七 マリオネットは語る

「秋吉がここにいないとすると、いったいどこに行ったのか。中原くん。君どこか心当たりないかい?」


 中也はかぶっていた学生帽をぬいで、くるくると指を使って帽子を回し始めた。


「さあ。僕は最近ここに来たばかりで、秋吉さんと数回顔を合わせただけですし」


「えっ、君。その程度で秋吉が犯人じゃないって言ったのか?」


「だから詩人である僕は、その人の本質を一瞬で見抜く千里眼を持っていて――」


 また長くなりそうなので、小林はすばやく中也を止めにかかる。


「わかった、わかった。君の千里眼はすごいよ。じゃあ、心当たりないんだな」


 小林の半ば投げやりな問いに対して、中也は回していた帽子をくっと小林の前に突き出した。


「ないこともないですよ。秋吉さん、富山の出身だと思います」


「富山から来たと、秋吉が言ってたのか?」


 小林は目の前の学生帽を邪魔とばかりに手で掴み下げようとしたら、とっさに中也にひっこめられた。


「いいえ。秋吉さんは標準語を話されていましたけど、イントネーションがみつさんといっしょでした。なので、富山だろうと」


 昨日カフェーの女給が、みつは富山から家出してきたと言っていた。京都は都会ゆえ、学生や出稼ぎ目的の地方出身者が多い。しかし、田舎の言葉を話すと京雀たちに馬鹿にされる。かくいう小林の言葉も、完璧ななまりのない標準語とは言えない。


「秋吉は同じ故郷のみつに、勝手に親近感を持ちそれがいつのまにか好意に変わった。しかしみつに受け入れられずに、殺害。秋吉は故郷である富山へ逃亡」


 小林は尖ったあごに指を添え、ブツブツとみつ殺害の筋書きを推理する。すると、また中也の横やりが入った。


「だから、秋吉さんは犯人じゃないって言ってるでしょ。わからない人だな」


「じゃあなして、秋山はずっと下宿に帰ってこんのじゃ。説明してくれよ!」


 小林はだんだんと中也に遠慮というものがなくなり、ついついお国言葉で語気を荒げた。さすがに言い過ぎたと思い中也の様子を伺うと、怒るどころか喜色を浮かべている。


 この少年の胸の内は、まったく小林には理解できない。


「やっぱり。小林さんのご出身は、山口ですよね」


 意表をつかれ、故郷を言い当てられた。


「あっ、驚かないでください。僕も山口なんで」


「山口? へえ、俺は下関だ。君は?」


 小林はここへ来た目的を一瞬忘れ、意外な同郷のよしみを結ぶ。同郷というだけで、口が軽くなるのは田舎者の証拠である。


「僕は、湯田です」


「おお、湯田か。いい温泉宿が多い。昔、松田屋に泊まったことあるよ。と言っても、子供の頃の話だが」


 まだ父が生きており、家が裕福だった時の記憶。父母と妹の四人での投宿だった。


「松田屋は、うちの近所ですよ。ははっ、ひょっとして小林さんが湯田に来られていた時、道ですれ違っていたかもしれませんね」


 中也は、年相応の無邪気さではしゃぐ。本当に、子供の頃すれ違っていたかもしれない。きっと中也は小さな頃も、目を見張るほどかわいい子供だっただろう。


 目のくりくりした丸顔の愛らしい顔を想像していると、ふいにその顔が小林の妹の顔と重なった。四つ下の妹は兄の小林を慕い、いつも後をくっついて回った。


 懐かしくも悲しい記憶に引きずられそうになったが、はたと気がつく。


「待て、中原くんが操ってたあの人形。たしか山口の言葉をしゃべっていたな。ということは、やっぱりインチキじゃないか」


 まるで本当に、山口の小さな子供がしゃべっているようだった。しかし、種を明かせば山口出身の中也がしゃべっていたのだ。口を動かしていなかったが、腹話術を使えば不思議でもなんでもない。


