第20話:セラの夢
「あぁ……最高!」
セラはソノラの新作であるスライムASMRが録音されたイヤフォンを耳に装着し、うっとりとした表情を浮かべた。
次の試練までの休暇期間。ソノラはセラと約束通りに聖宮にてお茶会をしていたのだが……その際、セラにお願いされて新作のスライムASMRをセラにも体験してもらって今に至る。
「これが、スライムASMRなのね……! 魔物を使って心身を癒すなんで想像もつかなかったわ。湿っぽい音が入るとまた違う気持ちよさがあるのね」
「そうでしょそうでしょう!? おすすめのASMRなのよ! あと、蝋で固めたスライムをパリパリ砕いたり、スポンジに浸らせて切ったりするといい音がでるの~!」
第一の試練でのこともあり、すっかり打ち解けたソノラとセラ。いつの間にかお互いの口調が軽くなっていた。
マニアなASMRトークにもニコニコと楽しそうに相槌をうってくれるセラがソノラにとってどれほどありがたい存在か。学生時代にもこんな風にASMR……そもそも音魔法について話せる友人はいなかったのでついしゃべり過ぎてしまう。
「そういえばセラ様、第一試練の時は腕を治してくれて本当にありがとう。なにかお礼が出来ればいいんだけど……」
「気にしないで。……友達を助けるのは当然のことでしょう?」
友達。その言葉に胸が踊る。二人で顔を見合わせ、照れ笑いをした。
「凄かったわ、あなたの治癒魔法。皮膚がとけていた腕をあんなにすぐに治癒できるなんて! 相当の訓練を積んだのね」
「ソノラ様だってすごいわ。音魔法はなにかと偏見が多い魔法だけれど、自分の好きなことを突き通すのは誰でも出来ることじゃないのよ。そんなあなたに私は憧れてるの」
「憧れ?」
「えぇ。周りに流されない芯の強さがね」
「セラ様だって周りに流されているようには見えないわ」
セラはうつむいた。彼女のティーカップを持つ手がきゅっと力が入ったのが見える。
「私ね、本当は夢があるの」
「夢? いいじゃない! どんな?」
「……王宮治癒師になりたかったの」
セラの声はか細かった。まるでそれを聞かれてはいけないと無意識に思い込んでいるようだ。
王宮治癒師といえば、先日の第一試練のシュタミカ村防衛隊の中にも数人いた。国の災害や緊急事態時には前線で人々を治癒する重要な職である。
「家族は私をとても愛してくれてるわ。お父様もお母様も、お兄様も。だからこそ緊急時には現場にいって働かなければいけない王宮治癒師になりたいなんて言えなかった。猛反対されるのが目に見えていたから」
「…………」
「そして自分の夢を言えないまま、私は今ここにいるの。本当は、王妃になりたくない。私は──どんなに危険でもかまわないから、できるだけ多くの人を救える治癒師になりたいの」
セラの瞳からポロポロと涙がこぼれた。セラ自身、驚いたように目を丸くする。ソノラは慌てて綺麗なハンカチをセラに手渡した。
「ずっと胸の内に隠していたから、一緒に涙も出てきちゃったのね」
「ご、ごめんなさい……! 悲しいわけではないのよ? でも、自分が情けなくて……。私もソノラ様みたいに本当の自分を素直に表に出せる強い女性になりたいわ……」
ソノラは黙ってセラの背中を撫でる。そうすると、セラの口から次から次に言葉が溢れてきた。止まらないのなら、このまま吐き出してもらった方がいいだろう。
「両親は私を王妃にしたいみたい。そ、それが一族の悲願だからって。加えて祖父が戦死していることもあって、特に父は家族が前線に行くのを恐怖しているのっ」
「そうなのね。お父様のその気持ちはとってもよく分かるわ」
「えぇ、そう。私もよ。でも、それでも、私は──」
──守ってもらうだけじゃ嫌。私自身が人々を守りたいの!!
セラは今までソノラが聞いたこともないような大きな声でそう言った。ずっと言えなかった想いを吐き出した反動なのか、息を荒げ、頬を伝る涙をそのままに、ただただ呆然としている。
ソノラは彼女の背中を撫でたまま、微笑んだ。
「今の気分はどう?」
「……私、自分がこんなに大きな声が出せたなんて知らなかった。本音を言えるって、いいわね! こんなことを言えるのはソノラ様だけよ」
「ふふ。私もASMRについてこんなに楽しく語ることができるのはセラ様だけ」
セラはソノラから受け取ったハンカチで顔を拭き、ググっと伸びをした。どこか目の輝きが増し、肌のツヤがよくなっている気がする。
「あぁ! すごく清々しい気分! 私、ついに自分の夢を言っちゃったのね!」
「そうでしょうね。見てわかるわ。これからも定期的に今みたいな“本音会”やりましょう」
「本音会。いいわね。素敵!」
そんな時、来客を知らせる鐘の音が聞こえた。
しばらくするとセラの従者が客間に入ってくる。
「セラ様。雷姫ボルテッサ様がお越しになっておられます。ぜひセラ様をお茶会に誘いたいと」
「……そう。お通しして頂戴」
すっと表情を変えるセラ。今までの笑顔はどこへやら、“聖姫”である彼女の無表情が再び戻ってきた。その切り替えの早さにソノラは感心する。
すると十秒も経たないうちに客間に現れるボルテッサ。その後ろには背の高い護衛を従えていた。彼女は上品な笑みを浮かべていたが、ソノラを見るとピクリと片眉を吊り上げる。
「あらあら、第一位と第二位の王妃候補様が揃ってらっしゃるとは思いませんでしたわ。流石は王妃選定上位のお二人。余裕が違いますわね」
「いえ、それほどでも」
セラは無表情のまま、そう短く答えた。ボルテッサはその冷静な返しにひくひく口角を痙攣させる。地獄のようなその場の空気にソノラは苦笑するしかない。
「ボルテッサ様。大変申し訳ございませんが、私は御覧の通りソノラ様とお話しておりますの。今日の所はご遠慮してもよろしいかしら」
「えぇ、そのようですわね。残念ですが諦めますわ」
ボルテッサの瞳がジロリとソノラに向けられる。その稲妻の如き強い視線にソノラは体に力を入れてしまう。
「……そのうち、ソノラ様ともお茶会がしたいわ。ぜひご教授いただきたいわ。陛下すらも虜にするソノラ様の見事な
「はぁ……」
分かりやすくソノラを鼻で笑い、踵を返すボルテッサ。セラが不快そうに眉を顰めたので「大丈夫よ」とアイコンタクトを送った。
しかしここでソノラは再び強い視線を感じる。ボルテッサではない。ボルテッサが連れている高身長の護衛からだ。
(──あら?)
ソノラはそこでハッとする。
よく見ると、その護衛の瞳が深紅の輝きを帯びていることに気づいたからだ。しかしすぐに護衛はボルテッサ同様に部屋を後にした。
疑惑がぬぐい切れないソノラは思わずその後ろ姿を追う。
「あの!」
気づけば彼の腕を掴み、声をかけていた。青年はソノラに振り向き、優しく微笑んだ。女性であれば誰もが虜になってしまいそうな甘いマスクだというのに、どこか身体の内側がゾワリとしてしまうのは何故だろう。
「なにか御用でしょうか、音姫様」
「いや、今……」
ソノラは至近距離で彼の顔をよく見たが──護衛の瞳は灰色だった。先程までの深紅の頬がまるで燃え尽きてしまったようだ。
勘違い。ソノラは恥ずかしさで顔を赤らめ、慌てて謝った。そんなソノラを睨みつけるのは青年の後ろから出てきたボルテッサだ。
「ちょっと! 私の従者にまで色目をつかわないでくれる?!」
「そ、そういうわけでは……」
「ふんっ」
そうソノラを睨みつけ、プンプンと去っていくボルテッサ。護衛は困ったように笑い、ソノラに頭を下げた。
「主人が大変申し訳ございません。僕はコランと申します。また機会があればぜひお話させてください。では、失礼します」
「あ……」
ソノラはもう青年──コランを止めることはできない。どこかざわざわと騒ぐ違和感を抑えるように胸に手を置いて、彼の後ろ姿を見守るだけだった……。
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