【04-1】第二の事件(1)

鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこは、生田倫子いくたみちこ殺害事件の訊き込みを続けていた。

その日の訪問先は、生田が住んでいたアパートの大家だった。


大家は全焼したアパートの向かいにある一軒家に住んでおり、夫婦とも70を過ぎた温厚そうな風貌だった。

二人が尋ねた時、応対に出て来た奥さんが家に上がるよう勧めてくれたが、鏡堂はすぐに済むからとそれを固辞して、玄関先で話を聞くことにした。


事件当時の模様を訊くと、奥さんの方が憤慨して答えてくれた。

「酷いったらありゃしませんよ。

明け方に外が騒がしいもんだから、何だろうと思って出てみたら、うちのアパートが燃えてるじゃないですか。


もう、びっくりして、父さん叩き起こしたんですよ。

消防車が来た頃には、アパート全体に燃え移ってたから、どうしようもなかったねえ。


まあ古い建物だったし、保険にも入ってたから、そのことはいいんですけどね。

燃えちゃったもんは、どうしようもないし。


でもね。みちこちゃんが気の毒でねえ。

優しくていい子だったのに」


そう言って奥さんは目を潤ませる。

隣のご主人の方も、奥さんの言葉に頻りに頷いていた。

二人とも生田倫子いくたみちこの死を、心底から悔やんでいる様子だ。


「生田さんは本当にお気の毒でしたね。

彼女はどんな方でしたか?」

鏡堂は、いきなり事件当時の核心には入らず、被害者の情報から聴き取りを始めた。

相手に無用な不快感や、警戒心を抱かせないためだ。


「みちこちゃんはね。本当に真面目なでしたよ。

年はまだ若いのに、ちゃらちゃらしたとこが全然なくて。


それだけじゃなくて、面倒見のいい優しい娘でね。

ほら、この辺りは、野良猫が多いじゃないですか。


さすがにアパートでは飼えないからって言ってね。

毎朝早起きして、餌を上げたり、糞の掃除をしてね。


猫ちゃんたちが近所で邪険にされないように、一生懸命世話してあげてたんですよ」

その話を聞いた鏡堂は、天宮が言っていた、<地域猫>という奴だろうと思った。


「生田さんが、普段どんな生活をされていたかご存じですか?

例えば、彼氏のような方が訪ねて来ていたとか」


鏡堂の質問に、奥さんは即座に反応する。

「いや、そんな雰囲気は全然なかったわね。

若くて綺麗な娘だったけど、会社が終わったら、いつも寄り道せずに帰って来てたんじゃないかなあ。


男出入りもなさそうだったよ。

ほら、うちとアパートは目と鼻の先じゃないですか。

そんな男がいたら、さすがに気付くと思うけどね」


――この奥さんなら、すぐに気付くだろうな。

そう思いつつ鏡堂は、質問の向きを変えた。


「それでは、事件当夜のお話を聞かせて頂けますか?

もう何度もお話しされていると思いますが」

彼の言葉に、大家夫妻は揃って頷く。


「事件当日、明け方頃ですが、アパートの方で何か物音がしたり、人の気配があったりしませんでしたか?」

「それはなかったねえ。気づかなかっただけかも知れないけど。

でも、私ら年寄りは眠りが浅いから。

ちょっとした音でも、目が覚める筈なんだけどねえ」


「そうですか。それでは火事になって外に出られた際に、何かアパート周辺で変わった様子はなかったですか?

例えば、この近所で見かけない人がいたとか」

鏡堂の質問に夫婦は顔を見合わせる。


「いたような気もするけど、憶えてませんねえ…」

奥さんがそう答えると、ここで初めてご主人が口を開いた。

「一人おったんじゃないかな」


「それはどんな人物でしたか?」

「あれは多分、河本のところのドラ息子じゃなかったかな」

その言葉に奥さんが、思い出したように頷く。


「河本というのは?」

鏡堂は思わず訊き返した。


「河本建設の長男ですよ。

会社はすぐ近くだけど、家は随分前に遠くに引っ越した筈だから、あの時間にこの辺りをウロチョロしてるのは変だよね」


「会社に用事があって、来ていたということはありませんかね?」

「あんな時間にかね?

そんな働き者じゃないよ。


親父が社長だから一応専務に収まっとるが、なあんも仕事せずに偉そうにばっかりしてるって、あそこの職人連中がぼやいとったよ」

ご主人の答えはにべもない。


「その河本さんの様子はいかがでした?」

「様子なあ…」

そう言って考え込んだご主人に代わって、今度は奥さんが答える。

「今この人に言われて思い出したけど、ちょっとそわそわして落ち着かない感じだったわね」


「それは火事を見て、落ち着かなかったということではないんでしょうかね?」

その質問には、夫婦そろって首を横に振った。


「そんな殊勝な珠じゃないよ。どっちかというと、野次馬根性丸出しで、人の不幸を面白がるタイプだね」

奥さんが断言し、ご主人が大きく頷いた。

河本の評判は、この近所では芳しくないようだ。


「他に何か、思い出されたことはありませんか?」

「特にないかなあ」

奥さんが答えると、ご主人も同意するように頷いた。


その反応を見て、そろそろ訊き込みを終えようとした鏡堂が、大家夫妻に礼を述べようとすると、突然背後で猫の鳴き声がした。

振り向くと、先日の事件現場で見た猫とそっくりの茶虎が、既に整地された火事現場から、鏡堂たちを見ている。


「ああ、あの猫は、みちこちゃんが可愛がってた猫だね。

10年くらい前から、この近所に住んでる奴でね。


一匹狼だけど、この辺りのボス猫にも一目置かれてる感じかな。

他の人には寄って来ないけど、みちこちゃんにはよく懐いてたね」

奥さんが猫を見ながら、しみじみとした口調で言った。


その言葉を聞いて、鏡堂は訊き込みを切り上げることにした。

「本日はお時間を頂いてありがとうございました。

何か思い出されましたら、先程の名刺の番号にご連絡下さい」


大家夫妻に礼を言って、鏡堂は天宮を促し、大家宅を離れた。

焼け跡の茶虎猫は、まだこちらを凝視している。


「あの猫ちゃん、鏡堂さんに似てますね」

車に向かいながらぽつりと呟いた天宮の言葉に、鏡堂が「どこが?」と言って、心外そうな顔をした。


「一匹狼で、周りに一目置かれてるところが」

「俺のどこが一匹狼なんだよ?」

鏡堂はそう言って、益々心外そうな顔をした。


――この人、一課の中で自分が浮き気味なのに気づいてないんだ。

天宮はそう思ったが、それ以上は彼の機嫌を損ねそうだったので、黙り込む。


その時鏡堂の携帯が鳴った。

「鏡さん。また事件だ」

電話の声は、〇山署の末松捜査一係長だった。

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