13【最強になった者達へ】

 


 何人もの兄弟と遊んできた。何人もの姉妹と遊んできた。

 遊び終わるたびに、兄弟も姉妹も動かなくなって、遊んでくれなくなる。

 でも、動かなくなった家族を土の中に埋めて、しばらく待つと、また新しい兄弟や姉妹がやって来て、一緒に遊んでくれるのだ。


「また、あそんでくれる?」


 少なくとも、『あそこ』にいた時はそうだった。

 だから少年は、外に出ても同じだと思っていた。


「ぼくと、あそんでくれる?」


 壊してしまっても大丈夫。

 だって、地面に埋めればまた出てきてくれるんだから。


 ご飯を作ってくれなくなったお母さんも。躾けてくれなくなったお父さんも。遊んでくれなくなったお兄ちゃんも。喧嘩できなくなったお姉ちゃんも。消えたオバさんも。地面の染みになっていなくなったオジさんも。二つに割れた野良猫も。


 何度失敗したって大丈夫。何回壊したって大丈夫。

 遊んでくれなくなった人達は、皆優しく土に埋めて、しばらくすれば新しい体を得て、遊びに来てくれるのだ。


 だから、心配する事なんてない。

 少年は今日も、自由気ままに世界を歩く。


 ……たまたま通りかかった町で、危うく馬車に轢かれそうになった。驚いて馬車を粉々にして、そのまま町一つを住人ごと粉々にした。

 でも大丈夫。

 バラバラの肉片を、一つ残らず地面に埋めれば、また出てきてくれるだろう。


 ……騒ぎを聞きつけた『勇者』と名乗る人達が襲い掛かって来た。すごく強くて、すごく楽しくて、いっぱい遊んでいたら、つい『勇者』達グチャグチャにしまった。

 でも大丈夫。

 近くの山を一つ切り崩して、その下に埋めよう。


 ……山一つを崩した事で、住処を奪われた魔獣の大群が押し寄せて来た。我を忘れてじゃれついていたら、いつの間にか血と肉だけがそこら中に広がっていた。

 でも大丈夫。

 地盤ごと大地をひっくり返して、血も肉も地中に埋めれば、もっともっとたくさんの魔獣達が出てきてくれるはずだから。


 だから、大丈夫。


 遊んでほしくて街中の子供達を全員の全身を引き千切っても。

 襲って来た『勇者』や『騎士』や『剣聖』や『召喚士』を爆ぜ飛ばしても。

 小石に躓いて転んで痛かったから、癇癪を起こして王都を押し潰しても。

 人間の体に興味が湧いて、立ち寄った村の人達皆を綺麗に骨と肉に解体しても。

 海の向こう側に行きたかったから、海を地面で埋め立てても。

 暑い国に来たから、人も動物も魔獣も巻き込んで全土を凍り付かせても。

 雲を食べてみたかったから、山や大地を何重にも重ねて天まで届く階段を作り、その過程でいくつかの町や村を住民ごと潰してしまっても。


 大丈夫。

 皆しっかり地面に埋めてあげれば、また遊んでくれる。何回だって遊んでくれる。

 いなくなったお母さん達だって、また自分の前に現れて、もう一度遊んでくれるはずだ。もっともっと遊んでくれるはずだ。


 笑おう。

 喜ぼう。

 楽しもう。


 そうしていつかまた。

 もう一度、一緒に。

 皆で。



















「最強になッたくらいで、幸せになれるわけがねえよなァ」























 背後から聞こえて来た『誰か』の声に、思わず少年は顔を上げた。


 おそらくはその時代で、最も栄えていたはずの大都市。

 しかし今となっては見る影もなく、建築物は薙ぎ倒され、大地は捲れ上がり、死んだ肉と黒く乾いた血の海がどこまでも広がる地獄と化した、凄惨な風景の中心。

 少年が、殺した人間の死体を、全て手作業で地面に埋めていた時の事だった。


「最強になッた事もねえ奴らが、こぞッて勝手に夢を見やがる。なれるわけがねえ、最強になッたッて、幸せになんか。なァ?」


 凶暴に響く、荒々しい声。

 しかし意外にも、その声の正体は華奢な『少女』だった。

 全体的に線が細い身体付きと、それを覆い隠すような黒いマント。ツバがやけに大きく、上に尖った特徴的な黒い帽子をかぶり、その中から銀色に輝く長い髪が膝下まで流れる。


 決して目を見張るような姿ではなかったはずなのに。

 なぜだか少年は、その少女から視線を外す事ができなかった。


「どうだい小僧」


 黒いマントを羽織り、黒い帽子をかぶる少女は、


「アンタは幸せか?」


 何を恐れる様子もなく、少年へと歩み寄る。

 幾千億の肉片と、一面の血の海を、少女は敬意を込めて踏みつけながら。


