07【最も恐ろしい攻撃】

 


 この世で最も恐ろしい攻撃とは何か。



 絶大な威力を誇る攻撃か。回避不能な速度で襲い掛かる攻撃か。逃げても逃げ切れない効果範囲を持つ攻撃か。

 あるいは、剣のように鋭い攻撃か。大砲のように遠距離から飛んでくる攻撃か。爆発のように余波を放つ攻撃か。拳法のように人の意思が複雑に絡んだ攻撃か。


 しかし、言われて分かる程度の『恐ろしい攻撃』というのは、実はそれほど脅威になり得ない。対策ができるからだ。


 どれだけ威力が絶大だろうと、それが『魔装術』なら『魔装術』の弱点をつけばいい。

 どれだけ素早く、効果範囲が広大でも、それが『聖導魔法』なら『聖導魔法』に特化した対策を講じればいい。


 無限の体系をもつ魔術だが、その正体さえ分かっていれば対策ができる。それが成功するかはともかく、少なくとも抵抗の余地は残されている。迎え撃つにしても、逃げるにしてもだ。


 では、この世で最も恐ろしい攻撃とは何か。


「さ、戦争ゲームを続けようぜ最強」


 神を殺した世界最強の魔術師。

 世界中の猛者達が総力をかけて、なおも討ち取る事ができなかった圧倒的頂点。

 そんな存在が振るうに相応しい魔術とは、一体どんなものなのか。

 その答えは。


「次は俺のターンだ」


 案外、すぐにやって来た。




 次の瞬間、『何か』が起きた。

 上空一万メートルに浮かぶカルドキアの大地が、丸ごと綺麗に吹き飛んでいた。




 音が消えた。

 純粋極まる大爆発だった。

 しかし具体的に何が爆発したのか分からない。気付けば全てが爆ぜていた。宙に浮かぶカルドキアの大地。その上に立つ建築物。誰かが落とした靴。無人の商店に並んだ野菜。街を包む空気そのもの。とにかく『世界を構成する森羅万象』が起爆したように錯覚した。


 前兆も予兆もなく、説明できない『何か』が起こる。


 後には結果しか残らなかった。ドッ!! という衝撃波が炸裂する。同心円状に広がるその爆風は、真下に広がる白い雲を数十キロメートル向こうまで粉々に吹き散らしていく。


 その謎めいた攻撃に。

 科学者の男は、どうする事もできなかった。


「ぐおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 防御も対処もできず、高度一万メートルの世界に放り出されていた。

 視界がグチャグチャに回る。平衡感覚が消失する。全身を縦に横に振り回されながら、暴風が吹き荒ぶ大空を自由落下していく。

 足の裏が地面と接していないという未体験が、男の心を恐怖で蝕んでいく。


「ぐっ……!! ぬぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ!!」


 叫ぶ事で恐怖を誤魔化した。

 落下しながらも、男は咄嗟に白衣の内側に手を突っ込んでいた。そこから取り出した『黒一色の小さいキューブ』を無我夢中で放り投げる。


 ───格納装置『聖櫃』。

 質量保存の法則を超越し、あらゆる科学兵器を格納する破壊の宝物庫。


 直後にガチャガチャガチャ!! と黒一色のキューブが変形し、本来の大きさを取り戻す。人間の背丈ほどになった『聖櫃』の表面がガバリと開くと、中から二〇もの『金属の円盤』が鳥の群集のように飛んできた。


 ───力学兵器『裁きの彗星』。

 引力と斥力を自在に操作する科学兵器、その機体。


 自律飛行する二〇機の金属の円盤は、落下する男の周りをグルリと取り囲み、その空間にだけ限定的な重力場を形成する。男の落下速度が徐々に低下し、最終的には時速一〇キロ……人間が走る程度の速度まで安定してくる。


 墜落の恐怖から免れ、真面に頭を回せる状況になって。

 科学者の男は、ようやく当たり前の思考をした。


(……何が、起きた……?)


 何も分からなかった。

 男の頭脳は間違いなく天才の域にある。この世界の、この時代において、数百年どころか数千年先を行く科学技術を実現させている事からも明らかだ。

 そんな頭脳をもってしても、アーサーが起こした現象を解析できなかった。


(何をした!? どんな魔術を発動した!?)


