決戦前の回想 2
全滅という言葉を聞いて、ギルドの空気は凍った。俺はその反応を見て、少しうつむく。
(買いかぶりすぎかもしれない――)
――龍が果たして、そこまで考えるだろうか。だが、腹の中に人間を蓄えたあの光景が、ふと思い浮かんだ疑問をかき消すのである。
「あんたの言うことは……よく分かったわ」
ミリアは分かったと言いながら、頭を抱えていた。何に対して頭を抱えているのか、いくつか候補が浮かんだが分からない。
「あの、ミリアさん。俺の考え、どこかおかしな点がありましたか……?」
「…………」
俺の問いかけに対して、ミリアは答えなかった。代わりに、ネリスが口を開く。
「ミリアはこう考えている。『そこまで危険な相手だと分かっているのに、どうして下級冒険者のあんたが率先して挑もうとしてるのよ』とな」
「ちょ、ちょっと!」
「そしてこうも考えている。『だけど今、恋茄龍に対して最も理解度が高いのは実際に遭遇したルウィンたち……危険な目に合わせたくない……! けど……くっ……!』とな」
「なにどうでもいい細かい部分まで説明してんのよッ!!」
ネリスの説明はどうやら
「キャハハ! ミリア図星だー♪」
「うっさい!」
ミリアが半分切れていると、ウォロクが落ち着いた声で、しかしはっきりとした声を出す。
「守ればええ」
たった一言だったが、それだけで俺は不思議と胸がじんと温かくなった。なんという心強さだろうか。
「奥様! このドワーフのおじい様、かっこいいセリフを言ってから顔がほんのりと赤いです!」
「あらやだほんと! なんで赤いんですの!? なんで赤いんですの!?」
かっこよかったウォロクが、シルヴィアとスーシーのせいで一瞬でたじたじになっていた。「のほぉぉ///」ごつごつした両手で顔を隠し、先ほどまでの面影はもうない。
そんなウォロクはさて置くように、ネリスはミリアを説得していた。
「そういうことだ。ミリア」
「けど……ッ!」
「ルウィンたちは私が守ってみせるよ。この盾に誓って」
「ネリス……あんたねぇ……」
そんな騎士と魔女の姿を見て顔を赤くしている少女がいた。アルメリゼだ。
「はわぁぁ……かっこいいのです……!」
興奮気味に翼を動かしてはバサバサと音を立てている。テナの尻尾のようなものだろうか。感情が分かりやすい。
(なんだろう、全体的に甘ったるい雰囲気だ。まるで恋する乙女のような……)
そんなことを考えていると、テナが裾を引っ張ってくる。
「ねえ、ルウィン……なんか匂うよ……」
そう言うテナの顔も何だか赤らんでいて、俺も少しばかり妙な気分になってきた。匂うって、どこからだ?
テナが指さす先に、大量のマンドレイクをどこからか持ってきた鍋で煮込んでいる変態――もとい、オーガスの姿があった。
「ああ……このマンドレイクから漂う変態的な
マンドレイクたちが小さな悲鳴を上げ続けているのを見ていると、やはり生き物には人に近い顔をつけるべきではないな。
……などと考えている場合じゃない
「オーガス。なんだか、匂うんだが」
「ああ、スメルか!」
「……スメル?」
「吸うと変態的な気持ちになってくるという匂いさ。僕にはよく分からんのだが、このスメルのせいなのか屋敷の使用人たちの間でカップルが乱立してしまってねぇ。いやあ、困った困った!」
「媚薬……なのか?」
「そうとも言えるねぇ。実際、このスメルを嗅ぐと周囲の人間が輝いて見えたりもするらしい。だが、媚薬以外にも使えるんだよ? 少し気を大きくさせたり、幻覚で不思議な世界に
「……どうりで周りの人たちが妙に色っぽく見えるわけだ」
周囲を見渡すと、ギルド全体の雰囲気も妙に色めいている。
「オーガス、どうすればみんな元に戻るんだ?」
「僕が持っているマンドレイクポーションでも戻るけれど、これくらいの症状なら必要ないさぁ」
と、ミリアが俺の胸を優しく叩いてきた。
「ちょっと……まだ話は終わってないんだからね……! はやく……続き……!」
「えっと……はい……」
やはり、妙に色っぽい。
と思っていると、ネリスが肩を掴んでくる。
「ルウィン、私が守ってやるからな」
凛とした表情だったが、ほのかな赤みが頬に見えた。雄々しさと可憐さが同居しているネリスの様子に、俺は思わずドキッとする。
「……え/// じゃなくって、二人とも近いです!」
「なによ……」「つれないな……」
身を引いたかと思えば、ミリアとネリスはテナを触り始めた。
「あんた……いつにも増してかわいいわね」
「テナ、私が守ってやる」
「うにゃぁ……」
まんざらでもないテナの姿を見て、なぜか安堵と後悔が同時に押し寄せてくる。くそ、俺ももう少しあのまま――
(――ではなく!)
首を振って正面を見据えると、少し離れたテーブルの上に横たわる二人のエルフ――シルヴィアとスーシーの姿があった。エルフたちは顔だけをこちらに向けて、物欲しそうな目で俺をじっと見ている。
「スーシー、なぜでしょう。わたくし、ルウィン様を見ていると、ずっと昔に胸の奥にしまった……熱々の想いがこみ上げてくる気がしますわ……///」
「奥様……私もです……///」
なんてことを言うんだ。
「く、なぜか二人がかわいく見える……!」
さすがに未亡人を相手に心惑わせてはいけない気がする……というか、あの二人はあれで平常なのか……とにかく、しっかりするんだ俺!
