11【世界を愛した者達へ】

 


 探す。


 探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。探す。


「お」


 見つけた。


 待ちに待った『それ』を気配に、アーサーは思わず笑っていた。『それ』が埋まっているであろう地面の上で、さてどれくらいの深さだろうかと足の裏でトントン叩いてみる。


「つくづく失敗だ。自分から楽園を出てっちまうとか」


 言いながら、アーサーは足の裏で叩いた地面の反響音に聞き耳を立てる。

 それは、物理的に観測しようとしても、決して人には捉え切れないほど小さな音。

 そんな音響を、鮮明に聞き取って。


「ここだな」


 狙いを定めて、凄惨に笑う。

 パチン! と軽く指を鳴らす。

 直後の出来事だった。




 惑星を真っ二つに叩き割るような轟音が炸裂した。

 そしてその通り、地面が一〇キロメートル先まで真っ二つに裂けた。




 激震が見渡す限りの世界を覆う。

 アーサーの目の前に、奈落の底まで続く断崖絶壁が現れた。

 大地を切断したというよりは、前後左右に大地をズラして捩じり割った感覚に近い。そうやって強引にこじ開けられた地面は、三半規管を狂わすような地響きを上げながらさらに割れ目を拡大させていく。


「地面をこじ開けるってのぁ思いつかなかったな。上ばっか見てっから足元の小銭に気付かねえ」


 ゴゴゴゴゴゴゴ……と、大地を揺さ振る音が響く。

 アーサーの足元から。いいや、足元のさらにもっと奥深くから。


「やっぱ一人で歩いててもつまンねえわ。道は誰かと歩いてこそだな」


 そう考えれば、ある意味今回は『成功』だったのかもしれない。

 魔術師になって、神様を殺して、世界最強になってから。

 初めて、楽しかったかもしれない。


「さて」


 足元の下から伝わる震動を全身で捉えつつ、


「今日はお祝いだ」


 次の瞬間。




 ドォッッッ!!!!!! と。

 猛烈な勢いで、地面の底から何かが噴き出した。




 凄まじい屹立があった。

 天と地を繋ぐ大樹の幹のようにも見えた。

 空高くまで突き上がるその柱は、遥か上空で傘のように広がると、そのまま全方位に大量の体積を撒き散らしていく。

 その光景に、アーサーも思わず「おお!」と声を上げて目を輝かせた。


 なんて、生まれて初めて見たかもしれない。


「ぃやっほ─────────い!! 風呂だぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 少年は喜びのままに大声で叫ぶ。