「アタシにャあ、クソつまんなそうに見えッけど」


 少年の目の前に立った少女は、しゃがんで彼と目線を合わせる。

 そうやって……少女はちょっとだけ、楽しそうに笑うと、


「で、何してんだアンタ」


 黒い帽子のツバの奥から。

 全てを呑み込むような青い瞳を輝かせて、そう尋ねた。


「…………」


 尋ねられて、問われて。

 少年は。


「……うめてるの」


 不思議と、その質問に素直に答えていた。

 目の前の少女は、一体誰なのか。何者なのか。どこから来たのか。なんでここにいるのか。

 そういう当たり前の疑問は、なぜか浮かんでこなかった。


「じめんにね、うめるの」


「何を」


「みんな」


 はァ? と不思議そうに首を傾げる少女に、少年は小さく頷く。


「じめんにね、うめるとね、またでてきてくれるの」


 グチャグチャになった、元々は体のどの部位だったのかもよく分からなくなった肉塊を、少年は手作業で掘った穴の中に放り込みながら、


「だから、みんなうめるの」


「出て来るゥ? 誰が」


「みんなが」


 穴を埋めて、パンパン、と上から土を叩く。


「みんなが、もっといっぱい、やさいみたいにね。いっぱいじめんからでてくるの。そしたらまたね、あそんでくれるの」


 子供じみた発想だった。

 しかし、その子供じみた発想によって引き起こされる事態は、地獄に等しかった。


「おかあさんもね、おとうさんも、おにいちゃんも、おねえちゃんも……あとおじさんも、おばさんも、ねこちゃんもね、みんないなくなっちゃったから」


「…………」


「ぼくとあそぶとね、みんなどっかいって、きえちゃうの。でも、ぼく、またあそびたくて。だからこれ、うめるの。うめたらまたあそべるもん。またあそんでくれるんだよ」


 だから、ずっと歩き続けた。

 また遊んでくれる人が現れるまで、いつか地面の中から消えてしまった人達が再び顔を出してくれるまで、いつまでだって歩き続けた。


 振り返りもしなかった。

 新しいお母さんと、新しいお父さんと、新しい兄弟と、新しいオジさんと、新しいオバさんと、新しい猫に会いたくて。

 新しい村に、新しい町に、新しい都市に、新しい国に、足を運んで。

 そこで出会う人達と、遊びたくて。

 遊んで欲しくて、進み続けた。


 いつか世界の端に辿り着いたら、もう一回、来た道を戻るのだ。

 その頃にはとっくに、消えた人達が新しい姿を得て、また自分の前に現れてくれるはずだ。そうしたらまた遊んでくれるに違いない。そう信じて、ずっとずっと前に進み続けて来た。


 遊んで壊れちゃったら、地面に埋めれば、また生えて来る。

 ずっと遊んでいられる。ずっと遊んでくれる。

 だから。


「だからうめるの」


 こうすればまた、遊んでくれるから。

 また遊びたいから。

 退屈を忘れられるから。

 そう答える少年に、


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 黒い帽子の少女は、何を思っていたのだろう。

 あまりに純粋で、それゆえに悍ましい。幼い子供の無垢さと無邪気さで、町も国も滅ぼす力を振るう悪魔の言葉。

 それを聞いた少女は、


「じャあ小僧」


 楽しそうに笑っていた。


「出て来なかッたらどうすんだよ」


「……え?」


 少女から放たれた予想外の言葉に、思わず少年は訊き返していた。

 それも構わずに、少女は続ける。


「国を三つ。街は五〇〇ぐらい。小せェ村までは分かんねえな。山も海もあッちもこッちも」


「…………?」


「アンタが壊したもんだ」


 しッかり見てたぜ? 面白そうだッたからな、と。

 少女は、意味不明な事を言いながら、


「たくさん遊んだなァ。いーッぱい遊んでもらったなァ。……でも遊んでると壊れちまう」


「うん」


「つまんねェし退屈だろ。もッと遊びてェだろ。もッと遊んでほしいだろ」


「……うん」


「でも良かッたじゃねェか。いッぱい遊んで壊しちまッても、地面に埋めりャあニョキニョキ生えてくんだろ?」


「うん」


「それがぜェーんぶ嘘だッたらどォだよ」


 彼女はやっぱり、笑っていた。


「壊したらそれッきり。地面に埋めても何しても、新しい親父もお袋も出て来なかったら、アンタどうする」


「…………」


 考えた事もなかった可能性に、少年の口は堅く結ばれる。

 ───全部、嘘だったら?