と、アルメリゼが急に叫び出した。
「いやぁ! 来ないでください!」
誰もいないというのに、何かが見えているようだった。
「アルメリゼさん! しっかり!」
「……はっ! ルウィンさん……! わたし……!」
俺が呼びかけると、アルメリゼは正気を取り戻したようだった。だが、俺と目が合ってからずっとそのままだ。俺もなぜか目を背けることができないでいた。
「な、なんなんだ、この気持ちは!」
「な、なんなのですか、この気持ちは!」
二人して胸を手で押さえ、なんとかお互いに目を逸らした。
「な……ッ!」
人と目線を合わせないようにするために床を見下ろしたのだが、そこにはしゃがんだまま俺を見上げている少女――キャルの姿があった。
「抱っこ♪」
「抱っこッ!?」
それはまずいだろう!?
と思っていると、受付嬢のニーナが突然現れ、キャルを抱き上げた。
「いい子いい子~♪」
「キャッキャッ♪」
俺は一体何を見ているんだ。目を離せないでいると、ニーナが俺に流し目をする。
「ルウィン君……二人目、欲しいな……?」
「作りましょう」
俺がついに正気を失いかけたその時、ウォロクがぬっと現れた。
「ルウィン、わしも」
「『わしも』じゃなーいッ!!!」
俺は自分の太ももを思い切り両手で叩きまくった。その音と怒声を聞いて、ギルド全体がはっとした表情で俺たちの方を見る。
「のっほっほ、正気に戻ったな」
「助かったよおじいちゃん。けどさ、もう少しいい夢を見ていたかった気もするんだ」
「……………………のほほ!」
「のほほじゃあないですよ……のほほじゃあ……!」
俺はウォロクに対して感謝と憎しみをぶつけるのだった。
「話を戻しましょう――」
マンドレイクの色香に当てられた俺たちは、かろうじて正気を取り戻していた。
「ミリアさん、マンドラゴラスが第1領域で奇襲をしかけてくる可能性については、十分理解していただけましたか?」
「ええ」
ミリアは賢者のような目をしていたが、俺は気にしないことにする。
「マンドラゴラスは、テナとアルメリゼさんという二つの想定外に対し、恐ろしい策を打って出ました。ですが、奴の知らない想定外がここにあります」
「抗マンドレイク薬……そしてルウィン、あんたね」
「はい。魔よけの加護があるからこそ、第1領域に出現した魔物の蔓が龍によるものだと推測できました。これにより、第1領域で行われるであろう奇襲は奇襲でなくなります。ですが、蔓による奇襲以外にも警戒すべきことがあります」
「マンドレイクの叫び――でもそれは、抗マンドレイク薬で防げる、か」
「その通り。今この時において、既に形勢は逆転しました。龍にとっての奇襲は、今や俺たちのものなんです」
俺たちのやり取りを聞いて、ギルドが大いに湧き始める。マンドレイクのスメルの後遺症もあるのだろうが、士気が上がるのは良いことだ。
と、ネリスが笑い出す。
「あっはっは! なんだか勝てそうな気がしてきたじゃないか! だがルウィン、マンドレイクの叫びは防げるとして、蔓による奇襲も予測できたとしよう……しかし、その上でどう奇襲を仕掛けるんだ?」
「俺たちは、甘んじて奇襲を受けましょう」
「……なんだと?」
「敵は、俺たちを殺しはしません。根拠は二つあります。一つは、俺とテナがアルメリゼさんが殺されずに絡めとられていたという事実です。もし、生死を問わないのであれば、マンドレイクの叫びで気絶した直後に首を絞めるなりすればいいはず」
これを聞いたアルメリゼがぞっとした顔をして椅子に座る。
「そっか……わたし、死んでたかもしれないのですか……」
俺とテナは「本当にごめんなさい」と謝った。ごめんで済む話ではないが。
へたり込んでいるアルメリゼの頭を、シルヴィアとスーシーがテーブルの上で横になったまま撫で始める。いつまで寝ているんだ……。
ネリスは「なるほどな。一理ある」と微笑むと、そのまま言葉を続ける。「もう一つはやはり、龍の腹の中にいた冒険者だな?」
「その通り。外傷のない冒険者たちを腹の中に蓄えていたという事実から、通常の魔物とは異なり、少しずつ命を吸い取って生きる性質があるのだと考えます」
ただ、これはあくまでも希望的観測だった。そして、この希望的観測を確かなものにしてくれるのは、テナだ。テナの顔色をうかがうと、テナは微笑んでくれた。これ以上に信頼できるものはない。
「あっはっは! 面白いな! なあミリア、やはり闇のダンジョンでルウィンを買うべきだったんじゃないか?」
「あんたねえ……」ミリアは感慨深げに目を細める。「まあ――」
「――そうかもね」
それから、俺たちは奇襲に対する奇襲について話し合った。
「――あっはっは! あっ……そういえば、耐火ポーションが余っていたな? あれを使おう」
それぞれが持つ能力と知恵を束ねて、全身が蔓でできた巨大な龍を倒す作戦の大枠が完成する。
「奥様! 私たち大活躍できますね!」
「あらやだー///」
複数パターンの予測を立て、いかなる対応もできるように作戦も練りに練った。みんなが顔を見合わせてやる気が高まっている中、テナだけは浮かない顔をしている。
「ルウィン……本当にこれで大丈夫なの……?」
「いや、まだ考えるべきことがある」
俺とテナのやり取りを聞いていたミリアが「どういうこと……?」と言って瞬きした。
「プランA、プランB、プランC、いずれのプランでも龍を倒しきれないという最悪のケースを俺は考えています」
俺は自分を見つめる仲間たちに向けて言う。
「絶対に龍を倒しきるプランとして、プランA・B・Cから移行する最終プラン――『マンドレイクの春』を提案します――」
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