 その直後、アーサーは怒涛の如く押し寄せる大波に呆気なく呑み込まれた。


 伝説の魔獣・グレイブルドラゴンの住処であった、二つの国をまたく大山脈。

 そして今は、山脈の影も形も残らない平野と化した山脈跡地。

 そこから溢れ出る熱水の柱。


 大地の切れ目から噴き出す水の柱は、外気に触れた瞬間に白い蒸気と化して景色を覆う。地下深くで熱された源泉は、場合によっては最高温度一〇〇度を超える。

 そんな地獄の水の中を、


「おおおおおおおおおおぁぁぁぁぁぁ……沁みるぅぅぅうううう……」


 今にも溶けそうになっているアーサーが、呑気に流されていた。

 声にならない快感の声はオッサンそのもの。体をプカプカ浮かばせて、少年はお湯の流れに身を任せる。


「効くぅ~……ちょうどいい~……マグマじゃこうはいかねえンだよなぁ~」


 これに酒と肉を喰らいながら、両脇にマブい女でも抱えりゃ最高だ───とかなんとか、世迷い言を垂れながら空を見る。

 何時間も源泉を探し回ったせいか、見ればとっくに夕日の時分。赤く染まった空が視界いっぱいに広がっていた。


「はあ……いいなぁ……」


 こんなに幸せな気分はいつ以来だろう。特にここ最近は失敗続きで、すっかり心が退屈に染まっていた。

 だが、今となってはそんな事も馬鹿らしく思える。

 見ろ。この最高の風呂を。

 これを成功と呼ばなかったら、この世に成功なんてただの一つも存在しない。


「最っ高に……楽しい戦争ゲームだった」


 そう言って、静かに目を閉じる。

 幸せな気分と記憶に沈みながら、アーサーはゆっくりと体を漂わせる。


 全身に余すところなく深い傷を刻み付けられた、その体を。







       ※※※※※※※※※※








 この時期、この惑星から見える星は全部で約三五〇万。

 そのうち公的に名を付けられた星は精々数十個。その他は全て、男が勝手に名前を付けた。


 しかし、それでもまだ全てではない。

 今ある科学力を用いても、観測できる範囲はたかが知れている。


 男の理論が正しければ、この宇宙には、この世界には、一〇を何乗すればいいのかも分からないほどの星がひしめき合っているはずなのだ。

 そんな中の、たった三五〇万。

 この星から見上げる空は、あまりに小さく、あまりに寂しい。


 男は想像する。この宇宙に無限に広がる、果てしない空間の奥行き。支配できる未来など微塵も思い描けない、どこまでも巨大な暗闇を。

 そこから見えるこの星と、その星の上で交錯する魔術と科学を。

 その小ささを。


「ふん」


 下らん感傷だ。科学者の男はそう切り捨てる。

 ただ、不思議と悪い気はしなかった。

 己の信じる道、己が心から恨む敵、双方の小ささを再確認して初めて、男はようやく地に足を着ける事ができた気がした。


 レオナルド・ダ・ヴィンチは地面に仰向けになったまま、夕暮れの空を見上げる。

 太陽の傾きから察するに、あれから五時間くらい気を失っていたのか。

 なんとも許し難い『失敗』だ。無駄な時間を過ごしてしまった。五時間もあれば次の科学兵器の案を三〇〇個は思い付けたというのに。

 自分の事とはいえ、軽く怒りを覚えるほどの失敗だ。


「……ちっ」


 目だけを動かし、力の入らない体を視界の端に捉えるレオナルド。

 己の体を見て、舌を打つ。




 ボロボロだった。

 両腕は滅茶苦茶に折れ曲がり、大きく割れた腹からはいくつもの内臓が飛び出て、両足は破けた紙袋のように見る影もなくなっていた。




 人間として機能できる最低限の形すら保っていない、その肉体。

 本来なら生命活動を即座に停止させているはずだ。それでもな当たり前のように呼吸を続けている異常性。その姿は、原因と結果の結びつきに重きを置く『科学』からは、遠くかけ離れていた。

 ならば魔術? それもあり得ない。

 だからこれは、立派な『科学』。


「……下らん。よりによってこの場で辿り着くか」


 骨も神経も破壊されているはずの手には、それでもしっかりと一本の絵筆が握られていた。

 男はそれを……一体どうやったのか、クイ、と少しだけ動かす。

 次の瞬間だった。




 




 そうとしか表現ができない現象だった。

 あるいはそれは、もっと論理的な因果に基づいた現象だったのかもしれない。だがそれを科学的な言葉に変換する手段が、この世界には存在しなかった。


 まさに時間経過を逆再生するかのような光景。


 複雑に折れ曲がった腕が、体から零れ落ちた内臓が、グチャグチャに潰された両足が、引き裂かれたゴミクズみたいな全身が、波の満ち引きの過程を早回しで見ているかのようなスピードで、元の形状を取り戻していく。


