多数決

§ 火のダンジョン 第5領域 『巨人の大釜』 §


燃え盛る地獄の領域に、俺たちはついに足を踏み入れた。


「ミリアさん!!!」


俺が叫ぶと、ミリアは『はあ!? なんで来たの!? バカなの!?』という顔をした。申し訳ないが、湖よりも深い事情について説明している余裕はない。


テナも続いて叫ぶ。


「耐火ポーション!!!

 たくさーん!!!」


『そういうことね』、という声が聞こえた気がした。


そうですとも。


俺とテナの使命は、少しでもミリアとウォロクの負担を減らすことだ。状況を見るに、ミリアたちの負担のひとつは、火龍のマグマから倒れた冒険者たちを守ることにある。


そして、我らが凶刃キャルは――


「キャハハハ! いいよー!

 水竜なんかより火龍だよねーッ!」


――想像の通り、凶戦士バーサーカーな双剣使いとして、超接近戦を仕掛けに行った。


いきなり現れた走る凶器に、火龍も衝撃を受けたらしい。マグマと堅い岩の大炎弾を連続でキャルに撃ってきた。


「水竜なんかよりずっとはやーい!」


などと言いながら、炎弾を避け、切り裂き、マグマを泳いでいる火龍に迫ってゆく。


キャルが雑に交わした炎弾の後処理は、ウォロクがハンマーで行った。


「ばっかもーん!!!」


その声が聞こえたらしく、キャルは走りながら一瞬顔だけ見せて舌を見せる。すぐに敵に向き直ってから、凶刃は一気に加速した。


「キャハハ!!! 首ちょーだい!!!」


足場がないにもかかわらず、キャルはマグマの上を飛んだ。龍の首を狙い、二つの刃で横二文字に切り付ける。


が、龍はすばやくその巨体をマグマに引っ込めた。


「キャハハ!! 外したー!!」


笑いごと……?

あなた、マグマに落ちるのよ。


突如として俺に芽生えた母性的な親心など無意味らしい。


キャルは飛んだ勢いのまま領域の壁に二つの深い切れ込みを入れ、そこに素足と双剣を刺しこんだ。


獲物を探して壁に張り付くキャルは、もはや新種の魔物だった。


怪物には怪物がちょうど良いかもしれない。


そんなことを考えているうちに、ミリアたちとの距離も近づいてきた。


テナが嬉しそうで泣きそうな顔をしてミリアに手を振る。


「ミリア~!

 あとウォロクおじいちゃ~ん!」


ウォロクが「のっほっほ! ついでみたいに言われとる!」と笑いながら地面をハンマーで叩いた。地中から魔素マナが溢れ出た。


ミリアも横目でこちらを見たが、何か口を動かしている。どうやら詠唱中らしい。


仕方ないので、俺はミリアと心の中で会話することになった。


ミリアが目で訴えてくる。


『応援ってあいつ!?』

『すみません、あの人だけです』


多分伝わったと思う。


ミリアは微妙な顔をしながら詠唱を終え、呪文を唱えた。


智天の楽園カラヴィス・エデン……!」


すると、ミリア含む冒険者の周囲に、大きな防御魔法陣が展開された。


「入りなさい!!」


俺とテナは半透明な結界の中を通り抜け、ミリアたちとの感動の再開を果たす。だが、それを味わう暇は当然なく、ミリアは早口になった。


「これで本気のブレス以外は多分防げるわ!

 耐火ポーションを全員にお願い!」


「テナ! ぶっかけるぞ!」

「うん!」


俺たちの手際は素晴らしかった。


「ちょっ」まずはミリア。


「ぶほぉっ」次はウォロク。


「……」返事がない冒険者たち。


散布完了。耐火ポーションにミリアの魔法が加われば、きっと龍の攻撃も大丈夫に違いない。


「あんたたちねぇ……。

 色々と言いたいことはあるけど――」


ミリアの声に振り返る。と、耐火ポーションで髪を濡らした彼女が、人差し指で俺とテナの額を小突いてきた。


「――やるわよ、あたしたちで」



と、ここから本番だという空気だったのだが、そう上手くはいかないらしい。

つい先ほどまで繰り広げられていた攻防が嘘のように、第5領域『巨人の大釜』の中は静けさで満たされていた。


壁に張り付いていたキャルも飽きてしまったのか、ミリアの作った結界の中に入ってくる始末である。


「ねー、つまんないんだけどー」


ああ、凶刃が入ってきてしまった。

今はミリアがいるから怖くないぞ?


