春の終わり
俺は何十年ぶりに出会った気分でテナを見た。
「俺たち、やったのか」
龍は倒した。そのことに確かな手応えを感じていたが、それでもテナの答えが聞きたかった。
「ルウィン……! やったんだよ! ボクたち!」
テナが叫びながら胸に飛び込んでくる。
「テナ……」
「ルウィン……」
「マンドレイク臭い」
「ミ゛」
なぜなら、背負い箱には元々大量のマンドレイクが入っていたからだ。質の悪い香水を使っているかのように、テナからは甘ったるい匂いがした。
「それが! ずーっと! 我慢して! 箱の中にいた! ボクに言うことなのッ!」
「すまない悪かったッ!」
テナが猫パンチをしてくるたびに、妙な匂いが飛んでくる。
「みんな戦ってるのに……ボクだけ隠れてるみたいで辛かったのに……」
「テナ……ごめん……」
テナは、今回の戦いにおける隠し玉だった。龍にとっての完全な死角から攻撃するという役目である。ただし、俺はテナに戦わせる気はなかったし、俺自身も戦うつもりはなかった。もしそんな状況になるとすれば、それはテナが命をかけることを意味するからだ。
「のっほっほ! よくやったの!」ウォロクが歩み寄ってきた。「本当に、よくやった……!」
俺とテナはウォロクに抱きつく。
「ウォロクさんがくれた剣のおかげです」
「のほほ! なに、お前さんたちの力じゃよ」
と、後ろからオーガスの声が聞こえてくる。
「やあ君たち! 変態印のポーションはいかがかな?」
振り返ると、怪しげな色をした液体の入ったボトルを両手に持ち、首にマンドレイクをぶら下げた変態がいた。
ウォロクは嬉しそうに「いい加減耳が聞こえにくくてたまらんかったからの~」と言ってオーガスに駆け寄る。
「オーガスよ、頼む」
「イエス、変態」
ウォロクが耳当てを外すと、オーガスは両手に持ったボトルの口をウォロクの耳に押し当て、その中身を注いだ。
「のほぅぉ~」
ひどい絵面だった。ドワーフの老人の耳の中に液体を注ぐ変態科学者、といったところだろうか。
変態がドワーフに尋ねる。
「耳の調子はどうだい?」
「お、すっきりした感じがするのぉ」
オーガスは満足げにうなずいては、今度は俺たちの方を見て微笑んだ。
「君たちのこと、ただの変態だと思ってたけど違ったんだね」
「認識を改めてくれてよかったよ」
「戦える変態だったなんて」
「まず変態の定義を教えて欲しい」
オーガスは俺の問いには答えず、俺とテナの耳に同時にボトルを押しつける。
「注入ッ!」
「「あ゛あ~~」」
頭の中が洗われる感じがして気持ちよかった。
しばらく耳の治療を受けていると、あの笑い声が聞こえてくる。
「あーはっはっは! 顔がとろけているぞ!」
ネリスと、
「あれが今回の功労者の顔ってわけ……しまらないわね」
ミリアだ。ネリスの肩を借りている……立つのもままならないらしい。
「ミリアさんは大丈夫なんですか」
「魔力の使い過ぎで、ちょっと全身に熱が回ってるだけ。心配しないで」
それを聞いたテナが「心配にゃ!」と言ってミリアに駆け寄る。
「ミリア……!」
「テナ、あんたよくやったわ。怖がりだったあんたが、一番怖い役割を全うするなんて」
「ボク……今でも怖がりだよ……」
「……そうよね。それがあんたのいいとこよ」
ミリアはなんとか手を動かして、テナの頭を撫でている。俺はその光景を見守っていると、ネリスがミリアを支えていない方の手で手招きしてきた。
「はい。なんでしょう」
「ふっふっふ」
「え……あ、痛ッ!」
突然、頭に硬い衝撃が走る。ネリスが俺を抱き寄せてきたのだ。どきっとすることができないくらい、鎧が硬かった。
「ルウィン、さては私のことを意識していたな?」
「えッ!?」
何の話だ。耳元で囁いてくるので、思考の整理ができなかった。
「いい叫びだった。マンドレイクも真っ青だぞ。もちろん、私もな」
俺はその言葉でようやく理解した。マンドラゴラスに挑むとき、確かに俺はネリスのことを意識していた。強大な龍を前にして、先頭に立つ者――その叫びを。
「俺は、闇のダンジョンの特等席で、ネリスさんの叫びを聞いていましたから」
そうだ。俺は今でも、あの時の英雄の姿が目に焼きついている。
「お二人は――ネリスさんとミリアさんは、俺が初めて出会った英雄ですから」
俺がそう言うと、ネリスが固まった。俺がその表情をうかがおうとすると、ガチャガチャと音が鳴り出す。
「あっはっは! この、かわいいやつめ!」
「あ痛たたたッ! 鎧がッ! 鎧ッ! 脱いでくださいッ!」
俺がネリスから抜け出すのには、かなりの時間がかかった。
「はあ、頭の形が変わりますよ……」
「あっはは、それも面白かろう」
「笑いすぎてお腹が痛くなっても知りませんよ」
「それは楽しみだ」
ネリスの鎧によるゴリゴリ攻撃からようやく解放されたかと思えば、すぐ近くから何らかの強い気配がする。翼の音で、その気配の主がアルメリゼだということに気がついた。
「倒れている13名の冒険者の応急処置は終わったのです。はやく地上に戻りましょう」
