第4話:炎帝からの頼み
「いやぁ、まさか陛下と入城初日から一晩を過ごすとは思いませんでしたよ~! やりますねぇ、ソノラ様!」
翌日。ソノラが起きた時には既にライゼルの姿は部屋になかった。少し前に「世話になった」と言い残して彼は部屋を去っていったそうだ。
フラン曰く、彼は朝までしっかり眠っていたらしいので、それに関しては安心した。
「フラン、からかわないで。陛下とは何もなかったわ。ただ、私の音魔法で眠らせただけ。本当は分かってるでしょ?」
「うふふ。勿論、分かってますよ! でもソノラ様の性格や魔法を知らない陛下の護衛さん達は勘違いしていると思いますよ~? だって陛下の喘ぎ声が部屋の外まで漏れてましたものっ!」
「あっ」
ソノラは間抜けな声を出す。今更ながら自分の失態に気づいたからだ。
(し、しまったぁ! 防音魔法をこの部屋に施すのを忘れていたわ……! でも、仕方ないじゃない! 炎帝があんな大きな声で喘ぐなんて誰も思わないでしょ!? 最悪!! 護衛に聞かれてたってことは、今頃城中に噂が出回ってるんじゃない!? それって、それってぇ──!!)
ソノラはがっくりと項垂れる。泣きそうな気分だった。既に城中でソノラは「あの炎帝を喘がせた女」として広がっているのだろう。そういう噂は尾ひれがつきやすい。
絶望に沈むソノラに対して、フランはニコニコと他人事だ。
「今朝の陛下はとってもスッキリしたような、爽やかな表情でしたよ。あの調子じゃ、今夜もこの
「そんなわけないじゃない。国王が二日連続でお通りだなんて。あのボルテッサ様やエアリス様に睨まれちゃうわ」
だが、ソノラはなんとな~く嫌な予感を感じていた。フランと同じことをたった今自分も考えていたからだ。
音宮にライゼルが二日連続で訪れた時の王妃候補達の様子を想像すると、それだけでゾッとする。特にボルテッサとエアリスは黙ってはいないだろう。
(今晩、陛下のお通りがあるか、否か。おそらくないとは思う。ないとは思うけど……)
ソノラは念のため、防音魔法の魔法陣を部屋中の壁に描き始めたのだった。
もう二度と、ソノラの変な噂が広がらないように。
***
ソノラが部屋の隅々まで防音魔法の魔法陣を描き終わった頃には既に日は沈み、真夜中になっていた。王妃候補には次期王妃選定のためにいくつかの試練を受けることになっているが、その試練の詳細が決まるまでは自由行動とされている。故にソノラがこのように時間を使っても何も問題はないのである。
問題があるとすれば……
「そもそも陛下のお通りがなければ何も問題はないのだけどね。ん~、作業明けのお茶は美味しいわ!」
フランお手製のオレンジティーを飲みながら、ソノラはふかふかのソファでゆったりとしていた。
もう真夜中だ。自分の自由時間を邪魔する者はいない。ぐぐっと腕を突き出して、伸びをする。
「よし! お茶を飲み終わったら音魔法の研究をやって──「ソノラ嬢、いるか?」
ソノラは口の中のオレンジティーを勢いよく吹き出す。部屋にノック音が響き、フランが慌てて濡れたソノラの服を拭いた。すぐに「お待ちください!」と扉に声を掛けながら、二人で顔を見合わせる。
本当に来ちゃった。二人はまったく同じ言葉を心の中で呟く。しかし、声の主を待たせるわけにはいかない。すぐにフランが扉を開けた。ソノラは簡単に前髪を整え、背筋を伸ばす。
「突然訪問してすまない。もう眠るところだっただろうか」
昨晩ぶりのライゼルが護衛を引き連れて扉の向こうから現れる。ソノラはゆっくりとお辞儀をし、彼らを出迎えた。
「いいえ。まだ眠る予定はありませんでしたのでお気になさらず。何か私に御用でしょうか」
「う、うむ……。その……」
ライゼルの用事はなんとなく想像がつく。現に今だって彼の視線はテーブルの上のダミーヘッドに向けられていたのだから。
「まずはソノラ嬢に礼を言わせてくれ。ありがとう。昨晩のようにマトモに眠れたのは久しぶりだ」
「私の音魔法が殿下のお役に立てたのならば光栄ですわ」
「ふむ。あれは……音魔法、なのか? すまない、余は音魔法の知識があまりないのだ。よければ、昨晩のアレについて教えてほしい」
「ッ!!」