 男の体は一〇秒とかからず五体満足に修復されていた。

 いや、まだだ。

 それだけじゃない。


「ふん」


 実につまらなそうに、男は健全になった腕で大きく絵筆を振った。

 まるで、見えない虚空のキャンバスに絵でも描くように。

 直後だった。




 意味不明な『何か』が起きた。

 今度は




 老いた男───その顔から、シワがどんどん消えていく。

 蓄えた髭が徐々に顎の中へ引っ込んでいく。衰えた体のたるみは次第に引き締まり、年相応に歪んだ肌は張りと艶を手にしていく。

 原理も、理屈も、何もかもが分からない現象だった。

 何も分からなくとも、現実は現実だった。


「……つくづく下らん。


 簡単な一言があった。

 糸に吊るされた人形のように、何の弾みもつけず男の体が独りでに立ち上がる。

 そして、またしても男は絵筆を振るう。

 自分の思い描く風景を、夜空というキャンバスに描くみたいに。


 その時だった。

 ザアアアアアアアァァァ!! というさざ波のような音と共に、周囲の砂が勝手に舞い上がり、一斉に男の体へ纏わりつく。


 よほど激しい攻撃を受けたのだろう。男の着ていた衣服は塵も残さず掻き消え、彼は完全無欠に素っ裸であった。

 そんな彼を取り囲むように……どういう原理で何が起きているのか、大量の砂が、まるで生物のように渦を巻く。


「老いた体よりも『力』の効率が著しいな。脳機能の問題か? ……結論に至るには早過ぎる。検証の余地ありとしておこう」


 男は絵筆を振るう。

 もはや因果関係なんてぶっちぎっていた。


 砂は、男の体に密着したかと思うと、一瞬にしてその色を変えた。

 薄い茶色のような色から、瞬く間に黒へ。

 変化したのは色だけではない。


 男の体を包み込んだのは、もはや砂ではなかった。

 それは紛れもない、黒く染まった『衣服』だ。


「道は一人では歩めんと言ったな」


 男が呟く。

 違う。

 今や彼は、『男』と言うよりも。


「ならば存分に歩かせてもらおうか。貴様の屍で築いた道を」




 黒一色の服で身を包んだ『少年』が、眉間に深いシワを刻みながらそう言った。




 レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 魔術の対極。科学を極めた世界最強。

 そんな人間が今、まさに真の意味での『対極』に足を踏み入れた。


 何をしたのか分からなかった。一切の原理が不明だった。

 時間そのものを巻き戻すようなその現象。果たしてそれは、どんな原因を突き詰めた末の結果なのか。それを理解できる者が、この少年以外にこの世にいたのか。

 因果。原因と結果。

 その全てが理解不能。


 すなわち『正体不明』。

 かつて、神を殺した世界最強の魔術師が辿り着いた領域。


 ……アーサーとの最後の激突の時。

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、最強の魔術師に成す術なく叩きのめされただけだったのか。

 いや、彼は戦っていた。

 絵筆一本を片手に、あの世界最強の魔術師へ追い縋ったのだ。

 彼には絵筆以外にもう一つ、最大の武器がある。



 その卓越した頭脳。



 真の天才には、もはやお膳立てされた教本など必要ないのだ。

 己の周囲にひしめく森羅万象から、あらゆる理論を学び、吸収し、理解し、発展させ、一の知識を一〇〇にも一〇〇〇にも膨れ上がらせる。

 その速度は常人の比ではない。

 凡人が数百年もかけなければ到達し得ない領域へ、彼らはたった数日、たった数時間で踏み込み、次の瞬間にはその先まで飛び立っている。


 アーサーという最大規模の怪物と渡り合いながら、それでもレオナルドは思考し、理論を組み立て、絵筆一本から超常的な科学を身に付けた。


 学習する教材などいくらでもあった。

 アーサーの放つ魔術。そこから溢れる正体不明の攻撃。

 だが、正体不明と割り切るのは凡俗のやる事だ。



 



 ダメージの拡散具合は己の体で。

 衝撃波は筆の柄で。

 舞い散る粉塵の動きは絵筆をなぞるように想像しながら。

 体の中に蓄積された痛みや傷の共通性を空中に筆でメモを取りながら。

 魔術のタイミングや合図は五感を使い。

 その現象が起きる前と起きた後の些細な違いをメモを見ながら。

 空間の歪みは筆を使って即席で地面に数式を並べながら。


 既存の数式で解明できない時は、独自の数字を開発した。

 既存の文字で説明できない時は、独自の言語を生み出した。

 既存の思考回路で考察できない時は、独自の思考回路を仮定した。

 既存の精神構造で想像できない時は、独自の精神構造を想像して当て嵌めた。


 そうやって、アーサーを相手に、耐え忍び、取り込み、学習し、そして手に入れた力が───




「先生!!」




 その時、どこからともなく大きな声が聞こえた。

 もともとは、魔術都市カルドキアの街並みが広がっていた大地。今となっては剥き出しの地盤しか残っていない荒地の向こうから、一〇人以上もの白衣を着た集団がコチラに向かって来るのが見えた。


