第45話
季節はまだ冬のはずなのに、外は春のように心地よい風が吹いていて暖かく、なんだかんだ、僕の人生はまだまだ平和なんだよな、と、のんびりしそうになり歩くスピードが遅くなる。
「あと五分で待ち合わせですし、急がないと、陸さん」
五分か……。それを聞いて僕は足早になったが、残念ながら急いだとしても、五分以内に待ち合わせの喫茶店には着きそうにない。早くともあと八分は掛かる。三分の遅刻が決定された。
「そうなんだけど、だめだ。どうしても少し遅れてしまう」
ティファに伝えると、心底呆れた表情をして、僅かにため息を吐かれた。
「タバコを吸っていなかったら間に合っていたはずなので、陸さんの原因ですよ」
「ごめんって、でも三分って遅れた内に入るか入らないかって言われたら微妙じゃない?」
僕は一体何を言い訳しているんだ。言った自分でもでたらめなことを言っていると思ったが喋ってしまった。
「陸さんは時間にルーズすぎます。待たせている人のことを考えたら、例え一分の遅れでも申し訳ないじゃないですか」
「う、うん、その通りだよ。でもこうやって話している時間だって無駄じゃないか。結局、僕が悪いのはわかっているから取り敢えず走ろう」
僕たちは予想通り三分遅れて個室型喫茶店に着いた。
「あの、待ち合わせしている人がいるんですが」
僕が言うと、店員は面倒くさそうに「お席はご自由にどうぞ」とだけ言い、帰った客が座っていたテーブルの清掃で忙しそうであった。
僕は適当に店内を歩きながら、小鳩老人の顔を探した。
「おぉ、美能さん、こっちです」
僕を呼ぶ声がしたのでその先に視線を移すと、優雅に座っている小鳩老人が手を挙げていた。テーブルにはお洒落なマグカップが置かれてある。きっとコーヒーだ。四人掛けの席に座っているのは、僕たちが来るのを考えていてのことだろう。
「どうもどうも、遅くなってすみません」
僕は頭に手を当てて軽く謝りながらその席へ向かった。
「そんなに待ちませんでしたので気にしないでください。さ、どうぞお掛けになって」
僕とティファは小鳩老人と向かい合うようにして座った。
そこにウェイトレスが通りかかったので、僕は手を挙げて「コーヒーを一つ」と注文をした。
「ティファ、久しぶりだね、元気でやっているのかな?」
久しぶりにティファを見た小鳩老人は安心したように話しをする。
「私は変わらずやっています」
「そうかそれはいいことだ」
そう言う小鳩老人の眼差しは優しくて、目の縁に皺を寄せて微笑んでいた。
僕の前にコーヒーが置かれたので僕は話を切り出した。
「小鳩さん、今日は調査の報告をしたくてやって来たのですが、話に入っても良いですか?」
「そうでしたね。どうぞ報告をお願いします」
小鳩老人は姿勢を前に傾けて、テーブルに手を置いた。
正直話す直前でも言おうか迷ったが、小鳩老人が目の前にいるのだから、でたらめに思われるかもしれない僕なりの調査の結果を報告するんだ。
僕は徹夜で作成した報告書をテーブルに乗せて言った。
「結論から言うと、失踪者たちは全員未来人であったということです。ま、あくまで推測に過ぎないのですが、僕は真面目に調査しました」
僕は小鳩老人の顔が徐々に険しくなっていくのをじっと見つめ続けた。目を逸らすと冗談ではと信じてくれなさそうだったから、僕は小鳩老人が話し出すまで瞬きさえも我慢した。
「未来人……ですか、その答えは考えていませんでしたよ。でもとても興味深いです」
意外にも小鳩老人は驚かず、寧ろ、受け入れる姿勢であった。流石、貫禄がある大人である。
「それに調査対象であった失踪者の他にも、涼香という僕の彼女もまた未来人だったのです。その証拠だけはティファのプログラム情報にしっかりと入っていました。つまり、ティファを作ったのは彼女だったということになりますよね。彼女のタイムトラベルの理由は、未来が抱えた永久凍土ウィルスによる人類滅亡を変えるためでした」
すると、小鳩老人は「それはそれは」と、話し出した。
「偶然でしょうか。研究を生き甲斐とする私にも涼香という知り合いがいましてね、涼香くんは突然現れた天才肌の開発者で、私もティファを作る手伝いをしたことがあります。研究をして様々な答えを考えましたが、涼香くんがタイムトラベラーだとは全く思いもしませんでしたよ。美能さんの言う涼香がティファを開発したというのが本当でしたら、私の知る涼香くんは同一人物ということになるのでしょうか」
僕は映像越しの涼香が言っていた、タイムマシン壱号を開発した涼香の祖父を思い出した。
この方が……、タイムマシン壱号を開発した涼香の祖父だっていうのか?