 壊れたものを地面に埋めても、また新しくなって出て来ないとしたら?

 一度壊れてしまったものが、もう二度とも戻って来ないのだとしたら?


「……うそ?」


「そうだ」


「……いなくなっても、また、あそんで―――」


「くれねェとしたら?」


「だって、おにいちゃんも、おねえちゃんも、こわしても、うめたらみんなでてきてくれて……」


「そうじャなかッたらアンタはどうする。壊れたモンは、壊したモンは、何度埋めようが二度と会えねェとしたら」


「……………………………………………………………………………………………」


「もう二度と、遊んでもらえねェとしたら?」


 それは。

 もしもそうだとしたら、自分は。


「……ぼく」


 どう思うだろう……なんて、もはや考えるまでもなかった。

 そもそも彼がひたすら前へ前へと歩き続けて来たのは、『それ』を味わいたくなかったからだ。


 遊びたくても遊べない。

 遊んで欲しくても遊んでくれない。

 そんなの。


「……


 つまらなくて、面白くなくて、楽しくなくて……退屈じゃないか。


 遊びたくてたまらないのに、遊んで欲しくてたまらないのに。

 退屈で退屈で、死にそうなのに。

 こうやって、何度も遊んで、何度も壊して、そのたびに遊んでくれるものが消えていって、消えたものは二度と帰らず、二度と戻って来ず、二度と遊んでくれず。


 そうやって、永遠に減っていくだけなのだとしたら。

 そんなの、退屈じゃないか。


「……つまんねェか」


 少年の答えに、くくく、と少女は小さく肩を震わせて笑う。

 多分その答えが決定的だった。

 少女は何かに突き動かされるように立ち上がると、全てを呑み込む青の瞳で少年を上から見下ろし、


「はんッ! 上等だ!」


 豪快に、痛快に、愉快に笑った。


「小僧、名前は?」


「なまえ……?」


「名前だよ、あんだろ何か。ねェならアタシが付けてやッけど?」


 言われて少年は、記憶の中を探す。

 あの頃───お母さん達と過ごしていたあの頃。

 自分は、なんと呼ばれていたっけ。


「アーサー」


「ん?」


「なまえ……おとうさんがつけてくれたの。アーサー」


「アーサー……アーサーだな。よく分からねェがいい名前だ、気に入ッた。気に入ッたついでにアタシの名前も覚えろ」


 否応なしだった。

 勝手に相手の名前を訊き、勝手に気に入り、そして勝手に命令を下した少女は、もはや相手が断る隙も与えず、


「マーリンだ」


 自分の名を告げる。


「マーリン・ペンドラゴン。どうだ、かッけェ名前してんだろ」


「…………」


「特にペンドラゴンッて部分が良い。最強に痺れるぜ。元々家名かなんかだった気がするが思い出せねえからどォでもいい。超かッけェアタシに似合ッた、最強にかッけェアタシの名だ」


