第2話:炎帝ライゼル

 炎帝、ライゼル・ドミニウス・モルドラック。

 圧倒的な魔力から生み出される彼の黒炎魔法はこのドミニウス王国首都ですら一晩で燃やし尽くすことができるのではないかと恐れられている、らしい。


 ソノラは自らの亜麻色の髪をフランに梳いてもらいながら、本日何度目か分からないため息を落とした。もうすぐそんな炎帝ライゼルがソノラの部屋に到着すると連絡があったからだ。


「フラン。私、陛下相手に今晩を生き残ることができるのかしら……」

「大丈夫ですよ、ソノラ様! あのキイキイうるさいボルテッサ様が三時間も一緒にいたのに無傷だったではありませんか! ソノラ様なら余裕ですよ、余裕!」

「はぁ。貴女、そういうことは私以外の誰かの前で言っては駄目だからね」


 「はい!」と元気に返事をするフランにソノラは苦笑する。


 ちなみにだが、王妃候補にはそれぞれ呼び名と王宮の中の屋敷が与えられている。

 ソノラは音魔法の使い手なので、呼び名は音姫ねき。雷魔法の使い手であるボルテッサは雷姫らいきという風にだ。

 屋敷の方は最低位候補故、王妃候補の中で一番小さい音宮ねきゅうを与えられた(それでもソノラにとっては十分広い屋敷なのだが)。現在、ソノラがくつろいでいる場所も音宮の客間である。


 ……と、丁度その時、来客を知らせる鐘の音が聞こえた。どうやらライゼルが来たようだ。ソノラとフランは慌てて玄関へと向かう。

 恐る恐る扉を開いた瞬間、ソノラは目を見開いた。


(なんて美しい緋色の髪なの……)


 そう、まずソノラの視界に飛び込んできたのは“赤”だった。

 炎の化身にも見える燃えるような真っ赤な髪。その隙間から覗く鋭い瞳にも同じく赤が宿っており、見る者を圧倒させる美しさと同時に「この人間に逆らってはいけない」という本能的な恐怖が微かに全身を走った。彼は非常に長身で、ソノラと対面すると自然に見下ろされてしまうことも威圧の原因になっている。

 炎帝。彼には確かにその二つ名が相応しい。


 ソノラは今にも後ずさろうとする己の足を必死に止めていた。

 ライゼルはそんなソノラに気づいているのか気づいていないのか、「失礼する」と一言言って、音宮に入る。そしてそのまま客間へ移動し、ソファに座った。


「──ソノラ・セレニティだな。五番目の王妃候補の。遠くの地からよく来てくれた。礼を言う」

「い、いえ、とんでもございません。陛下の王妃候補として入城させていただいたこと、誠に光栄に思っております」


 先程まで帰りたい帰りたいと言っていた己の口からそんな偽りの言葉がスラリと出てきたことにソノラ自身驚く。それほどライゼルの威厳にあてられてしまったのかもしれない。


 「頭を上げよ」と言われ、素直にソノラはライゼルを見上げる。美しい緋色の瞳。宝石でできていると言われても納得してしまうほどにそれはソノラの目を引き付けた。その緋色の瞳と視線が重なり、顔が熱くなるのを感じる。


 ……だがそこで、ソノラはあることが気になってしまった。


(陛下、凄い隈だわ。長い間、眠っていないのかしら……)


 そう。ソノラが気になったのはライゼルの目の下だ。そこにはペンで書いたのかと疑ってしまうほどのハッキリとした隈が浮かんでいた。おそらく化粧で多少は隠しているのだろうが、それでも誤魔化しきれていない。


「何か、余の顔についているか?」


 怪訝そうなライゼル。ソノラはハッとして、頭を下げた。


「申し訳ございません。つい、その……正直に申しますと、陛下は、十分に眠っておられるのか心配しておりました」

「あぁ、この隈か。見苦しい姿を見せてすまないな」

「いえ、そんなことはありません! ……眠れていらっしゃらないのですか?」


 ライゼルは何も言わなかった。それはそうだろう。今日会ったばかりの王妃候補に弱みを見せる王がどこにいる。だが、ソノラはぎゅっと拳を握りしめた。


「──その、陛下さえよければ、睡眠のお手伝いをさせていただきましょうか?」

「ッッ!!」


 その瞬間。明らかにライゼルの表情が変わった。今までの客人への労いを浮かべていた顔が一気に不機嫌なものに変わる。


「貴様もかッッ!!」


 ビクリッとソノラの身体が揺れる。ライゼルは立ち上がり、うんざりといった表情だった。うっすらとソノラの部屋の温度が上がったような、そんな気がする。熱風のような威圧がソノラの全身に襲い掛かる。

 しかし次の瞬間にはライゼルは我に返ったようで、目頭を抑え、ため息を吐いた。


「……いや、今のは悪かった。怯えさせてしまったな」

「い、いえ……。何かお気に触ったでしょうか?」

「先日、ボルテッサ嬢の部屋を訪問した際に彼女から強引にマッサージを受けてな。しかも三時間も、だ。正直、そういう施しは遠慮したい。逆に筋肉が痛んで疲れてしまってな……」

「あぁ……」


 なるほど、とソノラはげっそりしているライゼルに同情する。それと同時に昼のボルテッサの得意げな顔が脳裏に浮かび、眉を下げた。


(確かにそんなことがあった後なら、こんな提案されてもいい気分はしないわよね。でも、それなら……)


「──陛下。大変失礼だとは思いますが、やはり陛下の睡眠のお手伝いをさせていただけないでしょうか?」

「ッ! ソノラ嬢。君は……」

「ただし、私は陛下に一切触れません。それはお約束します。お時間もほんの少しでかまいませんので……。陛下が嫌だと感じたらすぐに止めます」


 ソノラの言葉を聞いたライゼルは訝しげに眉を顰める。触れないならば、どうやって自分の睡眠を手伝うというのか。そんな彼の疑問が顔に書いてあるようだった。

 途端にソノラは目を輝かせ、口角を上げた。


 


「それこそ、私の得意分野です。私の“音魔法”で陛下の睡眠導入のお手伝いをさせていただきますわッ!」

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