「先生! ご無事でしたか! カルドキアの外に放り出されてから、もう何が何やら我々には───」


 自分の組織した自然科学協会のメンバーだったと、レオナルドは遅れて気付く。

 その中にいた、もやしのようなヒョロ長の男が、少年へと時間を巻き戻した男に近寄ると、


「あ……あれ?」


 一瞬、眉をひそめる。


「どうした。何を訝しんでいる」


「え、……いや……あの……」


 ヒョロ長の男は、いったい何が起きているのか分からないようだった。

 目の前の少年を穴が開くほどじっと見つめ、やはり何も理解できなかったのか、不意に視線を逸らして、周りにいる他の科学者たちにも目線を配る。

 しかし他の奴らもヒョロ長の男の似たり寄ったりな反応だ。自分達が先生だと思って駆け寄った男がまったく見覚えのない少年だったと知って、事態を呑み込めずに互いに顔を見合わせている。


 そもそも。

 どうして自分達が、遠目とは言えこの少年を先生の男だと勘違いしてしまったのか、その理由も分からずに。


「……えーっと……」


 迷った末に、ヒョロ長の男は口を開く。


「ねぇきみ、この辺に、ちょっと年を取った男の人、見てたりしないかな?」


「……は?」


「すごく怖そうな顔をしてる人なんだけど……あれー、おかしいな。絶対にこの辺りにいるはずなのに……」


 挙句の果てに……答えが目の前にいるというのに周囲をキョロキョロ見渡し始めるヒョロ長の男。


 あまりに憐れ過ぎる己の部下達の姿に、レオナルドも頭を抱えそうになる。

 皺の濃い眉間にさらに皺を寄せ、目頭を押さえ、「はぁ……」と重苦しいため息。

 そして。

 彼は静かに、息を吸って、


「この――――」


 思いっきり、解き放つ。


「愚か者がァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


 もはや衝撃波が出るんじゃないかと思えるほどの怒号だった。

 鼓膜を突き破るような突然の声。そして隠しても隠し切れない悪魔的な威圧感。それを真正面から浴びたヒョロ長の男は、目の前の少年がレオナルド本人である事にも気が付かないまま「いひ!?」と情けない声を上げ、思わず尻餅をつく。

 レオナルドは、そんな男に絵筆の毛先を突き付けて、


「貴様ァ!! そんなザマでよく私の前にのこのこ姿を現わせたものだ!!」


 当然、ヒョロ長の男は困惑の極みだった。

 何が起きているのか分からない様子で、表情を「?」で埋め尽くして行く。

 それもそのはず。

 なにせ全く見知らぬ少年から、慣れ親しんだ怒声を浴びせられているのだから。


「外から見える現実に囚われるな!! 万物の魂を!! 自然科学の本質を見極めろと何度言えば理解できる!! アンドレア!!」


「な……なんで僕の名前……!」


「まだ分からぬかあ!!!!!!」


 視線だけで人を射殺してしまいそうな目がギラリと凶悪に光る。

 それに完全に怯えたらしいヒョロ長の男、アンドレアは、尻餅をついたまま無意識に後ずさる。


「魔術の腕もない分際で魔術の世界に飛び込み! 何も学べず挫折と堕落を繰り返していたゴミクズのような貴様を拾ってやったのはどこの誰だと思っている!! その根性を一から叩き直してやったのは!! 貴様の人生を救ってやったのは!! どこの誰か!! 言ってみろォオ!!」