「インチキじゃないですよ。そうだ、コーヒー代をください。そうしたら、マリオネットをご覧にいれましょう」


 中也はずいっと小林の目の前に右手を突き出し、小銭を要求した。インチキを見破られて、ばつが悪いのだろう。そこはやはり、子供だと小林はほくそ笑む。


 背広のポケットから財布を出し、コーヒー代を箸しか持ったことがないような手に乗せた。


「じゃあ、見せてもらおうか」


 どうせ秋吉を捕まえられないのなら、しばし横道にそれてもかまわないだろう。


 小林は明らかに、中也のマリオネットを侮っていた。その態度を中也は見透かしたように、不敵な笑みを浮かべ自室へ案内した。


 中也の部屋は秋吉の六号室の一部屋おいて隣の八号室だった。


 室内は六畳の和室でアーチ窓の下には文机がおかれ、壁際の本棚にはずらりと本が並んでいた。おいてあるのはそれだけで、ひどく殺風景な寂しい部屋だった。


 件のマリオネットは、本棚の横で漆喰の壁にもたれかかっている。中也は学生帽を文机の上に投げ捨てると、さっそくマリオネットに手を伸ばした。


「じゃあ、せっかくなんで、みつさんを呼び出してみましょうか」


「はっ、みつを? どうしてまた」


「うまくいくと、犯人を教えてくれるかもしれませんよ。小林さんは、みつさんの顔を見ましたよね」


「見たというか、死に顔を見たんだ。彼女は俺の腕の中で息を引き取った」


 小林は畳の上に胡坐をかき、海棠の下のみつの死に顔を思い出す。切れ長の目は白目をむき、整った顔からみるみる血の気がひいていった。


 あの顔は、一生忘れられないだろう。


「それは、都合がいい。僕はみつさんをお見かけしたことがあるんですけど、なんせ朧気で。あまり好みの女性ではなかったのですよ」


 中也は、あっけらかんと殺された女を好みではなかったと言い放つ。


 なんなんだこいつ。人間らしい怯えや恐れみたいなものは、ないのかよ。


 小林は中也の態度を不気味に思い始めた。しかし、インチキなのだ。本当に霊を呼び出すわけじゃない。


 中也の言葉はすでにペテンにかける前準備だと思い、小林は流されそうになっていた心を引き締める。


「小林さん。目をつぶって瞼の裏にはっきりと、みつさんの顔を思い浮かべてください。えっと、みつさんの苗字はなんですか?」


「寺島だ。寺島みつ」


 ペテンだとわかっていても、ついつい小林は中也に言われるまま答えてしまう。


「では、いきますよ」


 中也はそう前置きすると、マリオネットを操り始めた。小林はため息をつき、しばしこのペテンに付き合うことを決めた。


 目をつむり言われた通り、みつの亡くなった時の顔を瞼の裏に思い浮かべる。


「ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。さあさあ、聞かせておくれ、寺島みつ。生きている間には言えなかったことを。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん」


 中也の少し高い耳障りのよい声で、小林は瞼を撫でられたような気がした。独特の節回しで唱えられる『ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん』がまるで死んだみつを目覚めさせる呪文のように、脳内でリフレインする。


 すると、小林の瞼の裏で白目をむいていたみつがカッと目をひらき、血の気の失せた唇が震えた。


「白いパラソル……あとちょっこし……探偵に……探偵に……」


 地の底から絞り出されたような亡者の言葉に、小林の背筋に寒気が走り抜けた。この恐ろしい映像から逃れようと目を見開くと、中也が操るマリオネットが視界に飛び込む。


 瞼を閉じる前には、糸につながれたとんがり帽子をかぶった姿をしていたマリオネット。ところが今は、白い大きな花柄の青地の銘仙を着たみつの姿になっている。


 なんだこれは? いったい、どういうペテンなのだ。こんなことが、あるわけがない。あるわけが。


 そう思い小林はゴシゴシと目をこすっても、マリオネットはみつの姿のままだ。


 その小さなみつが、突然苦しそうに身をよじる。


「ここなら……あいつ……来んはずやった……ここなら……」


 そう言い残し、みつの姿は奇術のように一瞬で元のマリオネットに戻っていた。インチキと疑っていた小林にとって、この目の前で起こったことがすぐには飲み込めなかった。


 しかし待ち合わせの目印である白いパラソルのことを、知っているのはみつと小林だけだ。手紙を読んでいない後藤も知らないこと。


 いや待て、警察に押収された手紙を呼んだのかも。


 そう考えが浮かんだが、中学生の中也に警察が証拠品の手紙をおいそれと見せるわけがなかった。


 インチキならば、中也の知っていることしかマリオネットは語らない。


 小林が今見た幻は、みつなのだ。みつの魂がマリオネットに乗りうつり、語ったのだ。そう信じるしか、とうてい説明がつかなかった。

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