06【ターンエンド】

 


 天も地も叩き割るような絶叫が迸る。


 直後、光があった。

 太陽からの光ではない。この時間、本来なら地上を照らしているはずの巨大恒星は今、異常な日食によって遮られている。

 だからこれは、『人工的な光』だった。



 ガカァ!!!!!! と。

 破壊を免れたカルドキアの外壁から、数十もの円柱状の『照明装置』が一斉に飛び出し、爆発的な光を放出したのだ。



 むしろ日中よりも眩い光が、魔術都市カルドキアを埋め尽くす。

 当初の目的では、アーサーが夜間にやって来ても『天の梯子』を機能させられるよう設置したもんだったが、奇しくも別の形で役に立った。

 倒すべき敵の姿が、よく見える。


「塞ぐな! 遮るな! 邪魔をするな!」


 世界最強を前にしながら、科学者の男が叫ぶ。


「我々の! 科学の行く先をォ!! 貴様のような魔術師如きがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 恐ろしい絶叫と共に、男は右手を勢い良く振り上げた。

 何かの合図を送るような動作だった。

 その印象は正しかった。

 チカッ、と。黒く塗り潰された空の一点で、謎めいた白い光が瞬く。

 次の瞬間だった。




 魔術都市カルドキアに、『何か』が落ちた。

 それは驚異的な速度と圧力でアーサーに着弾すると、一瞬にして彼の全身を飲み込んだ。




 天から地を貫く槍のような一撃。

 その攻撃の正体が、『大気圏に浮遊する鉄の塊から超高速高圧で放たれた水』であると、一体誰が気付けたか。


 ───衛星兵器『箱舟』。

 科学者の男が、魔術協会にも秘密にしていた科学兵器……


 壮絶極まる大爆発があった。

 降り注ぐ高水圧の槍は、着弾点を中心に全方位へ衝撃波を撒き散らす。周囲の全てが同心円状に薙ぎ払われていく。クレーターが出来る暇すらない。上空から持続的に供給される水の暴力は、対象を圧し潰し、地面すら貫き、死体も残骸も地中深くまで押し込んでいく。


 ただ地面に水を撒くだけの現象が、恐ろしい殲滅能力を発揮する。

 徹底した破壊。徹底した抹殺。生き残る希望はない。そういうレベルの兵器。

 なのに。


「くははははははははははははは!! いいなあ!! やっぱり分かんねえ!!」


 死の集中豪雨の中から、興奮した声が響く。

 直後の出来事だった。


 ズドッ!!!!!! という衝撃と共に、水の柱が真っ二つに裂けた。


 天から地へ降り注いでいた水圧攻撃が、今度は逆、地から天に向かって一瞬にして裁断されたのだ。それっきりだった。あれだけ猛威を振るっていた水の照射が消え失せた。今の一撃で、高水圧の槍はおろか、遥か上空にある衛星兵器の本体までまとめて引き裂かれたのだ。


 水の圧力と爆発により、大きく抉り取られた地面。

 その上に立つアーサーは、やはり無傷だった。


「っっっはああああああああああああああああああああぁぁぁぁ。いいぜ、効いたぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ……」


