第07話 浪合の襲撃と家忠日記


 僕達は信長さまの命令で弥助と名付けられた黒人に、日本の文化風習を伝えることになった。

とはいっても、アフリカ出身? の弥助はイエズス会の関係者が話している言語を第二、第三言語としているようで、第四言語以降となる日本語の習得は難しいようだ。


……と言うか奴隷身分がこんなに多種多様な言語を習得できる訳がないと思うんだが……


「天狗史実ではどうなんだ?」


「記録されていませんので良くわからない、と言うのが実情です。

しかし、歴史が書き換えられている今はトミー何某の捏造通りになるでしょうな……」


 しかし、歴史の修正力がそうさせるのか弥助はあり得ないようなミスをする。


「駄目だよ。巻物は上から下か右から左に書くんだ。下から書くなんて……」


 揚げ足を取るようだが字が間違っている。

 天才設定のキャラクターを凡人感丸出しの人間が演じているようで見てられない。


 歴史改変のせいで日本人に嫌われている弥助だが、全てはトミー他ポリコレ及びそれらを利権とした連中が諸悪の根源に他ならないと思っている。

 そう思って弥助の勉強を見てやっているとロクな歴史的イベントがないのか一日で数日も日々が過ぎていった。


 緩やか且つ瞬く間にカレンダーが捲れていくような、平熱の日々は過ぎ去り、数日で一年が経過した。


 1582年3月5日信長は安土城を出発した。

 信長と弥助が共に過ごせたのは一年半ほど、とても伝説の侍(笑)に成れるような戦はないと思うのだが……


 昨年の天正九年(1581年)五月。越中(現在の富山県)の栖吉城城主で上杉家家臣『河田長親かわだながちか』の急死により、その隙を突いて織田軍は進攻を開始。

 これが後の世で『甲州征伐』と呼ばれる甲斐・信濃・駿河・上野の四国(現在の山梨・長野・静岡・群馬)へ侵攻しする大戦の状況を動かした。


 前提となる歴史は一五七二年に遡るものの、長くなるので割愛する。

『甲州征伐』は、武田側の娘婿の裏切りや火山の噴火など色々あって、こうして『天目山の戦い』の中で天正10年(1582年)3月11日、巳の刻(午前11時頃)清和源氏河内流・新羅三郎義光 以来続く名門・甲斐武田氏嫡流は滅亡した。


 この時、信長公は信濃国境(現在の岐阜県中津川市辺り)を越えておらず美濃国の岩村城に滞在していた。

 同年3月14日。浪合なみあい(長野県下伊那郡の西南部に位置し、岐阜県に接した村)に進出した信長の元に武田家当主親子の首が届いた。


 塩漬けにされているのものの人間の生首なんて初めて見た。

 そのせいか気分が悪い。


「武田四郎(十七代当主武田勝頼)と太郎(勝頼の子の武田信勝)は死んだか……」


 一段落付いたとでも言う声音で信長は呟くと、清酒が並々と注がれた盃を傾けた。

 相変わらず畳は四角く、信長が座っているのは床の間だけれどなんか絵になる。


「なあ清酒って江戸時代からじゃないのか? それまでは濁り酒……どぶろくみたいなのが一般的だって訊いたけど……」


「間違いではありません。『播磨国風土記』と言う約四〇〇年頃の記録に「清酒(すみさけ)」と言う名前で記録がありますから、間違いと言うのは過言ですが、だからと言って一般的だったと言うのは盛りすぎです」


「ならいいか……」


 ガバガバの世界観過ぎてどうしても直ぐに疑ってしまう。

私の悪い癖です。

 天狗は珍しく押し黙ると、長い耳をピクピクと動かしてこういった。


「小田さまご注意下さい敵襲です!」


「て、敵襲だって!!」


 僕は驚いて大声をだした。


「敵襲だと!!」


 信長公も膝立ちの状態から即座に立ち上がると、障子の向こうに控えていた小姓達も腰に佩した刀に手を駆ける。

 

 次の瞬間、庭に闖入者が現れた。

 人数は十人と言ったところ。

 傍に控えた小姓よりも人数は少し多い。


 僕も腰の剣に手をかける。

 カチャリと音を立てて濃口を切り、いつでも剣を抜き放てるように準備をする。

 武芸の心構えなんてないけれど、抵抗する素振りを見せなければ殺されるだけだ。


もし酒を飲んで腹を割って話をすれば解決できると思い込んでいる愚か者がいるのなら、この状況からでもそんな戯言がいえたら信じてやる!!


