三 カフェー敷島

 探偵事務所がある富小路から東へ徒歩数分。小林は『新京極』と洒落た字体で書かれたアーチをくぐる。三条と四条の間にある京都一番の繁華街は、明治になって造成された。


 新京極と名付けられた通りには、芝居小屋、寄席、見世物小屋、牛肉屋や西洋雑貨屋にカフェーなど種々雑多な店が軒を連ねている。


 ハイカラな女学生や背広姿の勤め人、洋装の女性たちが京都一物珍しいものが集まる通りを浮かれた様子で歩いていた。


 そんな通りの一角に、カフェー敷島はあった。見た目は黄土色の外壁の洋館だが、実は外観だけ洋館風の看板建築だ。このような看板建築は京都の小さな商店に多い。


 小林が色ガラスのはめられたドアを開けると、「いらっしゃいませ」と女給の声が飛んだ。室内には板張りの床の上に六脚のテーブル。奥にはカウンターが設えられている。


 壁には大きな柱時計や西洋画がかけられているかと思えば、清水焼の花瓶が飾られていた。


 そんな和洋折衷の店内で、派手な着物に白いエプロンを付けた女給二人が接客をしていた。白い布がかけられたテーブルのひとつには、三高の学生服を着た三人組が女給相手に話し込んでいる。話しているというか、口説いているようだ。


 口説かれている女給はすらっと痩せて、背が高い。紫のよろけ縞の銘仙を着て、髪は短く刈り込んだ断髪。赤い口紅が似合う派手な顔立ちは妙に色っぽい。


 奥のカウンターには、学生服を着た客がひとり。客は小林を入れて五人だけ。店内はすいていた。


「おひとりでいらっしゃいますか?」


 カウンターの中にいた女給が小林に近づいてきてそう言うと、窓際の席へ案内した。この女給は背が低く、少しふくよかな体形をしたかわいらしい雰囲気だ。なでしこの地色に水玉模様の銘仙を着て、廂髪ひさしがみにつけた大きなリボンが幼い顔立ちに似合っていた。


 小林がコーヒーを注文すると、リボンの女給はレースの暖簾で仕切られた厨房へ消えて行った。コーヒーがくるまで、どう聞けば怪しまれずにみつの話を聞き出せるか。小林は頭を巡らす……。巡らそうとしたのだが、三高生の話し声がうるさく集中できない。