 あれだけの攻撃を受けておいて、当のアーサーは笑っていた。

 顔に張り付いているのは、恍惚、満足、快感の相。顎に手を当て、顔を割るように口を裂き、アーサーは己の受けた攻撃の感覚を何度も何度も頭の中で反芻する。


 攻撃を喰らっていない、というわけではない。

 喰らった上で無傷。

 楽しむ余裕すらあるほどに。


「あンだけ痛ぇ水浴びは初めてだ。滝でも海でも味わせねえ。ひひっ、盛り上がってきたな」


 短い回想を終え、次なる刺激を求めて進撃を再開しようとするアーサー。

 そんな彼の視界に、奇妙な光景が飛び込んできた。




 数百メートル先にいる科学者の男。

 その男の両脇に、黒く輝く謎の『石碑モノリス』がそそり立っていた。




 人間と同等の背丈と厚さ。全体が真っ黒く、ツルリとした表面に覆われた材質不明の人造物。そんな物体が、男の両脇の地面に二つも突き刺さっていた。


 ───格納装置『聖櫃せいひつ』。


 それは、いくつもの科学兵器を持ち運ぶための収納ケースだった。

 今までどこかに隠していたわけではない。最初からずっと男の白衣の中に、直径五センチメートル程度の立方体に折りたたまれて入っていたものだ。

 それが本来の大きさを取り戻し、収納ケースとしての役目を発揮する時が来た。

 つまりは。


「魔術師、風情がァ……!!」


 科学兵器の猛威は。

 まだまだ留まる事を知らずに振るわれる。


「そのっ、下らん口を!! 今すぐ閉ざせえ!!!!!!」


 男の叫びが合図となった。

 彼の右隣に立つ『聖櫃モノリス』が、突然、ガゴンッ!! と凄まじい音を上げた。

 モノリスの表面が不完全なパズルのように不規則に割れ、中から『何か』が飛び出してきた。


 小さな『試験管』だった。


 男はそれを乱暴に掴み取ると、口を塞ぐコルク栓を親指で弾き、そのまま力任せにぶん投げた。

 試験管の中に詰まっていた、謎の液体がばら撒かれる。




 絶対零度が炸裂した。

 男の前の間に広がる空間が、一瞬にして凍て付いた。




 試験管から飛び散った液体が、爆発的に体積を増やしたと思った時には全てが遅かった。まるで氷の結晶化の早回し。宙に放り投げられた試験管を起点に、空気が放射状に凝結した。

 まさに一瞬の出来事だった。

 その常軌を逸した現象はアーサーを容易く飲み込み、さらに大きく周囲を凍り付かせていく。カルドキアを囲う外壁よりも高い、巨大な氷山を出現させる。


 ───気象兵器『神罰』。


 気象そのものを操作しているわけではない。空気中の分子の運動に干渉し、強引にその場の環境を変化させているのだ。


 だが、それにしたってだ。

 科学者の男は気付いていたのか。


 その科学技術は、今から数百年経とうが実現し得ない、完全なオーバーテクノロジーであるという事に。もはや今すぐにでも魔術の時代を終わらせてしまえるほどの、未知なる文明である事に。

 にも拘わらず、科学者の男は。


「どこまでも……どこまでも、どこまでも、どこまでもっ!!」


 勝利を確信するどころか、有り余る憤怒に奥歯を噛み締めていた。


「私を否定する気か!! 猿が!!」


 その時だった。




 凄まじい轟音が世界を揺さ振った。

 聳え立つ氷山が、『内側』から木端微塵に吹き飛んだ。




 弾け飛んだ大小様々な氷塊が、恐ろしい勢いで四方八方に飛び散っていった。

 もはや地上に降り注ぐ流星群だった。爆音が連続する。見渡す限りの大地に氷塊が着弾し、街のあちこちから莫大な土の塊が舞い上げられる。大質量の猛威が人の街を踏み潰していく。


 地獄のような天変地異。

 人類文明を容易く引っ繰り返す巨大災害。

 そんな光景を、さらに上から塗り潰さんばかりの存在感を放ちながら。


「山なら散々登ったが、閉じ込められンのぁ初めてだ」


 世界最強の魔術師が。

 キラキラと氷の欠片が舞う凍土の中から、悠然と歩いてくる。


「だが分かってねえな。山は潜ンじゃなくて、登ってこそだろ」


 マイナス数百度という死の領域に閉じ込められておきながら、少年の服にも皮膚にも髪の毛にも凍り付いた様子はない。

 徹底した無傷。完璧な無影響。

 普通の人間なら数万回は死んでいる暴虐の中を、散歩気分で歩く世界最強。


 その現実。

 己が全力を注いで作り上げた兵器の数々が、暇潰し感覚で蹴散らされ、一切の成果も上げられず、挙句の果てに楽しまれている、その事実。


「認めるか……」


 科学者の男には。

 もはや、否定する以外の道はなかった。


「認めてなるものかァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 憎悪が加速する。

 絶叫と同時、今度は左隣のモノリスからガゴン!! と固い音が鳴る。黒一色の表面がパズルのように分解され、中から一本の『杖』が飛び出してきた。

 何の変哲もない、街中の紳士がよく手にしているような木製の杖。

 ただし、杖の上端に『平べったい突起物』が取り付けられていた。

 男はその杖を乱暴に掴み取ると、上端の突起物を力いっぱい奥に押し込む。




 あまりに唐突に、何の脈絡もなく。

 バッッッカァァァァァァァァァァァァン!!!!!! と。男の目の前に広がる大地が、概算距離三〇〇〇メートルに渡って真っ二つに割れた。




 ───地殻兵器『地獄の窯』。


 地中深くに埋め込んだ微小なナノマシン。それを超音波で活性化させ、地殻からマントルまでの活動を強引に操作し、人為的に地殻変動を引き起こす科学兵器。


 魔術の対極。自然科学。その神髄。

 たとえこの世界が、魔術ではなく自然科学を中心に回っていたとしても、到達するまでに何千年も要する領域の技術。

 そんな大都市規模の猛威を、たった一人の魔術師に向けて。


「奈落に落ちて悔い改めろォオ!!」


 轟音と共に引き裂かれた大地は、アーサーの足元を大きく左右にかっ開いた。

 地面が消え、代わりに真っ黒な奈落が現れる。

 だから少年は真っ逆さま、一直線に落ち───


「はン!」


 直後だった。


「下らねえ!」


 ドン!!!!!! という爆音が炸裂する。

 アーサーが思い切り『足元』を蹴った音だ。

 しかし地面はとっくに割れている。蹴れるような足元など無いはずだ。……と思う事すら早計なのだ。


 そこにはある。

 

