第15話:黒い竜

「ソノラ様は陛下をどう思っているのですか?」


 グリッドウルフの群れを退いてから引き続き見張り中、若い兵士からの突然の質問にソノラは首を傾げる。


「どうって……素晴らしい方だと思うわ。あんなに毎日民のために働かれて……」

「そうではなく。男性としてどう思われているのでしょうか?」

「あっ、それは俺も知りたいです!」

「俺も俺も!」


 周囲の若い兵士達はソノラに期待の眼差しを向け、その答えを持つ。ずっと緊張していても心身の疲労が溜まってしまう。少しくらいの雑談も仕方ないだろうとソノラはふと頭の中でライゼルの笑顔を思い出す。

 彼と出会っていなかった頃はまだ「炎帝」としての彼しか知らなかった。だが、今は……


 少年のように笑ったり泣きそうになったり、ソノラの耳かきで顔を真っ赤にしたり……そんな意外な一面も見せてくれるライゼル。加えて彼はソノラの音魔法を応援してくれる数少ない人間でもある。


 ──『君の声は心地よい。ずっと聞いていたい』


 そんな恥ずかしい台詞を思い出し、ソノラは顔に熱が集まるのを感じた。


「ソノラ様? 随分と顔が赤いような……」


 ニヤニヤとにやける周囲から顔を両手で隠す。


「もう、からかわないでっ! も、勿論陛下は男性としてもとっても魅力的な方ですっ! そんなことよりも見張りに集中しなさいっ!」


 ソノラの正論に慌てて配置に戻る兵士達に「まったく!」と肩を竦める。


 ……するとその時だ、集音魔法を施した片耳が何かの音を察知した。ソノラは素早くダングの名前を呼ぶ。


「ソノラ様! 何かありましたか?」

「なにか音がするわ。一つじゃない、色んな所から複数。なんの、音……? これは……」


 先ほどの狼達のような足音も聞こえるし、ずるずると何か重たいものを引きずるような音もする。

 一種類の魔物の群れではないのは確かだろう。ソノラは嫌な予感がした。


「狼だけじゃない! スライムらしき足音もあるわ! とにかく数が多い! 臨戦態勢をとって!」


 ソノラの言葉をダングが復唱する。その場に戦闘時特有の緊張の糸がピンと張った。

 再び暗闇の中から、複数の瞳の輝きが浮かび上がる。酷い腐臭が鼻腔を刺激した。


(あれって……アンデッド!?)


 そう。現れた獣達の種類は様々だが、共通点があった。どれも生きているはずがないほどの酷い重症を負っており、中には首なしの魔物もいた。


「な、なんだぁ……!? アンデッド? いや、これだけ色んな種類が同時にいるとなると……死体に寄生した寄生スライムか!?」


 ダングの推測はおそらく当たっている。寄生スライム。非常に強い魔力が発生する地域──魔力がこもり易い洞窟にしか繁殖しないはずの希少な魔物だ。そんな魔物が群れで村を取り囲んでいる。明らかな異常だった。

 ソノラは昂る胸を抑えながら、魔法陣を見る。音波魔法の魔法陣は紫の輝きを帯びていた。つまり音波魔法は絶賛発動中というわけだ。しかし獣達には効いている様子がない。


(スライム自身には聴覚はなく、魔力感知で動いていると聞くわ。死骸なら聴覚も機能していないでしょうし……つまり私の音波魔法は役立たずってことね!)


 獣達が一斉に防壁へ襲い掛かってくる。ダングの掛け声と共に一斉に防衛隊達の魔法や矢がそんな獣達を迎え撃った。ここまで近づかれてしまうと、もうソノラにできることはない。キールがソノラの腕を引いた。


「ソノラ様! 私達は集会場へ戻りましょう!」

「分かったわ!」


 これ以上役に立てないのは心苦しいが足手まといになるのはもっといけない。ソノラは大人しくキールに従った。

 しかし、ソノラ達が逃亡する背後で、狼達に動きがあった。


「おい! 死体からなにかが飛び出してきて!! うわあああ!!」


 もう用済みとばかりに高く飛んだ魔物達の口から緑色のスライムが飛び出してくる。そんなスライムに覆われ、何人かの兵士が絶望の声を上げた。

 寄生スライムは狡猾だ。故に、その場で一番華奢な獲物を狙う。


 ……そう、獲物はソノラだ。


「ソノラ様、危ないッッ!!」


 キールがソノラの背を押した。ソノラはなんとか転倒せずに済んだが、振り返ってみると寄生スライムがキールに覆いかぶさっている。スライムには強い酸を持つ個体もおり、キールの背中が焼けているような音と匂いがした。


「キールッ!!」

「私のことはかまいません! すぐに集会場へ、ごぼっ!!」


 スライムはキールの口から彼の体内へ侵入しようとする。あまりに衝撃的な光景にソノラは口を押さえて、足が震えた。逃げなくてはと分かっているが、動けない。


(動け! 動きなさい、私ッ!!)


