奇譚0003 奇妙な夢

奇妙な夢なんですけど、まぁ夢なんて大抵奇妙なものだろうと思うかもしれませんが、なんというか夢らしくないという意味で奇妙だったという感じでですね。とてもそれが夢だとは思えないほど鮮明に記憶しているからかな。何度も見ているからなんだと思うんですがね。

 自分にはよく見る夢っていうのがあるんですが、それはある人と会っている夢なんです。仮にAさんとしておきます。夢の中でAさんとよく酒を飲んでいるんですよ。居酒屋が一番多いですけど、自分家の時もあればAさんの家の時もあります。普通夢なら現実にはない店とか自分の家とかでもどこか歪んでたりするものでしょ?でも全然そんなことなくて現実と全く一緒なんですよ。夢だったら何か非現実的なことが起こったりするのに、Aさんと飲んでいる夢では特に何も起きないんですよ。Aさん以外の夢を見ることだってもちろんありますよ。そういう時は空飛んだり巨大な猫が出てきたり全然知らない人とよくわからない国を旅してたり、普段の夢ははっきり言って支離滅裂なんですよ。

 Aさんの夢を見始めたのは10年くらい前ですね。それから多くて週一回か少なくても月一くらいのペースでAさんの夢を見ていましたね。最初に見た時もこの店で飲んでたんですよ!その最初の夢はAさんと二人でこの店で飲んでいるところから始まるんですけど、当然知らないはずなのにAさんがどこの誰かって言うのはもう知っているんですよね。考えてみればそういうところはやっぱり夢って感じがしますね。自分はたまに映像のない夢を見ることがあるんですよ。なんていうか、文字だけっていうのか、情報だけの夢っていう感じなんですけど。映像で見るんじゃなくてある情報だけがパッと頭に入っているような、すでにその情報を知っているって感じるような。まぁそれはいいんですけどね。

 Aさんと初めて夢で会った時、Aさんはちょうど40歳なんで今は50歳ですね。なんかそれも奇妙ですよね。夢の中だけの人なのに一緒に歳をとっているんですよ。夢の中でAさんの誕生日祝って飲み代奢ったことだってありますもん。いつも奢ってもらってたんでそういう時ぐらいはって感じで。まぁ夢なんですけどね。

 初めてAさんと飲んで目が覚めた時は夢だって思わなかったんですよ。あまりにも現実感があって自然な感じだし、目が覚めてからもAさんは本当にいると自然に思ってましたし。酔っ払っていつの間にか家に帰って眠っちゃったんだって。体の中に酒が残ってる感じがありましたよ。でも実際にはその夜酒なんて飲んでないんですよ。夢の中で飲んでるだけなのに次の朝二日酔いになってるんですから人間の体ってどうなってるんですかね?それで朝起きた時にAさんに昨日自分がどうやって帰ったのか聞こうと思って携帯を見たんですけど、当然Aさんの連絡先なんて登録されてないんですよ。夢の中では連絡先をお互い知っているってはっきり認識していたから一瞬訳がわからなくなったんですが、昨日の夜は仕事終わってから普通に帰ってきて疲れてすぐ寝たんだっていう事実を思い出して、ああ、あれは夢だったんだってやっと認識できたんですよね。

 夢なんて大抵起きてしばらく経ったら忘れちゃうじゃないですか?でもAさんと飲んだ夢は実際にあったことみたいに覚えてるんですよ。何を話したとかもAさんがどこの誰で何をしてる人なのかもしっかり覚えてるんです。Aさんは元々大手の広告代理店でデザインやってたんですけど、今は独立して自分の事務所を構えてるんです。僕の絵を前に広告で使ってくれて、その縁でちょいちょい飲みに行くようになったんです。Aさんは結婚していてお子さんはいないですが、物凄く気立が良くて美人の奥さんがいます。Aさんの家にも飲みに行った事があるので何度も会ったことがありますよ。料理も美味いし、こっちが話が上手くなったって勘違いするくらい聞き上手で3人で飲んでると本当に楽しかったですね。