もし仮に、タイムマシン壱号でやってきたのだとしたら、小鳩老人の未来の記憶は抹消されているはずである。
だが、小鳩老人は涼香という名前を知っている。それに自身が研究者であることも自覚している。
というが、小鳩老人は涼香が孫であると認識はしていないようだ。ただの天才発明家が現れて、単純に完成したティファを託されただけだと思っているのだろう。
「涼香くんにはティファを美能さんに預けるよう言われたのです。それ以来、涼香くんは私に別れを告げて出て行ってしまいましたけどね」
何か関係がないと涼香は小鳩老人にティファを預けたりはしないだろう。
そうだ、きっと。
いや、きっとではない。
小鳩老人は涼香の祖父である。
だが、そのことは話の終盤に伝えようと思い、僕は今までの調査を思い出しながら失踪者たちの話をすることにした。
「涼香、彼女と共にタイムトラベルをしてやって来たのは、おそらく依田雅でしょう。国崎れれみと惠谷ジュンがタイムトラベルをした理由は明確ではないので、あくまでも憶測ですが、彼女らは特に地球崩壊を防ぐためとは関係なしに、ただ旅行気分で来たのだと考えています。僕なりに国崎れれみは未来に帰ったと思うんですが、惠谷ジュンは何故か記憶を失った状態で戻ってきていて、僕たちと共に行動しているところです」
「なんと、惠谷ジュンは見つかっていたんですか。でも見つかったのでしたら未来人ではないのでは?」
僕は涼香から聞いたタイムマシンの情報を小鳩老人に話すことにした。
未来ではタイムマシンには壱号と弐号が存在していて、タイムマシン壱号のシステムは時空を片道切符でしか移動できず、タイムトラベルを遂げたころには未来の記憶が抹消されるということ。弐号のタイムマシンには強制帰還機能が付いていて決められた時間でしか滞在できないが、記憶は抹消されることはないということを自分の知っている範囲全てを伝えた。
理屈を言っているだけと思われるかもしれなかったが、タイムマシンを発明したのが本当に小鳩老人だとしたら、タイムマシンの構造とシステムを説明したら理解してくれるはずであると思った。
「――ということです。つまり、小鳩さん、あなたも――」
「はい?」
「――未来人という可能性があります。おそらくタイムマシン壱号でやってきて、その影響で記憶は覚えていないのかもしれませんが、その可能性は十分あり得ますし、寧ろ、涼香の証言に加えてティファの開発に力添えしていたとすれば、小鳩さんは涼香の祖父であると言えてしまうんです」
キリの良いところまで話して、僕はやっとコーヒーを一口啜った。
熱すぎたコーヒーで僕の舌はちょっとだけ火傷した。
「なるほど……、私がタイムマシンの構造を直ぐに理解できたのも、突然現れた涼香くんを受け入れることができた理由も、全て、私が単に記憶を失っているだけで、未来人であったからなのかもしれないからということですね。聞けば聞くほど、私はタイムトラベルを経験していたような気がしてきます。やっと、涼香くんが私のところへやって来た理由が分かった気分です。ということは、私は大切な孫と出会えていたことになるのですね。それじゃあ、私はもう、孫の顔は見れないのでしょうか……?」
「タイムトラベルが本当でしたらね、残念ですが、それを選んだのも未来で生きていた小鳩さん自身なのです」
小鳩老人は神妙な面持ちで目の前のコーヒーを見つめながら、小さく、うんうんと頷いて、自分で自分に言い聞かせていた。もう二度と孫の顔を見ることもなく、現在でひたすら一人で暮らしていくというこれからを、何度も受け入れようとしているように見えた。
それを見るのは辛かった。もしも、小鳩老人が五十年後も生きていれば、涼香と再会できたかもしれないが、それは無理だろう。現在で年老いた小鳩老人は五十年後に存命しているはずがない。だが、僕の年齢ではギリギリ涼香と再会できる可能性が見える。