 そこに何かが『在る』のなら、世界最強は、問答無用で踏みしめる。


「突っ走ンのに道なンざいらねえだろ!! なあ!?」


 恐るべき突撃があった。

 万有引力を無視し、アーサーは驚異的な速度で宙を駆け抜ける。虚空を蹴るたびにバギンバギンバギンバギンッッッ!! と空間を割りながら、科学者の男に向かって一直線に。

 そんな世界最強を目の当たりにして。


「勝ち誇ったまま死んでいろお!!!!!!」


 怯みすらしなかった。

 初めから、この程度で殺せるなんて思っていない。

 科学者の男は再び右腕を振り上げると、それを思い切り振り下ろす。

 その瞬間だった。




 ズッッッゥン……ッッッ!!!!!! と、魔術都市カルドキアが潰れた。




 天空から地上へ、正体不明の『圧力』が降り注いだ。

 科学者の男を中心とした半径二〇〇〇メートルの街並みが、一瞬にして地面の染みと化した。辺り一帯が全て平らに押し潰され、その範囲の地面だけ一〇メートルほど真下に沈み込む。


 ───力学兵器『裁きの彗星』。


 数百メートル上空に、自律飛行する一二機の『金属の円盤』が旋回していた。

 アーサーを氷山に閉じ込めていた数秒の隙に、男があらかじめ『聖櫃』から取り出していた『引力・斥力発生装置』。そこから放たれた斥力が、真下にある森羅万象を全力で叩き潰したのだ。


 体感的には、重力が約一〇〇倍に跳ね上がったのに等しいか。

 それだけの破壊力が、少年一人を地割れの底に叩き落すためだけに放たれる。

 しかし。


「ふんっ!!」


 アーサーは両手を左右に広げると、力いっぱい『何か』を掴む。

 直後だった。圧倒的な斥力に叩き落されるはずだった少年の体は、ガグンッ!! とその場に固定され、微動だにしなくなる。


 

 簡単に言葉にできてしまうのが恐ろしくなるほど、異常を極めたその現象。


 とはいえ今さら驚くに値しない。なにせアーサーは世界最強。自由自在にこの世を作り変える魔術、その頂点。

 実現できない事などない。叶えられない事などない。この世の全てはアーサーの思い通りに書き換わり、望む通りに姿を変える。


 これこそが魔術。これこそが魔術師。

 世界を回す中心点。全能を司る神秘の力。

 だからこそ。


「……馬鹿な……」


 男が驚いていたのは、アーサーの魔術に対して……

 斥力の豪雨が降り注ぐ中、男は目だけを動かして、己の左手首を見る。

 そこに、『腕時計』のような何かが取り付けられていた。


 ───その科学道具に名前はない。


 言うなれば『魔力検出器』。魔術発動の際、別世界から引きずり出される魔力を検知し、敵の攻撃のタイミングや、魔術の規模を推計するために、男が個人的に拵えたものだった。

 だからこそだ。

 男は左手首の検出器を見て。検出器内に円状に刻まれた数字の羅列と、それを指し示す針の動きを見て。

 そこから読み取れる事実に、愕然としていた。




 大気魔力量、ゼロ。


 魔術発動の形跡、無し。




 一瞬故障を疑った。だが、アーサーが『箱舟』の攻撃を退けた時、『神罰』の氷山を粉々に砕いた時、検出器が正常に作動しているのを確認している。だからこそ男は、アーサーの魔術発動の瞬間を冷静に見極められたのだ。

 という事は、つまりは。


「あり得て堪るか、そんな事……!! 使!?」


「見たもンをそのまンま信じろや」


 アーサーの声が真っすぐ届いた。

 こんな、声すら歪むような圧力の中で。


「両手の指を、良い感じの力で、良い感じに曲げりゃあ、どンなもンでも掴めンだろうが」


 魔術ですらない。

 この程度、魔術を使うまでもない。

 科学でも魔術でも説明がつかない現象。それをいとも容易く成し遂げる少年は、虚空に固定されたまま、ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ……と体をしならせる。

