03【理由があったわけじゃない】

 


 理由があったわけじゃない。


「寝床だ寝床、ふっかふかのベッド」


 きっかけがあったわけでもないし、欲望や信念があったわけでもない。

 ただ、退屈なのが嫌だった。


「酒と肉も欲しい。極上のだ。そこに良い女がいりゃ文句なし。五〇〇人くらい一気に抱きてえ。ンで肉食って酒飲んで……最っ高だぁ」


 何かを間違えてこうなったのか。

 あるいは、何も間違えなかったからこうなったのか。

 いずれにしても、あの日が全ての分岐点だった。



『師匠』と出会った、あの日。

 魔術の才能を見出された、あの日。



 今となっては、『師匠』と出会った日の事なんて微塵も思い出せない。

 出会ったのが街だったか、森の中だったか、海の上だったかも覚えていない。そもそも『師匠』と出会う前の記憶も朧げだ。


 自分はどこで産まれ、どこに住み、何をして暮らしていたか。

 金持ちだったのか貧乏だったのか。農家だったのか王族だったのか。

 何も思い出せないが、一つだけ覚えている事がある。


 毎日が退屈だった。

 それだけは確かだ。


「水浴びは飽きたなぁ。寒ぃし。マグマも大して気持ち良くねえし。やっぱ丁度いい風呂だ。肉、酒、女、風呂。そンでベッド」


 魔術師になる前の自分は、とにかく全てに退屈していた。

 死にたくなるほどに退屈で、死んだところで面白くもならない人生。

 そんな時に提示された魔術師への道。掴まずにはいられなかった。

 この世を面白く生きる才能はなかったが、魔術の才能にだけは恵まれていた。


 だから魔術の道を歩み出した。

 退屈を忘れるために。退屈から抜け出すために。


 そして、進み続けて極め続けて、一度でも立ち止まったら再び退屈に追い付かれるから、背後を振り向く暇もなく前だけに足を踏み出し続けて。

 誰も見た事のない景色を見渡したくて。

 誰も知らないものを知り尽くしたくて。

 退屈を忘れたくて。


 ───気付けば『世界最強』になっていた。


「女、女……胸はデケェ方がいい。ケツも。いや、小さくてもいいな。でも肉付きは欲しい」


 その結果が、これだ。

 見晴らしのいい野道をボンヤリ歩き、頭上に広がる快晴の空を見上げつつ、下らない妄想に浸った男が、神すら殺した世界最強の魔術師だ。

 我ながら、なんて下らないジョークだろうとアーサーは思う。


「酒は良い樽で作った良いブドウの酒。肉は……やっぱ歯ごたえだな。柔ぇ肉とかつまンねえ。陸ならフェンリル、海ならリヴァイアサン、空ならドラゴン」


 アーサーの頭の中では、この世のどこにも存在しない桃源郷が描かれている。

 肉と酒と女と風呂とベッド。そのどれもが最高級の最高品質で、目の前にズラリと並んでいる。

 この世の幸せの全てがそこにある。


「風呂は熱め。熱過ぎると萎えンな。後は女だけ……あ! あの聖女共から一〇人くらい掻っ攫ってくりゃよかったのか! ……でも抱き飽きたしなぁ」


 実現できるかどうかなんて大した問題ではない。妄想できる事が重要なのだ。

 思い描く事をやめたら、現実しか見えなくなったら、もうおしまいだ。

 退屈してしまう。

 退屈は、世界最強すらも殺してしまう。


「ま、どぉーでもいい」


 アーサーはそう吐き捨てると、肩に担いだ『それ』を力任せに引き千切り、乱暴に口の中に放り込む。




 全長三キロメートルにも渡る巨大な『蛇』の肉を、だ。




 ブチッ、ブチブチブチブチブヂブヂブヂブヂブヂブヂブヂブヂブヂ!! と。

 どんな攻撃も寄せ付けない頑強な鱗。凄まじい力を発揮する引き締まった筋肉の繊維。人間の腕くらいの太さがある血管。それら全てをアーサーは素手で適当に引き千切り、グッチャグッチャと大きな音を立てて貪り食う。


