四 生意気な少年
「君、あの時のチンドン屋!」
小林は振り返った学生を見て、不躾にも叫んでいた。
「なんですか、人のことチンドン屋って。あなた、失礼ですね」
あの時のチンドン屋……ではなく少年は、美しい大きな目を細め小林を睨んでくる。人形のように整った顔ですごまれると、罪悪感は増すというもの。小林は動物園での自分の目撃者を探している、とは言い出せず黙り込んだ。
「おまえ中学生だろ。はん。生意気な奴だな。子供がこんなところに来るな!」
川越に恫喝されても、少年は怖気づくどころか鼻で笑う。
「へえ、ここはあなたの店なんですか? つけで飲み食いしているあなた方より、ちゃんと支払う僕の方が店としてはありがたい客だと思いますけどね」
図星だったのか、学生の顔がさっと赤くなる。その様子を見て、少年はふっくらとした唇の両端を優雅に上げた。あのマリオネットとかいう人形の唇とそっくりな形だ。
「それから、あんまり亡くなった人の悪口をいうものじゃないですよ。肉体が死んだとはいえ、ある部分では生きていますから。あっ、かしこい三高の先輩方はこのような非科学的なこと、お信じにならないですよね。申し訳ありませんでした」
少年の慇懃無礼な態度に、川越の握りしめた拳がブルブルと震え出す。
「わけわかんねえこと、言いやがって。おまえ、何様だ」
まずい、このままだと収拾がつかない事態になる。そう思い、小林は少年をかばうように前に出た。しかしその行為は、杞憂に終わる。
少年は学生服のポケットから財布を出し、テーブルに札束をおいた。ひとり分のコーヒー代にしては枚数が多い。
「お詫びと言ってはなんですが、僕におごらせてください。年下におごられるのは、気分がよろしくないでしょうけれど」
唖然とする一同の前を少年は悠然と歩き、そのまま店から出て行った。金に物を言わせた解決方法が鮮やかすぎて、小林は口を挟むこともできずにいた。
しかし相手は中学生の子供だ。三高生はともかく、大人の自分がおごられるいわれはない。それに加え昨日、動物園にいた自分を覚えているか訊かなければ。
小林は少年の後を追い、色ガラスのはまったドアを乱暴に開け放った。
「君、待ってくれ!」
にぎやかな新京極を三条方面に向かっていた学生服の背中が歩みを止め、ゆっくりと振り返った。人込みの中で見る少年は小さく、年相応の子供に見える。
「中学生の子供におごってもらうほど、俺は貧乏じゃないんでね。金は返すよ」
小林は背広の内ポケットから財布を取り出しながら、少年に近づいていく。しかし少年はふっと小林から顔を背けた。
「大人と子供の違いはなんでしょうね。たしかに今の僕に金はかせげません。子供らしく、親のすねをかじっています。でも、金さえあれば一人で生きていける」
小林は、彼をいたく傷つけたことに気が付いた。子供と言われ傷つく心情こそ子供の証拠だと思ったが、それは大人の論理だ。
「ごめん。いらないことを言った」
自分の言葉に小林が素直に謝ったからか、少年の固まっていた表情がふわりと緩む。
「へえ、説教するんじゃなくて、謝るんですね。大人なのに」
褒められているのか、なめられているのかいまいちわからなかったが、小林は褒められたのだと思うことにした。
「君が子供でも大人でも、男には変わりない」
少年はうつむいてふっと笑いをもらすと、小林の顔を正面からじっとみつめた。男同士であっても、まだ未分化の美貌を持つ少年にみつめられ、小林の心臓は騒がしくなり狼狽える。
そんな小林の内心の葛藤を知ってか知らずか、少年は蠱惑的な微笑をたたえた。
「じゃあ、金は三回目に会った時に返してもらうというので、どうです? 二度までは偶然で片付けられますが、三回会えばもう縁があるということでしょ」
それだけ言い終わると立ち去る少年を、小林は呼び止める。
「あっいや実は、君とはもうすでに会っているんだ。昨日の動物園で。マリオネットとかいう人形を操ってただろ?」
「たしかに、昨日は動物園に行きましたけど、あなたを見た覚えはありませんね」
きっぱりと言われ、小林はがっくりと肩を落とす。このままでは、警察に疑われたままだ。これはいよいよみつの依頼内容を調べるなんてのんきなことを言っている場合ではなく、犯人を捕まえないといけないかもしれない。
少年から期待していた証言が得られず、小林はぽりぽりとこめかみのあたりをかいた。
「そうか。えーっと、最後にひとつ訊いてもいいかな」
小林の申し出に、少年はこくんと素直にうなずいた。
「昨日、なぜ動物園で人形を操ってたんだ?」
事件には関係のないことだが、小林はどうしても引っかかっていた。
「ああ、動物を見せてやりたかったんですよ」
「人形にか?」
まるで人形が生きているような口ぶりに、小林の声はうわずる。
「記憶は更新されるはずがないのに、勝手に自己の中で改ざんされる。都合よく。だから、僕はあのマリオネットが手放せない。一人で見るより誰かと共有した方が罪悪感は薄れるものです」
少年は小林の問いにまったくかみ合わない答えを口にして、ごみごみとした新京極通りから覗く低い空をぼんやり見上げた。
その姿は人込みの中にあって、まるで荒涼としたこの世の果てにいるようなひどく寂し気に小林の目に映った。少年の孤独な痛みに反応して、咄嗟に小さな子供を慰めるような台詞がこぼれる。
「あの人形は君にとって、大事なものなんだな」
「ええ。あの人形は魔術師に貰った大切な人形なので」
「魔術師? じゃあ、あの亡き人の本音がわかるっていうのも、本当なのか?」
そんな馬鹿なことがあるものか、と小林は内心で思うもののつい疑問が口から出ていた。
「そうですよ。あのマリオネットは形代です。いろんな亡者の言葉をしゃべってくれる。今度あなたにお会いした時、お見せしましょう。コーヒーのお代を頂いたら」
小林はからかわれているのだと思った。そんな亡者の言葉をしゃべる人形など、このモダンな大正の世にあるわけがない。しかし、無下に断るのも大人げない。
「まあ、じゃあ次に会った時にでも」
小林の疑心を即座に見抜いたのか、少年はニヤリと笑う。
「信じてないでしょう。まあいいです。あなたとは必ず会うような気がするので」
眼前の生意気な少年の口から洩れる言葉は、なんとも人を食うような……いや違う。底なしの魅力を放っているのだ。
この子供にも大人にも属さない、分類不能な危うい少年の名前を小林は無性に知りたくなった。
「俺は、小林秀平。君の名前を教えてくれ」
「中也。
中也と名乗った少年はひどく子供っぽい顔をして笑うと、雑踏の中へ消えて行った。相手は中学生なのにあんなことを言われ、なぜか心が躍っている自分に小林は苦笑いを浮かべた。
「あいつが言うように、本当に次に会えたら、運命だな」
陳腐な台詞を吐き出し一人気恥ずかしくなったので、そのまま帰ろうとした。しかし、黒いマスクをつけた背の低い男が小林の横を通り過ぎる。そのままカフェー敷島へ慌てた様子で入って行った。
七三に分けた髪と紺色の背広がいかにも勤め人という感じだ。ひょっとして、みつが付き合っていたという添田ではないかと思い、小林は踵を返す。
小林の推測は当たっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます