第19話:煽情

 さっそくソノラのベッドに横になったライゼル。

 ソノラは引き出しから疑似耳を取り出し、さらに──ポケットから小瓶を取り出す。その中には……たぷんたぷんと揺れる、緑色のスライムの体液が入っていた。寄生スライム襲撃後、スライムを処理をしている村人達に頼んで送ってもらった代物である。そのまま素手でスライムに触ることは勿論できないので特殊な厚い皮手袋を装着した。ちなみにこれもシュタミカ村から送ってもらったものだ。

 準備万端。さっそくスライムの体液を──擬似耳に擦り付けた。


 くちゅっ


「っ……!!」


 ライゼルがベッドでビクリと体を震わせる。


「そ、ソノラ……これは……」

「スライムは本来、皮膚に触れさせてはなりませんが……ASMRだと実際に触れているわけではありませんから、こういう音も体験できます」


 恍惚としたソノラの表情を見て、ライゼルは今の彼女を「止められない」ことを悟る。大人しく枕を抱きしめ、ソノラから与えられる音の快楽を享受するしかない。


 ぐちゅっ……ちゅぷっ……


「あっ……! んんっ……くっ……」


 スライムが自分の耳に侵入してきた疑似的な音に声が出てしまう。ASMRにはもう慣れてきているはずだというのにこの水音は慣れる気がしなかった。

 ライゼルは恥ずかしくなり、声が漏れないように口を押さえる。顔に熱が集まっていくのが分かった。

 一方ソノラはそんなライゼルに興味津々のようで、新しいASMRにライゼルがどんな反応をするのか熱心に見つめてくる。それが余計にライゼルの羞恥心を煽るのだ。

 

「うん、いい音ね。じゃあ、鼓膜を塞いでいきますね」


 ぎゅううぅぅ……


 ソノラの声と同時に閉塞感のある音がイヤフォンから聞こえてくる。耳を柔らかいもので塞がれた時の圧迫感を鼓膜で感じた。

 スライムに耳を覆われるという未知の音、未知の体験だというのに……どうしてこうも心地がよい。

 水に耳を沈めている音に近いが、スライムの粘着性からより圧迫を感じる。たぷたぷとソノラの指がスライムを弄ぶ度に疑似耳に張り付き、鼓膜をブルブルと刺激してくる。

 その刺激によって、だんだんと耳だけじゃなく脳までスライムに侵されている気分になってきた。


「次はスライムの上からお耳をマッサージしていきます……」


 粘液で濡れた耳が、ソノラの手により揉まれていく。くちゅりと細い指が(手袋越しではあるが)自分の耳の淵を優しくなぞった。

 ライゼルは枕に顔を埋め、歯を食いしばる。


「ぐ、ぅ……っ、っは、」


 いる。確実にいるのだ、スライムが。耳たぶを堪能された後、くちゅくちゅと鼓膜を舐められている気分だった。

 ひときわ大きな水音の波が鼓膜を揺らす。思わず脳から全身に稲妻が走ったかのようにのけぞりそうになった。


 ──くそっ! ただの指耳かきでも限界だというのに!


 そんなライゼルにはおかまいなしに、粘膜の水音がソノラの指に合わせてライゼルの脳を未だに揺らしていく。水音が加わるだけでどうしてこんなにも刺激が強くなるのだろう。ぞわぞわと快感が背中に走る。

 それに……なんだか……


「ライゼル様。次は耳たぶの方を揉んでいきますね。力を抜いてください。私がさせてみせますから……」


 スライムの湿った水音のせいか、ソノラの囁き声もやけに煽情的に聞こえてしまう。顔どころかライゼルの全身に熱が回っていく。耳が性感帯にでもなった気分だった。


 ──駄目だ、スライムの音が、なんだか、そういう行為の音に聞こえてきた……いかん、ソノラは余を癒すためにやってくれているんだ!


 ライゼルの脳裏にぺろりと妖艶に唇を舐め、ライゼルに迫るソノラの幻想が思い浮かんでしまう。

 

「ライゼル様、、ですか……?」

「────ッ!!!!」


 ソノラのその声が、ライゼルの頭の中で生まれた妖艶なソノラの声と重なった。

 その瞬間、もう限界だとばかりにライゼルは手を挙げた。これはライゼルがソノラに手を止めてほしい時の合図である。


「そ、ソノラ……! すまない! このASMRは余には少々刺激が強いようだ……!!」

「えぇ!? も、申し訳ございません! 気持ちよくなかったですか……?」

「いや、気持ちよかったんだが……その、やけに妖艶というか、なんというか……とにかく刺激が強いんだ! す、スライムなしの指耳かきにしてくれるか?」

「わ、分かりました」 


 ソノラの純粋な瞳にライゼルは唇をきゅっと結ぶ。しゅんと俯くソノラに罪悪感を覚えないでもないが、あのままスライムASMRを聴き続けていると変な気分になってしまいそうだった。


 ──全く、ソノラには調子を狂わせてばかりだ。


 そんなことを心の中で呟き、苦笑していると、ソノラの囁き声が聞こえてきた。ドキリと鼓動が反応したのは気づかないフリだ。女性の声だけで胸を躍らせてしまうなど、思春期の子供でもあるまいし。


「ライゼル様、指耳かき始めていきますね……」


 彼女の、第一試練のキールの例えを借りるならばそよ風のような囁き声が脳に沁みる。正直今まで体験したASMRの中で一番ライゼルが好むのはやはりソノラの囁き声だった。

 彼女の、ただただライゼルの休眠を願う健気さが伝わってくる優しい声が大好きだ。


 ──王妃選定がひと段落すれば、余はより重い責務を背負っていかなければならなくなる。想像するだけで頭が痛くなりそうだ。

 ──だが、そんな時にソノラがいてくれたら……なんて考えることがある。

 ──こうして余を癒してくれるだけじゃない。ソノラなら共に民を慈しみ、愛してくれるはずだ。自分のことよりも他人を優先してスライムに手を突っ込んだり、危険をかえりみないのは感心しないが……。


 カリカリ……カリカリ……


 固い粘土の皮膚を掻く音が聞こえてくる。チラリと横目でソノラを見ると、なんとも満足そうな笑顔。ライゼルはこっそりその笑顔を盗み見ることが好きだったりする。

 次第に重くなる瞼。とろんと思考を止める。ASMRのいいところは王の責務だとか、明日の執務だとか、全てを忘れて音に集中させてくれるところだ。

 思考を丸裸にして、音だけの世界に沈めてくれる。ソノラが織りなす、優しい音だけの世界に。


 ……明日も、頑張るか。


 ライゼルはそのまま眠気に身を任せ、ゆっくりと眠りにつく。その寝顔は炎帝の彼とは思えないほど安らかで穏やかなものだった……。

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