05【魔術という文明を丸ごと飲み込んでしまいかねないほどの】
男は科学者だった。
宇宙誕生から現在に至るまでの、全てが奇跡の如く成り立つ自然の摂理をこそ愛する男だった。
しかし、彼が自然科学の道を歩み始めたのとは正反対に、人類は『全く新たな常識』を中心に回り始めていた。
───誰が呼んだか、それは『魔術』と名付けられた。
次元の異なる別世界から『魔力』と呼ばれるエネルギーを引き出し、それでもってこの世の法則を書き換える方法論。世界を思うが儘に操作する、圧倒的かつ革新的な次世代技術。
まさに神秘の力だった。
そのあまりの万能性も相まって、魔術は瞬く間に世界中へ拡散された。そして人々は各々の目的に合わせて魔術を分化させ、多くの技術体系を確立していった。
物体を魔力で覆い、機能を向上させる『魔装術』。
この世界に漂う魔力微生物・精霊を操作する『聖導魔法』。
魔力を直接肉体に吸収し、身体能力を爆発的に向上させる『勇者技法』。
元素配列を組み替えて物体を変質させる『錬金術』。人類が持つ負のイメージを具象化する『呪術』。人体に高次元の特性を付与する『スキル』や『女神の加護』。魔獣を服従させる『契約魔法』。異世界の生物を呼び出す『召喚儀礼』。『水晶魔術』『超能力』『剣聖術』『憑神術式』『豪運』『妖術』『ステータス』……その他多数。
魔術は無数の形を得て、人類文明を覆い尽くしていった。
それと同時に、これまで研究されてきた自然科学は『旧世代』の烙印を押され、人々から忘れ去られ、軽んじられるようになっていった。
男はそれが許せなかった。
だから男は説いて回った。
魔術の絡まぬ学問が───純粋な物理学が、世界に根付く生物学が、ありのままの化学が、ただの数学が、素朴な地質学が、どれほど美しく、無限の可能性を秘めているのかを。
世界を書き換える必要なんてない。別世界のエネルギーなど無理に引き出す必要すらない。この世界は初めから無数の法則と理論で成り立ち、尽きぬ神秘に満ち溢れているのだと。
その結果は。
「魔術の基礎すらままならない人間に、教鞭をとらせる事はできません。よって、アナタを我が校から追放処分いたします」
「魔術師でもない人の話なんて聞く気にもならないな」
「神秘そのものである魔術の前には、自然科学など児戯にも満たぬよ」
「人間は神に選ばれたのです。魔術はその証と言える。それを無碍にすると言うのかね?」
「なんで旧世代の遺物にしがみつくんです? 理解ができない」
「クビだ。何の役にも立たん研究ばかりを続け、金と時間だけを浪費するなど社会の害悪だ」
「そういう妄想話は進歩の妨げだよ。もう少し常識を学んだ方がいい」
「で? 魔術は使えないの?」
「自然科学なんて魔術の踏み台だよ。人間ならより高次元を目指さなきゃ」
「そういう意味のない研究に拘るのはやめたらどう? 自然科学とか古過ぎて誰も興味ないんだよね」
「魔術の才能に選ばれなかったあなたのような人間は、無益な学問に一生を費やして、意味もなく朽ち果てているのがお似合いよ」
「生き物の仕組みを調べてどうすんだよ。魔術でいくらでも変えられるのに」
「魔術があれば自然科学なんていらなくない?」
「魔術を否定する馬鹿者に費やす時間などない! 今すぐ出ていけ!」
「邪魔だ。消えろ」
結果は、
「この……っ!!」
あまりにも散々だった。
「クソ虫共がァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
誰も耳を貸さなかったし。
誰も見向きもしなかった。
「何が旧世代だ!! 何が踏み台だ!! 借り物の力でふんぞり返るだけの類人猿共が!! 己自身から何かを生み出す事も忘れ外の異物ばかりに目が眩む暗愚無能の分際でぇえ!!」
いくら叫んでも、いくら喚いても、結果は変わらない。
結局、世界の常識から外れた男は、世界の何もかもから追放されただけだった。
いつしか男は、魔術への復讐に奔走するようになった。
魔術を否定するために。魔術を常識とする今の世界を引っくり返すために。それだけのために自然科学を極め続けた。
チャンスはそんな時に訪れた。
