第5話:水姫マリーナ・アクアリア
「んんんんん”あ”ッッ!! ひぅうッ♡」
カリカリカリカリッッ!!
ソノラはお手製の綿棒(細い棒に布を縫ったもの)を少し早めに動かし、ダミーヘッドの耳を手慣れた様子で掻いていく。その度にソノラのベッドで跳ねる美丈夫。勿論、彼の正体はライゼルである。
ライゼルと出会って二週間。流石に毎日ではないものの、彼はソノラの音宮に頻繁に通っている。その度に今のように喘ぐものだから、やはり自室に防音魔法を施してよかったとソノラは心の底から思った(ちなみに防音魔法を施していることはライゼルに報告済、許可ももらっている)。
(それにしてもそろそろASMRに慣れてもいいと思うのだけれど……。どれだけ耳が弱いのよ、この人)
軽くフッフッと小刻みに息を吹きかける。その度にまた跳ねるライゼル。もはや踊っているようにしか見えない。
(そのうち、マウスサウンドとかタッピングとかも試してみたいなぁ……。咀嚼音は嫌いな人が多いイメージだけど、この世界でもきっと苦手な人は多そうね。あっ、陛下の反応が落ち着いてきたらフォーカステストやハンドムーブメントを取り入れてみてもいいかも)
もっと様々なASMRを試してみたい。ライゼルがどんな反応をするのか見てみたい。
そんな好奇心がソノラの中でむずむずと疼いていた。
(耳かきを始めてからもう二十分は経過しているわね。そろそろ陛下が眠る頃だわ)
……しかし、そんなソノラの予想は外れる。
ライゼルがソノラに手を上げ、「と、止めてくれぇ……」と震えた声で言う。それはまさに前世で数多の乙女達が嗜んでいたボーイズラブ作品の濡れ場ボイスのようだった。
ソノラはすぐに手を止め、ライゼルの顔色を窺う。
「申し訳ございません! お気分でも優れませんか!?」
「い、いや、違うんだ……、そうじゃない。今日はソノラ嬢に話があったんだった。眠りそうになる前に、話しておかなければ……」
「話、ですか?」
ライゼルは心地よさそうなとろんとした顔の両頬を自分で叩き、真剣な表情に変わる。その緋色の瞳に射抜かれて、ソノラはドキリと胸が昂る。
「実は、話というよりも余個人からの頼みなんだ。余の母、フィアメールにもソノラ嬢のASMRで癒しを与えることはできるだろうか」
一瞬キョトンとするソノラ。ワンテンポ遅れて、目を丸くした。
「えぇ!? 王太后様をですか!?」
フィアメール。それはライゼルの実母であり、前王であるフレイムハートを長年支え続けた「賢母」と謳われている偉大な前王妃だ。そんな彼女は今、病床に伏せていると耳にしていたが……。
ライゼルは眉を下げ、苦々しそうに顔を歪めた。
「最近、母上も眠れていないと聞く。身体を休めなければいけない時期だというのにな。……だから、ソノラ嬢が母上の力になってほしい。お願いだ。君の音魔法なら母上を癒すことができるはず。三日後の晩、母上の宮に向かってくれないか? 他の王妃候補には内密にな」
「え、えぇ……! こ、光栄なお話ではあります。ですが陛下、それは本当に私でよろしいのでしょうか……? 流石にASMRで病までは癒せませんよ!?」
「それは分かっている。余は母上に少しでも安らぎをと思っただけだ。それに君だからこそだ、ソノラ嬢。君だからこそ、母上に会わせたいのだ」
「ッ!?」
君だからこそ母に会わせたい。将来を匂わせる様な言葉にドキッとしない乙女がいるだろうか。
しかしソノラはすぐに冷静さを取り戻す。
(ソノラ、勘違いしては駄目よ。私自身ではなく、私の音魔法が目的なんだから。決して、陛下はそういう意味で言っている訳ではないんだから!! というか、別に私もそういうことを求めているわけではないし!!)
ソノラがそうやって自分に言い聞かせていると、ライゼルの顔が曇った。
「本当に情けないな、余は。自分の母のことを、まだ知り合って間もない君に託すことしかできないとは……」
ポツリとライゼルはそう言葉をこぼす。視線は床に向けられており、独り言のようだった。
ソノラは俯いているライゼルの表情は見えなかったが、涙を我慢しているような、怒りを抑えているような──とにかく彼が自分の感情を必死に押し殺していることだけははっきり分かった。
***
「それで、どうして
「水の音を録りたいの。王太后様は一年ほど前から宮を出られていないと聞くわ。だから、自然の音で癒してもらおうと思ってね」
「ああ! 風が木を撫でる音とか、川の流れる音とかですね! 確かにそれはとってもいいアイデアだと思います。あ、そっか。だから水宮に! 水魔法を操る
「そういうこと!」
翌日。そういうわけでソノラはフィアメールの宮を訪れる晩まで、様々な環境音を録音しておくことにした。その一つである「水の音」を録るには目の前の水宮がうってつけであるからだ。
水宮を管理しているのは三番目に入城を許されたマリーナ・アクアリア。ソノラは彼女とあまり面識はないのだが、彼女は雷姫のボルテッサ・エレクトラと犬猿の仲だったことを覚えている。学生時代によく二人で皮肉、嫌味、果てには罵倒を投げ合っている様子を見かけていた。
ソノラは宮の鐘を鳴らす。侍女らしき女性が窓からこちらを見下ろし、慌ててどこかへ屋敷の奥へ駆けていくのが分かった。
しばらく待っていると、宮の扉が開かれる。そこには侍女四人を引き連れたマリーナの姿があった。
「──何か御用かしら?」
ソノラは慌ててお辞儀をする。
「ごきげんよう、マリーナ様。実は音魔法の研究の一環で水宮の噴水の音を録らせてほしいのです」
「とる?」
「はい。私の音魔法で噴水の音を保存するのです。そうするといつでも好きな時に水の流れる音が聴けるようになるんです。結構癒されるんですよ」
「……ふっ」
マリーナがクスリと口角を上げる。
「いいですわよ。聞きたいのは水の音、ですわね」
「は、はい! ありがとうございます!」
「──ほら、これで存分にどうぞ?」
パチン、とマリーナが指を鳴らせば、ソノラの頭に滝のような水が落ちてくる。ずぶぬれになるソノラ。一瞬、息ができずに咳きこんだ。フランが顔を真っ青にしてソノラに駆け寄った。
唖然とするソノラの耳にマリーナが囁く。
「地味な顔してよくやるわ。このところ、ほぼ毎日貴女の音宮に陛下が通われてるんでしょう? さぞかし、
「…………」
「自室にこもって音魔法の研究だといいながら、まさか殿方と
マリーナはそんな冷たい言葉を吐き捨てると、さっさと水宮の中へ戻っていった。
彼女の侍女達に睨まれながらフラフラと水宮を出ると、ソノラはため息をこぼす。
「まさかマリーナ様にもあんなに嫌われているなんて。これなら同じ噂を聞いているであろうボルテッサ様とエアリス様も凄いことになっていそうね……」
「そ、ソノラ様! そんなこと言ってる場合ではないですよー!! 風邪をひいてしまいます! ひとまず音宮に帰りましょう!」
そんな時だ。
「──どうかしましたの?」
ずぶ濡れのソノラに声をかけてくれたのは──。
***
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