14【世界の楽しみ方】
───世界最強になッて、幸せになれたか?
思い出した。
師匠に言われたのか。その問いは。
いつも頭の中で繰り返されていた、誰から訊かれたのかも、どうしてそんな事を訊かれたのかも忘れてしまっていた問いの正体を、アーサーはようやく思い出した。
それは、
いつかどこかで答えてくれと、最期に貰った家族からの置き土産。
アンタは今、幸せか?
世界最強になって、幸せか?
答えは『否』だ。
世界最強なんて、クソほども面白くなかった。
生まれた時から退屈していた。
何をしていても、常に退屈が付き纏っていた。
だから必死に進み続けた。見た事のないものを求めて、見つけたそばから手に入れて、手に入れたもの極め続けた。退屈に追い付かれないように、逃げるみたいに突っ走り、前へ前へと進み続けた。そうしなければ気が狂いそうだった。そんな毎日を送っていたから『こう』なった。
だが、進み続けたこの道は、思いのほかに短く、狭く。
突き進んだ果てにあったのは、未知も興味も微塵も無い、永遠に広がる空虚な暗闇だった。
本当はとっくに、自分は退屈に追い付かれていたのだ。
つまらない。下らない。興味も湧かない。
こんな世界など。こんな最強など。こんな頂点など。
何も。
何一つ。
「はンっ!! くだらねえ!!!!!!」
それでもなお。
アーサーは、心の底から叫んでいた。
「退屈だあ!? バァーカ! 世界の端っこ歩いた程度で偉そうに吼えやがる! まだまだ面白ぇモンいっぱいあンじゃねえか!」
上空二万メートルに、大きな声が轟いた。
雲が視界の下を流れるほどの高度。そんな前人未踏の領域に頂きを構える、世界で最も巨大な山があった。
人の手で作られた山だ。
自然が作り出した地形ではない。明らかに異なる地質が混じり合っている。
それどころか、山の表面のあちこちには、木々や瓦礫やよく分からない魔獣の死体まで埋まっていた。
まるで、世界中あちこちの巨大山脈を切り崩し、無理やり一ヵ所にまとめて積み上げたような。
あらゆる国、あらゆる大陸の、村を、街を、国を、森林を、砂漠を、平野を、ダンジョンを、地面ごと抉り取って一ヵ所に寄せ集め、無理やり山の形に固めたような。
そんな、不自然なまでに巨大に膨れ上がった山の頂で。
声の主は、太陽すら飲み込まんばかりに瞳を燃え上がらせて、叫ぶ。
「何が世界最強だ!! 何が頂点だ!! おこがましいにも程があらぁ!! まだまだ俺の知らねえ最強共が!! 俺の知らねえとこで!! 今日ものンびり息をしてやがる!!」
なんて狭い視野で生きていたのだろう。
しっかり見渡してみれば、こんなにも世界は広く果てしなかったのに。
退屈している場合ではなかった。退屈なのは自分の方だった。この世界を狭く苦しくしていたのは、他ならぬ自分自身だった。
まだ見ぬ『何か』など、本当は、そこら中に転がっていたのだ。
「ンはははは! ンだよ、思ったより広いじゃねえか! この世界!!」
真正面から朝日に照らされながら、アーサーは両手を思い切り握り締める。
掴んだはずの頂点が、霞んで見えた。
世界最強なんて肩書が、ひどく陳腐なものに感じた。
そんなものを大事に抱えていた事が恥ずかしくなるくらいの『何か』が、まだまだこの世界には溢れ返っているのだ。
「まずは一つ。……まだ、一つ」
いつまでも、世界最強なんて狭い鳥かごに収まっていては、何も面白くない。
頂点なんてつまらない枠組みに囚われていては、得られるものも得られない。
冒険しよう。旅に出よう。
広い世界を見て回り、知らない世界をとことん知り尽くそう。
それこそが、世界の楽しみ方だったはずだ。
「ひひっ、そうだ」
アーサーは、
「最っ高の
どこまでも楽しそうに、この世の頂点で笑っていた。
※※※※※※※※※※
前兆も予兆も無かった。
次の瞬間、世界最大級の『大聖堂』が端から端まで一気に爆ぜていた。
壮絶極まる大爆発。
その爆心地は、とある街の一画に建てられた巨大な宗教施設だった。
名は『聖アリエストロ大聖堂』。
その街の象徴的な建物であり、同時に、『国境なき聖女の集い』と呼ばれる宗教団体の総本山でもあった。
推定敷地面積、約二万平方メートル。
それほど広大な土地に建てられた、無駄に巨大な礼拝堂。蟻の巣の如く立ち並ぶ謎の施設の数々。それを彩る威厳ある装飾物。偉大な建築技法。可視化された神聖性。そして、大聖堂を守護する数百もの防衛結界魔術。