 まるで、今にも矢を解き放とうとしている弓のように。


「あり得ねえとか、信じられねえとか、下ンねえ事ほざくな。退屈すンだろ」


 アーサーの赤い瞳が、灼熱よりも熱く燃え盛る。

 狙いはもちろん、真っすぐ正面。


「そンな調子じゃお前、」


 豪快に、顔を真っ二つに引き裂くように笑って、


「とンだ期待外れだ!!」


 漲る力が炸裂する。

 降り注ぐ斥力などお構いなしに、アーサーという弾丸が爆速で射出される。

 その時だった。




「ぬかすな猿が」




 それまで以上に低く、地を這うような声が男の口からこぼれた。

 声の直後、男は静かに右手を上げ、再び振り下ろす。

 簡単な合図だった。


 世界が揺れた。

 斥力が一〇〇〇倍に膨れ上がった。


『裁きの彗星』───最大出力。

 力場の操作は極めて繊細だ。引力と斥力はこの世の根幹を成す物理法則。ひとたび操作を誤れば、まかり間違ってブラックホールでも生み出しかねない。そうなれば惑星そのものの消滅だ。だからむやみに出力を上げようとはしなかった。


 けど、もういい。

 魔術がどうした。惑星がどうした。

 科学を侮辱するこの化物を殺せるなら、何もかも、どうでもいい。


「墜ちろォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 自然を超越した圧力の鉄槌が炸裂した。

 それが決定的だった。




 アーサーの体が、ほとんど流星のような速度で叩き落される。




 地割れの底すら貫いて。

 この惑星の底の底……『核』と呼ばれる灼熱の中心点まで、一直線に。


 その代償は大きかった。

 本物の地殻変動が起きた。爆音と轟音が連続し、三半規管を狂わせる激震が辺り一帯を覆い尽くした。至る所で地面が隆起し、地盤もろとも上下にズレて断層が形成される。地上が斜めに傾く。カルドキア全体が皺寄せした絨毯のように滅茶苦茶に歪む。地形が丸ごと書き換えられていく。

 だが、その程度では終わらせない。


「潰れてろ!! 何も見えぬ暗闇の中で!! 己の運命に絶望しながら!!」


 奈落を見下ろす男は、手に持った杖のスイッチをもう一度押した。

 体幹が揺さ振られるような震動と共に、引き裂かれた大地が再び動き出した。

 より大きく亀裂を開くためではない。

 逆に、閉じるために。


 ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!! という衝撃が終わりの合図だった。


 パタンと本を閉じてしまうのと同じように、割れた大地が完璧に密着する。

 空間を蹴ろうが掴もうが関係ない。

 こうなってしまえば、もうどうする事もできまい。


「……こんなものだ。偽りの神秘を極めた猿の末路など」


 荒れ果てた大地の上。指先一つで地形を変えた科学者の男は、今なお冷めやらぬ憎悪を燃え滾らせながら低く呟く。


 こうしている間にも、周囲では轟音と激震が連続していた。


 巨大地震が絶え間なく引き起こされ、大地が地盤ごと上下左右に揺り動かされる。破壊がより広範囲に伝播する。地殻変動の余波で別の地割れが次々に発生し、まだ生き残っていた家屋が雪崩のように地割れの向こうへ落ちていく。


 そんな大災害を丸ごと無視して男は呻く。


「苦しめ。苦しんで死ね。私が味わった絶望も屈辱も嘆きも全て! 暗闇の中でゆっくり味わいそして死ね!! これが私だ!! 科学の神髄だ!! 惨めったらしく妄執まじゅつに縋り付いたまま後悔と懺悔に押し潰されて一人で死んでろゴミ虫がぁぁああああああああああああああ!!」


