第38話

 次の日はなにもなかったがそのまた次の日だ。


 惠谷ジュンと米田さんがデートをする日は、晴れた青空で春のように暖かい日となった。


 惠谷ジュンが僕たちの協力者となったわけだが、惠谷ジュンも事件の失踪者であったことには変わりない。


 なので、僕たちは惠谷ジュンの行動を監視しなければならないという役目を密かに背負っているのである。惠谷ジュンには申し訳ないが、これはティファと僕だけが知っていればいい事なので、敢えて伝えたりしていなかった。


「それでは、行ってきますわ」


 惠谷ジュンがわざわざ僕たちの部屋へ寄って挨拶をしに来てくれたので、惠谷ジュンの姿を見失わないで、タイミングよくホテルを出ることができた。


「陸さん、良いんですか、こんなことして」


 ティファが身を隠しながら小声で言う。


「しっ、惠谷さんに言うわけにもいかないし仕方ないんだよ」


 僕はティファにだけ聞こえるように口に指をあてて言い返した。


 街に飾られてある巨大なクリスマスツリーに身を潜めていたのだが、僕たちが動いていたせいでツリーが小さく揺れる。


それに気付いたのか惠谷ジュンは立ち止まってあたりを見回し始めたが、僕たちはここでバレるわけにはいかないと息を殺して身を潜め直した。つばを飲み込むのさえ慎重になる。ティファも察して銅像のように体を硬直させた。


おかげでバレずにその場を凌ぐことができたが、こんな緊張がこれから数時間も続いていくと考えると、もう既に心が折れてしまいそうである。


「陸さんここまで来てしまったんですから、もう引き下がるわけにはいきませんよ」


 ティファが僕に言い聞かせる。


 どうやらティファは固く覚悟を決めたようだ。


「わかってるさ、僕たちは共犯者だ」


 僕は少しでも罪悪感を薄めようとティファに向けて言い聞かせた。


「わかってますよ、一緒に罪を被りましょうね。あ、もう被ってますね」


 自分のしていることが罪だと考えると、とても罪悪感で押しつぶされそうになるが、これが事件調査のためと考えると気持ちは少し楽になる。


「ちょっと、よく見て、惠谷さんが米田さんと合流したみたいだ」


 伝えた僕を押しのけて、ティファはじっと惠谷ジュンの動きを観察しだしたので、僕もほんのわずかに身を乗り出して、ティファと同じような態勢で二人の姿をじっと見た。


「久しぶりですわね」


 声は小さいが微かに二人の会話が聞こえる。


「ジュンさん~、なんだか少し元気になったようですねぇ」


「美能さんたちと触れ合っていると楽しくってね。よねくんは相変わらずのようね」


「ジュンさんと会うときはいつも元気ですよぉ。それにしても前みたいな笑顔が見れて僕はとても嬉しいですですぅ」


 米田さんの独特な話し方が少し気になるが、僕は二人の会話を聞いて嬉しくなった。


「なんで笑っているんですか?」


 ティファに訊かれて僕は答えた。


「二人が微笑ましくてつい」


 ほんの一瞬、二人を可愛らしいと思ったが、実際のところ二人とも僕より年上なんだと思うと、僕は夢から覚めたような気分で真剣な表情を取り戻した。


僕はデートを楽しむ二人を見失うわけにはいかない、と勝手に意気込んでいたが、その必要性はないようだ。


惠谷ジュンと米田さんのカップリングは奇妙なくらいインパクトがあったので、二人がどんな人ごみに紛れ込んだとしてもすぐに見つけられる自信が湧いて出てきたのだ。


 惠谷ジュンが童顔すぎるせいで隣を歩く米田さんが変な目で見られているようだが、二人は笑顔のまま気にしていない様子。


 僕は誰にも声を掛けられないことを願って静かに見守った。


「あ、懐中時計じゃないですかぁ」


 米田さんが惠谷ジュンの首元に注目して嬉しそうに話した。


「そうよ、嬉しかったものですから首に下げてきちゃいましたわ」


 惠谷ジュンが懐中時計を撫でるように手で触りながら照れているのがわかる。


 それを見て米田さんも照れている様子だ。


 僕は本当に二人がお似合いだと思う。


 二人はカフェへ向かう様子だ。二人がカフェの中に入った後、僕たちもバレないようにカフェに潜入して二人の何気ない会話に耳を欹てて二人の行動を覗いていた。その後、二人は水族館へ移動して魚を観察して、最後にラブロマンスな映画を鑑賞してデートを楽しんでいた。僕とティファも同じく水族館へ行ったし、気分ではなかったがラブロマンスな映画も見た。