「はっ、はいいいぃぃぃ! 我らが師! レオナルド先生です!!」


「貴様はぁ!!」


「ひ!?」


 絵に描いたような悪魔の形相のまま、レオナルドは、今度はアンドレアの隣にいた若い女性にも怒鳴り散らす。


「言え!! 奴隷市場に売られていた貴様を買ってやったのは!! 盗むか殺すか体を売るかしか能の無かった貴様に道を授けたのは誰か!! 貴様は私に返しても返し切れん恩があるはずだ!! 貴様の命を救ったのは!! 貴様の頼みを聞いてやったのは! どこぞの悪徳富豪に買われた貴様の友を救ってやったのは!! 貴様の街の人身売買組織を丸ごとすべて叩き潰してやったのは!! 一体全体どこの誰だ!! 言ってみろ!!」


「れ、レオナルド・ダ・ヴィンチ先生です!!」


「そうだ!! なぁ!?」


 バッ! と。

 別の方にも絵筆を向ける。


「忠告する……まさか貴様らも答えられんわけはあるまいな」


「っ!?」

「うっ!」

「あ、え……!」


 答えられなければどうなるか分かってるな? ……みたいな。

 正気を失った殺人鬼などより恐ろしく見開かれる少年の瞳に、その眼光に、睨まれた三人の男女は三者三葉の呻き。

 そこには、周りの集団と比べて、肌の黒い男女がいた。


「この世からあらゆる差別を排除せんと!! 自ら私の許を尋ねて来たのは貴様らだ!! それを受け入れたのは!! 貴様らを縛る町も国もすべて灰も残らず消し飛ばし!! 貴様らに自由の道を与えたのはどこの誰か!! その口で答えてみろ!!」


「「「レオナルド・ダ・ヴィンチ先生です!!!!!!」」」


「そうだ!! 分かったか貴様ら!! 答えろ!! 答えられねば全員!! 今すぐこの場で原型も残らず叩き潰されると思え!! 言え!! 私は誰だ!!」



 ───レオナルド・ダ・ヴィンチ先生です!!!!!!



 もはや九割がた、その顔面の恐ろしさと狂気的な脅しに屈した形で、未だに状況が呑み込めていない表情の白衣の集団が一斉に少年の名を口にする。

 ようやく得られた正解に、それでもレオナルドは口をひん曲げた。


 本当に、どいつもこいつも。

 コチラから問いかけなければ答えも見つけられないのか。


「なんという体たらくだ! 万物の真理を見極めるはずの科学者が先入観を植え付けられ! その奥にある絶対の真実に目を向ける事も叶わんとは!! 手塩に掛けて育てて来たと思ったが……ふん!! どうやら失敗だったようだ!! また一から育て直しだ!!」


