第10話:安らぐ場所
「ソノラ様、流石にそろそろお眠りになられては? ライゼル陛下からの依頼も無事に達成したんですし。寝不足はお肌によくないですよ」
「そうね。そろそろ寝るわ」
黄金宮から音宮に帰ったソノラは寝る前のオレンジティーをフランと共に嗜んでいた。
そんな時、突然の訪問を知らせる鐘の音。二人は顔を見合わせた。こんな時間に訪問する人間なんて、一人しか知らない。
「へ、陛下!? どうして!?」
「ソノラ嬢、すまない……」
扉の外にいたライゼルは非常に弱っている様子だった。フラフラして、ずっと立っていられないようだ。相当疲れているのかもしれない。ソノラはすぐにライゼルを支え、ベッドに寝かせた。
「陛下、また隈がこんな濃く……」
「すまない、薬を飲んでやり過ごしていたのだが……。こんな情けない姿を見せてしまうとは……うっ」
苦しそうに唸るライゼル。ソノラは思わず彼の手を握ってしまった。
「私が今まで陛下を迷惑などと思ったことなど一度もありません! むしろ感謝しているのです……」
「感謝、だと?」
「はい。陛下が私の音魔法を褒めてくださってから、私の胸は誇りでいっぱいなのです。だから私にできることがあればなんでも言ってください。陛下に頼ってもらえる度に私はこの国にとって価値があるんだと自信がもてるようになるんですから」
「…………、」
これは、ソノラの本音だ。思えば前世でASMR配信を始めたのも、誰かの睡眠の手伝いをしたかったから、誰かの為になりたかったからだ。
それが今は転生して、国王の睡眠導入の手伝いという大仕事を任されている。これが誇れないわけがない。こんな冴えない自分でも、誰かの為になれるなんて!
「君は、本当に……」
ライゼルはそれだけ呟くと、ソノラを真っ直ぐ見上げる。その炎帝らしくない、泣きそうな少年のような瞳にソノラは胸が昂った。
「……ソノラ嬢。お願いがあるのだが、」
「はい、なんなりと」
「歌は歌えるか?」
「歌、ですか?」
ソノラは瞬きを繰り返す。
(歌……。まぁ、自信がないと言えば嘘になる。これでも前世では子守歌ASMRも週に一回は配信していたし、周年記念配信には歌ライブもやっていたし……。ボイストレーニング、必死に頑張ったからなぁ)
すぅっと息を吸い、ソノラは試しに歌ってみることにした。それは、子守歌だ。ソノラのセレニティ領では好評だった、ソノラオリジナルの子守歌。実は前世の愛澄いちとして作詞作曲したオリジナル曲を自分なりにアレンジしたものなのだが……。
ライゼルの頭痛に響かないように、囁くように小さく歌う。ライゼルは目を閉じて、それを聴いた。
ライゼルはほぅ、と息を吐き、体の力を抜く。ソノラの声はライゼルを突き刺してこなかった。ライゼルの耳にそっと優しく入ってくる。母親に頭を撫でられているような心地よさを感じた。初めて聞いたソノラの歌声にライゼルは聞き惚れるしかできない。先程まで暴れていた鼓動が今では何事もなかったかのように穏やかになっている。とろんと、瞼が重くなってきた。
子守歌だからか、歌自体は長くない。ソノラが歌い終えると心地の良いしっとりとした余韻がライゼルと包んだ。
「落ち着きましたか?」
「あ、あぁ。歌を習っていたのか?」
「えぇ、まぁ……昔の話ですが」
昔、というか前世。という補足はソノラの心の中にしまった。
「……好きだな」
「えっ」
ライゼルは笑っていた。心から。その微笑みにソノラは目を丸くする。
「君の声はとても優しくて、美しくて、心地いい。この先ずっと聞いていたいくらいだ」
ソノラの頬が熱くなる。ライゼルもハッとなって顔を赤くした。
「ははっ! ま、まぁ、そ、そんなことできるわけないがな! ソノラ嬢の喉が枯れてしまう! ははは!」
「で、ですよね……あはは」
ぎこちない笑いの後は、きまずい沈黙が二人の間を佇む。