 男は地面に向かって吼える。

 もはや自分が撒き散らした被害など意識にも入らない。

 己の臓腑に渦巻く怨嗟を、吐き出す事しか頭にない。


「壊してやる!! 魔術師きさまらが築き上げたもの!! 一つ残らず何もかも!!」


 別にどうなってもいい。こんな街も。こんな世界も。そこに住まう人間共も。魔術で支えられたこの世など、消えてなくなってしまえばいい。

 復讐は、ようやくここから始まるのだ。

 燃え上がるような決意を胸に、科学者の男は荒れた街の方へ視線を向ける。



 と、その時だった。

 ぐらり……と足元が揺れ、危うく転びそうになる。



 やはり無理に大地を操った影響は大きかったか。地殻兵器、ともすれば光や重力の操作以上に慎重さが求められる技術かもしれない。

 そう考えた男だったが、


「……なんだ……」


 遅れて気付いた。いや、科学者の男だからこそ気付けた。

 これは単なる揺れじゃない。


「まさか……」


 呆然と呟いて、足元を見る。

 ただの地殻変動とは全く異なる振動パターンを、男は全身で感じ取っていた。

 その揺れには、『明確な意思』が感じられた。


「まさか……そんな馬鹿な!?」


 真に絶望する事になるのは。

 果たして、どちらか。




 突然、ゴッ!!!!!! と。

 魔術都市カルドキアの大地全体が、真上に射出された。




 最初、男は地面に叩き付けられた事にも自覚がなかった。

 凄まじい重力が降って来たように錯覚したが、実際は違う。逆だ。自分の立っていた地面が、あり得ない速度で上に向かって飛んでいた。その重圧に耐え切れなかったのだ。


「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああ!?」


 体が押し潰される。強烈な空気抵抗と真下からの運動エネルギーに挟まれて、全ての臓器が口から噴き出るかと思った。

 カルドキアの外壁かた突き出た『照明装置』が壊れ、一気に視界が暗くなる。


 突然、ヴォフ!! と霧っぽい空気に包まれた。

 雲の中に入ったのだと男はすぐに察した。察した時には雲さえ突き抜けていた。直後に冷たい空気が男の鼻や口から入り込んできた。


 上昇が、止まる。


 辺りは暗闇に包まれていて、自分は今、どこにいるのかも認識できなかった。

 そんな時だった。

 目の前に微かな光が見えて、男は思わず目を見開いていた。


「……嘘だ」


 太陽が顔を覗かせていた。

 日食が終わる。

 白い光は徐々に量を増やし、月の隙間から漏れ出して地上へ降り注ぐ。今まで止まっていた時間が動き出したみたいに、世界から暗闇が消えていく。

 そして見た。

 事実を正しく認識した。




 魔術都市カルドキア。

 推定面積一〇〇平方キロメートルの大地が、そのまま雲の上に浮かんでいた。




「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 想像を絶する光景を叩き付けられた男は、立ち上がる事も忘れて雲の彼方をぼんやり眺めていた。

 呆然とする他なかった。

 理解できないというよりも、理解する事を心が拒絶していた。

 こんなにも、母なる太陽に近付けたというのに。

 一切の喜びがない。


「これで終わりか!? あぁ!?」


 いきなり声が飛んだ。

 と思った次の瞬間、ボゴァッ!! と目の前の地面がいきなり下から爆発した。

 まるで花でも咲いたみたいに吹き散らされる地中から、一人の少年が現れた。


 世界最強の魔術師、アーサー。

 赤い瞳を燃え上がらせる、正真正銘の怪物の姿だった。


「ンンンンンンンンンンははははははははははははぁぁぁぁぁぁ!! いいいいいいいいいいいいいぜ!! 効いたぁぁあああああああああああああああああ!!」


 両手で髪を掻き上げ、肉汁のような涎を垂らし、少年は快感に打ち震えるみたく天高くに向かって叫ぶ。


「今のぁ最高だ!! 地面に埋められた事ぁ何度もあるが、あンだけ深ぇのは初めてだ!! そそるねえ!! ワクワクしちまったよ!!」


 当たり前のように無傷。

 それどころか、着ている衣服に汚れ一つ付いていない。


「な……なん……」


「どうした。笑え」


 あれだけの破壊と猛攻を、その身に受けておいて。

 これだけあり得ない現象を、引き起こしておいて。


「見てみろ、いい景色だろ? 土ン中も悪かねえが、なーンも見えねえのはいただけねえ。……やっぱ世界ってのぁ、地べたに這いつくばって見るよりも、上から見渡した方が何千倍も面白い」


 自分を殺そうとした男を前にして、それでも少年は堂々と笑う。

 瞳を輝かせ。

 太陽の光すらも霞んでしまうほどの存在感で。


「もっかい訊く。?」


 その赤い瞳を、間近で向けられて。

 科学者の男は、初めて真面な恐怖が湧いた。


「ンだよ、ターンエンドならそう言えや。宣言ってのは大事だぜ? 宣言。カッコつけンならもってこいだろぉが」


 ふわり……と。

 男の体はその瞬間、重力の知覚を忘れた。


 地盤ごと天空に持ち上げられた魔術都市カルドキア。しかし万有引力は常に、万物に働いている。

 物体が惑星の至近にある限り、何者もそれからは逃れられない。


「さ、戦争ゲームを続けようぜ最強」


 アーサーの『宣言』と同時だった。




「次は俺のターンだ」




 落下が、始まる。




 

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