 二人があまりにも微笑ましくて、周りを疑う様子一つも見せないで、のびのびと時間を楽しんでいたので僕はなんだか罪悪感で苦しくなりそうだったが、そのようなこともようやく終わることができる。


僕はデートをする二人の一部始終をティファと一緒に視察していたが、最後までバレなかったことについては自分でも驚いた。


 二人が別々の道を歩き出したのをしっかり見終えて、僕は安堵の息を漏らす。


「はあ……、やっとだよ、やっと終わったよ」


 最後まで気付かれずに視察を成し遂げて僕は安心して一気に力が抜ける感覚を味わったが、ティファは安心と言うよりは、何故か曇った表情をしていた。それもかなり。


「何か腑に落ちないことでもあるの?」


 ホテルの部屋に戻ってから、何気なく聞くとティファは言葉を詰まらせて、ぼそぼそと言った。


「なんだか、自分でも整理がつかないのです。こんなふうに思ったのは初めてですし」


 ティファが何かで悩んでいるということはわかったが、何に対して悩んでいるのかがわからなかったので、僕はそれ以上声を掛けように掛けることができずにいた。


「こんな時、どうしたらいいのか私には持ち合わせていません。とても困りますね」


 ティファは自分が思うことに困惑しているようだ。


「何か言ってくれなくちゃ僕も困るんだけど」


 今の言葉はティファを急かしてしまったかもしれない。


「伝える前に、私に考える時間をください」


 そう言って、ティファは俯いてしまった。


 部屋にいても仕方がなかったので僕はバーへ移動することにした。


 バーに行ったら惠谷ジュンがいて、話し相手になってくれるかもしれないとちょっとばかし期待したのは確かだが、まさか本当にいるとは思わなかった。


「惠谷さんいたんですね」


「ええ、今日は予想以上にデートが楽しかったものだから、丁度、思い出していたところですわ」


「それは何よりで」


 そう言いながら僕は惠谷ジュンの隣の席に座った。


横で惠谷ジュンが微笑しながらグラスに口を付ける。


「美能さんの方と言ったら、なんだか浮かない顔ですわね。ティファさんと何かあったんですの?」


 惠谷ジュンが静かに僕を見て言った。


「ご明察」


 惠谷さん、僕は貴女の勘の鋭さに驚いてしまったよ。


僕の顔を見ただけで、ティファとの関係がうまくいっていないと予測した惠谷ジュン。


女性は男性より勘が鋭いとは聞くが、惠谷ジュンはその女性たちの中でもずば抜けて鋭い方だと僕は思う。


「ティファがヘンになったんです」


「ヘン?」


 惠谷ジュンが真顔で首を傾げる。


「そうです、ヘンになったんです」


 カウンターに肘をついて、僕はもう一度言う。


「ヘンとだけ言われても何もわかりませんわ。もっと具体的に聞かせてくださります?」


「ああ、そうですよね。すみません」


 僕は頭を掻きながら顔を上げた。


「で、ヘンになったとは?」


「ティファが何か隠し事をしているようなんです。聞いても言葉を詰まらせるばかりで、ティファ自身も困惑しているようで……。でも、アンドロイドのティファが隠し事なんてありえなくないですか? アンドロイドですよ?」


 僕は部屋にいるティファを思い出しながら話した。


「うーん、確かに、アンドロイドが隠し事なんてちょっとヘンかもしれませんね」


 惠谷ジュンが一瞬だけ難しそうな表情をして言う。


「そうでしょう? そもそも隠し事をしていたとしても、何で隠しているのか全く分からないんです。僕が知ったらマズい事でもあるんですかね」


「どうかしら。アンドロイドの考えることなんて私にはわかりませんのでね」


「そうですよね……、ハア…………」


 カウンターに並んであるリキュール瓶をぼうっと眺めながら僕は大きいため息を吐いた。


「まあ、そんなに悩まなくても、少し待ってみてはいかかですの?」


 惠谷ジュンは落ち着いているが、僕はまだ悩まずにはいられなかった。


 その後、僕はしばらくバーで酒を嗜んでいたが、少し一人になりたくなったので喫煙室へ移動することにした。


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