 それでも、『見捨てる』や『見放す』という選択肢が最初から頭にない辺りが、レオナルド・ダ・ヴィンチという人間の生き様なのか。


「自ら問いを生み出せん凡俗極まるアンドレアよ、ならば私の問いに答えてみろ」


「は、はい!」


「まずは立てぇえええええええええ!!!!!!」


「はいいいいいぃぃぃぃぃ!!」


 尻餅をついたヒョロ長の男は、叫ばれるままにピーン! と直立。

 並みの兵士よりも洗練された姿勢を体現してみせる。


「貴様らが生きている事などとっくに想定済みだ! 問題は『天の梯子』だ! あれはどうなっている!」


「は、はい! 我々がアーサーの攻撃を受けた直後に、カルドキアの外壁もろとも蒸発してしまったと思われます! はい!」


 尋ねはしたが、一応は想定内の答えだった。

 その破片だけでも残っていれば利用価値はあると思ったが……しかし無いものは仕方ない。また一から作り直すか、もしくは別の兵器を開発するしかない。


「ふん、ならばいい。私も用意した兵器を全て失った。また一からやり直しだ」


「い、一からですか……」


「なぜ絶望している、アンドレア。我々科学者にとっては日常茶飯事のはずだ」


 結果の観測。原因の解明。

 その因果関係を何度も試行し、検証を繰り返し、数え切れない失敗を重ねて前進し、最後に一粒の成功を掴み取る。そしてその成功が、さらなる課題をもたらす。


 初めからゴールなどない。

 常に、永遠に、止まる事なく、ひたすら歩み続けなければならない『道』。

 自然科学とは、本来そういうものだ。


「ただ、この言い回しは不服の極みだが、不幸中の幸いだ。私は私で新たな『科学』を手に入れた。前進するものはあったらしい」


 心底下らんものだったがな、と。

 つまらなそうに言って、レオナルドは絵筆を振るう。




 その直後だ。

 正体不明の『何か』が起きた。




 大地が、土が、砂が、空気が、空気中に漂う分子が、空間が、重力が、この世界のありとあらゆる『存在』が、その性質を瞬く間に変えていった。

 たとえるならそれは、あらゆる物質を一度粒子レベルで分解し、自分好みに再構成する行為。

 その現象を、『粒子』なんて下らない単位ではなく。

『概念』レベルで実現する。

 ここまで来れば、正体不明というより意味不明だった。


「おっ、うお!?」


「きゃあ!?」


 あちこちから驚愕の声や悲鳴が上がる。

 この程度で何を騒いでいるのかと、レオナルドは不愉快そうに顔をしかめる。



 



 何もなかった大地が捲れ上がり、複雑な凹凸を形作っていく。

 ズァア!! と生物のように巻き上げられた砂嵐が概念レベルでその性質を変化させ、レンガや金属に姿を変えていく。

 何もない虚空に突然、ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ!! と木の板や石畳が生み出されていく。

 それらが、まるで立体パズルのように組み上げられていく。



 レオナルドの手に入れた、世界最強の科学。

 その光景を目にした科学者たちは、まるで神話の中に描かれる世界創造の瞬間に立ち会っているような錯覚に襲われていた。



 砂の塊が、瑞々しい果物に変質する。

 捲れ上がった地面が、複雑な構造を持つ建築物へと姿を変える。

 ジワリと空間に浮かび上がって来るように、何もない場所から『巨大な外壁』が出現する。


 気が付いた頃には。

 彼らは、

 数秒まで見渡す限りの荒地だった場所に、今にもあちこちから生活音が聞こえてきそうな、正真正銘の街並みが広がっていた。

 だから。

 つまりは。




 消滅したはずの要塞都市カルドキアが、元の姿を取り戻していた。




「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 唖然があった。

 沈黙があった。

 寸分の狂いもなく再現された大都市のど真ん中に佇む科学者たちは、目の前で何が起きたのかも理解できず、口を「あ」の形に開けたまま、呆然と突っ立っていた。


 だって、意味が分からない。


 何も無かった空間から、突然一つの都市が出来上がってしまったのだ。

 それもこんなに早く。あっさりと。

 何をしたのかも、どんな原理を用いたのかも理解できない謎の現象。

 解明の糸口すら見えない、正真正銘の『正体不明』。

 科学と言われても魔術と言われても、どっちと言われても納得できない次元。


 無から有を生み出す力。

 アーサーとは正反対の方向性を見出した『正体不明』。

 奴を『究極の破壊』と定義するならば、その対極。




『究極の創造』。

 それこそまさに、世界を形作ったと神話で語られる『神』の領域。




 それほどの事象を……絵筆一本、振るっただけで?

 こんなの、黙り込む以外に何をしろと?