「――っ! どうして我々の襲撃が露見している!!」


「奥に居る奴を見ろ! 恐らく弾正忠だ」


 襲撃者はターゲットを絞る。


「天狗、今からでも入れる保険ってある?」


「ありますとも……」


 天狗はニヤリと微笑んだ。


「以前知識を教授したように、武芸などの技術も教授することができます」


「だったら――」


 僕の言葉を前足をピンと立て天狗が遮った。


「しかし、デメリットも御座います。己はが知っている武芸は人間用のモノではなく上位の天狗となるために必要な教養として学んでいるため、身体に負担がかかります」


「負担……」


「具体的には骨が折れたり、筋を傷めたりするでしょう。しかし、天狗や僧侶が人間用に調整した剣術である京八流があります。日本の剣術の多くは神仏から賜ったと伝わるものが多いので恐らく大丈夫でしょう」


「天狗の術でなんとかならないのか!?」


「以前にも何とかした事例はあるのですが……神々の契約により歴史に残る戦に手を貸すことはできないのです」


「その割には悪戯には使うみたいだけどな!」


「はうっ!」


 そう言うと顔を逸らした。

 天狗のいう天狗の剣術とは恐らく京八流の源流だ。

 京八流は、『鬼一法眼』が八人の僧に刀法を伝えたことが源流だとされる剣術流派で、源 九郎 判官 義経が学んだとされている。


 京八流の派生には、兵法三大源流の一つの『念流』やその派生である『中条流』。ひ孫派生の『冨田流』と『一刀流』。玄孫派生には『小野派一刀流』が来孫流派には、幕末江戸三大道場の筆頭で現代剣道の基礎となった『北辰一刀流』がある伝統ある流派だ。


「微妙に信じられないけど信じるしかないか……」


「では術をかけます暫しお待ちください」


 真言のような文句を唱えると途端に身体の使い方が判った。

確かにこれは身体を傷める。

これは達人がその先に至るための技だ。


 合理の塊と言われた北辰一刀流の原型とはとても思えない。

 弥助の前に立って相手の剣を弾く。


キン、カーン、キーン。


 猛攻だが難なく凌げる。


「大丈夫か弥助?」


「アリガト……」


 良かった怪我は追っていないようだ。

 歴史を守り弥助を活躍させ誰もが認める侍とさせないためだ。

 僕は弥助と関わってこう思った。


 この世界に来るまでは、武士と言う根拠がなければだめだと思った。だけど玉虫色の答えでいいじゃないか、武士でも侍でも……ハッキリしないんだから。

 ただ専門家が憶測で語るのはダメだ。


 蹴りで強引に距離を開け、体制を立て直す。


 この時代武士の得物は弓と槍、刀はサブウエポンもいいところでつまり刀剣術を深く学び使いこなした武士は少なく、天狗流をインストールしたばかりの俺でも一対一なら勝てる!


 袈裟斬り、切上げ、逆袈裟とゲームで言えば強攻撃ばかり打ち込んで来る剛剣を、この時代としては恵まれた180センチ近い体格と体捌きで対応する。

 刀は打ち合うのには向いていないと言うが一度の戦闘ぐらいには耐えられるハズだ。


「そうだ やってみせろ信明!」


「何とでもなるハズだ!!」


「せやぁぁぁぁあああああああ!!」


 僕はバトルモノの主人公のように声を張り上げ体重で相手を押し出す。


「何? 義経ぎけい流だと!?」


 両目をカッと見開き驚きの声を上げる襲撃したを押し出し、そのまま袈裟斬りを放つ。

 首筋から脇腹にかけて綺麗に刃が入り骨ごと一刀の元に両断する。

 まるでビームサーベルで斬り裂いたように鋭利な切り口が顔を覗かせる。


「そのイキおいでヤッちゃってください。そんなアサシンなんか」


 感傷に浸るなんて贅沢なことをしている暇はない。

 俺が倒したのは実力者だったのだろう。

 恐れからか続け様に二人の賊が刀を構え俺めがけて襲い掛かってくる。

 