それら一切が意味を成さなかった。
気付けば全てが消し飛んで、爆音と衝撃波で塗り潰されていた。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫したのは、純白の法衣に身を包んだ一人の男だった。
街の一画を丸ごと使った巨大建造物が、ただの一瞬で爆ぜ飛ぶ大破壊。
そんな現象に巻き込まれたというのに、男は
もっとも、その頃には建物が消滅していたため、どこに吹き飛ばされようが全てが『外』だったが。
男は大聖堂の外周にある広場まで吹き飛ばされ、何メートルも転がっていく。
地面に倒れながら、よれよれと顔を上げる。
そして絶句した。
数秒前まで自分のいた建築物が、天まで昇る粉塵の柱と化していたから。
……ではなく。
「よーし叫べ叫べ。一緒に盛り上がろぉや」
視界に映る、その現実。
いつからそこにいたのか。あるいは初めからそこにいたのか。
あらゆる過程を理解できないうちに、気付けば目線の先にいたその『少年』。
おそらくは……というか確実に、この大破壊をもたらした張本人。
そんな存在が、木端微塵に吹き飛んだ大聖堂の跡地を背に。
まるで何事も無かったかのように薄く笑い、散歩気分で地を踏んで。
日常を生きる一般市民のような顔をして、そこに立っていたから。
……
「「「「「「「「「「アーサー様ぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」」」」」」」」」」
黄色い絶叫が炸裂していた。
興奮しているような、胸を高鳴らせているような……もっと言えば欲情しているような、そんな千差万別にテンションをぶち上がらせた『女性達の声』が、津波の如く男に押し寄せた。
その声は、一〇〇人近くの女性達から放たれていて。
その女性達は、男も良く知る人達で。
というか、なんなら自分んとこの教徒さんで。
数日前、とある『大悪魔』を討伐に向かった末に返り討ちに遭い、心と体に性的な快楽を深々と刻み付けられ、これまで禁欲を強いていた反動か肉欲まみれの淫乱まみれになってしまって、しまいには街の住民達に襲い掛かって男も女も食い散らかしちゃう淫魔と化しちゃって、ちょっともうどうにもならないので、大聖堂の奥の方に封じ込めていた聖女達で。
……つまり、絶句した理由としては。
「嫌ですわアーサー様ぁ! もう私達を待たせないでくださいまし!」
「抜け駆けはダメよ! 私が先なんだから!」
「アーサー様! もう我慢できないんです! お願い! 早く! 早くう!」
「もう待てない! 待てないんです! お預けしないでぇ!」
「あ、だめっ、アーサー様に触れてるだけで……んくぅ!?」
「はぁ、はぁ、はあ、はあ、ハアッ、ハアッ、ハアッ!」
「早く触って! ここ! お願い!」
「アーサー様じゃなきゃイけないんです!」
「またあの時みたいにしてください! 乱暴に! 力づくで!」
「わたくしが最初! わたくしが最初ですわよね!?」
「私が最初よ! どいて!」
「ご主人様のためにお尻も練習したんです! ほめて! ほめて!」
「殴って蹴って踏みつけて叩いて千切って噛んで抉ってぇ!」
「早く、早くグリグリしてっ、気持ち良くしてっ」
「い、いっぱい、揉んでくだひゃい……!」
「私ぃ、色んなところで感じれるようになったんですぅ!」
「やだ、垂れてきちゃ……」
「早く舐めさせて!」
「早くシてくださいぃ! 頭おかしくなっちゃうぅ!」
「ください! いっぱい! いっぱい! ここに!」
アーサーが引き連れているというより、聖女達の方がアーサーに群がっていた。
もはや彼女達の目にはアーサーしか映っていないのだろう。自分達の背後では、今もなお粉塵の柱が天高く屹立しているというのに、聖女達はそちらの方には一瞥もくれなかった。
ある聖女はアーサーの腕にしがみつき。
ある聖女はもう片方の腕にしがみつき。
ある者は背中に手を当て、ある者は背後から首に手を回し、ある者は彼の服の裾を握ったまま放さず、ある者は我慢できずに自分の手で自分の体をまさぐって……。
───なんだ、これは。
───何なんだ、この地獄絵図は。
世界最大級とまで称された大聖堂。それが跡形もなく消し飛んだ挙句、聖なる信徒達すら一人残らず奪われている、この状況。