「ふん」


 思考停止に陥る科学者の中でただ一人、黒づくめの少年だけは、つまらなそうに鼻を鳴らす。


「都市を再現するだけで全力とは……未熟も甚だしい。これでは奴の足元にも及ぶまい」


 アーサーは、カルドキアを丸ごと破壊してなお余裕があった。

 小さい子供の遊びに付き合っている大人のような気楽さがあった。

 まずはそのレベルにまでこの技術を鍛え上げなければ、再戦など夢のまた夢だ。


「現状可能なのは、単純な構造物の生成と、msaje概ghjnの操作が関の山……」


 その時、レオナルドの言葉が

 発音を間違えたとか、そういう次元ではない。彼が『それ』を言おうとした途端、音の響き方自体が謎めいた屈折を起こした。

 言葉を発したレオナルド自身も、怪訝な顔で己の喉に手を当て、


「……この程度の『意味』すら表現できんほど、世界そのものの知識が足りていないのか。ますます下らん。他者へ教授のできん知識に何の意味がある」


 これほどの次元に足を踏み入れてなお、レオナルドはたった一人不満そうに眉間に皺を寄せる。

 試しに、もう一度だけ筆を振るう。

 今度は都市を創造するのではない。、今となってはいくらでも生み出せる。

 しかし、問題なのは。


「…………」


 筆を振るった瞬間、またしても『正体不明』が起きた。

 空間が捻じれ、砂が巻き上がり、物質が変化し、空気中の粒子も強引に掻き混ぜられ、無から有を作り上げる。


 ガチャガチャガチャガチャ!! と、今度は硬い音が聞こえた。

 そうして、虚空から生み出された物を見る。

 そこには、


「……やはり失敗か」


 光学兵器『天の梯子』が立っていた。

 人間大の鏡を連想させる姿。光を集束させる結晶を何百も敷き詰めて製造した、対アーサーの決戦兵器。聖なる太陽の光を絶大な攻撃に変える、ある意味では天罰が下るような不敬の代物。


 ──────の、失敗作があった。


 綺麗な楕円ではなく、子供の落書きのように歪な円形。

 そこに敷き詰められている結晶も、まるで何の光も取り込まないような粗悪品。

 ほとんどただの岩石だ。

 実際に『天の梯子』に使われていたのは、全て特殊な環境下でしか生成されない希少な結晶だ。当然、自然科学の神秘がふんだんに盛り込まれている。


「あれほど複雑な物体はまだ生み出せんか。……まあいい、これからだ」


 むしろ、この程度で創造できてしまった方が興醒めだ。

 この世界の神秘は、こんな付け焼刃で再現できるほど甘くない。


「さあ行くぞ。立ち止まっている暇はない。こうしている内にも魔術は世界中に拡散されている。それを根こそぎ叩き潰し、否定してやる。いいな」


 まずはそこからだ。男の人生はそこから始まっている。

 だから今日も、それの繰り返しだ。

 いつも通りの繰り返し。

 そして何度も繰り返す事で前に進み、常識を覆すのが自然科学の醍醐味だ。

 立ち止まっている場合じゃない。

 進み続けなければならない。

 なのに、


「…………」


「おい、何をしている」


 レオナルドがふと後ろを振り返ると。

 そこには、彼の後ろを付いて行こうともせず、その場に棒立ちのまま動けずにいる、科学者の集団があった。


「……あの」


 アンドレアが口を開く。


「大変失礼ながら、申し上げたい事が……あるのですが……」


「なんだ。言ってみろ」


「……あの……わ、」


 言いづらそうな顔で、恐る恐る、


「我々の力など……不要、なのでは」


「――――なに?」


「もう我々には、先生がたった今何をされたのかまるで理解ができません。これが……その……本当に科学なのかどうかすら、えっと……微塵も分からないのです。未だに、ちょっと……あ、……その、困惑、というか……はい」


 レオナルドは、彼が何を言いたいのか分からない顔で、


「何が言いたい。要件は簡潔に述べろ」


「これほど、その、我々とレオナルド先生に差が……はい、差があって、先生と、私達に……あの……必要なのでしょうか」


「何がだ。ハッキリ言え」


「私達が」


 その答えに、


「今、レオナルド先生には……レオナルド先生の下で研究を重ねても、なんと、言いますか……」


「…………」


「何一つ、お役に立てないのでは、ないかと……私達が……」


 レオナルドは、アンドレアのその言葉に、むしろ衝撃を受けていた。

 衝撃的に、失望していた。

 本当にコイツらは……一体どこで育成を失敗したのだろう。皺を刻み過ぎて疲れてきた眉間を指先で揉みほぐす。


「そこからか……? 貴様らのような凡俗には、そこから話さねばならんのか?」


 こいつらは、本当に分からないのか?

 本当に、こんな簡単な事も?