「今からでも、新たにタイムマシンの研究を開始したら、私は生きているうちに未来へ行くことができたりしないものですかね」
一筋の希望を見つけたらしい小鳩老人は、目を見開いて閃いたように言った。
「どうでしょう。五十年後の技術は未知なるものですし進化しているかもしれませんが、現在の技術ではタイムマシンを開発する資材や技術など集められるとは限らないというのが現実ですよ。もしも、仮に未来へ行けるタイムマシンを開発できたとしたなら、僕もそのタイムマシンを使って、今すぐにでも涼香に会いに行きたいのですがね。それは叶わないと知っているので僕はひたすら、涼香と再会できる日を待ち続けると決めました」
「私は七十ですし、そうですよね……。でも、それでも、私は人生に賭けてみようかと。私が老研究者になるのも遅くはないですが、生涯研究者の身、できる限りの研究はし続けるつもりです。実は私には協力者がいて、猿渡京之介という大学の准教授なのですが、彼の力も借りるとなれば希望は見えてくるかと。今回の失踪事件も猿渡京之介の助手、依田雅くんがいなくなったことから、美能さんに依頼することを決めたのです。依田雅くんも未来人という結末でしたが、私はやっと納得がいって気持ちよく新たなる研究に取り組めそうです。美能さん、ありがとうございます」
「いいえ、最後なんですが、僕からのお願いがありまして……」
「なんでしょうか?」
僕はかしこまるように背筋を伸ばしてへりくだってお願いした。
「僕はあるはずのないティファの心と、未来へ帰還した涼香の気持ちを重ねているうちに、両方に惚れてしまいました。僕がティファの傍にいたいと思ったのは、涼香が僕に託してくれた思いを知ったからです。ですので、涼香と再会できるまで、ティファと共に生活する権利を頂きたいんです」
僕は真面目だ。
小鳩老人は僕の真剣さを汲み取ってくれたのか、柔和な笑みでこう答えた。
「そういうことでしたら、私にとっても望ましい事です。陸さんがティファを気に入ってくれなかったらこのまま、ティファを処分するつもりでしたが、私は涼香くんからも陸さんのことを聞いていたので、こんなに優しい方とティファが一緒にいれるというのは、私にとってもありがたい事ですし、なんにせよ、それを、涼香くんもティファも望んでいることでしょうし、是非、そうしてあげてください」
小鳩老人の言葉と表情で僕は物凄く安心した。
それから、僕たちは今回の調査についての報酬の話と、これからについての話をして、喫茶店を出ることにした。
小鳩老人は「それではまた」と別れを告げて、僕たちと反対の方向へ歩いていった。
僕は、何か大切なことを言いたかったのだろうけど、何を言いたかったのかは思いつかず、その姿を貴重なものを見るようにして、しばらく眺めていた。
「陸さん、私たちも帰りましょう」
ぼうっと、七十歳の小鳩老人の後ろ姿を眺めていた僕にティファが声を掛ける。
午後二時半のまだ眩しい太陽がティファを照らしていて、その真下に伸びた影ができている。
「ああ、今行くよ」
僕たちはそうして、小鳩老人が歩いた方向と反対にあるホテルに戻った。
ホテルに戻った僕とティファは、調査が終わったことを惠谷ジュンに伝え、三人でチェックアウトの手続きを済ませて、サイタマへ帰える準備をした。
カナガワ、意外に悪いところじゃなかったな、と思おうとしたが、思い返すと僕はカナガワを特に堪能したわけでもないし、ただホテルで酒を飲んでタバコを吸っていたということしか思い残らなかったのが本音だ。だが、調査を無事に終えることができて、僕としては上出来だし、仲間も増えて満足だった。
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