12【普通の幸せ】

 


 多分それが、普通の幸せだった。


 田舎の貧しい家に生まれて、その日その日をなんとか生きて。

 狭い世界で満足して、外の世界なんて見ようとも思わなくて。

 毎日同じ事を繰り返すだけで精一杯で、新しい事の挑戦する余裕なんて無くて。

 そして、そんな日々に疑問も抱かず、最後は誰にも知られずに、ひっそり勝手に一生を終える。


 退屈な人生だろうか。

 でも、幸せであった事は確かだ。


 お母さんがいて、お父さんがいて、お兄ちゃんがいて、お姉ちゃんがいて。

 知り合いのおじさんがいて、いつも食べ物を少し分けてくれるおばさんがいて、よくうちに迷い込む野良猫がいて。


 お母さんはいつも、美味しいご飯を作ってくれて。

 お父さんはいつも、厳しく優しく色んな事を教えてくれて。

 お兄ちゃんやお姉ちゃんとは、いつも一緒に遊んで笑って同じご飯を食べて、そして時々思いっきり喧嘩をして……でもやっぱり遊んで、同じご飯を食べて。

 おばさんは、いつも楽しそうに笑いかけてくれて。

 おばさんは、いつも自分達が楽しんでいるのを喜んでくれて。

 時々迷い込む野良猫は、いつも構ってほしそうにすり寄ってきて。


 そういう何気ない毎日が、『彼』にとっては普通に幸せだった。


 恵まれてはいなかった。『彼』の体はいつも泥まみれだったし、お腹いっぱいにご飯を食べた事もない。家はとても狭かったし、冬は凍り付くほど寒かった。

 しかし、『彼』は幸せだった。

 お母さんと。お父さんと。お兄ちゃんと。お姉ちゃんと。おじさんと。おばさんと。野良猫と。

 笑って、喜んで、楽しめれば、幸せを感じる事ができた。




 でも、退屈だった。

 どうしようもない退屈が、いつも『彼』を蝕んでいた。




 お母さんが、そこら辺のゴキブリやら蜘蛛やら動物の死骸やら腐った野菜のクズやら川に溜まった泥やらを掻き混ぜたグチャグチャしたご飯を作ってくれて。


 お父さんが、叩いて殴って蹴って焼いて刺して抉って潰して捻じって捲って剥いで抜いて裂いて割って嬲って弄んで罵って躾けてくれて。


 お兄ちゃんとお姉ちゃんと、狭くて暗い部屋の中で、叫んで、喚いて、少ないご飯を奪い合うために殺し合って、引き千切り合って、ご飯が足りない時は相手を食べ合って。


 キラキラした服を着たおじさんが、自分達が殺し合ってるのを見て楽しそうに笑っていて。


 綺麗なドレスを着たおばさんが、家から持ってきた生ゴミを食べさせてくれて。


 お腹を空かせた魔獣が、自分達を食べるために襲い掛かってきて。


 そんな何気ない生活すら、『彼』にとっては退屈そのものだった。


 幸せだ。でも退屈だ。

 幸せだ。でも退屈だ。

 幸せだ。でも退屈だ。

 退屈だ。でも退屈だ。

 退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。幸せだ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。退屈だ。


 退屈だった。

 つまらなかった。

 面白くなかった。

 満足できなかった。


 だから。









       ※※※※※※※※※※









 だから。


「う」


 だからこそ。


「うわああああああああああああああああああ!! あァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 派手な服を着た小太りの男が、森の中を半狂乱になって逃げていた。

 生い茂る草木を掻き分け、木の枝に服が引っ掛かっても無視して走り続ける。勢い余って枝で皮膚を裂いても、大きな木の根に躓いて顔面から転んでも、そして転んだ場所に運悪く落ちていた小石で片目を潰しても。


 何度も転び、何度も皮膚を裂き、何度も何度も泣き喚いても。

 自分の体が、血と泥でグチャグチャになってしまっても。

 止まれない。走り続けるしかない。


 立ち止まったら、死ぬ。


「誰かあああああああああああああああああああああああああああ!! 誰かあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 しかし焦る心とは裏腹に、体が思うように動かない。

 もっと速く走りたくても、脂肪の付いた男の足は鉄のように重く。

 もっと遠くへ逃げたくても、たるみ切った男の肉体は、すでに体力の限界を迎えていた。


「だれがあああああああああああぁぁぁぁ……!!」


 恵まれた環境で、恵まれた生活を送っていた男の体は、こんな状況でさえ恵まれた時以上の機能を発揮しようとしない。

 走っても。もがいても。足掻いても。叫んでも。

 迫る死から、逃れられない。


「だ、だずけ──────」


 この期に及んで、男は助けを叫ぼうとした。

 その時だった。




 ドッッッ!!!!!! という衝撃波が放たれた。

 景色そのものを消し飛ばす魔術が、見渡す限りの全てを薙ぎ払う。




 莫大な余波が森の中を席巻した。何十何百という幹が立ち並ぶ樹林が一瞬で消し飛び、木片の嵐となって吹き飛ばされていく。

 人間如きが、その威力に耐え切れる訳もなかった。

 恐ろしい圧力の直撃を受けた男の体はいとも容易く宙に浮き、凄まじい速度で吹き飛ばされる。


「ぎ!? いぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 凄まじい速度で吹き荒れる木片が、次々と小太りの男に突き刺さる。

 そのまま地面を転げていく。全身に突き刺さる激痛に叫んでのたうち回る。


 でも、誰も助けてくれない。


 呼んだらすぐ駆け付けてくれるメイドも、助けを叫んだらすぐに駆け寄ってくれる母親も、駄々をこねたら何でも言う事を聞いてくれる父親も、自分が望んだ事はなんでもやってくれる執事も。