ソノラはその時、自分の中で喜びが湧き上がったのを感じる。大好きな音魔法のことを国で一番偉いライゼルに興味を持ってもらえたのは素直に喜ぶべきだろう。
嬉々として、テーブルの上のお手製ダミーヘッドを掲げる。ついでに引き出しから今まで作ったイヤフォン型粘土細工も取り出し、テーブルに並べる。
「まず、昨晩陛下に体験していただいたのは音魔法の伝音魔法を利用したASMRというリラックス方法です。こちらの頭部の模型の耳で鳴らした音をこの小さな粘土細工──イヤフォンで聞こえるようにしたのです」
「な、るほど……。えーえすえむあーる。初めて聞く単語だな。それでその、いやふぉんとやらを使って余の耳とその模型の耳が繋がって……実際に耳かきをしたような感覚になれる、と」
「そうなんです! 実際に耳かきされるのとは違う、音のみだからこそ普段耳に近づけてはいけないような針などの鋭いもので鳴らす音を感じることもできる!! 皮膚を通さずに音で感じるからこそ想像力が最大限働いて脳に直接心地よさが伝わるというかなんというか……!! それにASMRは耳かきだけではないんです! 何気ない日常の音を一つ切り取ってみれば、とっても気持ちいい音だったりするし!! 音魔法は録音も可能でして、例えばこのイヤフォンを耳につけていただくと事前に録音していた野菜を包丁で切った音が聞こえます。トントントンと小刻みに刃物がまな板にぶつかる音や野菜と刃物がしゃりしゃりと擦れる音が本当に最高なんですよ! あと、最近のお気に入りの音は故郷で採った森の音で──」
ソノラはハッとする。ライゼルが目を丸くしてこちらを見ていることに気づいたからだ。顔が一気に熱くなり、「は、話が逸れてしまいました! 大変失礼しました」と俯く。
(わ、私の馬鹿! 絶対ドン引きされたわ! 野菜を切る音の話なんか陛下はしていないのに!!)
顔から火が吹き出しそうだった。
魔法学園時代から音魔法は冷遇されており、音魔法使いのソノラ自身も劣等性扱いを受けていた。「音魔法なんて、貴族には相応しくない卑怯な魔法」。そう罵られた時もあった。実際、音を消したり、盗聴をするのに便利な魔法なため、暗殺者や情報屋などあまり公に出てこない影の人間がよく使う魔法とされている。
だがASMRに救われた記憶があるソノラにとっては、音魔法とはまさに天からの素晴らしい贈り物だったのだ。音魔法は無能ではない。まだこの魔法の魅力に皆が気づいていないだけ。盗聴などの特定の分野以外で研究し尽くしていないだけ。そう思って、今まで独りで研究し、「人を癒す魔法」としての使い方を提案してきた。そうして王妃候補に選ばれるくらいには、学園の教師に評価されるようになってきたのだ。
だからこそ、ライゼルが音魔法──ひいてはASMRに興味をもってくれたことがつい嬉しすぎて、語りすぎてしまった。
「──ぷっ」
ライゼルが笑った。馬鹿にされたのかと思ったが、どうやら違うらしい。ライゼルの表情からは悪意は全く感じられなかったからだ。むしろ好意が伝わってきた。
初対面の“炎帝”の彼と思えない笑顔にソノラはポカンとする。
「ふふ、ははは! 本当にソノラ嬢は好きなのだな、音魔法とその、えーえすあむあーるとやらが! それが今、凄く伝わってきたぞ」
「っ! は、はい。私は、音魔法が、ASMRが好きです。大好きなんです……!」
ソノラもつられて心の底から微笑んだ。
そんな彼女に今度はライゼルがポカンとする番だ。その頬が若干桃色に色づく。
「陛下?」
「ッ! あ、いや、すまない。つい見惚れてしまった」
「見惚れた?」
「い、いや。違うんだ。本当に気にしないでくれ……。こほん。ではソノラ嬢。余から君にお願いがある」
首を傾げるとライゼルは口角を上げた。
「余は、君の言う、えーえすえむあーるに興味が湧いた。全く眠れなかった余をあっさりと眠らせた未知の技術だからな。だから、これから色々とソレについてもっと教えてくれないか?」
──そんなライゼルからのお願いに対するソノラの返事は一択しかない。
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