 これまで、あらゆる魔術の教本を読み漁ってきた。

 催す吐き気を抑えてでも、憎き魔術を学び尽くした。

 魔術を心得るためではない。その『弱点』を知るために。


(全て把握している! 魔術の基礎も仕組みも全て! 奴とて所詮は魔術師! 世界最強だろうが何だろうが、魔術を用いている以上は魔術の知識から攻撃を逆算できないはずがない!!)


 ……魔術の発動にはいくつかの段階がある。


 まずは自分の中に『別世界との経路』を作り、そこから魔力を抽出する。

 この経路は俗に『ガフの扉』とも呼ばれているが、とにかくこれがエネルギーの供給口となる。


 そして取り出した魔力を、特殊な瞑想法や呪文の詠唱、自己暗示、呼吸による体内操作を駆使して『自分の扱いたいエネルギー』に変換する。この変換後の魔力の性質の違いが、様々な魔術体系を生んでいる。


 加えて、魔力を魔術として出力するにもいくつかのプロセスを踏む。


 ───『魔装術』なら、魔力を物体に纏わせる。

 ───『聖導魔法』なら、詠唱によって空気中の精霊を操作する。

 ───『勇者技法』なら、独特な筋肉の動きで魔力を全身に行き渡らせる。


『錬金術』にも『呪術』にも『スキル』にも『女神の加護』にも『契約魔法』にも『召喚儀礼』にも『水晶魔術』にも『超能力』にも『剣聖術』にも『憑神術式』にも『豪運』にも『妖術』にも『ステータス』にも。その他、無数の魔術体系にも。


 魔術であれば必ず、順を追った発動法がある。

 だというのに。


(何も、分からんだと……!?)


 天才である男は知らない。常人が同じ状況に立たされていたら、そもそも「何も分からない」という事にすら気付けなかったであろう事を。

 それに気付けたというだけで、男の頭脳はある種の極致に達している。

 そんな男が、


「っ!?」


 重大な事実に、遅れて気付いた。

 即座に思考を打ち切って、慌てて周囲を見渡す。

 ……アーサーの姿が見えない。


「なん……どこだ!?」


 不可解な攻撃に気を取られ、肝心の敵本体から意識を逸らしていた。それが間違いだった。一瞬でも奴から視線を外すべきではなかった。


 ポン、と男の肩を何かが叩いた。

 何も考えず、反射的に叩かれた肩の方を振り返る。

 そこに、




「よっ」




 世界最強アーサーが、一〇センチ隣で笑っていた。

 思考に空白が生じた。

 直後に全てを悟った。


「うぉぉぉぉぉぉぉあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 恐怖が爆発した。

 狂った動きでアーサーの手を払い除けると、男はここが限定的な重力場である事も忘れて後ろに下がろうとした。

 そんな逃避は何の意味も成さなかった。




 直後、理解のできない『何か』が起きた。

 男の右肩から左の脇腹にかけて、正体不明の衝撃が斜め一直線に貫いた。




「ぶ、っ」


 大量の血が喉の奥から飛び出した。

 体に詰まった全ての骨が、メキメキメキメキッ!! と強烈な悲鳴を上げる。

 気付けば男の体は安定した重力場から弾き出されていた。自由落下より勢いのある速度で真下に吹き飛ぶ。全身の皮膚を引き剝がすような空気抵抗が男を襲う。


「ばっ……ぁが……?」


 視界が点滅し、意識が乱れる。

 そんな状態でも、男の脳だけは冷静に分析を続けていた。


(斬、撃……? 違う。なんだ、何かが変だ!)


 重たい剣のようなもので、体を一刀両断された……。ダメージが局所的ではない。全身に均等に激痛が染み渡っている。

 そもそも白衣に傷一つ付いていない。

 衣服を無視して、肉体に直接『何か』を叩き込まれたのだ。


(物理的な衝撃はある! だが空気の流れが観測できない! 魔術の結果は認識できるが魔術的な予兆もプロセスも確認できない! なんだ!? 分からん! 分からねば!!)


 男は無意識に右手を振るい、再び力学兵器を己の周囲に呼び戻す。

 群生生物を想起させる動きで、二〇機の円盤が『聖櫃』を伴って降下してくる。グルリと男を取り囲んで、その空間の重力だけを最適化する。


 直後、地上の方から、ズゥゥゥゥゥゥゥン……ッ!! という轟音が響いた。


 男は真下を見て絶句した。高度一万メートルから見える地上に、大きな『線』が刻まれていた。

 あれは先程の余波だ。

 己に叩き込まれた謎の魔術が、そのまま自分の体を突き抜けて地上に届き、大空から見える景色を端から端まで真っ二つに叩き割ったのだ。


 常軌を逸した規模と威力。

 それでも男が生きているのは、やはりアーサーが手加減に手加減を加えているからに他ならなかった。


「はあ、はあっ、ごぶっ!? が……クソ、がァ……!!」


 血を吐き、恐怖と激痛で意識を飛ばしかけ、それでも気合いと根性だけで戦う意志を保ち続ける。

 そんな男が、咄嗟に頭上を見上げる。




 目が合った。


 遥か上空にいるアーサーが、コチラを面白がるみたいに大きく笑いながら、指先を向けてロックオンしていた。




「っっっ!?」


 男は咄嗟に右手を振るっていた。アーサーの攻撃を回避しようとしたのだ。

 しかし無意味だった。


 音もなく『何か』が炸裂する。


 認識できない『何か』は、距離や角度を無視して男の体にぶち当たる。

 やはり何も分からなかった。

 あれだけ分かりやすく照準されていたはずなのに、魔術が発動する瞬間も、魔術そのものも認識できなかった。『何かが当たった』という結果だけが男を一直線に貫き、その体を再び限定的な重力場から弾き出す。


 混乱と恐怖が先にあった。

 一拍遅れて真面な痛覚が機能した。


「ぼばぁぁあああ!?」


 胸の奥から血が昇ってくる。

 それを口いっぱいに吐き出しながらも、科学者の男はギロリと目を剥いた。


(分析は後だ! 奴が何を操っていようが今はどうでもいい!!)


 回避は意味がない。そう察した男は再び右手を振るう。

 指示を受けた二〇機の円盤は、男の前に壁のように並ぶ。そのままアーサーに向けて斥力の奔流を解き放つ。


 ドッ!!!!!! と空間が圧搾された。

 何者をも寄せ付けない拒絶の力。それを盾のように展開する。




 そんなもの関係なかった。

 斥力の壁をぶち抜いて、得体の知れない『何か』が男の体に叩き込まれた。




 脳が揺れた。

 全身の骨が絶叫を発した。

 細胞一つ一つに攻撃を加えられているような、均等なダメージが体の芯を砕く。

 今度こそ完全に力の抜けた男の体が、呆気なく落下していく。


 これだけアーサーの魔術を受けていながら、男は正確な事を何も掴めなかった。

 起きる現象の正体。振るわれる魔術の分類。攻撃の形式。打撃か斬撃か砲撃か爆撃か。威力の問題なのか。速度は関係あるのか。具体的な効果範囲はどこまでなのか。地上で戦っていた時から今に至るまで、情報らしい情報を何一つ得られない。


 ふと、無意識に、左手首に巻いた『魔力検出器』に目が行った。

 検知した魔力量に従って、針が円盤状に並んだ数値を指し示す簡単な仕組みだ。


 針がへし折れていた。

 外からの衝撃で壊れたというよりも、アーサーから発散される魔力量が想定以上に膨大で、針が凄まじい速度で回転している間に勝手に自壊してしまったのだ。

 そう理解しながらも、科学者の男は戦慄する。

 この『検出器』は、魔術師一〇〇万人分の魔力量まで計測できるはずだった。


「ぐ……ううっ!!」


 規模も。仕組みも。理論も。過程も。結果も。何もかも。

 全てが理解不能。認識不能。解析不能。計測不能。

 どうしようもないほどの、正体不明。

 そんな恐怖を。絶望を。


「クソォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 叫んで頭から追い払った。

 男は乱暴に腕を振り、力学兵器『裁きの彗星』を自分の周りに侍らせる。

 今度は空中に留まるためではない。

 ……奴の視界から逃れるために。


 ボッ!!!!!! という衝撃波が放たれる。


 科学者の男が音速の五倍で空中を駆け抜けるソニックブームだ。周囲の円盤から発生する引力と斥力の向きを緻密に調整し、男は上空を突っ切る音速の星と化す。

 そうして、超高速で大空を裂きながらも───


(逃げている……!!)


 その事実が、


(この私が、魔術師を相手に! 尻尾を巻いて逃げているだと!?)