 その異名、誰が付けたか『地上最大』。

 大地を這い回る巨大な龍:アンラマンユ。


 火山の中で何十年も眠り続け、一〇〇年に一度目覚め、地上を隅から隅まで這い回る。そして通過した街や国の全てを食らい尽くし、満足すると再び眠りにつく。

 そんな邪悪な逸話を持つ魔獣が、世界最強の手であっさりと捕食されていた。


 三キロメートルというのも、本来の全長ではない。

 もうすでにアーサーが半分くらい食ってしまっている。


 なんなら「肩に担ぐ」という表現も正確ではない。

 全長も然る事ながら、アンラマンユの巨体は太さが六メートルにも及ぶ。担ぐというよりただ肩に載せ、長い体をズルズル引きずっている形だ。

 そして、お味の方は。


「あークソ不味まじぃ」


 まさかだった。

 お風呂代わりにならないかとそこら辺の活火山に飛び込んでみたら、まさか火山の奥深くからこんなに馬鹿デカい魔獣が這い出てくるなんて思いもしなかった。


 その場のノリと勢いでアンラマンユを屠り、ちょうど腹も減っていたため『携帯食』としてチビチビ食いながら旅路を進んできたが……やはり不味い。食えば食う程とことん不味い。これでは酒のつまみにもなりゃしない。


「はぁ……失敗した」


 溜息と共に、大蛇の死骸をその辺に放り捨てる。

 ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!! という地響きさえ無視をした。そもそもアーサーはすでにアンラマンユへの興味を失っている。

 引き換えに、彼は全く別のものへと興味を向けていた。


「お、あれかぁ?」


 のんびり歩く野道の先に、彼の行く手を阻むように、巨大な壁が立ちはだかっていたのだ。




『魔術都市カルドキア』。

 この国で最も魔術産業が盛んに行われる、高さ一〇〇メートルの外壁に囲まれた大都市だった。




 巨大山脈すら追い出され(というか自ら破壊してしまい)。

 どこか他に寝場所はないかと周辺地域を探して(というか、襲って来た『極神魔導士』とかいう連中を叩きのめして脅して聞き出して)。

 そうして辿り着いたのがここ、魔術都市カルドキアであった。


「はあー、つ、か、れ、たー! 長旅はこれっきりにしてぇな! ……ま、こンだけ疲れりゃグッスリ眠れンだろ」


 ……本当に、余計な騒ぎから始まった旅だった。

 そもそも『魔装騎士団』の起こしたあの騒ぎがなければ、こんな無駄で下らなくて退屈な旅なんかせず、ずっとあの街に住み続けられたのだ。


 ───思えばあそこはとても良い街だった。


 そこら辺のレストランを襲えば、美味しい肉と酒が無料で食えたし。

 そこら辺の家を襲えば、綺麗な女が山ほど抱けたし。

 道行く商人を襲えば、いくらでも珍しい食い物が手に入った。

 いつも貰ってばかりでは気が引けるから、お礼ついでに脂の乗った魔獣を二〇〇〇体ほどぶっ殺してプレゼントした時には、住民達からも大いに感謝された。


 肉も、酒も、女も、人も、全てが最高の街だった。

 できる事なら後一ヵ月くらいは滞在したかったが……過ぎた事は仕方がない。

 いつまでも過去の街を振り返っていては、これから住む街に失礼というものだ。


 どうせなら、新たな住居を、全力で楽しもう。


「おーし! 食って抱いて寝まくるぞー! 今日からそこは俺の街! 新しい俺の我が家だ!」


 元気よく肩を回し、無邪気に略奪を宣言するアーサー。

 そこには一切の迷いはない。罪悪感もない。もちろん、カルドキアに住む人々を案ずる気持ちも微塵もない。


 だって、自分には何の不都合もない。

 自分に不都合がないのなら、何もかも、どうでもいい。


 他人様の都合などお構いなし。アーサーは鼻歌でも歌うような気分で、魔術都市カルドキアの外壁に、のんびり近付いていく。




 ……この時、アーサーは三つ、大きな間違いを犯していた。




 一つ目。

 自分が魔術都市カルドキアに行きついたのは、ただの偶然の連続だと勘違いしていた事。


 二つ目。

 誰かに襲われるのが日常茶飯事だったせいか、『魔装騎士団』の一件からここに至るまでのほぼ全てが、と最後まで気付けなかった事。


 そして三つ目。

 なんだかんだで、自分は世界最強なのだと慢心していた事。


 圧倒的な頂点たる彼からすれば、自分以外の森羅万象は吹けば飛ぶような有象無象。どんな魔術師も、魔獣も、自分の前では塵に等しい。傷一つ付けられまい。本気でそう思っていた。事実、これまで本当にそうだった。


 だから、見逃していた。

 魔術都市カルドキアを囲む外壁の一点で、チカッ、と謎の白い光が瞬いたのを、アーサーは完全に見ていなかった。

 仮に見ていたとしても、気にも留めていなかっただろう。

 それが根本的に間違えていた。


「あン?」


 次の瞬間だった。





 カッ!!!!!! という閃光が一直線に襲い掛かり、アーサーを中心とした直径一キロメートルの大地が丸ごと蒸発した。






 

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