第09話 エピローグと信明日記


 僕は涙を流し嗚咽しながら少しずつ冷たくなっていく信長の首を風呂敷に包む。


「首が無いことが露見すれば追ってが放たれる。兵の首を幾つか落し、信長さまのお体と合わせ露見を防ぐために火を放つ」


 蘭丸はそう言うと用意を始めた。

 弥助は「テツダウ」と言って首を落し、死体を集めている。

 幾つかの首を風呂敷で包んでダミーを作ることにした。


 信長の遺体上に畳を乗せ火をつけた。


「さあ逃げるぞ、殿様に首だけでも届けなくては……」


 その時時間が止まった。

 これは比喩でも何でもない。

 先ほどまで色付いていた世界から色が消え濃淡だけの灰色の世界になる。


 だけど僕だけが動ける不思議な世界。

 天狗が現れてこういった。


「神仏の法力で時間を少しだけ止めて貰った。君には弥助をいまここで殺しなり替わって貰う必要がある」


「弥助を殺す? 史実では弥助は明智軍に降伏し、南蛮時……キリスト教会に送られるハズじゃ……」


「今、史実よりも日本語を理解し武芸の基礎を身に着けた弥助が史実通りの事が出来るとでも? 君は弥助を活躍させないために動いてきたじゃないか? 活躍だけじゃなくて命も奪うだけだろ?」


まるで今までもやってきたことだ簡単だろ? とでも言いたげなその言葉は、正に人間のモノとは思えない情なんて欠片も感じさせず。目的のためなら手段を択ばない殺し屋でももう少し感情的だと思う。


「簡単に言うな! 生きてるんだぞ!?」


「生きてるだけなら虫や植物だってそうだ。人間は常に奪わなければ生きていけない。

賢いから可哀想、動物だから可哀想、痛覚がないから食べてもいい。生き物から搾取するのは行けない。食べないと生きていけないから植物までならセーフ……実に傲慢だと思わないか?」


 天狗は楽し気に空を泳ぐ。


「他者に依存した生き物だ。神の似姿として作られたが故に、極めて高度な思考を持って倫理や法と言った枷を自らに嵌めているだけのケモノだ。

君のその感情はエゴ以外に他ならない。歴史改ざんし自分達の都合のいいように改ざんする者共から、歴史と言う民族的アイデンティティを守ると決めたのなら、ためらうな。譲れない一つをのために何を犠牲にしても進め君は魔縁……魔物と契約したんだから……」


「弥助に事情を説明すれば納得してくれるハズだ」


「君は何も判っていない。主君の死を目にして気がふれたとしてか思われないよ……」


「……」


 僕は言い返すことはできない。


「可能性をゼロに近づけるためには、弥助を殺し君が弥助に成り代われ……」


「は?」


「はあ? 殺すにしても肌の色はどうするんだ?」


「ファンデーションと墨がここにある。これで君や弥助と面識の薄い明智やその家臣程度なら誤魔化せる」


 確かに身長約180センチの弥助と比べるとやや小さいもののこの時代としては極めて大柄な僕が細工すれば弥助に見えなくもない。


「さぁ殺しなさい」


「僕には出来ないっ!」


「……仕方ありませんね」


 そして時は動き出した。

 突如弾丸が飛んできて弥助と蘭丸を撃ち抜いた。


「弥助!」


 僕は弥助を抱きかかえる。


「ニっグロ……イキテ、クビヲ……」


 そう言うと息絶えた。

 ツンと鼻を付くのは錆びた金物のような血の匂いに交じって、糞尿のすえた匂いが混じり濃密な死の気配を自覚させる。

 少しずつ冷たくなっていく弥助の大きくガタイのよい身体の感触を僕は生涯忘れることはないだろう。


この安土桃山時代に来て僕は何人殺したのだろう? 五人? 十人? それだけですめば少ない方だ。

多分五十人ぐらいは殺している。もうたくさんだ。


「天狗!」


「これは歴史の修正力で己は何もしていません。強いて言えば貴方が観測したことが原因でしょうか?」


「観測?」


「観測するまではあってないようなもの、最初にご説明した通り、観測するまでは事象は確定あるいは優位にならないのです。

神々の特権であった火や堕落に繋がる知恵を与えられたように、元から想像と観測の力を持っているのです。箱の中の猫や二重スリット実験仮定し想像し検証し観測することで確定させる能力……その現象が正史の壁を越え弥助を殺したのでしょう」