先に口を開いたのはライゼルだった。
「母上はどうだった?」
「はい。ぐっすりお眠りになりましたよ」
「そうか。ありがとう、
「ッ!」
「すまない。これから二人きりの時はソノラと呼んでもいいだろうか。余のこともライゼルでいい。恩人に陛下と呼ばれるのもなんだかな……」
「う……わ、分かりました。私のことは勿論お好きにお呼びください! 私は……これから陛下のことは、らっライゼル様とお呼びします。ライゼル様が許す限りは」
「あぁ。その方が余としても気楽でいい」
嬉しそうに微笑むライゼル。その子供のような笑顔がソノラは好きだった。思わず見惚れてしまう。
ライゼルはハッと何かを思い出したようにそっと立ち上がる。
「すまない、そういえば仕事が溜まっていたんだった。すぐに執務室に戻らねば」
「えぇ!? お休みになってください! でないと、また……!」
「ふむ、たしかにその通りだ。だが今積みあがってる仕事はどうしても今夜中に終わらせなければならない。しかし、その後にここに戻って君に迷惑をかけるのもな……」
ライゼルはチラッとソノラの机の上にある疑似耳を見た。
「ソノラは確か、色んな音を保管しているんだったな」
「へ? あぁ、はい」
「君の囁き声を保管したものはあるか?」
「えぇ!? な、ないですよ! 自分の声は流石に恥ずかしいです……」
「ふふ。そうか、残念だ。ならば今は君のおすすめの音を余に貸してくれないか? 勿論、大切に肌身離さずに持っている。そうすれば君に迷惑をかけずに余も眠れるだろう」
「それは……構いませんが……おすすめですか」
急におすすめのASMRと言われても選べるわけがない。しかし、ライゼルをずっと引き留めるわけにもいかず、ひとまず王道の耳かきの音を保存したイヤフォンをライゼルに渡した。
「これを。いつもの耳かきの音が入っています。イヤフォンに刻まれたこの印に触れると、音の再生と停止ができるようになってます」
「助かる。それで次は……君さえよかったらの話だが、余のために君の声が聞こえるイヤフォンも用意してくれるか?」
「私の声ですか?」
「あぁ。さっきも言っただろう? 君の声は心地よい。ずっと聞いていたい。君の声が保存されたイヤフォンがあれば、いつだって聞き放題なんだろう?」
(な、ななななな何を言ってるの、この炎帝は……!!)
ソノラは次第に顔が熱くなっていくことに気づいた。しかしライゼルは至って真面目に言っているようで、「うむ、最高だな!」と自分の名案を誇ったような顔をしていた。
「ではな、ソノラ。本当に有難う。……いい夢を」
パタン。ソノラの私室のドアが閉まった。部屋の隅で存在を消していたフランがそろりそろりとソノラに近寄っていく。面白いものを見たとばかりにニマニマを笑みを浮かべながら。
「いやぁ、炎帝陛下もやりますねぇ……! しかも今のって無自覚で口説いてますよね!?」
「ふざけないでフラン……。心臓に悪いわよ、あんなの!!」
「うわお、ソノラ様顔真っ赤! 今まで研究ばっかりで男性への耐性がないですもんね」
「うるさーいっ! とりあえず今から寝るから! フラン、準備してくれる?」
「はいはい。まずはオレンジティーで濡れた寝間着の着替えですねぇ……」
フランがバタバタと着替えを録りに行ってくれている間、ライゼルの笑顔を思い出し、ソノラはまた鼓動が早くなるのを感じた。
(恥ずかしいけれど、あんな顔をされてしまったら……。明日からさっそく陛下専用のイヤフォンの製作に取り掛からないと)
瞼の裏には彼の笑顔と、鼓膜には彼の言葉が張り付いて離れない。
どうやら今夜はソノラの方がすんなりと眠れそうにないようだ……。
***
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