第17話
小石が散らばるような未舗装の細い道を小1時間ほど走らせた場所に木々へ囲まれた施設はあった。
「これは…衛生写真にも載っていない。ここは森のはずだ」
まるで病院のような重厚な建築…低層だが広大な敷地だ。
「マップには幾つか改竄箇所がある…ここもその1つだよ」
事もなげに所長は答えた。
「これからの君の職場だ」
所長はそう言うと施設内へ深町を案内した。
新築の鉄筋コンクリート建造物、特有の匂いがする施設内を歩く2人。吹き抜けになったガラス張りの2Fが見える。かなり奥まで進んだが絵の1つも飾っておらず、人も少ない。先進的だが雰囲気は殺風景だ。深町は言った。
「私は…やはり子供の笑顔を最後まで大切にしたい。世界が滅びるとしてもです。無垢な子供達に残酷な犠牲を強いて生き延びた大人に価値があるとは思えない」
黙って歩いていた所長が深町に言葉を返すでもなく呟いた。
「死とは…不思議なものだな。意識すると日に日に支配的になってくる…寝ても覚めても意識するようになり、いつしか何よりも強い強迫観念となり人格を破壊するんだ…君のような愛情を私も昔は持っていたような気がするよ…」
虚ろな表情で所長は持っているセキュリティカードをリーダーに通す。
ロックが外れる音と共に、扉が開く。監視カメラがある廊下の先に扉。今度は顔認証だ。扉が開く。また廊下の先に扉…虹彩認証だ。
『照合を統合しました。Shinobu Nakahara様と確認しました。セキュリティカードを通して下さい』
所長がナレーションに従うと、ロックの外れる音がした。厳重過ぎる…息を呑む深町。扉が開いた。
暗闇に浮かび上がる美しい裸体の女性。
「これは…⁉︎」
動揺し暗闇を見回す深町。液体が充填されたカプセルに入った女性を照らす昏い灯りが、周囲を埋め尽くす、見慣れない装置を映し出している。女性に意識は無いようだ。
「GM4…14年前から、このカプセル内にいるよ」
扉が閉まると、仄暗い室内で所長が言った。
「理想的なプロポーションだろう…電気信号による刺激を与え筋力、身体機能やBMIに至るまで完璧な管理を行なっている…髪も時々、切ってあげているよ」
「所長が…ですか?」
深町が戸惑いながら問い掛ける。
「もちろん…理容師など呼べんしな。見ろ、排尿が始まったぞ」
女性の、脚と脚の間…局部の奥から、蛍光色の液体が漏れ次第に強く放射されると、カプセル後ろに接続された配管へ吸い込まれていった。
「私には…意識の無い女性に対する配慮が欠けるように思える。このブラックライト、必要ですか⁉︎」
言葉を歯がみしながら口にする深町へ所長は言った。
「衛生環境保全の効率上における理由だ。私が趣味でやっているとでも言いたいのかね?君だってやる事はやってたんだろ?彼女と」
「コンセンサスが得られれば良いんだ!そういう事は!」
沙由里をこんなモラルの無いジジイに預けるだと?冗談じゃない。敬語を忘れ怒鳴る深町の声が室内へ反響する。
所長はカプセルに視線を向け、目を細めた。
「この子は8歳の頃から此処にいる…変な事はせんよ。GM適合者は皆こうさ…普通に生活しているのは沙由里君だけだ」
沙由里だけは特別…深町は訊ねた。
「所長…沙由里、GM9だけは他と違うと言うのは…」
「深町君。人類があとどれくらいで絶滅するか知っているかね?」
カプセルを見つめながら所長が口にする唐突な問いに、深町は言葉を詰まらせた。
装置を操作しながら所長は言った。
「…2年だ。このままでは沙由里君のお腹にいる君の子供も七五三は迎えられまい…生まれて直ぐにあの世行きだ。これを見たまえ」
言葉を失う深町の視界に突如、0と1で構成されたホログラムが拡がる。青白く浮かび上がる膨大な数字の羅列が、リアルタイムで変遷しながら室内の暗闇を灯した時、天井が20m近くある事を深町は知った。