「おーおーおーおー勝手に盛ンなや聖女共」
世界最強は。アーサー・ペンドラゴンは。
自分に纏わりつく聖女達を鬱陶しそうに眺め、しかし下卑た笑みを浮かべて。
「お前らは今日から俺の
彼は横目で後ろを振り向いて。
適当に。それでいて明確に。
「よぉーく働いてくれた奴から順番に、一〇〇日一〇〇晩抱いてやらぁ」
きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!! ……なんて、とんでもない大音響が炸裂していた。
悪魔も慄くゲスの発現に、周りの聖女達はしかし全員見事に陶酔。アーサーに熱烈な視線を向け、物欲しそうに甘い声を出し、その場でぴょんぴょん跳ね回る。
そんな女達を置いといて。
広場に倒れる男の目の前までやって来たアーサーは。
「っつーわけでよ、貰ってくわ、お前ンとこの聖女」
しゃがんで、男の顔を上から見下ろして、無邪気に笑いながら。
『国境なき聖女の集い』を取り纏める教皇の男に、真正面から強奪を宣言した。
「やっぱ
「な……あ……っ」
「返事がねえからオッケーって事だな! よーく言った! 太っ腹ぁ!」
自分で勝手に定義を決め、自分で勝手に納得したアーサーは、倒れた男の肩をバシバシ叩く。
さっさと立ち上がって、どこかへ去ろうとする。
そんな世界最強を。
「あ……待っ……!」
呼び止めようとした。
その直後。
「あ?」
地獄の底から、響いてきたのかと思った。
そう錯覚するほどの低い声と、肩越しに振り向けられたアーサーの瞳に、教皇の男は一瞬で悟った。
……今、自分は死んでいた。
アーサーの機嫌が、テンションが、あと髪の毛一本分だけでも低かったら、今の一瞬で自分は木端微塵の肉片になっていた。そういう確信があった。
命を直接握り締められる感覚に、声どころか真面な息すら吐けなくなる教皇の男。
そんな男から、それ以上の反応が無いと知って、
「はンっ」
アーサーは、むしろ笑っていた。
「餞別はいらねえ。俺の
一〇〇にも及ぶ聖女を連れて。
世界最強が、世界に飛び立つ。
※※※※※※※※※※
「はいドーン」
軽い声の直後、三階建ての建築物が丸ごと一気に爆散した。
ドゴァ!!!!!! という轟音すら意味を成さなかった。
その絶大極まる空気の振動が鼓膜を叩くよりも前に、建物の中にいた人間は一人残らず爆風に呑み込まれ宙を舞っていた。
とある大都市の一角に居を構えていた、『新聞屋』と呼ばれる広報機関。
その本部が、周囲の建物ごと木材と石材の欠片と化して吹き飛ばされていく。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫したのは一人の男。
新聞屋の中でも、今日の新聞はどんな内容にするかの決定権を持つ男だった。
そんな彼が叫んでいる理由は、吹き飛ばされたからではない。
もちろんそれも理由の一つではあるのだが、今はもっと、別の理由がある。
それは───
「活きがいい。合格だ」
───吹き飛ばされている最中に、まるで散歩気分で空中を歩いて来た一人の少年が、思いっ切り首根っこを引っ掴んできたからだ。
少年の手に吊るされる形で、新聞屋の男の体も宙ぶらりんになる。
いいや、彼だけではない。
同じ新聞屋の本部にいた同業者たちも、巻き添えを喰らった周りの建物の中にいた住民達も、皆一様に自分と同じく空中で静止し、訳の分からない表情を浮かべていた。
その高度たるや。
視界がグルグル回っていた気付かなかった。見れば男とその他大勢は、自分達が住んでいた町全体を見渡せる高度まで吹き飛ばされていたのだ。
見た事のない、上から見た故郷の景観。それどころか、町の外に広がる何もない街道と、その先にある森や山まで視界に入る始末。
あまりに不可解なその状況が、どうしようもない恐怖として心を蝕んでいく。
「どぉよ、上から見る世界の景色は。良い眺めだろ。記事にしてもいいぜ」
自分の真横から飛んで来る、その声に。
その少年の……全てを焼き尽くすような赤い瞳に。
「はっ、ひ」
男の喉が、引き攣る。
しかしそんな男の様子に興味がないのか、少年は深く大きく笑みを浮かべて、
「つーわけで、お前にちょっと頼みがあンだわ」
「な、なん……!?」
男はそれどころではなかった。
経験した事のない浮遊感に、男は足をバタバタ忙しなく暴れさせ、
