参考作品の感想「削り氷に、あまづら/大隅スミヲ選者」
第二回は大隅さんです。わたし大隅さんの作品の世界観がとにかく好きなんですよね。大隅さんの「レジェンド・オブ・レスラー」という作品があるんですが、たぶん、カクヨムで「一番好きな作品のひとつ」と言えるくらいに大ファンです。あのロートルプロレスラーの空気感、半端なくて痺れましたね。
今作を拝読いたしましたところ、思う所がありまして、大隅さんに「どういうテイストの感想が良いとか希望はありますか?」と問い合わせをしたところ、公募を見据えたレベルのボコボコ系という回答を頂きました。
ということで、公募で二次選考通過できる作品の質を基準としたときの「ガチな意見」を書かせていただきます。遠慮の一切ないマジレスモードですので、歯を食いしばってお聞きくださいませ。
思う所と表現しましたが、本作を読ませて頂きまして最初に感じたことは、大隅さんの作品にしては「落ち着きがない」と思いました。もしかしたら、わたしが近況ノートで「選者パワーを」みたいなことを書いたので、慌てて書いてくださったからかもしれません。もしそうでしたら申し訳ありません。
何が「落ち着きがない」のかという説明をするために、まずは全体についてを評価をしたく思います。
①テーマ(今回であれば「夏」)をどう表現するか
②どんな読者を想定しているのか
③何を主体にして書きたいのか
④三人称で書く意味をどう定義しているのか
①につきましてはとても良いと思います。大隅さんらしく「平安時代の夏」を貴族しか食べられない削り氷とあまづらで表現しようというアプローチは他の作家ではなかなか思いつくものではなく、貴重なアドバンテージを持っています。何より平安時代に理解がない読者でも涼し気な削り氷はすぐにイメージができます。テーマ「夏」に対しては文句なく満点ではないでしょうか。
指摘をしたい順番ではないのですが、説明する上で、「どんな読者を想定しているのか」を②に持ってきました。
大隅さんはいつも「誰でも読める平安時代」を意識していると思います。この考え方は非常に好印象で、平安時代の知識や教養がなくともこの時代の雰囲気を味わえるという点においては大変良い心がけかと思います。
しかしながら、根本的な二点について大隅さんの意識や理解がきちんと成立していないと思いました。一つめは「素人読者への配慮の徹底度合い」、二つめは「平安時代に知識のあるマニア層への対策」です。
誰でも読めるということは、対象は素人から玄人(マニア)までのすべてになります。ですので当然どちらか一方ではいけないわけです。
まず素人側で読みますと「設定」「説明」が不十分だと感じます。あえてとても失礼な言い方をしますと原因は「作者の勉強不足」ではないかと思うのです。
(1)道長の立ち位置がわからない→作者が説明する意味を定義していない
(2)都と氷室の距離感がイメージできない→作者の頭の中にない
(3)氷室自体の描写が弱い→(おそらく)勉強不足
「素人にもわかる」ということは、わからせる方が膨大な知識と経験持っている必要があるのだという前提をまだ理解していないような気がいたします。幼稚園児に野球を教えるときに、「だいたいこんなもん」と教えることと同義レベルで捉えてはいないでしょうか。
原則、読者は作者が提供したこと以上のことはイメージできないのです。であれば作者自身は、氷室がどいうものであって、そもそもどうやって凍らせていたのか、どう保存していたのか、誰がそれを指示監督していたのか、その任免権者は誰なのか、氷の使用許可は誰ができて、誰が食べる事ができるのか、運搬人数、運搬設備、移動日数、真夏の気温で溶けてしまう一時間あたりの氷の量などを理解している必要があります。その上で、素人がイメージするために何が必要かの取捨選択とどう説明していくのかを考えなくてはなりません。
玄人側で読みますと、「物足りなさ」を感じます。わたしも平安時代は守備範囲外ながら歴史物を書いていたので、素人は気づかずともいわゆるマニアが読むとニヤリとする知識や前提あるいはウンチクをさりげなく混ぜておかないと薄っぺらくなってしまうことを知っております。
(4)道長が何故氷を所望したのか→事情背景を書いてみる。
この件につきましては次の③で説明いたします。
致命的に問題なのは③でして、「何を主体にして書きたいのか」が作者の中で定まっていないと感じました。仮に大隅さんがわたしの生徒だったとしたら、わたしの機嫌が悪ければ(無いのを知っている上で)「プロット見せて」と言うでしょうし、機嫌が良いとしても「もう一度コンセプトをわたしに説明できるくらいに煮詰めてきてください」と言うと思います。
本作を分解しますとストーリーの流れが二点ありまして、
(1)平安貴族が削り氷にあまづらをかけて夏の暑さをしのいでいた→テーマ「夏」を主体にしたストーリー
(2)氷室に氷と取りに行くという道中記→主人公らを主体にしたストーリー
になるのですが、どちらも作品の背骨という考え方がないのではと思うくらいにあいまいで、(1)がメインなのか(2)がメインなのかがはっきりしません。ときには(1)と(2)が混ざったりしていて、読者は「結局”誰の”話なの?」と思ってしまいます。