「弥助は生きていたハズだ!」


「本能寺の後まではです。つまり、弥助の役目は終わったもの同同じ異物であるあなたでも果たせると判断されたのでしょう……」


「身勝手な」


「歴史とは汎ユーラシア的に言えば織物と関連ずけられるもの。女神が紡ぎ記録するミスは紡ぎ直せばいいと考えたのかあるいは、多少ミスをしていても気にしないでしょうか?」


「あなたはこれで後顧の憂いなく弥助を見事努めなさい」


 こうして僕は遺体に火を放ち、明智軍配下の武士に降伏した。

 明智光秀はこういったと言う。


「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さずとして、インドのパードレ聖堂に置け」


 こうして僕は本能寺から約200m離れた南蛮寺に送られた。

 即座に炭を落し仏僧の恰好に着替えると、駆け付けた阿弥陀寺の住職に首を預けると、僕は原宗安の命を受けた僧侶と名乗り、信長の側室の興雲院あるいはお鍋の方に信長・信忠の霊牌を託した。


 僕は天狗にかけあって、織田左衛門信明として一冊の本を書き上げた。


 『信明日記』、庶民の暮らしから弥助や信長の実像を克明に記した一級の歴史資料を作ることで歴史の観測点を増やし歴史修正主義者を排除することこそが、僕の出来ることだと悟った。


 何冊も書き上げた『信明日記』を、信長と縁のある西山本門寺、阿弥陀寺、熱田神宮の奥の院とされる竜泉寺など寺社に奉納する。


 本当は正倉院にも置きたかったけれど、コネが無かった。

 一冊でも残ってくれれば歴史になる。

 僕は記録の正確を担保するために、太田牛一の本を記録した。

 彼の本にも記録を残して貰った。


 辞典をソースに論文や本を出すこれを円環のように続けることで信ぴょう性を上げられるのだとメタルリーや丘から学んだ。

 源平の隠れ里で僕は僧侶として生活している。

 それは夏の日差しが強い日のことだった。


「やるべきことは終わったかい?」


 天狗は現れてこういった。


「ああ、これでこの歴史がねじれることはないだろう?」


「では君を元の世界に返してあげるよ」


「しかし、年齢が……」


「今君は五十だったかい? 竜宮城で過ごした浦島太郎のように君が取り残されることはない。記憶だけ保持したまま、元の時間よりも数秒先の未来に戻ることが出来る」


「……僕は戻るつもりはないよ」


「妻子だっていないのにかい?」


「……疲れたんだ。このまま楽になりたい。選ばれた特別な人間のまま死にたいんだ」


「……君は偶然選ばれただけだったとしても?」


「ああ、幻想の中にいることも幸せだと気が付いたんだ」


「……」


「ならより元の世界に戻したくなった……己は性格が悪いんだ。自分が守り改変した結果がどんな未来を創るのかその目で確認するといい」


 僕は目を覚ました。

 カンカンと照り付ける太陽は夕焼けに変化し、剥き出しの土の道はアスファルトで舗装され、日中に溜め込んだ熱を放出している。


戻って来たんだ!


 僕はスマホで確認した。


【日本で最初の外国人侍と喧伝していた黒人侍弥助。関連作品制作中止!】


 一度は形だけ謝罪しさらに炎上した会社の全面降伏に近い発表は心を躍らせる。

 ネット番組や映画・ゲーム出版社など関係者が続々と謝罪し、なおも発表されるコンテンツは、歴史的な事実を背景に持つフィクションで「歴史に詳しい方にも楽しめる」と言う発言は過大だったと明言することで継続、コンサルティング会社は謝罪することなく逃亡した。


 ネット番組や国営放送は謝罪。


『国立博物館大使や日本政府観光局特別顧問』の英国人デーブ・アトキンソン、

『日本最高学府の助教授』丘美保子、

『帝都外国語大学特任准教授』のポルトガル人で丘の夫のルシア・デ・ソウザ

『元共産党員でヘルス科学大学特任教授』の比良山優、

日出ひいずる大学助教授』のユダヤ系英国人トマス・メタルリー


 彼ら彼女らの対応は様々だったが、一部の国会議員や『レタスの人』や『フグ太』『頼むぜエイタ』などの数多くのyoutuberやインフルエンサーの動きもあってか、アカウントを消して逃亡や、謝罪するなど一定の鎮静化を見せていた。


 最後の一押しとなったのは『信明日記』……つまり僕が記した記録だったようだ。


 他の記録にも黒人奴隷が日本で流行っており、大名の間でステータスになっていたことや、六千人規模で黒人奴隷がいた。日本が奴隷貿易の拠点だったなどが明確な嘘であることが記してある。


