第8話:音の記憶
懐かしい夢を見ているようだった。
愛しい夫と初めて出会った日の夢。まだ王妃候補として王城生活に慣れていない頃。庭に落ちていた小鳥を巣に戻すため木に登っていた。令嬢らしからぬ行動に従者達が真っ青になっている中、彼は現れた。その時の彼のポカンとした間抜け面を見たのは後にも先にもこの時だけだ。
彼──前王フレイムハートとの出会いの記憶。
いつの間に、思い出すことをしなくなったのだろう。いや、きっと思い出すまいとしていたのだ。もう二度と彼に会えないのだと考えたくなかった。
この鳴き声は、聞こえてくるさえずりは、あの時の小鳥のもので間違いないだろう。この風の音もそうだ。初デートで夫と駆けた草原を思い出す。
水の音も聞こえてくる。王妃候補時代、よく庭の噴水の前で逢瀬を重ねていたことを思い出す。穏やかな噴水の音が響く中、体を寄せ合い、互いの熱を交わらせていた。
……嗚呼、久しく聞けていなかった、外の音だ。
前までは当たり前のように聞いていたはずなのに……こんなに心地よくて、愛しいものだったなんて知らなかった……。
***
「王太后様?」
ソノラは不安げにフィアメールの名を呼んだ。なぜなら彼女が泣いていたから。
フィアメールは我に返り、涙を拭うが、情けない吐息が漏れてしまう。
「……っ、……ソノラさん以外は、退出なさい」
フランやガイア、王太后付きの侍女たちが慌てて部屋を出ていく。ソノラは顔を青ざめた。「炎帝を喘がせた女」の次は「賢母を泣かせた女」になるかもしれない。すぐに頭を下げる。
「も、申し訳ございません! ご不快にさせてしまったのでしょうか!」
「いいえ、違うわ。驚かせてごめんなさい。あまりにも素敵な音が聞こえてきたから感動してしまって……これが貴女の音魔法なのね」
その返答を聞いて、ソノラはほっと胸を撫で下ろす。
「はい。私が開発した魔法陣を使い、耳の形に合わせた粘土細工に音を保存しているのです。私はこの粘土細工をイヤフォンと読んでいます」
「そう……いやふぉん。音魔法の研究は盛んではなかったはず。そんな中での開発は大変だったでしょう」
フィアメールは優しく微笑む。女神と言われても信じてしまうくらい美しい笑みだ。
「貴女の研究のおかげで、私は久しぶりに夫の顔を思い出したような気がするわ。こんなに幸せな気持ちになれたのは久しぶりよ。本当にありがとうね」
「ッ!」
フィアメールが一粒の涙を頬に流して、そう言った。その言葉が、ソノラの胸にズシンと落ちてくる。
魔法学園時代、他の貴族達から何度指を指され、笑われたか。さっきの侍女達のように「盗聴でしか役に立たない卑怯者の魔法」だの「騒ぐことしかできない下品な魔法」だの沢山罵倒された。
それでも。ソノラは気にしなかった。……気にしないフリを徹底した。
それは勿論ASMRが好きだったからだ。前世の自分を救ってくれた大切なものであり、前世の自分を応援してくれた沢山のファンとの唯一のつながりだったから。
だから誰かに感謝されようと思って、音魔法の研究をしていたわけではない。
だが、こうして改めて言葉にされると──無性に、胸が躍って仕方がないのは何故だろう。
この感覚は知っている。配信者時代にたくさんのファンから応援メッセージが届いてきた時と似ている。
ソノラは鼻の奥がつぅんと痛んだ。我に返って、震える声で返事をする。
「も、勿体ないお言葉です……。私の魔法がフィアメール様のお役に立てたのなら、これ以上の喜びはございません」
「ふふ。よければソノラさん、他にもどんな音があるのか教えてくださる?」
フィアメールの言葉にソノラは目を輝かせる。
それからソノラは録り溜めていた音を順番に聞かせた。フィアメールは嬉々としてその音を楽しんでくれた。
そうして、いつしか……。
「おやすみなさいませ。どうか良い夢を」
フィアメールの安らかな寝息が聞こえてくる。
ソノラはゆっくり彼女の部屋を出た。
「王太后様は?」
部屋の外では不安げな従者たちが待ち構えていた。そんな彼らにソノラは「眠っています」と一言だけ。
従者の一人が慌てて部屋の中を確認する。そうして、すぐに部屋から出てきた。
「たしかに、王太后様はぐっすりとお眠りになっております……」
唖然とする周囲。
ガイアと満面の笑みのフランが駆け寄ってきた。
「お疲れ様です、ソノラ様! さっ、帰りましょうか」
「えぇ」
黄金宮を出る前。誰かがソノラを呼び止める。
先程ソノラを馬鹿にしてきた侍女達が顔を俯き、そこに立っていた。フランが冷たく「何の用ですか」と尋ねる。
侍女達は冷たいフランに目を泳がせながらも、深々とソノラに頭を下げた。地面にポタリポタリと、彼女達の涙が落ちたのをソノラは見る。
「……さきほどは大変失礼しました。フィアメール様を、休ませてくださって……っ、ふ、本当に、ありがとうございます」
「従者達は皆、心配で仕方ありませんでした……。マトモに眠れていないフィアメール様がっ、そのうち、疲労で亡くなってしまうのではないかと……っ!!」
彼女達は体を震わせ、むせび泣いていた。
(王太后様は……本当に愛されていらっしゃるのね)
ソノラは二人に「気にしないで」と言い残し、黄金宮を去った。黄金宮が見えなくなるまで、彼女達はソノラに頭を下げ続けていた……。
***
その後、ソノラ達が音宮にたどり着くと、ガイアが突然その場で頭を下げた。先程の侍女達のように。
「ガイア? 急にどうしたの?」
「俺からも改めてお礼を。本当に、ありがとうございます。フィアメール様とライゼル陛下を救ってくださって」
「そんな、お礼なんて! 私が好きでやっていたことがたまたまお二人を癒すことができただけです」
「それでもです。あの方々は、この国の宝。この国を愛する者として、俺は……っ」
少し間があり、また言葉を続けるガイア。
「……あの侍女達の気持ちが俺には痛いほどよくわかります。
ガイアが顔を上げ、潤った瞳にソノラを映す。ソノラはふっと頬を緩めた。
「さきほど王太后様にも言ったのだけれど……私の愛する技術がこの国の為に役立てたのならこれ以上ない喜びね」
ソノラの返事にガイアも微笑む。出会ってから始めて、彼の笑顔が見えた。少しは心を許してくれたのかもしれない。
「どうして陛下がソノラ様をフィアメール様に会わせたかったのか、分かった気がします」
「私が音魔法の使い手だから?」
「それもありますが……きっとそれだけじゃない」
ガイアはそれ以上詳しくは教えてくれなかった。だが、嬉しい言葉であることには変わりなかったのでソノラもそれ以上は追及しなかった。
空を見上げると、満天の星空がソノラ達を見下ろしている。
ソノラは一晩でたくさんもらった感謝の言葉を胸の中の宝箱にそっとしまいこみ、フランと共に音宮へと帰ったのだった。
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