大事なのは「背骨(主体)を決める」「背骨は一本」という考え方です。もちろん(1)と(2)両方を主体として話を流れさせていく手法(洋画のドラマのやり方)もありますが、これまた大変失礼ながら、今の大隅さんには両方は厳しいかなというのがわたしの見解です。
(1)を主体にするならば、例えば道長が自分の娘を一条天皇の元へと送り込みたい(入内でしたっけ?)時代を選び、娘への暑気払いと一条天皇への「お伺い」(もちろんこれは一条天皇へのプレッシャー)として氷室から氷を持ってこさせるというストーリが考えられると思います。そうすれば素人は道長の野望や権力の強さを知らずとも、「こうやって平安貴族は氷を食べてたんだ」という話だけを理解して楽しめます(演出としては道長の娘に無邪気に美味しそうに食べさせればいいわけです)し、マニアには藤原家の血を皇統に入れたいという道長の悲願を削り氷を通して垣間見させることで、歴史オタクの気持ちを満足させることができます。前述した②の(4)もきちんと回収できますよね。
(2)を主体にしたいのであれば、具体的に道長を出さないほうがリアル感が出ると思います。道長を出すとマニア側がその設定に対する「厚み」を求めてしまうからです。やんごとなき方よりの命として、頼光と綱の道中記(怪談話)として話をすすめられると思います。そうすれば妖しい夜のシーンなどは怪談話「夏」のひとつとして読者は楽しめるのではないでしょうか。
(1)と(2)並行案ですが、大隅さんの作品で何が難しいかといいますと、(1)がしっかりしていない点は理解できたと思いますが、もう一つありまして、それが④になります。
そもそも「何故三人称で書いているの?」というわたしの問いに対して大隅さんは理屈でキチンと回答できますでしょうか。
原則、三人称というのは映画にたとえると、監督(作者)が役者(登場人物)に何かを演じさせることによってストーリーを視聴者(読者)に理解させる手法になります。ですのでどうしても役者同士の演技の中では説明できない部分を補うためだけに「語り」が入るわけです。
今回の大隅さんの作品の場合、
(1)役者がストーリーをキチンと流していっていない
(2)(1)ゆえに語りが多くなってしまっている
になっています。これは、その根底たる③何を主体にして書きたいのかという脚本がしっかりしていない結果、演技もグダグダになってしまっているという現象になります。
歴史物の基本スタイルは、「登場人物に演技をさせてストーリーを流していくスタイル」か「歴史的な事柄を客観的に説明していくスタイル」のどちらかになります。大隅さんの作品はどちらかに徹していないので、ときには冒頭部のような細かい描写的になり、ときには登場人物に演技させずに地の文で解説したりになっています。
歴史物を書くととかく説明的な文章になりがちですが、読者が読みたいのは「ストーリー」であり、地の文はそのストーリーに補足するのが役目になります。三人称で歴史物を書く際には、作者は監督としてどういう撮影手法(表現手段)をとろうかを考えてから脚本を書かかないと、質の悪い二次創作みたいな薄っぺらいものになってしまうのです。
最後に③の(1)と(2)の背骨二本ストーリーの書き方を説明して終わりたく思います。
三人称の良いところは、「主人公(あるいは場面)を切り替えられる」とことにあります。ですので。
道長ストーリー1
↓
頼光ストーリー1
↓
道長ストーリー2
↓
頼光ストーリー2
:
(本作の場合ですと)頼光ストーリーラスト
道長ストーリーラスト
という「全体設計」をすれば良いかと思います。
ですが、これはある程度の字数と、①~④までが(少なくとも作者の中では)きちんと成立したプロットを書ける能力が必要ですので、あまりオススメいたしません。
以上をまとめた感想として一言でいうと「落ち着きがない」ということになります。
誰にでも親しみやすい平安時代という大隅さんの心意気は大変素晴らしいと思います。あとは「歴史小説というのはどう書くのか」「大隅さんの書きたい平安時代をどう表現するのが一番魅力的なのか」を勉強・模索することではないかと思います。
そしてこれらの「基礎」が確立した上で、物語をどう演出するのかという「デコレーション部分」に腐心していけば良いかと思います。
面倒なことに、歴史についてはマニア読者の方が知識があったり勉強をしていたりします。ですので作家側は知識面で真っ向勝負をしてはならず、マニアがニヤリとするような「(作者自身の歴史解釈をした)世界観」を生み出すことで対抗せねばなりません。それも歴史知識が素人レベルの読者も一緒に連れていきながら、です。それができて初めて、「売れる売れないの世界」に立てるようになると思って頂ければと思います。
色々と書きましたが、卯月賞に出された作品は①から④についてかなりのポイントを獲得していたと思います。ですので大隅さんには十分な素質があると思います。
あとは、歴史に対する勉強を続けること、ロジカルに文章を設計する能力を高めていくこと、この二点を磨き上げれば、公募の二次選考突破は難しくないと思います。これからも頑張ってくださいませ。
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