 一人目の袈裟斬りを往なし、そのまま返す刀で二人目の右腕を斬り飛ばす。

 刀を持つのも文字を書くのも右手つまり、ほぼ敵を無力化出来たというわけだ。


 しかしこのままでは、止めをさした人間が武功を立ててしまう。

 そのまま背後を振り返り、摺り足で近づくと態勢を崩した敵に刃を突き立てとどめを刺す。


 ベッタリと温かい返り血が付着するが今は何も思わない。

 多分感情が麻痺してるんだ。

 そのままの勢いで袈裟懸けに斬りかかってくる襲撃者の剣を刀の鎬に合立てて逸らし、そのまま斬りつける。

 しかし、人を殺すことに躊躇してしまう。


 だがその隙を突いて信長さまが一太刀入れ斬り殺す。

 ぶしゃりと音を立てて返り血が信長の右半身に掛かる。

 信長は気にした様子も見せずに僕の方へよってくる。


「よく相手の太刀筋を逸らせた腕を上げたな! 信明! しかし賊でもなんでも武功を上げねば一門とは言えど所領はやれぬぞ」


 人を殺すことを基本的に悪だと考えている現代人とは違う精神構造を同じ人間だとは思えない。

 知識では知っていた。

 しかし経験してはいなかった。


 実のない知識なんてゴミクズほどの価値もなかったのだ。

 ついさっきまで歴史上の偉人から同じ人間まで印象が変っていたのに、今では同じ人間とさえ思えない。


 得体のしれない何か……悪魔やロボットが人間のフリをしているように感じてしまう。



気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。



 そんなことを言いつつも自分自身が四人も人の命を奪っている……その事実に気が付いた時。


 胃の腑から熱い何かが込上げて来るのがわかった。

 嘔吐感我慢することは出来なかった。

 胃の中身全部を戻した。


 ぼどぼどぼど。


 汁っぽくそれでいて固形感のある液体が口から洩れ、床板を汚す。

 酸っぱい匂いが周囲に立ち込め鼻腔を擽り、更なる吐き気を想起させる。


 胃酸の味とエグ味が口内に残り不快感を加速させ、思考をよりナイーブなものに変化させる。


 生きた生物に刃を突き立て命を奪う。

 皮を裂き、肉を断ち、骨を砕き命を奪う感覚が刀身から柄、柄から手に伝わり電気信号として脳で処理をするその感覚がたまらなく気持ち悪い。



気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。



 人の命を思いなんて言っていた思っていた自分が気持ち悪い。

 所詮この世は弱肉強食、奪うか奪われるか。

 先進国が贅沢なものを食べらるのは、開発・発展途上国から搾取しているからに過ぎないのに目をそらし、偽善興じていた自分が気持ち悪い。


 この世すべてに嫌悪感を感じる。


「厄介なものですね。人間と言うのは……しかし人間をよく理解している己には判るのです。これから先が地獄だと、蜘蛛の糸も一筋の希望なんてこの世にはありません。不幸と言う名の死神は身構えている時には訪れないものですよ?」


 こうして、史実に存在しない。

 浪合の襲撃は武田側の最後の抵抗として歴史に記録されることになってしまったけど、弥助を活躍させ伝説の侍にさせないことには成功したのだった。


 信長さまのご厚意で湯舟に浸かり、和服も仕立の良いものに着替え天狗に気付けの呪いをかけてもらて一眠りしたら大分よくなった。


 こうして信長は、長子である織田信秀と重臣・滝川一益らにまかせた北条、徳川との共同作戦『甲州征伐』の事後処理を行うと四月に甲斐国(現在の山梨県)に向かい台ヶ原で生涯初めて富士山を見た。