ミリアの方を見ると、彼女はキャルに対して肩をすくめる。


「不法侵入なんだけど」とミリアが言うと、キャルは「けちー」と言って結界を剣で切ろうとした。


「にゅっ!?」結界が切れるのかと思ったテナが不安の声を上げる。が、結界はそういうものではないらしく、無事である。


「のっほっほ、しかしどうする? やっこさん、だんまりを決め込んでいるようじゃが」


ウォロクの発言に、ミリアも「そうねえ……」と自分のこめかみを人差し指で叩いた。


「停滞を維持するのは、相手にとっての有利状況を維持すること。こちらは魔法とアイテムがあるとは言っても限りがある」


「地中の魔素マナも限りがあるしのう」


「そういうわけだから、ダンジョンの熱に耐え続けることは不可能よ」


「やはり……撤退かの?」


『撤退』という言葉に反応したキャルが、ウォロクに刃を向ける。


「そーゆーのさー、つまんないよ?」


場の空気が凍った。火のダンジョンなのに。


そんな中、俺はついキャルに向かって口を開く。


「……危ないからやめなさい」


ああ、言ってしまった。まるで修道女が孤児を諫めるように。しかし、意外にも彼女は俺に対して暴力的な反応は見せなかった。それどころか、黙って剣を下ろした。


ウォロクも目を丸くして、「ふー、冷や冷やしたわい。わし、接近戦は苦手じゃからのう」と言う。


絶対嘘である。


「でもさー、ほんとに逃げていいの?」発言を止めるつもりはないらしく、キャルはミリアに向かって問うた。「ミリアもそう思うの?」


そうだ。ミリアの意見が聞きたい。


「そうね。撤退するべきでしょうね」


キャルは、ミリアの言葉を聞いて深くため息をついた。


「アタシは嫌。逃げるなんて認めない」


「じゃあ、あんただけ残れば」


ミリアは冷たく言う。


しかし、キャルも引く様子はなかった。「ううん。みんな残るの」ミリアの喉元に向かって剣の切っ先を突き付ける。


俺やテナだったら「にゅん」としてしまいそうな場面だったが、ミリアは身じろぎひとつしなかった。


「残ったところで、あの龍はもう現れない。こっちがどんなに戦いたくてもね」


「魔法でマグマに攻撃してよ。そしたら出てくるんじゃない?」


「嫌よそんな自殺行為。こっちと違って龍は全方向から死角を突いてくるのよ」


「出てきたらアタシが切る」


「あんたみたいなのがいたら出てこないわ」


ミリアの言葉には説得力が感じられた。


「あんたが現れてからあの龍もすっかり怯えちゃったみたいだし」


凶刃キャルが目を細める。

危ない空気。


「ウォロクとミリアが言いたいことは分かったよ。でもさー、こっちの二人はまだ何も言ってないよね? 多数決にしようよ」


恐ろしい視線がこちらに飛んできた。が、ミリアがすかさずフォローを入れてくる。


「正直に答えて大丈夫よ、あたしがいるから。あとウォロクも」


「のっほっほ。ついではやめい」


そうだ。俺にはミリアがいる。とは言っても、キャルの視線が『つまんないことを言ったら殺す』と言っているようにしか見えない。


だがやはり、ミリアの銀の瞳の輝きたるや、頼もしきことこの上ない。


俺が意を決して口を開こうとしたその時――


「逃げたくない……」


――という声が聞こえた。


テナだ。

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