「わわ、わたしっ、なに! これ、なななな何、起きて───」
「……はあ」
少年は深く溜息をつく。
仕方ないとばかりに眉を歪ませ、怯え切った新聞屋の男をグイっと引き寄せて。
その耳元で。
「聞けコラ!!!!!! あぁ!!!???」
爆発みたいな怒号を炸裂させた。
鼓膜はおろか脳味噌まで吹き飛ばしかねない声に、新聞屋はもはや悲鳴を上げる事もできなかった。喉の奥で息を詰まらせ、危うく窒息しかける。
「……よぉし良い子だ」
男が黙ったのを、少年は勝手に肯定と見なした。
一度見なしたのなら、絶対に覆させない。覆す暇もなくたたみかける。
「頼みがある。俺ぁ『こういう』の苦手でよ」
「た、たたっ、頼み……?」
「おう。プロのお前らにな」
その短いやり取りで、もう上下関係は決まっていた。
新聞屋の男は、今さら細かい商談なんてする気もなかった。
「なにを……あの……すれば、よろっ……よろしいので、しょうか……」
従うしかない。
男のそんな諦念を察したのか、少年はそれ以上圧を掛ける事もなく、
「『招待状』を送りてえ」
自然な風に、
「この世界の全人類にだ」
無茶苦茶な注文を叩き付けていた。
※※※※※※※※※※
コツン、と。
一人分しかないはずの足音が、空間いっぱいにやけに響く。
無機質な断崖絶壁が広がる山脈。その奥地に巨大な洞穴があった。
自然に出来た地形ではない。何者かが山肌を削り、掘り進めた形跡がある。
感覚的には野生動物が作る洞穴に似ているが……それにしては大き過ぎる。縦も横も数百メートルの幅がある。明らかに四桁クラスの巨体を想定した洞穴だった。
そんな光の届かない空洞の中を、アーサーは何気なしに歩く。
数十分も進んだ所に、扉のつもりか、ここから先へは行かせないとばかりに巨大な岩が不自然に洞穴を塞いでいた。
障害物にすらならなかった。
アーサーが邪魔くさそうに舌打ちしただけで、巨大な岩は木端微塵に消し飛んだ。
そして、ノックも無しに扉を開けた世界最強の少年は。
その穴の奥にいた、『先住民達』に向かって。
「よ、元気にしてたかトカゲ共」
『あっ!! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああアーサーおろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろ!!!???』
古い友人にでも会ったみたいに声をかけた直後、返事としては全く不釣り合いな雄叫びが洞穴中に響き渡った。
なんなら雄叫びの主は恐怖のあまりにゲロを吐いた。
しかし、嘔吐する元気があるだけまだマシだ。
『他の連中』は、嘔吐する余裕も無いらしい。
「ンだよ、こンなジメジメした場所に引き籠りやがって」
強烈な空気の悪さに、眉をひそませて、
「今日は良い天気だぜ? お外で遊ばねえと体に悪ぃだろうが」
そう言って。
アーサーは舞い上がる埃を払うように、適当な調子で手を振ってみせる。
直後に洞穴が斜めに裂けた。
一拍遅れて、ズンッッッ!!!!!! という大音響が炸裂する。その『斬撃のような現象』は、洞穴というよりは洞穴のある山全体を綺麗に一刀両断していた。
そして、ズレる。
洞穴の壁が、天井が、視界に映る空間全てが斜め下にズレていく。ごごごごごごごごごご……っ!! と岩肌同士が擦れる音と同時、一切の光を通さなかった洞穴の中に、ズレた端からゆっくりと太陽の光が差し込んで来た。
切り裂かれた山の上部分が、土砂崩れのように脇に流れ落ちた。
強烈な轟音と激震が世界を覆う。
洞穴が洞穴ではなくなる。晴れ渡る青空と太陽が頭上いっぱいに広がる。
無理やり見晴らしを良くしたアーサーは、「んー!」と背を伸ばしつつ、首をバキボキ鳴らし、
「やっぱこうでなくっちゃなあ。見えるモンも見えねえンじゃあ面白くねえ」
世界最強の魔術師は。
ジメジメした洞穴から、強引に太陽の下に引きずり出された『彼ら』に向かって。
「お前らもそう思うだろ? なあ?」
目の前で呆然としている、数十体の『グレイブルドラゴン』の群れに向かって。
楽しそうに笑って、そう言った。
『『『『『『『『『『……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………』』』』』』』』』』
『オォォォォォボロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ』
真っ先にアーサーと鉢合わせてしまったグレイブルドラゴンの一体は、さっきからずっとキラキラしたものを口から吐き出し続けていた。突然の悪魔の襲来に、ストレス許容量が一瞬にして上限をぶち抜いてしまったのだろう。全然ゲロが止まらない。
だが、真面な反応が取れるだけでも大したものだ。
ゲロ吐き個体とは裏腹に、他のドラゴン達は未だに唖然。次々展開していく出来事に理解力が全く追い付かず、思考を停止させて固まるしかないようだった。
しばし、沈黙が場を覆う。
しかし、いつか世界は動き出す。
体感的には止まったような時間も。機能不全を起こした頭の歯車も。
いつかは、必ず。
『き』
動く。
『きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!』
女っぽい、甲高い絶叫が放たれた。
後は連鎖反応だった。
『ば!? ばはあ!? ぶぼっ、ばあああああああああああああああああ!!』
『嘘だろ! なっ、なんでここがバレたんだ!?』
『逃げろ!! 今すぐ逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
「あ? ンだよ」
『あなただけでも飛んで逃げて!! 逃げてえええええええええええええええ!!』
『どこに逃げりゃあいいんだよ!?』
『やだ!! 嫌だあ!! 死にたくない!! 死にたくないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!』
『殺せええええええええええええええええ!! もう逃げ隠れて生きるのは嫌だあああああああああああ!! いっそここで殺してくれええええええええええええええええええええええええええ!!』
「うるせえなぁ。遊びに来ただけだろ」
『オボロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ』
『うわああああああああああああああああああああああああもう駄目だああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
『あはは……死んだ……はははは……』
『……きゅう』
ようやく真面な恐怖が追いついたらしい。
グレイブルドラゴン達は、自分らの新たな住処が突如として破壊され、しかも破壊した犯人が『かつて自分達を絶滅寸前まで追い込んだ厄災そのもの』であると認識すると、一瞬でパニックに陥った。
ある者は叫ぶ。ある者は逃走を図る。ある者は絶望する。死を願う。吐く。諦める。気絶する。
千差万別な反応が、等しく一斉に炸裂する。
そんな混乱と混沌を傍目に、
「……はあ……失敗した……」
アーサーは簡単に吐き捨てた。
別に「殺し損ねた生き残りも根絶やしにしてやろう!」とか思ってここまで来たわけではない。ちょっと『お手伝い』を頼みに来ただけだ。それがまさか、こんな騒ぎになろうとは。
元々は、二つの国を跨ぐ大山脈で暮らしていたグレイブルドラゴン。
しかしその大半をアーサーに殺されて以降、彼らは余計に身を潜め、下界に姿を現さなくなっていた。
随分大人しくなったもんだと思っていたら、何の事はない。あの大量殺戮がトラウマになり、洞穴に隠れ住むほど腑抜けになってしまったという事だった。
「あーつまンな」
空を飛ばないドラゴンに、一体何の価値があろう。
雄々しくないドラゴンに、一体何の魅力があろう。
ドラゴン特有の存在力を追ってここまでやって来たが……全て徒労だったらしい。
ここまで期待外れだと、もはや『手伝い』を頼む気も、本当に根絶やしにしてやる気力も湧かない。
もういい。諦めよう。
少年はさっさ踵を返し、その場から立ち去ろうとした。
その時だった。
『わー! おそらおっきー!』
アーサーの足が止まる。
思わず振り向く。
ぎゃーぎゃーうるさい悲鳴の合間に、今、明らかに、全く毛色の異なる声が混じっていたのが分かったのだ。
今のは……子供の声だ。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
立ち去ろうとした足が、再びドラゴン達の方を向く。