 何より彼の心を食い荒らす。

 しかし攻撃の正体が分からない。分からないなら分析するしかないが、そんな暇も余裕もない。攻撃は次から次へとやって来る。

 そして、やって来たら防げない。


(どこでもいい!! まずは奴の視界から逃れなければ!!)


 冷静に、己の取れる行動を選択する。

 沸騰する屈辱に、奥歯を噛み潰しながら。


(せめて魔術のタイミングを把握する!! 地上だ!! 地上へ逃げ、奴からの攻撃の軌道を一直線に絞





「そう急ぐな」





 思考が途切れた。

 耳元から絶望の声がした。

 直後の出来事だった。


 とんっ、と。

 恐ろしく軽い衝撃と共に、誰かのてのひらが男の顔面を正面から押さえ付けていた。


 それだけで、男の体がビタリと止まる。

 力学兵器だけが、男を置き去りにして遥か彼方へ消えていく。

 疑問を挟む余地すら無かった。

 そもそも音速の五倍で動いていた。それを急に止めたりなどしたら、一体どれほどの衝撃が体に加わるか。そんな常識を丸ごと無視していた。掌が触れた瞬間、男の慣性力が一気にゼロになった。


 空中に縫い止められた科学者の男。

 その、本当にすぐ真横から。


「帰るには早ぇなあ。まだ始めたばっかじゃねえか」


 なんでもなさそうな、声。

 まだまだ遊び足りない子供が不満を述べるような、その程度の声音。


 男は恐る恐る、目だけを動かして声の主を見る。


 燃え上がるような赤い瞳。後ろに靡く刺々しい頭髪。周囲の空気を蜃気楼のように歪めるほどの禍々しい存在感。

 そんな少年が、世界最強が、神すら殺したと言われる魔術師が。


「楽しもぉぜ、誠心誠意」


 アーサーが、心の底から楽しそうに笑っていた。

 そうして、少年は男の顔からそっと手を離す。

 直後だった。




 空気が悲鳴を上げた。

 上から下へ、『何か』が振るわれた。



 

 これまでの戦いの中で、最も分かりやすい一撃だった。

 にも拘わらず、男はアーサーの魔術を認識できなかった。

 あまりの衝撃に、一瞬にして意識を刈り取られていたからだ。


 すぐに目を覚ました。


 自分が落下していると気付くや否や、男は揉みくちゃになりながらも絶叫する。それすら合図になった。遠方から円盤の群れが高速で近付いてきて、男を取り囲んで安定した重力場を形成する。


「ば、が……ぁ──────」


 もう真面な声も出なかった。

 思考が上手く回らない。それ以前に息が吸えない。肺が酸素の取り込み方を忘れてしまっている。酸欠で再び意識が途切れる寸前に、ようやく一回深呼吸した。


 目に映る全てがグラつく。

 焦点が合わず、景色の輪郭が二重三重にぼやけている。

 そんな視界の中で、男の両目は確かに捉えた。





 遥か遠く、頭上の向こうから。


 頬の皮膚も肉も力づくで引き千切り、物理的に顔を割りながら笑い声を上げるアーサーが、空間を蹴りながら垂直に駆け抜けてくるのを。

 