「ああ、アルメリゼさん。ありがとうございます。そうですね、地上に戻らないと」
「いいですね。楽しそうで」
「えっ?」
なぜ彼女は嫉妬めいた表情をしているのだろうか。
「アルメリゼさん? どうかしました?」
「別に。いいのです」
全然よくなさそうだった。気のせいか、熱でもあるように頬が赤い。
と、今度はキャルが歩いてきた。
「ルウィンとテナが龍を
キャルはそう言いながら、俺の腹に頭突きしてきた。
「ぐはッ!」
「あ、間違えちゃった♪」
何を間違えたんだ……。
龍にももらわなかった致命の一撃を受けた気がする。
「あっはっは! ルウィン、腹は痛いか!」
「痛いです……!」
ネリスの腹が痛くなる前に、俺の腹筋が崩壊しそうだ。
と、キャルが俺の胸に頭を押しつけてくる。
「撫でて」
「人前ですよッ!」
「人前じゃなかったらいいの」
「キャルさんちょっと黙ってて!?」
断ったら怖いので仕方なく撫で始めると、周囲から刺すような視線を感じた。
「ハレンチなのです」というアルメリゼの声に「ハレンチではありません」と反論している内に、キャルは満足したらしい。
「テーナ♪」と今度はテナの方に撫でを要求しに行った。
「にゃんでッ!?」
テナは恐怖の目をしながら恐る恐る撫で始める。二人の年はほとんど変わらないように見えるが、こうして見るとキャルの方がかなり幼いように見えるのが不思議だった。
ふう。ともかく、俺の危機は去ったようだ。だが、胸はまだドキドキしている。何なのだろう、この感じ。
と、オーガスが急に叫ぶ。
「変態だッ!」
なんだ、自己紹介か。そう思ってオーガスの姿を探すと、オーガスは死んだマンドラゴラスの背中の上に立っていた。
その場にいる全員が何事かと見上げる。
「ルウィン! 君の予想は的中していたよ!」
オーガスはしゃがんで何かを拾う動作をした。何を拾ったのかは、すぐに分かった。
「マンドレイク……」
絡み合ったマンドレイクの夫婦が、オーガスの手に握られていた。
「ァ゛ァ」「ォ゛ォ」
微かにマンドレイクたちの悲鳴が聞こえてくる。すっかり弱っているらしい。
「うーん、実に変態的な
オーガスは慎重に龍の背中から降りてくる。
「――僕が完全な抗マンドレイク薬を作って見せるよ。そうすれば、
オーガスの言う通り、こんな耳の痛い作戦はこれっきりにしたいところだ。
マンドレイクの叫びに対抗するために、俺たちは自分たちの鼓膜を破るという選択をした。抗マンドレイク薬を飲むだけでは不完全だったからだ。鼓膜を破ると程度の違いこそあれ、マンドレイクの叫びの効果が薄まるのだという。そして、それは実際その通りだった。
耳当てをしたのは、マンドラゴラスを騙すため。『耳当てを外しさえすれば、マンドレイクの叫びが通用する』と思い込ませるためだ。最終プラン『マンドレイクの春』は、マンドラゴラスに耳当てを外させ、マンドレイクの叫びを受けることで、龍に勝利を確信させることにあった。
(もっとも、マンドラゴラスは最後、見え透いた奇襲はしてこなかったが)
そのせいで、俺たちは多大なる苦戦を強いられた。どんなに計画を練ったとしても、想定外を強いられる。それこそが冒険なのだと、痛いほど身に染みる戦いだった。
俺は口を開く。
「まだ言ってませんでした……みなさんのおかげで、恋茄龍マンドラゴラスを討伐することができました。本当に、ありがとうございました」
俺は全員の顔を一人一人見ていく。
ネリス、ミリア、ウォロク、キャル、アルメリゼ、オーガス、テナ……みんな笑顔を返してくれている――
「――あれ、シルヴィアさんとスーシーさんは?」
俺が尋ねると、全員首を振った。知らないらしい。実に不安だ。
それからふと思ったが、オーガス以外なんだか顔が赤いな。
(もしやこれは――)
――マンドラゴラスのブレスが空中に霧散した時、毒がダンジョン内に散らばったのだろうか。だとすれば、合点がいった。ここにいるとまずい。
「とにかく、早く全員でギルドに戻らないと……キャルさん、アルメリゼさんはまだ動けますか?」
「いけるよー♪」
「はい!」
「では、ギルドに応援要請をお願いします――」
キャルはアルメリゼに掴まって飛ぶのが気に入ったらしく、ご機嫌な顔で抜け穴へと消えていった。あとは待つだけ、これでひとまずは一件落着だ。
「あらやだスーシー!! これもマンドレイクかしら!? 抜いていいかしら!?」
「奥様!! 一回抜けば何回抜こうと同じです!! 抜きましょう!!」
不穏なやり取りが近くから聞こえてきた。
「待っ……俺たちもう鼓膜が治ってるから……!」
と、次の瞬間――
「ペギゥイウ゛ェア゛アァウエオォ゛ォオ゛オ゛オオヴェアイ゛エェェ゛ッ!!!!」
――マンドレイクの叫びが轟いた。
見える世界がぐるんと回ったかと思うと、全てが暗闇に包まれる。
これは、まずい。
俺はわずかに残った意識の中で、後悔する。
(龍を倒すことばかり考えてた……)
俺たちの『マンドレイクの春』は、こうして幕を閉じた。
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