 平日の昼間からカフェーに入り浸るなんて、学生とはいい身分だな、まったく。


 ここに後藤がいたら言いそうな台詞が小林の頭に浮かび、思わず頭を左右に振って追い出した。そうこうしているとしばらくして、さきほどの女給がコーヒーを運んできた。


「君、ちょっといいかな。ここの女給をしている寺島みつさんについて聞きたいことがあるんだけど」


 遠回しよりも直球で訊く方がいいと思ったのだが、女給はみつの名前を聞くと眉間にしわを寄せた。


「はあ……。午前中にも刑事さんがはって、あれこれ聞いていかはりましたけど」


 見るからに、小林を怪しんでいる口ぶりだ。


 しまった、ここは京都だ。なんでも遠回しに訊かなければならなかった。


「あっ、俺は刑事じゃなくて小林秀平という探偵なんだ。みつさんの情報を集めていて。彼女何か困ってることなかったかなと」


 小林が今更言いつくろっても、女給はあからさまに困ったという顔をする。


「へえ。でも、マスターにあんまりいらんこと言うな、言われてますし」


 店の評判にかかわるからか、口が堅い。どうしたものかと思っていると、三高の学生がひとりわざわざ小林のテーブルまでやってきた。


「アサちゃん。教えてやりなよ。もうみんなみつさんのこと知ってんだし。ほんと、かわいそうだよね。殺されちゃうなんて」


 丸刈り頭に眼鏡をかけた学生は、好奇心をむき出しにして小林のテーブルに許可もなく座る。


「あんた、探偵ってことは、犯人探してるの?」


「まあそんなところかな。俺、彼女から生前依頼の手紙をもらっててね。それでいろいろと調べてるんだ」


 小林の正体がわかり、身構えていたアサと呼ばれた女給から、ふっと力が抜けたのがわかる。


 ゴシップネタを探している探偵ではなく、みつとつながりのある探偵とわかったからだろう。まだみつの依頼内容はわからないのだが。そんなことを言う必要はない。


「みっちゃん、富山から女優さんになりたいて家出してきたんえ。ほんで住み込みで働いてたんどす」


 京都には映画の撮影所があり小さな新劇の劇団も数多く、女優を目指すものも多かった。


「アサさんも女優目指して、住み込みしてるの?」


 小林がじっとアサのつぶらな瞳を見て尋ねると、ぽっと頬がりんごのように赤らんだ。


「じょ、女優さんは目指してへんけど、うちも住み込みどす。住み込みは、うちとみっちゃんの二人だけや」


「じゃあ、みつさんのことよく知ってるよね」


 二人が住み込みなら、四六時中いっしょということだ。当然みつとアサは親密な関係だと小林は思ったのだが、アサは大きなリボンを揺らして首を振った。


「口数の少ない人で、なかなかうちと打ち解けてくれへんくて。まさか殺されるやなんて……ぐすん」


 アサの目に、みるみる涙がにじんだ。小林は、「無理ないよね。いっしょに住んでたんだから」と慰め、さりげなくポケットからハンカチを取り出す。


「昨日は彼女、店をお休みしてたの?」


 小林の差し出したハンカチで、アサはそっと目元を拭った。


「おおきに。水曜日は店の定休日やったし。午前中は店の二階にいて、昼から出かけたんです。あの、このハンカチ洗って返しますさかい」


 アサがハンカチを握りしめ小林の精悍な顔に熱い視線を送っても、「いいよ。そんなことしなくても」とさっとハンカチを取り上げてポケットにねじ込んだ。


「行き先は、動物園って言って出かけたのかな?」


「ううん、行き先は言わしまへん。どこ行くのて、聞いたんやけど……」


 アサの鼻にかかった甘えた声に、突然学生が横やりを入れる。


「男と外で、逢引だったんじゃないの? 客の男とよろしくやってたからさ」


「よろしくって?」


 小林が学生に問いただすと、アサが横を向いて、「川越かわごえはんは、噂好きやから」とこぼした。


 勝手にテーブルに座り、小林とアサのやり取りをじっと聞いていた学生は川越というようだ。


「まあ店ではツンってしてたけど、美人だしそういうのが好きな男もいるからさ。ひっかかった男と、店外で会っていろいろ貢がせてたみたい。なあ、おまえらもそう聞いたよなあ?」


 川越は、他の三高の学生に相槌を求める。三高生たちに口説かれていた色っぽい断髪の女給はいつの間にか、奥に引っ込んでいた。


「同じ三高の秋吉なんて、しょっちゅう会ってたみたいだ」


「秋吉以外にも何人も男に貢がせてたとか」


 口々に亡くなったみつの悪い噂を、喜んで披露してくれる。


「えっ? そうなんどすか。うちは添田さんから、みっちゃんと付き合ってるて聞いたけど」


 女給も噂に加わってくれて、小林にとってありがたい展開なのだが、どうにも後ろめたい気持ちになる。探偵とは人の裏側をみつける職業だ。わかっていても未だになれない。


 しかしこの話の先に糸口が見つかるかもしれないのだ。小林は薄い唇に力をこめると、添田とは誰かアサに訊いた。


「四条烏丸にある銀行に、お勤めしたはって。みっちゃん目当てに来てはった人です。こないだうれしそうに、話したはったのに。みっちゃんは、なんも言わんと恥ずかしそうにうつむいてたけど」


 アサの声に非難が混じっているのを、川越は見過ごさず同調した。


「みつさんは、アサちゃんと違ってしたたかだったんだよ」


 アサは、「そやろか」と言いつつかわいらしく指をあごに添える。みつと違うと言われて、はしゃいでいるのが声と表情に透けていた。


 なんともよどんだ空気の中、カランと乾いた音をたててドアが開いた。


 見ると、祖母と小さな孫というふたり連れだった。アサが「いらっしゃいませ」と声をかけると、白髪のまじった日本髪の祖母の表情が見る間にかたまり「間違えだ。こご出っぺ」と一言言うと、孫の手を引いてそそくさと出て行った。


「田舎もん丸出しだな。京見物に来て、ここを洋食屋だとでも思ったんだろ」


 川越は老女の言葉遣いを、みっともないことだとあざける。普通の洋食屋には、着飾った女給はいない。ここは祖母と孫が来店するようなところではないのだ。


 そういう店の女給が学生に貢がせ、銀行家と交際する。小林の内心を見透かしたように、川越は下卑た笑いを顔に張り付かせた。


「大人しそうな女が、裏ではあくどいことやってるって、定番じゃねえの。案外、秋吉が犯人だったりして。あいつ、陰気だったんだよな。この店来ても、一人で本読んでるようなやつだったし。みつさんのこと、恨んでたんだよ」


 川越が物騒な憶測を口にすると、連れの学生たちも賛同した。


「そういえば秋吉、最近学校来てないぞ。今日も来てなかったってことは、逃げたんじゃねえか」


「いやや、怖いこと言わんといて。この店のお客はんが犯人やなんて」


 アサがわざとらしくおびえると、三高の学生たちとは違う鋭い声が飛んできた。


「女給にふられた陰気な学生が、犯人って。単純すぎて面白みに欠けますね。殺人を犯すほどの情動には、もう少し複雑さが必要だと思いますけど」


 奥にひとりでカウンターに座っていた学生の客が、突然会話に割って入って来た。学生は振り返ると、ぱたんと大きな音を立てて持っていた本を閉じる。


 そして、不機嫌そうに切りそろえた髪を耳にかけた。

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