騒がしい奴らを全員無視し、アーサーは一直線に声の主まで歩み寄る。
慌てふためいて右往左往するドラゴンの群れの中に、一匹だけ、じっと大空を眺めている個体がいた。
全長は一〇メートルを超える。人間と比べれば明らかに巨大で、肉体だけなら雄々しく見える。
だが、アーサーは雰囲気だけで察した。
この個体だけ、異様に『幼い』。
「おいチビ」
『?』
声をかけられ、幼いドラゴンは後ろを振り向いた。『チビ』というのが自分の事を指していると理解できている時点で、コイツが子供である事は確定していた。
ドラゴンの瞳と、アーサーの瞳がかち合う。
やはり子供の眼だった。
まだ世界の広さを微塵も知らない、幼く無邪気な透き通った眼。
それが分かると、アーサーはあえて腰を落として、幼いドラゴンを見上げる。
「なンだお前、空ぁ見ンのは初めてか?」
『ううん、みたことあるよ。でもね、ママがね、あまりね』
「おう」
『お外はあぶないからって言うの。でね、あんまり外であそばせてくれないの』
「あー、そうかそうかー。そりゃあヒデェ母ちゃンだなぁ」
子供は外で遊ばねえとなあ、と相槌を打つアーサーに、幼いドラゴンは『ちがうよ!』と即座に切り返した。
『ママね! でもね! いっぱい遊んでくれるの!』
「いっぱい遊ンでくれンのか?」
『うん!』
「つまンなくねえかよ」
『つまんなくないよ! 遊んでくれるもん!』
「そうか。……あーそうかそうか。そりゃーいい母ちゃンだ」
何かを納得したみたいに何度も頷いて、また幼いドラゴンと目を合わせる。
そして、納得したアーサーは、
「おいチビ」
問う。
「もっと遊びてえか?」
『うん!』
悩む時間など無かった。
幼さゆえの思い切りの良さか。気持ちがいいほどの断言に、思わずアーサーも笑っていた。
「おし! よぉく言った! やっぱガキってのはこうでなくちゃな!」
『ぃへへへー』
幼いドラゴンは自分からアーサーに頭を差し出し、彼はそれを慣れた手つきで撫でてやる。
こうして会うのは初めてのはずなのに、不自然なほど自然なやり取りだった。
その時だった。横合いから、切羽詰まった悲鳴のような声が飛んで来た。
幼いドラゴンの母親だった。
『やっ、やめて! お願い! その子には手を出さないで!』
「あ? 出すわけねえだろガキなンざに」
つまらなそうに吐き捨てる。
「それに聞いたろ? このチビはもっと遊びてえンだとよ」
アーサーは幼いドラゴンの言葉を、何よりも強く心に刻む。
満足に遊べない苦しさは、よく知っている。
「よし、遊びてえなら遊ばせてやる。どうだチビ。もっとおっきー空が見てえか?」
『え?』
少年の提案に、幼いドラゴンは首を傾げる。
『もっとおっきい、そら?』
「ああ」
肯定するアーサー。
それを見て……何を思ったのか。幼いドラゴンはもう一度、自分の真上にある大空を見上げて、
『これより?』
「おうよ」
『……あるの?』
「ある」
気持ちがいいほどの断言があった。
「見た事ねえくれぇデケェ空を、気が済むまで見せてやる」
神を殺した最強の魔術師。言った言葉は誰にも覆させない。
そして、決して覆さない。
『みたい!』
逡巡すらも馬鹿馬鹿しかった。
幼い声は、自分の欲求に一直線だった。
『もっとおっきーおそら! みたい! ママといっしょに、もっともーっととんでみたい!』
「ンはは! そうだよなあ! そうこなくっちゃなあ!」
ここに二人の子供がいた。
一人は、まだ見ぬ最強を求めて。
もう一人は、まだ見ぬ大空を求めて。
どこまでも自分の欲求に忠実な子供が二人、自然と約束を結んでいた。
「つーわけだ」
アーサーはその赤い視線を、幼いドラゴンから、周囲へと向け直して、
「小せぇガキが大空を飛び回りてえっつってンのに、まさかお前らが飛ばねえわけにゃあいかねえよなあ」
気付けば騒ぎは収まっていた。
その代わりに、得も言われぬ緊張感が辺り一帯を駆け巡っていた。
何か、押してはならないスイッチを押してしまったような。踏み入ってはならない領域に足を踏み入れてしまったような。
そんな、痺れるような緊張感が。
「ついて来い」
伝説と称されるドラゴン達に。
今を生きる世界最強が告げる。
「お前らに、この世界を見せてやる」
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