第9話:雷姫襲来

 ソノラが黄金宮にてフィアメールと対面している頃。ライゼルはというと、執務室にて大量に積み上げられた書類に目を通していた。

 ふと手を止め、窓の外をぼんやりと眺める。もう既に外は暗い。


「彼女は、今頃黄金宮か……」


 ふと気になって窓に近づき、黄金宮を見下ろす。夜の闇こそ黄金宮の輝きが際立ち、美しい。あそこには病床の母がいる。ライゼルは眉を顰めた。


「ソノラ嬢は上手くやってくれているだろうか」


 ため息をこぼし、閉じた瞼の裏に思い浮かぶのはソノラの裏表のない笑顔だ。

 ライゼルのソノラへの第一印象は良く言っておしとやかな、悪く言って地味な普通の令嬢だと思った。


 だが、大好きなものASMRについて語る彼女は──それはもう心から楽しそうで、幸せそうで──こんなに自分の“好き”を曝け出してくれる女性は、初めてだった。

 いつも自分にすり寄ってくるのは嘘で塗り固められた女だけ。ボルテッサもエアリスもマリーナもそうだ。セラは──非常に優秀だが、彼女もまた氷のような無表情で本当の自分を隠している。


 ソノラだけだ。彼女だけは素の自分で接してくれる。初対面のあの夜、睡眠導入の手伝いをしたいという提案を受けたのは相手が彼女だったからなのだろう。

 裏表のない素直な彼女だからこそ、素の自分をさらしてくれる彼女だからこそ、フィアメールも彼女を気に入ると思った。彼女なら母を癒してくれるだけではなく、良き話し相手になってくれるだろうと。


「……情けないな、本当に」


 ライゼルは額を右手で覆った。


 すぐ傍にいるというのに、唯一存命の肉親である母が苦しんでいるというのに、自分は何もできない。

 いや、むしろ母は苦しんでいるのだ。会ってはいけない。顔を合わせる資格がない。俺は、あの人の──一番大切なものを奪ったのだから──。


 目を瞑れば、真っ先に思い出すのは自分の体から湧きだす黒炎。暴走し、手に負えなくなった黒い竜。


 次第にライゼルの鼓動が、早まる。


 ……あぁ、また発作だ。

 ライゼルは喉を抑え、なんとか酸素を吸い込もうとする。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、その場で壁に身を預け、楽な姿勢になった。


「しばらくはまた薬生活だな……」


 胸元から取り出した小瓶を眺める。この小瓶に入っている液体は強力な睡眠薬だ。ソノラが来る前はこの薬の力を頼ってなんとか眠っていた。しかし頭痛や眩暈、倦怠感等の副作用がひどく、好きではなかった。だが、この薬がなければ思い出してしまうのだ。


 ライゼルが最も恐れている、あの黒い竜を──。


 そんな時、だった。ノックが聞こえる。「入れ」と声を掛けると、ガイアの代わりに部屋の前に立っていた従者が恐る恐る部屋に入ってきた。


「国王陛下。執務中に申し訳ございません」

「構わん。どうした?」

「ボルテッサ様が今夜も……その、」

「あぁ」


 ライゼルは思わず大きなため息をこぼす。


 ボルテッサ・エレクトラ。王妃候補第二位に抜擢される優秀な令嬢。だがその強引さが好みとは真逆の女性だ。尤も、そんな強引さも王妃には必要な素質なのかもしれないが……。

 しかし彼女の父親は亡き父の親友でもある。故に彼女の申し出は国王であるライゼルであれど断りにくい。いつもは何かと理由をつけてガイアに追い払ってもらっているが、今日はその彼もいない。今日だけはいいか、とライゼルはボルテッサを仕方なく通すことにした。

 念のために護衛も部屋の中に入れ、監視してもらう。正直ボルテッサのことはあまり信用していない。


「夜分遅くに申し訳ございません、陛下」

「いや、かまわない。ただまだ執務中でね。あまり時間がとれないのは理解してほしい」

「勿論でございますわ!」


 夜分遅くに、というにはあまりにも眩しい恰好だ。今の彼女は王城の舞踏会にいてもおかしくないような華やかな格好をしており、化粧も髪も完璧に飾られていた。ライゼルはその鮮やかな黄色のドレスに無意識に両眉を寄せ合った。


「それで、一体どんな用なんだ?」

「はい。まず、陛下に謝罪を。私達の初対面の時、私がいくらか揉み療治をさせていただいたと思うのですが」


 ピクリ。ライゼルの体が反応してしまう。例の夜のことを思い出し、思わずひくりと顔を歪ませてしまう。今すぐにでもボルテッサを部屋から追い出したくなったがなんとか耐えた。


「実はあれから専門の教師を雇い、さらに腕に磨きをかけましたの。そして陛下の体をより癒せるように、恥ずかしながら歌も習っておりまして……」

「ほ、ほう?」

「陛下はご多忙の身。さぞや心身の疲労がお辛いでしょう。さぁ、陛下。どうか私に身を預けてくださいまし」


 ボルテッサの手がもみもみと動きながら、ライゼルに迫る。ライゼルはその手をスルリと避けた。

 しかしその時、激しい頭痛がライゼルを襲う。薬の副作用によるものだろう。よりにもよってこんな時に、とライゼルは心の中で舌打ちをする。


「ッ……も、申し訳ないがボルテッサ嬢。余は体に触れられるのは好きではない。残念だが今回は歌の方だけ、お願いできるか?」

「えぇ、勿論ですわ!」


 ボルテッサがパァッと顔を輝かせて、立ち上がる。彼女が離れてくれたことにライゼルはホッと安堵してしまった。


 それから彼女は自信満々に歌ってはくれたのだが──歌声はなんというか、強烈だった。

 下手というわけではない。歌を習っているだけあって、護衛の騎士も彼女の歌声に聞きほれているほどだ。しかし、ライゼルにとっては……あまり気持ちのよいものではなかった。自分を主張しすぎている。もっと私を見て、もっと私の歌を聴いて、そして私の虜になって。そんな彼女の欲望が、真っ直ぐ鼓膜を突き刺してくるような声だった。


 頭痛が酷くなる。あまりに酷い。もう我慢できない!



 そんな時、ライゼルの脳裏に思い浮かんだのは──ソノラだった。



「ボルテッサ嬢。急用ができた。失礼する!」

「あっ! 陛下!?」

「護衛はボルテッサ嬢を丁重に雷宮まで送り届けるように!」


 ライゼルはそう言い残してその場を去った。ボルテッサはその後を追おうとするが、護衛に阻止された。そしてボルテッサはライゼルが足を向けた先が──音宮がある方向だと気づく。思わず爪を齧り、わなわなと体を震わせた。


「ソノラ・セレニティ……! あの、下品女ぁ……!!」


 ボルテッサの鋭い瞳はライゼルが消えていった方向を捉え続けていた……。

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