第39話

 喫煙室のどこでもなく何でもない空中に視線を向けて、紫煙をくゆらせる。僕は漂う煙をぼうっと眺めながらゆっくり考えていった。


 ティファは一体、何が言えないのだろう。何に悩む必要があるのだろう。ティファが人間ということなら悩むことも理解できるが、ティファは所詮アンドロイドなのだから深い感情が芽生えたり、個人的な意思決定などする必要はないと思っていた。だが、ティファは人間のように話すことをためらったり悩んだりしている。標準的なアンドロイドとは少し異なっていて、ティファは人間的な感情を持ち合わせているのかもしれない。そんなティファの心を汲み取るというのは、人間の複雑で深い感情を理解するよりも難しいのかもしれない。


 僕は無意識のうちに二本目のタバコに火をつけていたようだ。いつもなら一本で部屋に戻っていたところだが、今日の僕は喫煙室からまだ離れたくないようだ。仕方ないな、と自分に甘えて吸った二本目のタバコは、一本目よりもワンランク美味くなった気がした。


 ラッキーストライクの煙は気持ちを落ち着かせてくれるほかに、涼香と過ごした記憶も思い出させてくれた。僕は涼香と過ごして行く度に感じていた初恋のような純粋な気持ちを忘れないように、涼香と過ごす時間を噛み締めるように真剣に味わっていたのを覚えている。だが、時より真っ白な僕たちを、ほんの僅かに血色づけてくれるような甘酸っぱいシチュエーションを味わうこともあり、それはまさに青春という一言に尽きていた。


 はあ。涼香が恋しい。涼香の見せていた、世界のすべてを信じて愛しています、というような優しさと純粋な心に満ちた笑顔が恋しくて仕方がない。涼香の笑顔は僕を安心させてくれたし気持ちを穏やかにさせてくれていた。


 涼香、今頃何をしているんだ?


 どこにいるんだ?


 僕が今、涼香に似たアンドロイドと一緒に生活している、なんて知ったら涼香はどう思うのだろう。自分とそっくりなアンドロイドがいるとは思わないだろうから、きっと凄く驚くに違いない。


涼香と過ごしていたはずの時間を、ティファというアンドロイドで妥協していることをどう思うかは知らないが、きっと涼香は複雑な気持ちになるだろう。


 アンドロイドであるティファとコミュニケーションをとるのは、なんだか本心を聞いている感じがしなくてどこか気を使ってしまうが、涼香は気持ちにとても素直で、僕自身も気を遣わず思ったことを表現できたし一緒にいて楽であった。


 涼香の人間味を思い出していると、アンドロイドのティファがちょっとばかし不気味に思えてきた。


 考え方をひねるとアンドロイドは恐れるべき対象となるのだ。


アンドロイドはプログラムに基づいて動くのが前提として、アンドロイドのプログラムによって作り出された、制御された感情がどれだけのものか人間が把握することは相当難しい。その感情は単純でわかりやすいのかもしれないし、逆に、人間じゃそう考えることのない侵入思考(望まない非現実的な思考)を持つほど複雑なのかもしれない。


アンドロイドが実際に侵入思考を抱いて、暴走したとすれば、僕たちには手が付けられないほどの速度で、アンドロイドが主とする文明が発展し、それは人類の未来に危機を与えてしまう可能性だってあるのだ。


ティファはそんな冷酷なアンドロイドではないとわかってはいるが、何かのきっかけでいつ、ティファが豹変するかわからないと思うと少々の恐怖が芽生えた。


 僕はそこまで考えるとティファと一緒にいて良いのだろうか、と不安になってしまった。


 本当に、涼香と過ごしていた日々は新鮮だった。


 タバコの煙が空中を彷徨い、僕はそれをずっと見ている。


 僕が見ないだけで、同じラッキーストライクを吸う涼香が、実は隣にいたりしないだろうか……。と考えたりしてみた。


 僕は敢えて横を見ないで、


「元気?」


 と言ってみた。


 独り言とはわかっていたつもりだが、ほんの、ほんの僅かに涼香の声を期待しているバカみたいな自分がいた。


「涼香がいなかった間、胸が苦しくて仕方がなかった」


 いなかった合間。


 と言えば、今は一緒にいることになる。


 涼香はまだ見つかっていないとわかっている、わかっているが、涼香がいると思い込むことくらい自由にさせてくれ。


 想像の自由をうまく使い、僕は現実逃避をしたくなり、今も涼香がいないことはわかっていたが、僕は涼香が隣にいるような感覚で話し続けた。


 いないとはわかっていても涼香に話しかけるような台詞を言っていると、涼香が隣にいるかもしれないという錯覚に陥ることができた。


「涼香と話せていることが、今も奇跡みたいだ。やっぱり涼香の声を聞くと安心するよ。戻ってきてくれて嬉しい、ありがとう」


 僕の滑稽な演技に、それは夢だ。と現実を突きつけられそうになるが、隣を見ないと決めて話すだけで、もしかしたら隣にいるかもしれないという夢を見ることができた。


 そこにはラッキーストライクのニオイだけが漂い、僕は呟くように言った。


「君のいない間、どうしようもなく僕はこのタバコを吸っていたんだけど、やっぱりラッキーストライクで合っていたようだね。二人で吸えるなんて夢でも見ているのかな」


 夢だ、幻なのだが、隣を見ないという行為だけで、隣に涼香がいるかもしれないという幻想をギリギリ保っていた。


 涼香はいないのに僕は涼香の吐いた煙を想像して、充満している煙は僕と涼香、二人が吐いたものだと思い込ませた。


 僕は簡単に錯覚に陥り、喫煙室で一人嬉しくなっていた。泣いてしまいそうだった。


「待っていてくれてありがとう」


 涼香が笑いながら言った気がした。


 嘘だ。そんなことはあり得ない。


 けれど、


 隣を向いたらそこには僕がずっと見たかった笑顔が……、


 あるかもしれない。


 いや、あるわけがない。


 もしかしたら。


 いや、そんなはずはない。


 それでも……、


 耐えれず、僕は隣を見てしまった。


 当たり前のことだが、僕が見たのは何でもない壁でそこには涼香はいなかった。


 透明な涼香の笑顔、それでも僕は自分を言い聞かせようとしたが、それは限界だった。


 なんでもない壁の僅かな汚れを見つけて、さらに現実を突きつけられた。


 現実逃避を終えた後の今は本当に滑稽なほどつまらなく感じるんだな。


 期待なんてするだけ無駄だ。希望なんて持つだけ無駄だ。夢は枯れる。


 現実逃避で楽しい夢を見すぎた分、その後の突き付けられる現実は、チープで色のない部分だけに着目してしまう。


 はあ。僕は意味のない絶望をしてタバコの火を消し、部屋に戻ることにした。


 ダメだ、今日は早く寝よう。

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