 

 四月十日には甲府を出発し東海道遊覧に向うことになる。


 余談だが後に『真田幸村』として知られる信繁は、真田家が『滝川一益』の与力武将となった事で人質として差し出されている。

 関ケ原の戦いでは『真田幸村』が豊臣方、『滝川一益』と兄の『真田信之』は徳川方に別れ戦をすることになる。


 この時代において兄弟で別々の勢力に付くことは家を繋ぐことを重要視していたため、度々用いられてきた。


「つまりここまでも、弥助が武勲を立てて伝説の侍になることはないと言う訳だ」


 現在は天正10年(1582年)4月?X日。

 【本能寺の変】が起こるのは同年の6月2日とあと二か月もない。

 弥助が戦場で戦った伝説の侍になるには、戦功も内政実績も足らない。これで伝説の侍になる道を閉ざすことは大方出来たと思う。


「その通りで御座います」


 僕たちは東海道遊覧の最中だった。

 

「なあ天狗、神仏って創作で敵にされたり、悪魔にされたりしてるじゃん? あれって怒ってる?」


「他宗教から悪魔だ神敵だとなじり、殺し会うことに比べれば良いと特に気にされていない方が多いようです。特に信仰が薄れたり、失われた神々はソシャゲにでるだけで嬉しいそうです」


「そう考えるとやっぱり弥助ってもったいないよなぁ……史実と言わなければ神仏の介入こうなっていないのに……『弥助がも゛ったいだいっ!!!!!』って気持ちになる」



「トミーの誉は電子百科事典書き換えで死んだんですよ」


トミーは『Wikipedia』だけに飽き足らず『ブリタニカ国際大百科事典』の書き換えも行った蛮行を悔い改めて……。

 そんな彼は、創作物をポリコレで汚染した創作界のコウモリ。邪神アニタ・サーキスアン。通称アニサキスよりも、日本で嫌われていると思う。


 トミーの捏造の影響か日本語が上達し、武芸も修めた完全版フルパワーポリコレ侍YASUKEに近づいて来た弥助。



 他の小姓の証言でも水浴びや着替えの際に彼の視線を感じることがあるらしい。「あ、ふーん(察し)」ってやつだ。

ポリコレに歪められた(配慮の)結果?彼は男性が好きなのだ。


 僕も相手が女性なら目が離し辛いことは確かだ。

しかし性的対象が男の男性に性的に見られることがこんなに不快だとは気が付かなかった。

女性への視線にはマジで気を配ろう。


閑話休題。


 いつの頃からか弥助が帯刀し始めた刀はモザイクをかけても貫通するどこかのうんこの擬人化のように色んな権利を侵害するものだった。


「弥助その刀……」


「カッコーいいだろ」


 そう言って掲げたのは、海賊王の両翼と称される海賊狩りのマリモの愛刀にそっくりだった。

 太刀を腰に佩するためのパーツである下緒の部分には、柄のように紐が巻き付けられている。


 ノリノリなようでこの時代には似つかわしくないヒップホップのような鼻歌を歌っている。


「それって……」


 いや、何も言うまい。


「なんだ?」


いえヴぇ何もマリモ……」


「そうか……ハヤくキリたい」


「……だが山賊も織田の旗を見れば襲ってくることはないと思うぞ?」


 武将の掲げる旗には家紋やが描かれている。

 家紋と言うのは『逃げ若』で有名になった三つ鱗(ゼルダのトライフォースにそっくりな奴)などが有名だ。


 敵味方を識別することも出来るし、離れた所からでも確認できる。

 つまり勘違いして攻撃してくる無用なリスクを双方軽減できる訳だ。


「そうか……」


 少ししょんぼりする弥助。

 180センチはあろうかと言う長身の御男が、項垂れても可愛いとは思えない。


 歴史改変・修正の影響で信長と衆道の関係にあると言うけれど、この時代の日本人の平均身長160センチメートルより20センチ以上大きい弥助が受け(ネコ)と言うのは少しバランスが悪いように見える。