 ある日Aさんの奥さんに似た人を街で見かけたんですよ。夢の中じゃなくて現実にですよ。でも一瞬自分が夢を見ているんじゃないかって錯覚しましたよ。追いかけようとしたんですけどすぐに見失っちゃって。それで思い出したのが、そういえばこの近くにAさんの家があるなって。そう思うと行ってみたくなっちゃうじゃないですか?それで行ってみたんですよ。どうだったと思います?あったんですよ。夢の中の記憶通りのマンションが。実際にそのあたりになんか一度も行った事ないんですよ。それで思い切ってエントランスからAさんの部屋番号を呼び出してみたら女の人が出たんです。「Aさんのお宅はこちらでしょうか?」って訊くと「いいえ違います」って言われちゃって。まぁ当たり前ですよね。それで何だか狐につままれたような気分で帰っている時にふと気が付いたんですけど、さっきの女の人の声がAさんの奥さんの声に似ていたような気がして。でももちろんそれ以上確かめようもないんですけどね。さっき見かけた奥さんも本当に似ていたのか、自分の頭がおかしくなって似ているように見えたのか。それからちょっと怖くなっちゃって。夢が現実を侵食していくような感じがしちゃったんですよね」

 話し終えてシロサキは生レモンサワーのジョッキを飲み干した。「ちょっとネットに投稿してみようかと思うんですよね。アカイさんどう思いますか?」そう聞かれたアカイは島ほっけの骨と身を綺麗に切り分けながら「嘘臭すぎないか?」と言って島ほっけの脂の乗った白い身を口の中へ入れた。「いやいやマジですってマジマジ」そう言いながらシロサキは立ち上がると腹を摩りながら「膀胱がトイレに行きたがってるんで」とトイレに向かった。

 まぁ面白い話ではあるけど、話す相手は俺じゃないだろうとアカイは考えていた。そのAさんってのはどう考えても俺をモデルにしてるじゃねぇか。広告代理店を辞めて独立して、子供はいないが気立が良くて美人の嫁とマンション暮らしで、シロサキとの出会いもあいつの絵を広告に使ったことが縁で今もこうして飲んでるわけだ。まんま過ぎるだろ。いや待てよ。あいつ仕事に使えるんじゃないかと思ってこんな話してんじゃないだろうな?そう思ってアカイはしばらく考えてみたが仕事で使えそうもなかった。やっぱりネットに投稿する為だけに作ったのか?全く暇な野郎だな。でももしあいつが本当にそんな夢を見てるっていうなら今は夢の中ってことになるのか?そしたら俺はあいつの頭が作り出した虚構の存在ってことになっちまうな。まったく勘弁してくれよ。そんなことを考えながらアカイは島ほっけを食べ終わりビールのおかわりを注文してそれを飲み干してもシロサキはまだ戻って来なかった。あいつまさか吐いてんじゃねぇだろうな?そう思ってアカイはトイレに行くがシロサキの姿はなかった。あいつどこ行ったんだ?まさか何も言わずに帰ったのか?携帯に電話をしてみるがずっとコール音が鳴るだけだった。メッセージを送っても既読にすらならない。しばらく店で待ってみたがシロサキは戻ってこなかった。

 一度家に帰ることにした。明日の朝連絡してみて連絡がつかないようならシロサキの家に行ってみるしかない。アカイは妻に相談してみようと思ったが部屋の電気は消えているのでもう寝ているようだった。アカイと妻は別の部屋で眠っている。静かに自分の寝室へ向かってベッドに入るとすぐに眠ってしまった。夢は特に見なかった。