世界中の魔術を統括管理する『魔術協会』が、突如、世界各地から最高戦力を招集し始めた。
それだけではない。
魔術協会から分化した『世界救世主連合』『騎士円卓議会』『異界同盟』───世界の名だたる魔術組織がほぼ同時期に動き出し、歴史上類を見ないほどの巨大戦力を結成し始めていた。
目的は容易に予想が付いた。
『世界最強』アーサー。
突如として魔術の頂点に君臨し、世界中で天変地異の如き破壊行為を繰り返す史上最悪の魔術師。
以前からアーサーの撒き散らす被害に頭を悩ませていた魔術協会が、ついにアーサー討伐に本腰を入れ始めたのだ。
近々どこかで戦争が起きる。
そして、
普段から魔術師への復讐を考えていた男にとって、絶好の機会だった。
魔術師アーサー。魔術という文明の頂点。
自然科学の力を誇示する相手として、これ以上のものはない。
男の行動は早かった。
予想通りアーサーに全戦力を駆逐され、新たな戦力の補給に喘ぐ魔術協会へ直接赴き、男は重役達に一つの話を持ち掛けた。
「魔術の頂点たる世界最強に、魔術のみで挑むのは心許ない。いかがでしょう。私共の自然科学をご活用してみては。アーサー討伐に成功した暁には、その功績と研究成果をあなた方に献上いたしましょう。仮に失敗に終わろうとも、元が『旧世代の遺物』、何も気にする必要はございません。どちらにせよ、あなた方には一切損のない話だ」
魔術師と言葉など交わしたくもなかったが、男には一つだけ欲しいものがあった。
「つきましては、ほんささやかな支援───『場所』の提供を願いたい」
馬鹿を言いくるめるのは容易かった。
当たり前のように許可を得た。
戦場として『魔術都市カルドキア』を欲した事に大きな意味はない。自身の持つ科学兵器の性能を遺憾なく発揮でき、なおかつ周囲へ及ぼす影響が比較的小さく抑えられる一番の環境が、その街の壁内防衛施設だった。
利用できるものは何でも利用する。
『魔装騎士団』に虚偽の通告をしてアーサーを襲わせ。
『国境なき聖女の集い』がアーサーを襲うよう適当な噂を巷に流布し。
『勇者一行』がアーサーを討伐するようギルドにいい加減な依頼を出し。
他にも取るに足らない連中を小手先でそそのかし、アーサーを襲わせ、奴が自然とこの街にやって来るよう全てを仕向けた。
どこを刺激すれば、アーサーはどう動くのか。
奴の思考回路と行動原理を演算する意味合いもあった。
魔術協会が治安維持の名目で、『救世主連合軍』の全滅を秘匿していたのも都合が良かった。
誰も彼もがアーサーの真の恐ろしさを理解せず、魔術などという偽りの万能感に溺れ、見事に世界最強に挑み、敗れ、駒としての役割を全うした。
そして思った通り、アーサーはまんまとこの街に近付いてきた。
全て予想通りだった。一切のミスもない。自分の読みに間違いはない。予想も予測も推測も推論も、全てが男の描いた通りに実現していた。
確信した。
予想外など起こらない。計算外など起こり得ない。
結局アーサーも、自分の想像の範疇を出ない存在でしかなかった。
「終わりだ、世界最強。消えてしまえ、魔術師共」
燃え盛るような憎悪。
あるいはそれは、魔術という文明を丸ごと飲み込んでしまいかねないほどの。
「今度は
こうして。
男が今まで培ってきた科学者人生の集大成が、今、壮絶な産声を上げた。
※※※※※※※※※※
雲一つない、爽やかな青空だった。
実は空そのものに色はない。太陽光に含まれる複数の光のうち、青い光が大気中の微粒子によって激しく散乱された結果、人の目には空が青く染まっているように見えているだけだ。
言ってしまえばそれだけなのに……ああ、なんて美しいのだろう。
単純な物理現象が、こうも精美な色彩を具現してみせようとは。
だから科学に魅せられた。
この世界が初めから持っている純粋な自然の理。自然科学。
目の前に広がる青い空は、自然がもたらした最大級の奇跡なのだと男は心から信じていた。
そんな青空が、黒く染まっていく。
ただの曇天ではない。まるで黒の絵具でキャンバスを端から端まで塗りたくっていくような、まさしく絵に描いたような『闇』が、気象学的にもあり得ない速度で空を埋め尽くしていったのだ。
一体、何が起きている?