「───私はいずれ、奴と同じ場所に辿り着く」


 レオナルドの言葉に、皆が顔を上げてしっかり耳に入れる。

 そういう風に教育している。


アーサーと同じ領域だ。奴を殺すには同じ場所に立たねばならん。それは理解しているな」


「はい」


「そうなれば貴様らなんぞ雑兵にも満たぬ。貴様らの歩幅も、歩む速度も、もはや地を這うアリに等しいからだ。役に立つだと? 笑わせるつもりか凡愚共が。貴様らが私の役に立った事など一度たりともありはしない。貴様らの『役』なんぞ、微塵も期待していない」


「……はい」


 だから。

 レオナルドは、まるで容赦をせずに、断言する。




「貴様らに期待しているのは『役』ではない。私の『後押し』だ」




 その言葉に。

 今度は、科学者たちが衝撃を受ける番だった。


「アリの歩幅、アリの一歩、ひどく小さくつまらん。


 絵筆の先を、己の部下たちに突き付けながら。

 彼らを睨むその凶悪な瞳に、溢れんばかりの光を宿しながら。


「同じ場所、同じ領域、同じ歩幅、同じ速度を手に入れた者が並び立ったなら、後の一押しはそのアリの一歩だ。どれだけ小さかろうが、どれだけ微々たるものであろうが、同列に並び立った者が勝つにはアリ一歩分の前進が必要なのだ。誤差の範囲だろうが何だろうが関係ない。一歩でも前に出た者が勝ちを取る」


 言う。

 言い切る。


「何を言っているのか分かるか、凡俗共。


 この世に、無駄なものなどありはしない。

 すべてが歯車のように噛み合い、影響し合って成り立っている。

 存在の小ささ、大きさ───そんなもの、なんだという。

 森羅万象が等しく世界を回す歯車であるなら、そこには貧富も大小もない。



 たった一人の魔術師が、広大な青空を黒く染め上げる事もあれば。

 青空という広大な景色が、たった一人の少年の人生を変える事もある。



「役に立たないだと? それがどうした。貴様らが私の役に立とうが立つまいが関係あるものか! この世界の奇跡は! 常に! こうして! 誰の都合も問わずに回っているというのに!」


 だから、役に立つかどうかなど関係ない。

 誰かの歯車になれるかどうか、そんなもの関係ない。

 だって、全てが等しく奇跡なのだ。


「今はこんな説教をする時間すらも惜しい! 何としてでも! 一歩でも奴より先を行くのだ!」


 レオナルドはそれだけ叫び、踵を返す。

 もはや、彼らが付いて来るかどうか、疑う余地も無かった。


「あ、あの……!」


「話を聞いていなかったのかアンドレア! 立ち止まっている時間すら惜しいと言ったはずだ!」


「失礼しました! いえ、しかしその……あ、それでは……我々は」


 言いにくそうに。

 そして、言って欲しそうに。


「我々はまだ、先生に、ついて行ってもよろしいのでしょうか!」


「進歩のない愚か者が! とっくに結論が出たものをいつまでそう問い続けるつもりだ!」


 もはやレオナルドは振り向かない。

 前だけを見て、叫んだ。




「私について来い、世界を愛する科学者共!! 頂点の景色を見せてやる!!」




 当たり前のような宣言があった。

 その言葉に、はい!!!!!! という大きな返事があった。

 よく訓練された兵隊のように、少年を先頭にズラリと巨大な列ができる。

 しかし彼らは兵士ではない。彼らは『科学者』と呼ばれる、世界の奇跡を愛し、そして一人の男に救われた者達であった。


 その先頭にいるのは、一人の最強。

 世界にひしめく奇跡を愛し、魔術を憎んだ一人の少年。



「待っていろ、アーサー・ペンドラゴン」



 少年は。

 レオナルド・ダ・ヴィンチは。




「貴様は、私達が殺してやる!!」




 ここに一人、新たな世界最強が誕生した。


 その胸に、強大な憎悪を燃え上がらせ、己の身をも燃やし尽くすほどの怒りを秘めた……しかしそれと同じくらい、世界を愛し、奇跡を愛し、人を愛した少年。


 そんな最強が、一本の絵筆を片手に。

 誰よりも大きく、何よりも力強く。

 世界を揺さ振るような一歩を踏み出す。



 一人の世界最強の物語が、今、ようやく動き出す。




 

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