第6話 夕月(2)

 葵からすると訳わからなかったが、夕月にはちゃんととした理由があった。


 夕月の家庭はちょっとだけ他の子供たちと違っていた。彼女は生まれてきてから父親というものを知らなかった。しかし、彼女はそのことに不満を抱く訳ではない。


 僅か八歳であった夕月は同年代の子たちより物分かりがよくて、いつも難しい本を読んでいる。それは誰かから教えてもらった訳ではなく、ただ極自然に文字や数字などの記号への理解が早かった。

 ハイパーレクシア、自分が過独症かどくしょうであると知る前。聡明な夕月は女一手で自分を育てて、憂いのない生活を送らせている母親の偉大さを理解している。


 その故に、母親の負担を減らせるために、夕月は守り人カーディガンという強い身体能力を必要として、給料が著しく高い職業を目指した。


だがしかし。授業参観の日、嬉々として国語の授業で将来の夢として披露する頃、優しかった母親は血相を変えて初めて夕月を怒鳴った。

 夕月違和感を覚えたが、それでも夕月は母親が自分を愛している故の反応であると認識している。


 そう、夕月は自分がとても幸せだと思っていた。

 たとえ自分には同年代の子より頭がよくて身体能力もずば抜けていて、仲よくなれる友達がいなかったとしても。


 同時に、夕月は自分は普通の子であると思った。

 片親しかいない家庭なんて、世界にはごまんといる。たとえ世間には片親しかいない子はかわいそうと扱われる風潮があって、運動会で父親が来なかったことに変な目で見られて、後ろからコソコソ言われても、夕月は自分が哀れな子であるとは思えない。


 しかしながら、夕月はただの小学生であった。

 たとえ生まれの境遇に満足していても、心はまだ幼かった彼女は、周りに嘲笑されていることに腹が立っている。母親以外みんなも愚かで見た目しか見え浅はかな人間である。

 そう考えているせいか、夕月は目つきが悪くなり、ますます孤立されていく。


「あの、ひろせさん、だよね。いつも一人だね。ゆづきちゃんって呼んでいいかな? 」


 そして、ある日。普段通り屋上で一人の時間を楽しもうとする頃、同じクラスでとある少女が空気を読まずに、夕月の隣に腰を下して、満面の笑顔で声をかけてきた。

 夕月はその子のことを覚えている。

 黒髪に黒目。頭があんまりよくなくて、いつも先生の質問に答えられなかったものの、周りにはいつも人がいる閏間葵うるまあおい。夕月が大嫌いな人種だ。


「……」

「あれ? 聞こえてないのかな? ねえねえゆづきちゃん」


 泣く子には勝てない。道理の通じない人間を相手にした方がバカ──そのことを夕月は嫌になるほどに知らされてきた。だから少女がどれだけ声をかけてきたとしても、無視すると決め込んでいた。夕月は本を手にして、ページをめくる。


「あれ、もしかしてわたし、無視されてるぅ!? 」


 昼休みまるこどを使って、ようやくそのことに気がづいた葵。ショックのあんまりに涙目になって、頭をうなだれている。まるで漫画のキャラのように背景がガーンと書いているような大袈裟な反応に、夕月は思わずくすっとする。


「あ、ゆづきちゃんが笑った! よかったあ」


 急に日差しが強くなって、屈託のない笑顔を見せる葵の頬を照らす。目を刺すような光に浴びて、うわ、眩しいと言いつつ葵は目を細める。


「そうだね、眩しい」


 葵に聞こえないように夕月が小声でつぶやく。いつも変わった子と呼ばれて白い目を向けられた夕月からすると、葵のありふれた反応はどれも新鮮で、その笑顔は太陽よりもずっと眩しい。


 夏の真っ盛りに、小さな恋心が芽吹く。


 それから、葵は昼休みの度に屋上にやってきて、夕月と雑談する。最初は不愛想で冷たかったけど、顔を合わせる回数が増えて、夕月の表情が柔らかくなり、年相応の振る舞いを見せるようになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る