 迷っている時間はない。目の前の命を救う努力をせずして逃げるわけにもいかない。

 ソノラはスライムに手を勢いよく突っ込み、その丸い核を地面に思いきりぶん投げ、砕いた。核のないスライムの体液はそのままキールの背中で微動だにしなくなる。すぐにドレスの裾を破り、体液を拭い捨てた。

 既にスライムの酸で焼かれたソノラの右手に激痛を感じたが、そんなもの今はどうでもいい。キールは背中を焼かれた激痛で気絶しているものの、息はあった。そんな彼をどうにかして運ぼうとしたソノラだったが──


 べちょり。


 上空から緑の液体が起きてきた。奇跡的にソノラの頭上に落ちなかったが、もう一歩踏み込んでいたら直撃だっただろう。上を見ると、鳥型の魔物に寄生していたスライムがソノラとキールにめがけて飛び掛かっているではないか。


「嘘!? そんなの、避けられない……!」


 ソノラは咄嗟にキールの身体に覆いかぶさり、目を瞑る。




「──ソノラッッ!!!!」




 聞いた声のある、ひどく焦った声が聞こえた。ソノラは思わず目を開く。


 いつの間にかソノラに飛び掛かっていた寄生スライムは消えていた。代わりに現れたのは黒い竜だ。黒い炎の竜が周囲のスライムを喰らい、燃やし尽くしていく。スライム達が蒸発する音が彼らの叫びのように聞こえた。

 周囲のスライムをあっという間に喰らい終わった黒竜とふと目が合う。その竜の瞳にソノラは得体のしれない恐怖を感じ、全身の鳥肌が立った。


「ソノラ、無事か!?」


 見つめ合って数秒後、ソノラが名を呼ばれた瞬間、黒竜はふっと空気に溶けて消えていった。

 ソノラは気づけば何者かに包まれていた。逞しい胸筋がソノラの顔を潰す。

 顔を上げれば、見慣れた深紅。その時、ソノラはようやく全身の力を抜き、涙が溢れそうになった。


「ライゼル、陛下……」

「ソノラ、よかった……!!」


 ソノラはそこでようやく自分がライゼルに抱きしめられていることに気づく。それと同時にライゼルの身体が震えていることにも。


「黒い、竜が、君を喰らう前で……本当によかった……ッ! 黒い竜が、また、余の大切な者を……ッ!!」


 ライゼルはそんなことをぶつぶつと呟いている。当然周囲はそんなライゼルを困惑した表情で見ていた。その視線にソノラは気づき、ぺちぺちとライゼルの頬を叩いた。自分よりも恐怖を感じている人間の前にして、冷静さを取り戻したのだ。


「陛下! もう黒い竜はいません! 大丈夫です。だからどうか、落ち着いてください」


 そう優しく声を掛けると、ライゼルはハッとして、ソノラから離れた。息を整え、小さく「すまない」とソノラに呟く。

 彼が正気に戻ったことに安堵し、胸を撫でおろした。


 ライゼルが助けにきてくれた。しかも皆の前で強く抱きしめられてしまった。ようやく冷静になったソノラの脳がそれを理解し、途端に全身に熱が回る。

 ドッドッと鼓動がうるさい胸を抑えて、彼を見上げた。


「た、助けてくださりありがとうございます」

「あぁ。君が無事で本当によかった。……正直、気がおかしくなってしまいそうだった。心配で、黒い竜の出現を許してしまうくらいにはな……」

「え? 最後の方、なんておっしゃいましたか?」

「いや、独り言だ。気にしないでくれ」


 ライゼルが誤魔化すように顔を背けた時だ。ソノラを呼ぶ声がもう一つ。セラだった。


「ソノラ様ッ! 手が!」

「セラ様、」


 いつも冷静な彼女が珍しく真っ青な顔でソノラに駆け寄ってきたのだ。セラが無事だったことにも安堵しつつ、ソノラは酸で真っ赤に腫れている手を背中に隠した。


「セラ様。私は大丈夫ですわ。それよりもキールを、そこに横たわっている護衛を先に! 彼の背中の方が重症なのです! お願いします!」

「もう、貴女って人は! ひとまず分かったからその場から動かないでくださいまし! この方の治療を終えたらすぐに治しますから!」


 セラがキールに治癒を施している間、ライゼルは「防衛隊長と話してくる」と言って足早にダングの下に行ってしまった。

 その後ろ姿を見守りながら、ソノラの脳裏に浮かぶのはあの黒い竜だ。


(あの黒い炎は……陛下の炎魔法よね? でも陛下はあの竜を恐れているみたいだった。自分の魔法が怖い……? そんなことあるのかしら?)


 そんなほんの少しの疑問を抱えて、第一の試練は幕を閉じたのだった。

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