 朝起きると妻の姿はなかった。どこかに出かけたのかもしれない。こんな朝に珍しい。どこかへ出掛けると言っていたか思い出そうとしたが思い出せなかった。特に急ぎの仕事は入っていないので事務所には昼過ぎに行けばいい。まずはシロサキに電話を掛けるがやはり出ない。昨日送ったメッセージも未読のままだ。シロサキの家に行ってみることにした。シロサキの家はアカイのマンションと電車で二駅の距離にある。シロサキの家は小さいながらも二階建ての一軒家だ。ここで一人で暮らしている。アトリエも兼ねているということだった。駅からは割と遠いのでそれほど家賃も高くないらしい。表札の下にインターフォンを押す。「はい」という声を聞いてホッとしたのと同時に頭にきた。「シロサキか?どこ行ってたんだよ?心配したぞ!」つい声が大きくなってしまった。まだ朝と言っていい時間帯だ。アカイは周囲を見渡した。これから通勤するであろうスーツ姿の通行人がこちらを見ていた。「おい、とにかく顔見せろよ」とアカイはインターフォン越しに小声で言った。「えっと、どちら様ですか?」という声だった。一瞬家を間違えたのかと思って表札を見たが間違えていない。何度もきた事があるシロサキの家だ。「シロサキさんのお宅ではないですか?」「シロサキですが」そりゃ表札にもそう書いてるんだから当たり前か。「シロサキマナブさんはいらっしゃいますか?」「私ですけど」どういう事だ?シロサキは昨日何かがあって記憶を無くしてるんじゃないか?アカイが頭を混乱させて動揺していると玄関のドアが開いた。そこにはこちらが知っている顔とは違う男が出てきた。怪訝そうにアカイを見ている。顔だけ出していつでもドアを閉められるようにしているのかもしれない。「すいません、朝早くに。他にこちらに住んでいる方っていらっしゃいませんか?」「いいえ、僕一人です」

 アカイは電車の中で考えている。どういう事なんだ。シロサキの家に行ったら同姓同名の知らない男がいた。シロサキは俺が作り上げた妄想の産物か?バカバカしい。それに今まであいつと会っていた記憶は現実としか思えない。「それは奇妙な夢だったんです」というシロサキの声を思い出す。もし妄想なら携帯にシロサキの番号が登録されてるのもおかしいじゃないか。この番号でシロサキと何度も飲みに行く約束をした記憶がある。でも本当に?

 事務所に着くとアシスタントのアオヤマが「あれ?」という顔でこちらを見た。まさかこいつも俺を知らないなんて言うんじゃないだろうな?とアカイは身構える。「社長今日はこっち来ないんじゃないんですか?」と言われた。「そんなこと言ってないよ」とアカイは椅子にどかっと座る。急に疲れが出た。「そうですかね〜」とアオヤマは納得していない顔で仕事に戻る。そういえば嫁は今日どこに行ったんだろう?と気になって連絡しようと携帯で妻の番号を探すが見つからない。あれ?なんで。怪訝な顔をしているアカイを見てアオヤマは心配そうに「どうかしました?」と聞いてくる。「いや、嫁の番号を間違えて消しちゃったかも」と言うとアオヤマは驚いて「え?社長いつ結婚したんですか?嫁ってなんですか?」「は?」どうも話が噛み合わない。アオヤマは俺が結婚していることを知らないはずがない。家にも何度か遊びに来て嫁とも何度も会っている。そう言っても話は並行線のままだった。

 妙に疲れて仕事をする気も失せて適当に話を流して家に帰ってきた。嫁はまだ帰っていない。嫁の部屋を見ると物が何もなかった。クローゼットにも自分の洋服だけで嫁のものが一切ない。外は真っ暗だった。さっきまで昼くらいのはずだったのに急に時間が圧縮されたみたいだった。もう何かを考える気力がなく棚からスコッチを出してストレートで飲んだ。このスコッチはシロサキが持ってきた物だった気がするが違うかもしれない。決定的に何かがズレてしまったという感覚がアカイの奥深くにスコッチと一緒に沈み込むようだった。既に真夜中だった。携帯が鳴った。シロサキからだった。急いで通話ボタンをスライドさせる。「あれ?アカイさん?やっと繋がった!心配したんですよ!何度かけても電話出ないから!」「そりゃこっちのセルフだ!どうなってるのか説明しろよ!」「うーん」とシロサキはちょっと躊躇ってから話し始めた。「昨日一緒に飲んでる時に話したこと覚えてます?奇妙な夢の話。あれがよくなかったんだと思います。あの話をしたらアカイさんいなくなっちゃったから。もう会えないかもなって思ってたんですけど、でも連絡ついてよかったです。アカイさんと会ってから十年間ずっと言ってみたかったことなんですよ。夢の中で夢にしか存在しない人にこれが夢だってことを言ったらどうなるのかってずっと気になってたんですよ。でもそれを言ったことでアカイさんに会えなくなるかもって思ったら、ついAさんって仮名で誤魔化そうとしちゃいましたけどね。ちょっと、アカイさん聞いてます?」アカイの姿は消えていた。スコッチウイスキーは空になっていた。外は永遠に真夜中だった。



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