第18話

 僕が一度目を覚ました時にはまだティファは眠っていた。


 ティファがまだ眠る早朝六時、たまにはティファより早く起きようか迷ったが、まだどうしようもなく眠かった僕はそのあとすぐ二度寝をしてしまった。


再び起きたのは八時三十分。そのころにはティファは既に起床していた。


「今朝、僕は六時に目を覚ましたんだよ。ティファよりも早くね」


 ティファより早く目覚めた事実を知らせたかったが、ティファは


「起きても二度寝をしたら意味がありませんよね」


 と強気に発言した。


「いや、でも起きたのは確かなんだよ? 朝なのにティファのすやすや眠っているのをじっと見ちゃったね」


「そのあと、陸さんはすやすや眠ったのでしょう」


 朝から僕たちはどうしようもないことで言い合いをしていた。


「うーん、わからなくなってきたけど今日はどっちが早く起きたことになるの?」


 僕は投げやりになって訊いた。


「正確には先に起床したといえるのは私ですね」


「……納得できないなぁ……」


 僕が悩む理由も突っかかる理由も実はどうでもいいことだったりする。ティファは呆れ顔で言った。


「そもそもこれってそんなに重要な話なんですか?」


 僕はもうわからなくなり、正直どうでもよくなってきていた。


「まあ、それなりに……?」


 苦し紛れに言ったが、なんだかさほど重要な話でもなかったように思えて最初の言い合いがバカバカしく思えてきて仕方がない。


「いや、この話はもうやめよう。それよりさ、今日の予定なんだけど」


 頭を揺らして僕は新しい話題を振る。


「今日は猿渡さんのもとへ行く予定でしたね」


「猿渡さんの研究内容のほか、依田雅についても改めて聞きたいことがあるんだ」


「そういえば猿渡さんってウィルスについて研究していたそうですが、今もその研究は続けているのでしょうか」


「それもちょっと聞いてみないとね」


 僕たちは珍しく午前中のうちにホテルを出て、大学へ向かった。


 大学に着いた僕たちは猿渡准教授の部屋の場所を迷うことはなく、ティファの案内により部屋の前までスムーズにやってきた。僕は少し呼吸を整えて、目の前の扉を軽くノックした。


「はいはい、どなたでしょうか」


 猿渡准教授が少し眠たそうな表情を見せながら扉を開けた。どうやら観葉植物と共に日光浴をしながら眠っていたようである。


「ああ、美能さんじゃないですか。また足を運んでくださりありがとうございます。さて、今日はどういった内容で?」


 急な来訪だというのに、猿渡准教授は僕たちを快く迎えてくれた。


「さあ、どうぞお掛けになってください」


 瞼を擦り頭を掻く姿を見て、礼儀がなっていなかったと自覚した。僕は連絡を入れておくべきであったと後悔して一言謝罪した。


「急に来てしまってすみません」


それでも猿渡准教授は気にしていませんよと言う素振りで、特に触れたりせず穏やかな表情を崩さなかった。


 きっとこの人は常に穏やかなのだろう。怒ったりする様子は想像できない。怒る時は説教じみたやり方をするのだろうかと思った。


「アールグレイはお好きでしたか?」


「特に買って飲むほどではありませんが、好きか嫌いかと言われたら好きです」


 僕が答えると猿渡准教授は、


「それは良かった。今日は何となくアールグレイの気分だったのです。温かいアールグレイを一緒にいただきましょう」


 完全に猿渡准教授のペースに呑まれてしまうところだ。


「どうも」


 一言言って差し出されたアールグレイを啜ったが予想以上に熱くて僕は一口しか飲めなかった。猿渡准教授は向かいに座ると微笑みながらごくごくとアールグレイを飲む様子を見せたが、僕はそれを見て熱すぎやしないだろうかと勝手に心配になった。


「今日は聞きたいことをいくつか用意してきたんです」


 アールグレイの話に持っていかれそうだったので何とか調査の話に引き戻した。


「答えられるものならいくらでも答えますよ」


ゆったり腰掛に座り余裕の表情をする猿渡准教授。


「それじゃあ……依田雅の情報を前よりも詳しく聞かせていただけますか、依田雅との出会いやどのように接していたか、依田雅の日常的行動を知りたいです。僕はそれをもとに依田雅がどんな人だったか考察していこうと思うのです」


「はあ、彼はウィルスの研究についてとても熱心でした。彼と共に過ごした日々は多いというわけではありません。ですが、初対面の時に意気投合して協力して研究を重ねるようになりました。もともとウィルスについて研究していた私ですが、永久凍土中のウィルスについて着目していると聞かされた時は衝撃的で革命が起きたような気がしました。その後に彼の凄まじい研究意欲は、陸さんの論文から得たものだと知ったんです。私たちは論文をもとに“永久凍土中にあるウィルスへの対抗ワクチンの開発”の研究に熱を上げました」


「その研究は今はどうしているのですか」


「今は……正直なところ、研究はあまり芳しいとは言えない状態です。なかなかうまく事が進まないんですよね」


 そんな時ティファが珍しく猿渡准教授の前で言った。


「研究をどうか諦めないでほしいです」


「諦めたつもりはないんですけどね」


 猿渡准教授はティファに目線を向けて言う。


「論文が伝える内容は私でも理解できました。なので、論文を参考にして開始された研究は、今最も重要性があるように思えるのです。芳しくないのもまた通り道に過ぎないと思います」


 ティファはこう話したが、


「そうなんですけどねぇ……」


 猿渡准教授は珍しく顔をしかめている。


 自分の論文を参考にした研究が行われているのに、僕は助言の一つもできなかった。


「うーん……閃いたりしないものですかねぇ。このままだと研究にてこずってしまうばかりなんですよねぇ」


 猿渡准教授は腕を組む。


 一人で行うものほど辛いものはない。僕はそれをよく知っている。涼香が消えた時、僕の周りには誰もいなかったのでずっと一人で涼香を探していた。涼香と二人の時は前向きに考えることができた未来のことも、一人になった瞬間意欲すらわかなくなったほどだ。猿渡准教授も依田雅を失い、行き詰ってしまったのだろうか。


「まだ、暗号も解読できていませんし、もしかしたら猿渡さんのスランプも解決できるかもしれません。少し待っていてもらえませんか」


 僕は猿渡准教授を何とか説得した。


「うーん、うーん…………、わかりました。研究は保留と言うことにしておきましょう」


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