 一体どちらが攻めで受けなんだ……。

 ネット上で、HOMOBIを見て笑う文化が一〇年以上廃れておらず、耐性のある大抵の日本人(誇大広告)にとってもどうだっていい話だ。


 HOMOBIを見て笑うように弥助をコラにする文化が定着すればある程度解決するのに……


「気を落すな。城に帰るまでが戦だぞー」


 と遠足のようなテンションで声をかけておく。


「アリガト……」


 そう言って弥助は気を利かせて僕を独りにしてくれる。

 暦の上では日付が過ぎたと言えど体感では数日まえの出来事で、未だに食欲はない。

 天狗の術で無理やり食べている。


 4月10日信長は富士山見物に出かけ、家康の手厚い接待を受けた。

 宴席でのこと。


「酒でもどうだ? 気分が晴れるぞ?」


 後に天下を取る神君『徳川家康』公、直々に酒を進められる。

 首を振って断ると、家康は僕の隣に腰を降ろした。


「徳川さま顔色悪ですか?」


「ああ悪いとも、ワシは調薬が趣味でなおぬしのような武士の気持ちは痛いほど判る。賊から上様を守り、初めて人を斬ったそうだな?」


「ええ、ただ夢中でした」


 人たらしと言うと豊臣秀吉のイメージが強いが人の上に立つ家康も聞き上手、話し上手のようだ。


「こういう時は、酒か女か食あるいは……時が解決してくれるものだ」


「徳川さまもこういったご経験が?」


「あるとも。武士として恥ずかしい話だが、ワシは恐怖のあまり糞を漏らしたことがある。武士として人を斬るのは避けられぬ、ワシは武士をすべからく都の役人になるような安寧の世を願って折る。現状それが出来るのは上様だけだ」


 少しだけ救われた気がした。

 確かに二百年以上にわたる長期政権を築いた英雄の未来を見る目は確かなようだ。


 4月12日駿河興国寺城(現在の静岡県沼津市)に入城し、北条氏政に接待を受けた。


 初陣による心労があるだろうと、ここでも良い扱いをしてもらった。

 翌日金魚の尻尾の内側から、富士宮市を越え尻穴あたりの江尻城に入場。


 4月14日に田中城に4月16日浜松城に入城し、浜松からは船で吉田城(現在の愛知県豊橋市)に至り、4月19日に清洲城に入城。


 次に弥助が記録に残るのは、天正10年4月19日(1582年5月11日)。

 弥助が記された数少ない資料の一つ『家忠日記』に弥助が記された日付だ。


 『松平家忠』は深溝松平家の四代当主で安祥松平家である現・徳川家康に服属していた。

 武将の何気ない日常から、戦、政治、外交などを印した記録だ。


 天狗によれば甲州征伐の帰国途上に目撃したとあるので、今日すれ違うなり同じ宿場町に泊まったりするのだろうか?


 食料関係がある程度改善した江戸時代でも、複数の殿様を宿場町が同時にもてなすことが出来なかったため、先客が居る場合前後の宿場に滞在し調整することもあったとか。


 補給の観点から見てもナポレオン(1769年~1821年)は軍隊を回遊魚のように絶えず動かし、村などから連続して徴発しないようにしたとか。

 まあうろ覚えだけど。


 清州城(名古屋近辺)から安土城へ向かう道中。松平家忠に遭遇した。

 行軍の脚を止め家忠と話を始める。


「これはこれは上様、申し訳ございません歩をとめさせてしまいまして……」


「かまわぬ。お主も領地へ帰るところ頃だろう?」


「さようでございます。ほうこいつが弥助という黒男……」


 信長さまの周囲に居て一際大きい黒人。弥助を見つけそう呟いた。


「大きいだろう? 身の丈六尺二分、相撲も強く十人力の力がある」


「それはそれは……」


「ではワシは急ぎ安土に帰る」


4月21日に安土城へ帰城した。


 織田家による武田討伐は奥羽(現在の東北地方)の大名たちに大きな影響を与え、信長の「天下一統」のために行動を起こし、信長への恭順の姿勢を明らかにしている。

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