「ぅ、」


 耐え切れなかった。

 憎悪や屈辱すらも塗り潰す、壮絶な恐怖が胸の内から噴き出て来た。


「うァァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 今度こそ思考を放棄した。

 安定した重力場を自分から手放し、男は力学兵器そのものをアーサーに差し向ける。そして何の考えもなく引力と斥力を炸裂させる。


 駄々をこねる子供のような暴挙。

 しかし振るわれる猛威は地獄に等しい。


 都市を真っ平らにする数百倍の斥力が、ともすればブラックホールすら生み出しかねない莫大な引力が、あらゆる角度からアーサーに殺到した。

 真正面から、真横から、真上から、真下から、全方位から。




 その全てを。

 アーサーは簡単に薙ぎ払う。




 ゴンッッッ!!!!!! と。

 真正面から来る五〇〇倍の斥力を、右手の裏拳で空間ごと吹き飛ばす。


 ギュオッッッ!!!!!! と。

 両隣から体を引き裂こうとする七〇〇倍の引力を、空間を捻じ曲げて回避する。


 ドンッッッ!!!!!! と。

 真上から潰しに来る一〇〇〇倍の重力を、空間を踏みしめる事で耐える。


 ダンッッッ!!!!!! と。

 全方位から迫る二〇〇〇倍の力の奔流を、一気に宙を駆け抜けてやり過ごす。


 そして、一方的な虐殺が始まった。




 ───直後、『何か』が起きた。




 それは『熱』だった。

 音は無い。分かりやすい衝撃波も無い。

 ただ太陽の光を一点に凝集させたような、圧倒的な熱量が炸裂していた。

 真面に直撃していたら、科学者の男はおろか惑星全体が膨大な熱に貫かれ、一瞬で蒸発していたであろう一撃。


 男は考える前に叫んでいた。

 同じ重力場に漂う『聖櫃』から、気象兵器『神罰』を取り出した。特殊な液体の入った試験管を五本ほど空中にぶちまける。地上を一〇回は氷河期に叩き込める冷気の猛威を炸裂させた。


 世界滅亡規模の熱波を、世界滅亡規模の冷気で相殺する。


 結果は驚くほど静かだった。

 爆音も余波も無く、人類はたった一人の男の手によって滅亡の危機から免れた。

 だが、男は全ての気象兵器を失った。




 ───直後、『何か』が起きた。




 それは『水』だった。

 空気中の水分だ。この周辺だけのものではない。もっと広範囲。あるいは世界全土。そういう規模から集められた膨大極まる水分が、超高圧高密高速の『水の柱』と化して真横から襲い掛かった。


 男はギリギリで反応した。

 咄嗟に力学兵器で引力と斥力を操作し、『水の柱』の軌道を僅かに逸らさなければ、男は自分が死んだ事にすら気付かず跡形もなく消し飛ばされていた。


 だが逸らしが甘かった。

 周囲に展開している二〇機の円盤。そのうち二つが『水の柱』に巻き込まれ、塵すら残らず消滅する。




 ───直後、『何か』が起きた。




 それは『冷気』だった。

 返す刀のつもりか。あるいは地上で自分が受けた攻撃を再現しているのか。

 ともかく氷河期そのものがやって来た。

 辺りの空気が凄まじい速度で白く染まっていく。蜃気楼かと思ったが違う。凍っている。空気自体があり得ない勢いで結晶化しようとしている。


 分析の暇などある訳が無かった。

 再び男が叫んだ。『聖櫃』が重苦しい音を立て、予備として貯蔵していた光学兵器『天の梯子』を三基ほど吐き出した。光を十分に集積している暇は無い。太陽の光を不完全に取り込んで、乱暴に周囲に解き放つ。


 それでも十分な猛威を振るった。

 辺り一帯に、莫大な光と熱が撒き散らされた。


 地上を焼き尽くし、蒸発させるほどの熱量。それでもって絶対零度を相殺する。判断が後一秒でも遅ければ、上空から地上へ爆発的な冷気が落下し、森羅万象が氷漬けになっていただろう。

 だが、『天の梯子』を無理やり起動させたのがマズかった。

 光学兵器の根幹を担う結晶が冷気によって砕け、光を集積できなくなった。


 男の手元から、『天の梯子』が失われた。

 それでも終わらなかった。




 ───直後、『何か』が起きた。




 それは世界を割った。

 上空を端から端まで。肉眼では捉え切れない向こうから向こうまで。数百数千キロメートルの空間がガラスのように割れて飛び散った。

 大きく引き裂かれた亀裂の向こうには、『黒一色の世界』が広がっていた。

 何が起きているのか、理解をする余裕も無かった。


 直後だった。

 ゴッ!!!!!! と、世界全体が亀裂の向こうに吸い込まれ始めた。


 ブラックホールとも違う。

 まるで高所から低所へ滝が落ちていくかのように。水に溶けた物質が高濃度側から低濃度側へ自然に流れていくかのように。世界そのものが『有』から『無』の方向へ裏返るように流れ始めた。


 もはや抗う術など無かった。


 男は力学兵器『裁きの彗星』を出力最大で解き放つ。引力と斥力を駆使し、全てを吸い込む『黒一色の世界』から全力で遠ざかろうとする。

 だがダメだった。距離が開かない。本来なら音速の数十倍の速度を叩き出しているはずなのに、『無』に落ちていく世界全体の流れが強過ぎて、むしろ男の体が少しずつ『無』へ引き摺られていく。