 来ない。いない。

 誰も。何も。


「いい……いだぃぃぃぃぃぃぃぃいいい……!!」


 そんな絶望的な状況の中。

 さらなる絶望が、森の奥から迫り来る。




「おじさん、どぉしたの?」




 それは声だった。

 幼い子供のものだった。

 無垢で無邪気で純粋な、こんな森の中から響くにはあまりに異質な子供の声。


 だから、なのか。

 だけど、なのか。


「ひ」


 小太りの男には。

 その声が、自分の命を貪りに来る悪魔の鳴き声に聞こえていた。


「おじさん、ないてるの? どおして? いたい?」


 森の奥。

 魔術が飛んで来た方角から、『誰か』が近付いて来る。

 ベチャベチャと、ぬかるんだ泥の中を、小さい足でゆっくりと。


「ないたらね、だめなんだよ? ないたら、だって……たのしくないから」


 暗闇の奥から、『声の主』が現れる。

 男の視界に、『悪魔』の姿が映る。


「おかあさんね、おとうさんもね、みんなうごかなくなっちゃった。だからね、でね、もっとあそぼっていったのに、ねちゃったんだもん。おきてってしたのに、おきなくて……。おにいちゃんと、おねえちゃんも、どっかいっちゃってね……。だから、つまんないの」


 それは、五、六歳程度の幼い少年だった。

 、ただの子供に見えた。


「おばさんもね、どっかいっちゃった」


 髪は地面に届くくらいに伸びていて、服は服としての機能を果たせないほどにボロボロで。

 手足の先は、爪も皮膚も剥がれ落ちて中身が剥き出しになって。


「なんか、いなくなったの。だから、おじさんしかいなくて」


 全身に、叩かれた痕が、殴られた痕が、蹴られた痕が、焼かれた痕が、刺された痕が、抉られた痕が、潰された痕が、捻じられた痕が、捲られた痕が、剥がれた痕が、抜かれた痕が、裂かれた痕が、割られた痕が、くっきりと残る。


「あそぼ、おじさん」


 そんな……幼い子供が。

 そんな、小さい男の子が。





 全長二〇メートルもある大型魔獣の、真っ二つに引き千切られた上半身だけを掴んで、ズルズル引き摺りながら現れた。





「……い」


 小太りの男は。

 もう限界だった。


「い、嫌っ、嫌だ! 嫌だあああああああああああああああああああ!! 嫌だああああああああああああああああああ!! だ、だず! げで! だずげでえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」


 全身から血を流し、立ち上がる気力も失って、それでも死にたくないという一心で地面を這いつくばりながら助けを求める。

 コチラに歩み寄って来る少年から、必死に遠ざかろうとする。

 でも、できない。

 逃げられない。助けなんて来ない。

 そもそもここは、人なんか立ち入るはずもない深い深い森の中なのだ。




 ───安全な『実験』のはずだった。




 魔術協会で行われていた、人工的に世界最強の魔術師を作り上げる『人体実験』。

 彼らは『蟲毒こどく』と呼んでいた。


 その辺の町から攫ってきた生後間もない赤子や、親に捨てられた子供を、数年に渡り洗脳し、魔術教育を施し、時期が来れば監獄の中で子供達を戦わせ、最後の一人になるまで殺し合わせる。


 それを数十の実験場で行い、そして各実験場で生き残った数人をさらに殺し合わせ、最終的に残った一人が、世界最強たりうる能力を会得するのか。それを確かめるための実験だった。


 ───絶対の安心と安全を謳っていた実験だった。


 入念に行われる洗脳と、決して壊れない魔術結界を構築した独房での殺し合い。子供達には殺し合いをしている自覚すら無い。それどころか、彼らは己の境遇すらも正しく認識できていない。そういう風に育てている。


 決してこの実験は、外に漏れないという触れ込みだった。だから安心して、資金提供のスポンサーとしての立場を使い、幼い子供の殺し合う様子を、妻と一緒に娯楽として楽しんでいたのだ。


 そのはずだったのに。

 そうなるはずだったのに。

 事実、途中まではそうだったのに。





 まさか、たった一人の幼い子供が予想以上の力を発揮し、研究施設ごと『蠱毒』の実験を跡形も無く消し飛ばすとは、夢にも思わなかった。





「ね、あそぼ」


 皮肉にも、魔術協会の思惑は見事に成就していた。

 だが、自分達が生み出した怪物は、自分達で制御できないほどに凶悪だった。


「来るなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


「どおしたの? なかないで」


 全身を傷で覆う少年は、人形のように大事に握っていたはずの魔獣の死体を、いい加減な調子でその辺に放り捨てた。

 もう動かなくなった『野良猫』には、一切の興味も無い。

 今は、もっと。

 目の前に。


「おじさん。……おじさん」


 面白いものがある。


「わらって?」


 悪魔は、


「よろこんでる?」


 少年は、


「たのしい?」


 何百人という子供の魔術師達の殺し合い。

 そんな地獄の中で、たった一人の頂点となった少年は。


「ぼく、たのしいよ」


 この世の全てを燃やし尽くすような赤い瞳を輝かせて、楽しそうに笑っていた。









       ※※※※※※※※※※









「あれ」


 幼い少年は一人、


「……あれ?」


 森を丸ごと一つ消し飛ばした爆心地で、地面の染みとなって跡形もなくなった『おじさん』を見下ろしながら、小さく呟いた。





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る