でいたら、襲われますよ。僕、こう見えて喧嘩っ早いんです」


 虫も殺したことのなさそうな顔をして中也は言った。小林はとびきり上等なドラ猫に、なつかれたことを受け入れるしかないのか。


 小林は大きなため息をひとつ、畳の上に落とす。


「明日は日曜日だ。明日行こう。それと俺についてくるなら、派手な格好をするな。あのチンドン屋みたいなのは困る」


 探偵とは目立たず調査してこそ、収穫があるというもの。小林は後藤に、探偵とは地味で目立たず影に徹しろと、嫌味を言われ自分を棚に上げる。


「失礼だな。あなたおしゃれがわからないんですね。まあいいです。わかりました。地味な格好をしていきますよ」


 素直に応じればいいものを、中也は一言文句を忘れない。もうすでに、中也を連れて行くことを後悔し始めた小林だったが後の祭りだ。


「よろしく、頼むよ」


 しぶしぶそれだけを言い、足早に中也の部屋から出て行った。階下に降りる前にもう一度、秋吉の部屋を伺ったが先ほどと変わらず誰もいない。


 いったい秋吉はどこにいったのか。まさか、衝動的に殺人を犯した後悔から自ら命を絶つ。なんて最悪の結果になっていないことを願いながら、小林は下宿を後にした。




 水曜日に事件が起こった同じ午後一時、日曜日の動物園はにぎわっていた。殺人事件がおこったことにより、来園者は小さな子供を連れた家族よりも、野次馬がほとんどだった。


 みつの殺された海棠の植え込みは一番人気のようで、人だかりができている。


「ふーん、あそこでみつさんは殺されたんですね」


 中也は植え込みを遠目に見てそう言うと、そっと手を合わせた。信心など露とも持ち合わせていないような傲岸不遜な少年は、地味な絣の着物姿で熱心に経を唱え始める。


 目深にかぶった学生帽のひさしの下で、中也の麗しい目はみつを思ってか閉じられていた。


「君、お経なんて読めるのか」


 経が終わると、小林は驚きの声をもらす。中也は手をほどき、つまらなさそうに答えた。


「僕の素行が悪くて、長期休暇の折りに九州の寺へ送られたんですよ。素行はよくなりませんでしたけど、経は覚えましたね」


「素行が悪いって。まさか、君が?」


 元来真面目な小林にとって、中学生の素行の悪さは糾弾するべきものだったが、いかにも良家の出らしい上品な中也の容貌と結びつかない。


「そうですよ。飲酒喫煙、それにとどめは成績不振。山口の中学を落第してこっちに来たわけです」


 ここまで一気に言うと、中也は両手を打ち鳴らし、


「都落ちならーぬー、都のぼーりのー不良少年のー出来―上がーりー」


 悲し気な節をつけておどけて見せた。中学に行きたくても行けなかった小林にしてみれば、自業自得なわけだが。なぜか嘲笑することができない。


 それどころか、まだみつが死んだ海棠の植え込みをみつめる横顔が、見えない痛みに耐えているようで同情を通り越し庇護欲さえ感じる。


 同じ山口出身のドラ息子。自称詩人の中学生が、小林は気になり始めてきた。


「僕の来歴なんてどうでもいいでしょ。それより事件のことですよ」


 中也にそう言われ、ハッと我に返った。過去を訊かれたくないのは小林も同じだ。小林は中也への興味から目をそらし、みつが殺された時のことを中也に話して聞かせた。


「なるほど、当日の様子はだいたいわかりました」


 中也の言い草では、どちらが探偵かわからない。


「みつは俺より遅れてやってきて、後から犯人に襲われ植え込みに連れ込まれた」


「みつさんは、入り口から入って奥へ向かっていた。待ち合わせの場所はどこだったんですか?」


 小林はみつを待っていた、馬の柵の前まで中也を連れて行く。今日ものんびりと栗毛の二頭の馬が戯れていた。


「手紙に待ち合わせ場所は、馬の前となっていた」


「なんでわざわざ馬なんでしょうね」


 中也は腕組みをして、遊ぶのにあきて走り出した馬を目で追う。


「動物園に来る客は、ほとんどがライオンか象が目当てだ。馬をわざわざ見に来る人はいないから、人がいないと思ったんじゃないか」


「まあ、探偵に依頼するには、人気のないところがいいだろうけど。そうすると、探偵事務所が一番いいのに」


 考えることは、中也も同じだった。

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