自然科学を極めた男は、その現象を理解できていた。
「……
あり得ない。信じられない。
否定しようとしても、頭の中の知識が男の意思とは無関係に正解を導き出す。
そうしているうちに太陽の光はほとんど遮られ、ついには半分以上も闇に覆われてしまった。
突如、世界に夜が訪れた。
黒い空に、白い三日月が昇る。
本物の三日月ではない。
あれは、三日月型に抉れた太陽だ。
「馬鹿な……そんな馬鹿な!」
異常極まる現象に、男は思わず叫んでいた。
「日食が最後に観測されたのが五年前! 次にこの国から観測できる日食は、計算上どれだけ速くとも三一年後になるはずだ! そもそも昨夜に観測した月の位置から鑑みれば、こんな現象……惑星が意思をもって動いたとしか───」
そこまで叫んだ時、科学者の男はようやく『当たり前の疑問』を抱いた。
……なぜ自分は、空など見上げている?
「は?」
その疑問が過った瞬間、男は初めて、
思考が止まる。
日食の原理すら理解している男は、自分が倒れている理由も解明できなかった。
何が起きた?
自分が覚えている最後の記憶は、カルドキアの壁内施設から望遠器具で壁の外を確認したところまでだ。それから壁の外で、白い光が瞬いたのが見えて───
そして。
「っ!?」
何かを思い出し、男は弾かれるように上半身を起こす。
直後だった。
それが来た。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「逃げろ! 早く!! 早く!!」ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「どけェ!!」「お前がどけよ!! クソ!!」あああああああああああああああああああああああああああああああああ「きゃああああああああああああああああああ!!」あああああああああああああああああああああああああああ「なんだこれ!? 空が!!」「何が起きてんだ!?」ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「助けて!! まだ子供が中に」あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「嫌だ! 死にたくねえ!! まだ死にたくねえよお!!」あああああああああああああああああああああああああああああああ「そっちに逃げたらダメだ!!」ああああああ「何なんだよこれえ!?」ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「お母さああああああああん!! おどぉさああああああああああああああん!!」あああああああああああああああああああああああああああああああ「騎士を呼べ!」「何!? 何なの!?」あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「そんなもん捨てろ! いいから早く来い!」ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「止まるな!! 走れ!! 街の反対までだ!!」ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「魔法師団は何やってんだ!?」ああああああああああああああああああああああああ「逃げろおおおおおおおおおおおおお!!」あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
ドオッッッ!!!!!! という、地獄の圧力が男を叩いた。
津波の如く押し寄せる『人の波』。
男も女も子供も老人も、とにかく数え切れないほど大量の人間が、絶叫し、悲鳴を上げ、助けを求め、誰も彼もが声を荒げながら街の中を逃げ惑っていた。
地面の上にへたり込み、呆然とする自分。
そんな自分を避けるように左右に割れて走り抜けていく人間の群れ。
もはや意味が分からなかった。
そして、ようやくだ。
自分はカルドキアの街の中に倒れていて、この逃げ惑う人々は『何か』から逃げようとしているカルドキアの住民だと気付いた頃には、街の中には一人、科学者の男だけが取り残されていた。
無音の街並みがあった。
国一番の魔術産業都市から、人が、声が、音が、気配が、生活が、消える。
……その時、科学者の男は三つ、信じられないものを目にした。
一つ目。正面に見えるカルドキアの外壁が、綺麗に消滅していた。
幅五〇〇メートルほどの外壁が半月状に抉れている。ちょうど男が部下達と共に、光学兵器『天の梯子』を設置した範囲を、真っすぐ狙ったかのように。
二つ目。消えた外壁の断面が、オレンジ色に赤熱していた。
あれは紛れもなく、自分が用意した『天の梯子』の破壊痕だ。しかしそんなわけがない。あの兵器を、自分以外の誰かが作れるはずがない。
そして、三つ目を見た瞬間。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
男は言葉を失った。
消滅してしまったカルドキアの外壁。
その向こうから、ゆっくりと近付いてくる『誰か』の姿があった。
……日食は、太陽をほぼ完全に覆い隠した状態のまま静止していた。
闇一色の世界が広がる。
にも拘わらず、『そいつ』は闇の中でも鮮明に浮き出ていた。
世界の全てを包み込まんばかりに、両腕を大きく開き。
世界の全てを焼き尽くさんばかりに、瞳を赤く燃え上がらせ。
世界の全てを食い尽くさんばかりに、耳すら引き裂くほど笑みを深め。
世界の全てを叩き伏せんばかりに、堂々と立ちはだかる一人の『少年』が。
「……嘘だ……」
結局、男は最後まで、この異常な日食の原因に気付く事ができなかった。
天体規模の魔術? あるいは空の色を自由に変える魔術?