 ……兵器を酷使した影響が出た。

 男を取り囲む『裁きの彗星』の一機が、突然機能を停止して『黒一色の世界』に吸い込まれた。


「くっ!!!!!!」


 男の体がさらに引き寄せられる。

 そうしているうちに、また一機が破損した。おかしな機械音を発しながら機能を停止させ、『黒一色の世界』へ吸い込まれていく。


「くそ! クソ!! クソォ!!!!!!」


 別の一機が熱暴走を起こし、白い煙を吐き出しながら吸い込まれていった。

 また一機が、機能不全を起こして吸い込まれた。


 また一機が。また一機が。また一機が。

 徐々に。次々に。順番に。

 ゆっくり鱗を剝がされるみたいに。


 男の周りから、一つ残らず消えてなくなるまで。


「クソがァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 叫んだところで。喚いたところで。

 もう、どうする事もできなかった。




 ───直後、『何か』が起きた。




 それは男に直接叩き込まれていた。

 壮絶な衝撃を受けた男の体は、恐ろしい速度で割れた空間の向こう側へ吸い込まれていく。

 視界が、一瞬で黒一色に塗り潰される。

 理解不能な世界に放り出される。

 その時、男の後を追うように、誰かが『黒一色の世界』に飛び込んできた。

 救いの手……などではなかった。




 世界最強の魔術師が。

 正体不明の暴虐を撒き散らしながら、男と同じ空間に入って来た。




「は」


 唐突に『何か』が炸裂した。

 科学者の男の体が滅茶苦茶に回転し、真上に跳ね上げられる。


「はは」


 正体不明の『何か』が炸裂した。

 跳ね上げられた男の体が、今度は逆に打ち落とされる。


「ははははは!」


 理解不能な『何か』が炸裂した。

 凄まじい衝撃と共に、男の体が一秒間に八〇回も回転する。


「はははははははははははははははははは!!」


 原理不明な『何か』が炸裂した。

 男の体が全方位から圧縮され、ボールのように丸まる。


「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」



 訳の分からない『何か』が炸裂した。

 科学者の男は、子供に振り回されて壊れていく玩具と化した。



「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が『何か』が。


 炸裂する。

 科学者の男、一人に対して。


 何度も。

 何度も何度も。


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 何度も何度も何度も。

 何度も、何度も。


 何度でも。








       ※※※※※※※※※※








「はぁーあ、また失敗だ」


 目が覚めた時には、周囲は普通の景色に戻っていた。

 黒一色の世界などどこにも無い。

 当たり前の青空がある。当たり前の空気がある。当たり前の地面がある。そういう当たり前の世界に、気付けば自分は戻って来ていた。


 何も舗装されていない剥き出しの地盤。

 その上に倒れながら、降って来る声を聞く。


「俺の街にするつもりだったのに、自分で消し飛ばしてどぉすンだっつの。だっせーでやンの。……ま、今さらどうでもいいが」


 自分自身に失望するような声。

 だが、直後には上機嫌に戻っていた。

 見知らぬ街を自分のものにしてしまうより、もっと面白い事を見つけたと言わんばかりに。


「おーい。何してンだお前。燃え尽きたか? ン?」


 熱い声が、近付いて来る。


「いいねえ。燃え尽きるほど楽しむってのぁ、この世の何よりも素晴らしい事だ。うン。俺も久しぶりに熱くなっちまったよ」


 世間話をするような声音が、むしろ恐怖を上乗せしていた。

 どうしてそんなに気楽でいられる?

 あの地獄のような体験を、潜り抜けておいて。


「ここンとこ退屈ばっかだったからさあ。らしくもなくハシャいじまった。最高に楽しかったぜ、お前」


 そうして、声の主は立ち止まる。


「さ、俺はターンエンドだ」


 立ち止まって、見下ろす。

 地面に倒れる『それ』を。





「で───もう終わりか?」





 抉り返された地盤の上に倒れた、血まみれの男を見下ろして。

 アーサーは、顔を真っ二つに裂くように笑っていた。








       ※※※※※※※※※※








 この世で最も恐ろしい攻撃とは。



 詳しい威力も、正確な速度も、具体的な効果範囲も。

 鋭いのか、どんな距離や方角からやって来るのか、余波を放つのか、拳法のように複雑なのかどうかさえ分からない。



 一切の説明もできず、一切の理論も組み立てられないような。

 何も分からない、『正体不明の攻撃』。




 

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