10【決着】

 


 復讐心は変わらない。

 今さら何を思い出したところで、奴らへの憎悪は終わらない。


 でも、始まりはどこだった?

 どうして自分は魔術を恨んだ?

 何をしたくて、何を変えたくて、何を許せなくて、復讐の道を突き進んだ?


 何のために。

 誰のために。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 科学者の男は、ゆっくりと顔を上げる。

 目の前に、一人の少年が立っていた。


「はンっ」


 彼は、


「やりゃあできンじゃねえかよ」


 笑っていた。

 復讐の標的。その頂点に立つ化物は、笑っていた。

 しかしそこには、嘲弄の意味もなければ見下すような色もない。


 ……どうしてそんなに、楽しそうに笑えるのだろう。


 不思議で仕方ない。

 こんなに不条理な世界で、こんなに理不尽な世界で、こんなにも許せない事が多い世界で。

 どうしたらそんな風に、気持ち良く笑えるんだ。


「ようやく本気になったか、お前」


「……私は初めから本気だ」


「誤魔化すな。分かってンだろ」


 何もかもを見透かすようにそう言って、少年はさらに笑みを深めていく。

 楽しむような笑みではなくなった。

 極上の餌を見つけた肉食獣のような、都合の良い玩具を見つけた幼い子供のような、純粋過ぎるがゆえに残虐性を帯びた、絶対的強者の笑み。


「で? 教えろよ」


 少年は言う。

 頂点は問う。


「どぉして空は青いンだ?」


 それは、とある一人の少年が、生まれて初めて自然科学を手にした命題。

 でも本当は。

 自然科学だとか、世界だとか、そんなものはどうでもよかったのかもしれない。


 それはただ単に、愛する誰かを喜ばせたかっただけの、不器用過ぎる一つの答え。

 だから、その問いに。

 科学者の男は。




「貴様なんぞに答えてやるものか」




 明確に拒絶した。

 その答えを、こいつに答えるわけにはいかない。

 誰に答えようとも、こいつにだけは。

 この魔術師にだけは。


「その答えは、私が奴のために調べ、導き出した結論だ。貴様のような知性も感性も乏しい猿に教えるものでは断じてない」


 誰の手にも触れさせない。誰の目にも触れさせない。

 だってこれは、彼女に伝えた精一杯の心の形。

 自分の中の大切な『何か』。


 ようやく分かった。理解した。いや、思い出した。

 世界を愛したきっかけを。自然科学を愛した始まりを。魔術師を憎んだ理由を。その全てを。

 自分が、何をしたかったのかを。

 自分が『誰』なのかを。


「私は……」


 男は静かに、


「貴様らが憎い」


 口を開く。


「私から全てを奪った貴様ら魔術師が、心の底から憎い。叩き潰さねば気が済まない。否定しなければ気持ちが治まらない! 貴様らが私から奪った分! 貴様らからも奪ってやらなければ!! この心は!! 怒りは!! 永遠に鎮まらない!!」


 震える体で、力の入らない足で、それでも男は地面を踏む。

 無様でも、無残でも。

 立ち上がらなければいけないのだ。


「もう二度と屈するものか!!」


 全身に傷を負い、科学兵器も全て破損し、もはや攻撃を仕掛ける事も、攻撃を防ぐ事もできなくなった自分自身を、それでも男は立ち上がらせる。

 ズン、という音が聞こえた。

 男の両足が、大地を捉えた音だ。


「これは私の復讐だ! 私の憎悪だ!! 私が私に課した、私だけの道だ!!」


 鼓動が聞こえる。

 自分はまだ生きている。こんなところで終われない。

 死んでしまった者の分まで、殺してしまった者の分まで、救えなかった者の分まで、生き抜かなければならない。


「貴様はその礎だ!! アーサー!!」


 純粋な復讐心と共に、科学者の男が再び立ち上がる。

 最大最悪の敵に立ち向かう。


「世界を蝕む病原菌が!! 私がこの手で駆逐してやる!!」


「いいぜ。来い」


 返事は早かった。

 少年は笑って、男の殺意を真正面から受け止める。

 その瞬間だった。





 バギンッッッ!!!!!! と。

 アーサーを中心に、見渡す限りの風景に大きな亀裂が駆け巡った。





 果たして男は気付けたか。その現象の正体に。

 

 一度入った亀裂は、留まる事なく周囲に深く大きく広がっていく。世界そのものがガラス細工のように割れ、剥がれ落ちる。その向こう側から『黒一色の世界』が顔を覗かせる。


 具体的な行動などいらない。魔術など発動するまでもない。

 意思や感情一つで、世界の全てを超越する。

 これこそが真なる最強の領域。

 挑もうと思う事が馬鹿らしく思うほどの、どうしようもないほどの圧倒的頂点。


 それがどうしたと言わんばかりだった。


 全身からみしみしと怪しい音を上げ、血を流しながら科学者の男は立ち上がる。

 今さら何を恐れる。

 やるべき事。成すべき事。やりたい事。成し遂げたかった事。その全てを思い出した今、もはや恐れるものもなければ、膝をつく理由もなかった。


「……?」


 立ち上がった男は、その時、白衣の内側に『何か』の感触を捉えた。

 科学兵器も、格納装置も使い尽くし、もう何も手元には残っていないはずなのに。

 懐に手を突っ込み、『それ』を取り出して。

 男は思わず。


「……はっ」


 笑っていた。

 握られていたのは、一本の『絵筆』だった。


 本当に、ただの絵筆だ。

 特に意味など無いはずなのに、なぜかいつもお守りのように衣服の中に忍ばせていた、絵を描かなくなった今となってはつまらないガラクタとなった、ただの絵筆。


「……こんなもの……」


 下らなく思いながらも、男は力いっぱい絵筆を握り締めた。

 何年ぶりだろう。こんなにしっかり握ったのは。

 最後に握ったのはいつだったか。


 ……そうだ、思い出した。

 瘦せ細ったあいつを、絵に描いた時以来か。


「来やがれ最強、俺が相手してやンよ」


「……ほざくな猿が」


 こんな筆一本で、何ができるという。

 光を放つ事も、高圧の水流をぶつける事もできない。科学兵器のスイッチでもない。空気を凍らせる事も、引力と斥力を放つ事もできない。武器にも兵器にもなり得ない。しかし男の手元には、これしか残っていなかった。


 そして、それで十分だった。

 なにせ男には、圧倒的な頭脳がある。

 絵筆一本あれば、どうにでも世界を覆せる。


「行くぞ、魔術師」


 男は、あの日のように。

 キャンバスに筆を立てるように。

 その向こうに、あの日、つまらない疑問を口にした少女を思い浮かべながら。

 筆の先を、少年に向ける。

 そして、


「私は……レオナルド」


 科学者の男は。

 いや。





「私の名はレオナルド・ダ・ヴィンチ!! 貴様を殺す科学者だ!!」


「俺の名前はアーサー・ペンドラゴン。神を殺した魔術師だ」





 レオナルド・ダ・ヴィンチは、大きな一歩を踏み出した。

 その直後、神話的な破壊が吹き荒れた。


 結果なんて、最初から分かっていた。

 結末なんて、最初から知っていた。


 それでもここに、一つの決着がついた。

 世界最強に挑んだ一人の男の、覆しようのない決着だった。




 

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