「こうした方が解り易いか」
そう言って所長が機械を操作すると、瞬く間に数字が複雑な変遷を見せ天井高くまで再構築されてゆく。0と1は深町の視界で限り無く増殖すると共にズームアウトされてゆき、数字が点へ、点が線へ、線が集合へ姿を変えると縮小は止まり、目の前にホログラフィが形成された。
「これは…東京中央新都心だ」
目を見張る深町が呟く。
「左様(さよう)…君は、阿頼耶識について聞いた事はあるね?」
所長の言葉に怪訝な表情をする深町。
「まあ、聞いた事くらいは…エビデンスが少な過ぎる気はしますがね」
「ごもっともだ…実証されている事象にエビデンスは必要無いからな。性質上、実証されている事すら公表できないのが阿頼耶識だ」
所長はそう言うと機器を操作し、街のホログラフィを、数字の羅列へ戻した。
「君の見ているこの数字は重力を0と1で数値化したものだ。これを応用しイェール大学研究チームは、PGE-Systemを開発し記憶の数値化に成功した。その過程で彼らは発見する事になる。街、人、記憶、そして地球に至るまで全ての数字は連鎖し繋がっていた。そしてその果てに数字が著しく変遷する領域が存在する事を。それが不確実性領域"阿頼耶識"だ」
何かを言いたげだった深町が、言葉を呑む。
「その不確実性領域は、何故かあらゆる存在の根底に存在しながら、鎖のように繋がっていた。母なる大地…いや泥沼のようにだ」
そう言うと所長は鋭く深町を見つめた。
「存在の外にある、不確実性領域の数値が確定すると、存在の数値が決定した。例外なく、だ。つまり全存在の命運は1つにつながった不確実性領域、阿頼耶識により決定されていたのだ」
「それはその…いやしかし」
困惑する深町へ問いかけるように所長は言った。
「そんなエビデンスを公表出来るかね?量子コンピュータの進歩により重力演算能力も飛躍的な速度で発展した。マーケット、株価、天気から果ては的中する馬券や宝くじ番号まで、演算による予測の精度は日進月歩で上昇を続ける中、不確実性領域の予測精度を人為的に高める事で、重力演算による的中率はほぼ100%を維持し始めていた」
口を噤む深町。
「この技術を市場に出す事は出来ない…当初、表向きはそうした特許技術を保全する為、創設されたのが我々QIFだ」
「表向き、と言いますと…?」
深町は当惑するように、ようやく口を開いた。
「的中率の上昇により更に遠大な未来を予測出来ると考えた我々は、研究を進める中、数値化した過去の歴史に奇妙な流れがある事を発見した」
「過去の歴史を数値化…」
唸る深町に所長は続けた。
「数値化された事象は前後の数値により値が決定し、物理世界の動態として表れる。これは絶対的な法則だ。だが人類史において過去に4度、数値が消失し、前後の値が加算結合されていた…これがどういう事か解るかね?」
「わ、解りません…」
力なく応える深町。
「当然だ。我々にも解らなかった。これは起きた事象の消失を意味する。量子力学的に有り得ない事だ…そして2年後に同じ事が起こる」
「で、でも過去に4度、同じ事が起きているんでしょう?人類は無事じゃないですか」
所長の言葉に異を唱える深町。
「もう1度言うが深町君、これは量子力学として有り得ない事なんだ。それが本当に事象の消失なのだとすれば、ね」
所長は液体ポッドに入った女性を見つめ言った。
「彼女達が教えてくれた…量子力学で説明出来ない事は数多く有るが証明出来ない事など何1つとして無い。有り得ない事など起こらないのだと…かつてよりこれを知り災厄天と呼ぶ者達の正体を」
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