 そのせいで丘やメタルリーは国人と黒人の区別が付かない漢字も読めない日本語文盲とヤジられている。

 個人的には弥助に触れることがタブーになるぐらいなら、三毛猫や野獣先輩、青桐高校のように炎上騒動がネタになるぐらいまで昇華できることを祈っている。


『当たり前の常識や日常、他の書物の一文に至るまでよかれと思うことを日記に記せ、後の世の人間のためになると信じ、記録に残すことこそ知識人である諸君らの責務と心得よ。

読んだり借りた本は余裕があれば複数写本をし記録する。自らに一冊寺社や友邦に一冊渡す。さすれば、災いによる先人の知識や経験の完全な消失を避けることが出来るだろう』


 この一文から始まる『信明日記』の大きな功績は、武士や僧侶、神職や公家、商人の間で書き記すことが流行りその地域の日時、天候。噂や風俗など以降の時代を介入前よりも克明に記した歴史的資料として重宝されている。


 原本が失われた書物も引用という形で一部あるいは、その全てが記録され写本と言うカタチで完全な消失を免れたようで、御三家水戸藩を傾けた大日本史の調査はより膨大になったようだが……負担は軽減されたようだった。


 後の世では1581年頃に彗星の如く現れ、大きな活躍も無かった織田・左衛門・信明は、それ以前と1582年以降の記録が自伝である『信明日記』にしか記録がないものの、『信長公記』や『家忠日記』にも信明と言う人名記録があることからかなり身分の高かった人物のようだと言うのが共通見解らしい。


 歴史を正した影響を受けた彼らの中には、「信明なんていなかった捏造」「エビデンスは?」と元の記憶が残っているのか綺麗なブーメランが帰って来ていた。


 もしかして彼らは、世界の変化を観測できる能力――運命探知の魔眼リーディングシュタイナー――に目覚めたのかな? もしかしたら一生付きまとう違和感や恐怖が彼らに対しての神仏からの罰なのかもしれない。

 だったら僕にも報酬がほしいところだ。



 家に帰ると祖母はご馳走を作って待っていてくれた。

 他ではあまり見ない酢飯の上に、刻んだ海苔とワサビ醤油に付けたマグロを乗せ甘辛い醤油タレをかけたマグロ丼だ。


 腹がはちきれそうなほどたらふく食べ、温かい湯舟に浸かる。

 なんだかどっと疲れた。


 風呂上りにハーゲンダッツを食べていると窓の外が輝いた。

 流星だ。


 僕は流星が流れる夜空を見上げてこういった。


「信長さま、蘭丸、弥助、貴方達の事は忘れません……」


 星に願いを祈った。

 二人の首は僕と住職で中身を確認せず弔っている。

 だから歴史通り、信長の首がどこに行ったのかは不明のままだ。

 黄昏ていると耳に馴染んだケモノの声が聞えた。


「信明さま数時間ぶりですね。はーい」


「げっクソ天狗……」


「弥助問題を解決された信明さま先ずはお疲れさまでした。そんな信明さまに是非お願いがあるのです……」


「いやだ。絶対にいやだ」


「坂上田村麻呂やアイヌが黒人だと本気で宣う愚か者共のために証拠を作りにいきませんか? あるいは、明智光秀を死の運命から救い出し天海大僧正に仕立て上げるでもいいですが……」


 僕は悟った。これは僕の役目ロールなのだと。

 仕事をした後に報酬として美人で爆乳の彼女でも神仏に願おうか? 英雄が冒険を終える時地位や名誉を手にするのは城跡だ。


 毎年出雲で縁結びを決めるらしいから、11月か12月には彼女が出来る。聖夜を性夜にして全力でホワイトクリスマスを楽しんでやる。


「それ夏休み中に終わる?」


「終わりますとも! さあ、旅に出ましょう。

母親の呪縛を解き放ち、少年は大人になるのです。

『男子三日会わざれば刮目してみよ』とは呉の名将呂蒙の言葉ですが、三日で足りなければ十三倍の約40日の夏休みの間に漢にしましょう。クラスの気になるあの子が一夏の間に女となるように……」


 中学時代初恋? の女の子が三年の先輩と付き合って一夏の間にオトナになったことを思い出し、地味に精神的ダメージを受けた。


「ぐは」


 やはり流星とは凶兆らしい。

 天狗は本来、流星の事だったと言う話を思い出した。

 そう言えば昨日も流星が流れて……僕は考えるのをやめた。



 神仏に選ばれた少年「小田信明」。幾つもの時代を巡り、その瞳は何を映すのだろうか? これは天狗が導き少年が記す知られざる歴史の裏の物語。


その序章なのです。

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