【03-1】鏡堂の悔恨(1)

10年前の残暑厳しい頃、鏡堂達哉きょうどうたつやは〇山署捜査一係に所属していた。

その当時彼が担当した事件で、未だに容疑者を検挙出来ないままのものが一つある。

その事件が、県警捜査一課に異動した今も、彼の心の中で、大きな悔いとして残っているのだ。


事件の概要は、女性に対する強制性交及び放火殺人で、公訴時効が撤廃された2010年以降に発生した事件であるため、今でも形式上は捜査中となっている。

しかし慢性的な刑事の人手不足と、日々発生する事件の捜査が優先されることで、その事件の捜査が積極的に行われていないのが実情なのだ。


事件の被害者は畑野美穂子はたのみほこという、当時24歳の〇山高校教師だった。

自宅アパートで暴行殺害され、放火されたという点で、今回の生田倫子いくたみちこ殺人事件と酷似していた。

そのことが鏡堂の苦い記憶を喚起したのだ。


当時捜査員たちが抱いていた犯人像は、残虐である一方で、かなり緻密で狡猾な性質の男というものだった。

そのことは犯人の痕跡が、全くと言っていい程、現場に残されていないことからも明白であった。


そもそも犯行現場が全焼していたことが、犯人特定の障壁となっていたのだが、放火の目的は自身の痕跡を消し去るために、犯人が意図的に行ったものと推測されていた。

その結果、事件の捜査は困難を極めたのだった。


しかし鏡堂たち捜査員の執念の捜査が、ついに実るかと思われる時が来た。

犯人の遺留品と思われる物が発見されたのだ。


それは偶然の出来事だった。

現場付近で訊き込みをしていた鏡堂と末松の前に、何かを咥えた猫が現れたのだ。


生後一年未満と思われるその猫は、鏡堂たちの前で咥えていた物を落とすと、走り去って行った。

後に被害者の関係者から聞いた話では、その猫は彼女の飼い猫だったものが難を逃れ、野良になったものと思われた。


その猫が落として行った物は、十字のペンダントが付いたチェーンネックレスだった。

鏡堂が持ち上げて見ると、ペンダント部分に赤黒いものが付着している。


ある種の直感に打たれた鏡堂は、そのネックレスを慎重に持ち帰ると、鑑識に鑑定を依頼した。

その結果、ペンダント部分に付着していたものは、人間の血液であることが判明したのだ。

更にDNA鑑定を実施した結果、被害者畑野美穂子のものと一致したのだった。


その結果を聞いた捜査員たちは、一気に沸き立った。

そのネックレスは女性が身に着けるようなタイプものではなかったため、犯人が犯行当時着けていたものが何かの拍子に取れて、それを犯人が現場で見失ったと推定された。


さらに穿った見方をすると、被害者が犯人に抵抗した際に、ペンダント部分を強く握って引きちぎった結果、血液が付着したものということも考えられた。


彼らはまず、被害者の周辺に対して、ネックレスが被害者の持ち物だったかどうかの訊き込みを行った。

その結果、彼女が生前そのようなものを所持していなかったことが確認された。


次に捜査員たちは、ネックレスの購入者の特定を行ったが、その結果は果々はかばかしくなかった。

そのネックレスは比較的流通量が多いもので、アクセサリーショップなどで、手軽に購入することが出来たからだ。


ネックレス購入者の特定に行き詰った捜査員たちが次に行ったことは、被害者周辺に同じネックレスを所持している者がいないかの、徹底的な訊き込みだった。

特に高校生に対する訊き込み捜査は、一つ間違えば行き過ぎの批判を受けかねないため、かなりの困難を伴っていたが、学校側の理解と協力が得られたことが奏功した。


そして彼らの執念の捜査は実を結び、一人の容疑者に到達した。

その容疑者は赤松俊樹あかまつとしきという、当時17歳の高校3年生だった。


〇山高校に通う数名の学生からの証言で、彼が以前、証拠品とよく似たネックレスを身に着けていたが、いつの頃からか見なくなったということが判明したのだ。

勿論それだけで、赤松俊樹を犯人と断定することは出来ない。


そして捜査本部では、学校の協力を得て、彼から直接事情を聴くことになったのだ。

場所は〇山高校の職員用会議室だった。

事情聴取に当たったのは鏡堂と末松、そして学校側から赤松の担任と教頭が同席することになった。


会議室に現れた赤松俊樹は、鏡堂たちが想像していたのとは異なる、極めて平凡な印象の高校生だった。

身長は高校生としては平均的で、体形はやや細身だが、痩せすぎという程でもない。

やや色白な顔立ちや髪型にも際立った特徴はなかった。


刑事二人の第一印象は、こんな子が、あれ程残酷な犯罪を行うだろうか?――というものだった。

しかし彼らは、赤松に対してすぐに違和感を抱くことになる。

何故ならば、会議室に入って刑事たちの前に座っても、彼が常に微笑を浮かべていたからだ。


――普通、刑事に呼び出されたら、もっと緊張するものだろう。

そう思った鏡堂は、相手が一筋縄ではいかないと、すぐに悟ったのだ。


理由は明白だった。

赤松の眼が、顔の表情に反して、全く笑っていなかったからだ。


――こいつはこの状況を面白がってやがるな。

そう思った鏡堂は、彼に対する警戒レベルを押し上げた。

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