いいや違う。これはただの『自然現象』だった。
しかし、一体誰が肯定できただろう。
「あぁ」
遠くから。
世界最強の魔術師の、小さな声が。
「俺の街だ」
聞こえた瞬間だった。
どばっ!!!!!! と、男の顔から滝のような汗が噴き出てきた。
────なぜ生きている? なぜ無傷で立っている!?
────『天の梯子』が直撃しておいて、なぜ笑っていられる!?
危うく現実逃避したくなるが、男の頭脳がそれを許さない。科学を極めるほど卓越した彼の演算力と理解力は、非情な現実を自分自身に叩き付けていた。
己の集大成である『天の梯子』が、微塵も効いていなかった事。
挙句の果てには、アーサーにあっさりその技術を模倣され、返す刀で自分も光学攻撃を浴びた事。
そしてもう一つ、こうして自分が地面に倒れている理由。
模倣とはいえ、『天の梯子』に匹敵する光を浴びたのだ。本当なら外壁と一緒にグズグズの液状になって吹き飛んでいてもおかしくない。むしろそうなる方が正しい現実のはずなのに。
では、なぜ自分は五体満足で生きている?
答えは単純だった。
「私を……私『達』を……」
自分だけを生かす理由はない。おそらくは部下達も同様に……。
違う。それだけではない。
あの『天の梯子』を製造した男本人だからこそ分かる。あの外壁を消滅させ得る威力なら、本来カルドキアの街の中まで焼き尽くされていなければおかしいのだ。
しかし見渡す限りにおいて、カルドキアの街並みに被害が及んだ形跡はない。
つまりは。
「守ったと言うのか!? 自分の攻撃から!! この街の全てを!?」
死なせないように。殺してしまわぬように。
まるで小さい虫を間違って踏み潰してしまわぬように、虫かごの中に放り込んで、甲斐甲斐しく世話をするような感覚で、手加減をしていた。
……これは、科学者の男の知る由もない事だが。
かつてアーサーは、多くの人間を殺してしまった際、こんな事を誓っていた。
『よし、これからは二度と人は殺さねえ。「約束」だ。神に誓ってもいいぜ?』
アーサーからすれば、自分が自分に課した約束を、律儀に決行したに過ぎない。
ただ、生かされた側からしてみれば。
特に、魔術に憎悪を燃やす男からしてみれば。
「……魔術師が……」
のそり、と。
男は低く呟きながら、静かに起き上がる。
「どこまでも、そうやって……私を、科学を、侮辱する……!」
さっきまで、地面に転がっていた男が。
本当なら、とっくに殺されているはずの男が。
これだけ圧倒的な力の差を見せつけられて、なお。
「ふざけるな……! 偽りの神秘でつけ上がるだけの愚物風情がァ……!!」
科学者の男。己の人生を否定され続け、数十年。
長い時間の中で蓄積し、今にもはち切れんばかりに膨れ上がっていた悪意が。それをギリギリのところで抑え込んでいた細い細い理性の糸が。
ブツリと、千切れ飛ぶ。
「調子に乗るな!! クソ猿がァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
始まる。
世界最強を殺すための復讐劇が。
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