「…………?」


 聞いてもいないのに勝手にペラペラと喋り始める少女に、少年は小さく首を傾げていた。

 それを見て、マーリンと名乗る少女は「かーっ!」と唸る。「ガキにャあこのかッこ良さが分かんねえか!」と頭をガシガシ掻いて、


「ま、どうでもいい。これから嫌でも知る事になるんだ」


 そう言うとマーリンは、自分がかぶっていたツバの大きな黒の帽子を脱いで、


「わっ」


 アーサーの頭にかぶせてやる。

 しかし幼い少年には大き過ぎたらしい。帽子に目を塞がれてしまった少年は、ちょっとだけ驚いたような声を上げた。

 帽子を少し上げて、少女の顔を見上げる。

 彼女は……マーリンは、やっぱり笑っていた。


「アタシについて来い、アーサー」


 大地に太い根を張る大樹よりもなお力強く、言う。


「アンタに魔術を教えてやる」


 おそらくここが、運命の始発点。


「今のアンタも強ェがまだまだだ。アンタはまだまだ強くなる」


「……つよく?」


「おうよ。……『強くなる』ッてのが分かんねえか? あーそうだなァ……もッともーッと『楽しくなる』ッてこッた」


 マーリンの適当な言葉に、アーサーは目を見開いた。

 楽しくなる。もっと、もーっと、楽しくなる。

 その心惹かれる響きに、アーサーは宝物を見つけたみたいに目を輝かせる。


「はんッ、それでいい」


 マーリンは、アーサーのその瞳に、何かを認める。

 何を認めたのかは、彼女以外の誰にも分からない。

 それは、彼女の中にしかない絶対の価値基準。


「そうと決まりャあ善は急げだ。行くぞアーサー、さッそく修行開始だ」


「え?」


「え、じャねえ。アンタはアタシについて来る。アタシはアンタを連れて行く。これは決定事項だ」


 一度決めた事は、絶対に覆さない。

 相手が誰だろうが関係ない。自分の決めた事を無理やり押し通し、実現させる。仮に拒絶されても関係ない。その時は力づくで従わせる。

 そういう『強さ』が、少女の声から滲むように伝わってくる。


「どこにいくの?」


「どこでもいい。どォせこんな狭ェ世界だ、どこにいたッて同じだ」


「…………」


 その時、アーサーは初めて、当たり前の疑問が湧いた。


「おねえさん、どこから来たの?」


「ん」


 問われたマーリンは、空を見上げる。

 白い雲が一つも見えない、青一色の快晴の空を。


「……とりさん?」


「鳥じャねェ、魔術師だ。強くなり過ぎて今じャ『神様』なんて呼ばれてる」


 空を見上げて、マーリンはつまらなそうにため息を吐く。

 ただのため息だったはずなのに、その一息には、天を引きずり下ろすほどの重圧と深淵が含まれているような気がした。


「一人で勝手に魔術を作ッて、一人で勝手に最強になッてみたが、手にしてみりャあつまんねェゴミクズだッた」


 彼女が何を話しているのかは、アーサーにはよく分からなかった。

 マーリンだって、別に分からせる気は無かったのだろうが。


「喜怒哀楽も、栄枯盛衰も、最初の三〇〇〇年で味わい切ッた。つまんねェから魔術の『種』を世界中にばら撒いて、アタシを楽しませてくれる魔術師が生まれねェかと期待したが結果は一〇〇年の待ちぼうけだ」


 勝手に語るマーリンの声は、地を這うように退屈に響く。


「生きるのにも飽きたが強くなり過ぎて死ねねェし。殺してくれそうなモン探し回ッて……ようやくだ」


 青空を向く少女の瞳が、不意に下がる。


「アンタを見つけた」


 少年を見下ろす少女の青い瞳と、少女を見上げる少年の赤い瞳が、真正面からかち合った。


「やッぱ一人は駄目だな。道ッてのァ誰かと一緒じャねえと意味がねェ」


 それだけ言うと、マーリンはそれ以上、アーサーを急かしはしなかった。

 まるでついて来るのが当然のように、彼女は少年の事など見向きもせずに踵を返し、どことも分からない場所に向かって歩き出す。


「…………」


 そしてアーサーも、今さら躊躇う事はなかった。

 どうせ、いつかはこの街も地面に埋めて、別の場所へ向かうつもりだったのだ。

 彼からすれば、ちょっとした指標が出来たようなものだった。

 こちらを振り返りもせず先へ進むマーリンの背中を、彼は何の迷いもなくついて行く。

 彼女の隣を、寄り添うように歩いて行く。


「……ねえ」


「あん?」


 アーサーは、少女の顔を見て、


「おねえさんは、ぼくとあそんでくれるの?」


「あァ、遊んでやる」


 答えは早かった。

 その答えには、何の迷いもなかった。


「アタシを殺せるぐらい強くなッたら、目いッぱい遊んでやらァ」


「ほんと? やくそくだよ?」


「任せろ。アタシは約束を破ッた事がねえ。誰とも約束なんかした事ねェからな」


 少女と少年が、血と肉の海を歩いて行く。

 神となった魔術師と、いずれ神を殺す魔術師が、狭くてつまらない世界を、たった二人で歩いていく。





 神を殺した世界最強の魔術師の物語は、ここから始まった。






 

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